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nagaimichikoの日記 RSSフィード

2008-06-09

ケータイ小説は現代の落語である、ようだ

地下鉄で無料配布されていた「中央公論Adagio」という雑誌の4月号で、落語の五代目志ん生さんの特集をしていた。

最近、落語にはまりつつある私はうきうきで読んでいたのだけど、そこに面白い一文を見つけたので、メモがてら書き記しておく。

志ん生さんの自伝、「amazon:なめくじ艦隊」からの引用だそうだ。

長い噺をしゃべるんで、講談とはちがうんですが、あくまで対話を主としてしゃべる。たとえば講談ですと、

「――路地に入って突きあたりに、あらい格子があります。こいつへ手をかけてガラガラッと開けて、足を中へ入れながら、『エ、ごめん下さいまし』と、奥から出てきたのは、年のころ四十五、六と見えますでっぷりとふとっていい男でありまして、『ああ、いらっしゃいまし』……」

というふうなのが講談なんです。これを人情噺ですと、

「オ、路地だな」――こうしをあけるかたちをして――「ごめん下せえまし」「だれだい、オー」……。

こんな工合なんですよ。つまり説明しないで。雰囲気でしゃべっていくのが人情噺なんですよ。

これを読んで真っ先に思ったのが、「それってケータイ小説じゃん」ということ。

会話と、主人公の思いやつぶやきが大半を占めるケータイ小説の形態が、なんだかよく似ているような気がした。


だらだら長いト書きはいらない。

視点と、会話と、そこで動いた感情があればいい。

それは刹那的でもあるけれども、理屈より感性を重んじる、完成よりも変化を重んじる、出来事よりもコミュニケーションを重んじる、そんな世界がある。

薄い板で仕切られた長屋にすし詰めで生活していた江戸の人たちと、ネットやケータイで24時間つながっている自分たちの生活は、実はよく似ているのかもしれないと思った。

ネットの町人文化が花開いているということなんですかね。


まぁついでにいえば、大体こういうのは天災や飢饉でその栄華が終わるので、地球温暖化の影響なんぞが気になるところ。みんなもっとお米を食べるといいと思うよ!(←政治家のこういう主張がよくわからんが、米は美味いから好きです)

2008-04-20

調整局面に入っている

モバイルフィルタリングの話とか、インターネット利用規制の話とか、著作権制度の話とか、

既存社会と衝突を起こすくらい、インターネットが普及したんだなぁと思う。


「これは世の中を変える!」といっていたステージから、

実際に変えたことで、これまでの仕組みや思想との「歪み」が起きてる。


しばらくは調整局面が続くだろうなぁ、と思いながら、

次のイノベーションはどこから起こるんだろう、と辺りを見渡す日々。




水俣病の問題から環境技術が急速に発展していったように、

ここで起きている問題に焦点を当てて、再発しない技術開発をすることが、

1つ未来を作ることにつながるだろう。


ステージがネットの「開発」から「利用」に移る中で、

誰でも使いやすい、ハードウェアまで含めた形でのネットサービスの設計・開発・提供が、

農業や漁業や医療や教育や、まだまだ人が人だけでがんばっているところに、道を切り開いていくだろう。


技術が、「生み出す人のもの」から「使う人のもの」に変わっていく。




さてそのとき、メディアは、どこにいるべきなんだろうか。

2008-04-12

今日のお昼ごはん

現在渋谷で1人お昼ごはん中。

なんかこじゃれたヘルシーなお店で、右をみても左をみても女子しかいない。

・左隣

大学受験を控えた高校生2人。

「(ライブ会場に入るのに)そのうち指紋認証とか入りそうじゃない?前にトラブル起こした人はそれではじかれるとかありそう」

「『カードキャプチャさくら』がニコニコに上がってて、それを見て男子が『さくらちゃん最高』とか盛り上がってんのー」

・右隣

社会人数年目風の女子2人。

「○○ちゃん今度、何とかエキスパートっていう資格とるんだってー。なんか、アドビのソフトなら全部使えますよ!ってやつ」

「私が使ってるiMacに入ってるソフトは・・・」


そういえば「mixi」って言葉を最初に、普通に使ってる人を見たのも渋谷だった。

日本ってハイテクな街だなぁ。

2008-04-04

べっ、べつにid:shi3zが好きなわけじゃなくて

ニコニコ動画とゲーム的なるもの - shi3zの日記:

id:nagaimichikoが僕の本など持ち出すのが悪い。ニコニコ動画と自著を持ち出されたら、絡まずにいられないじゃないか。そんなに僕が好きか。

id:shi3zの「本」が好きなだけだもんっっっっ。


っていうか、いくつか当時探したんだけど、「ゲームを作る人のための本」ってほんとに少ないんだよね。市販されているもので、しかも良著なものは。

いままではゲーム会社に入って、先輩から後輩へと受けつがれていく職人芸のような世界だったから、あえて明文化して市販する必要がなかったのかな、と想像している。

というわけで、本を紹介させていただいた次第。これだけ宣伝(?)すれば義理は果たした、かな。



あと1つ言うとすれば、別に「ニコニコ動画」は誰かだけが作ったものでもないし、誰が欠けても(ユーザー含め)今の形にはならなかっただろう、ということ。それが良いか悪いかはわからないけど、いまの形は私は好きだよ。


そこには、ゲーム的な面白さと、ケータイ的な親しみやすさと、コミュニティ的な嬉しさがある。

それは、いままでのPCウェブの世界には、あまりなかったものだから。




ただ、それが「ニコニコ動画」だけで終わっちゃったら、つまらないよね? と思う。

時代のあだ花で終わらせたくはないから。


もう一花も二花も、誰かが咲くお手伝いをするために、自分ができることが、きっとあるはずだ、と思う。それを探しながら、実現しながら、少しずつ進んでいけたらいいなーと思っていいるのですさ。

2008-04-03

shi3z先生からお返事をいただいてしまったよ

わああああああ。なんてこった。

ニコニコ動画はゲームなんかじゃない - shi3zの日記


天下のshi3z先生(大先生と呼びたいところだが大先生は別にいるのでここで先生にしておく)にまさかコメントをいただけるとは。ありがとうございますありがとうございます。


っていうか、実はちょっと「id記法」なるものを使ってみたかっただけなのです。shi3zさんもkoizukaさんもshamanoさんもYoshikawaさんもはてなにブログがあるってなんかすごいなーと思って。でもどうやら勝手にトラックバックを打っちゃう仕様だったっぽい。ごめんなさいです。あうあう。いやはや、お騒がせしました。


でも、「ニコニコ動画はネットゲームであるか否か」議論でshi3zさんの本を真っ先に思い出したのは事実。そしてAmazonでamazon:ゲームデザイン誇大妄想狂って本もみつけたので買った。数日中に届くであろう。楽しみ。



私としては「ニコニコ動画はネットゲームである」というのなら何でだろう?と知りたい。それが一種のメタファーなら、それでもいい。何が似ていて、何が違うのだろう?

でも、そういわれてみればshamanoさんの講演も、「ニコニコ動画をゲームだ、と仮定したらいろいろなことが見えてくるのではないか」という話だったはずだから、分析するための視点として有効ということなのかな。だとしたら両方の要素をもっといっぱい書き出したらいろんなことが見えてくるのかもしれない。


ちょっと本筋からそれるかもだけど、shi3zさんのブログで

ルールとは、守らされる物ではなく自発的に守る物だ。

という言葉が印象的。それはつまり、ゲームとはジェントルマンのためのものである、と言えるのかな。素敵。


あと、ニコニコ動画とゲーム - ほめことばです。いや本当に。さんが書いていた、

空き地や原っぱそのものは、もちろんゲームではないし、ゲームとしてデザインされたものでもなければ、ゲームとしてのルールも規定されていない(中略)

でも、その空き地や原っぱで、人は何かしらのゲームを始めたりする。

っていうのがすごく面白いな、と思った。

多分、ニコニコ動画は「誰」+「何をする」のどこに注目するかによって、その性質が違うんだ。運営側がいて、動画を投稿する人がいて、コメントをつける人がいて、タグをつける人がいて、右上を投稿する人がいて、ほんにゃらはんにゃら。いくつもの人と行動が、入れ子構造になりながら折り重なって世界を作ってる。そこにはゲーム的要素が強いものもあるし、そうでないものもある。いろんな人の行動が重なり合うことで時々対立も起こるけれども、システムとして衝突することは(たぶんあんまり)ない。そこがすごい気がする。*1




ちなみに私が「ゲーム」に熱い視線を送っているのは、これだけ人を没入させるインターフェースって、そうはないと思うから。正直うらやましいし、学べるところは学びたいし盗めるところは盗みたい。えへ。


「ニコニコ動画はネットゲーム論」は、今度koizukaさんにお会いする機会ができたらぜひ聞いてみたいな。なー。

*1:ニコ割なんぞは「衝突」になるんだろうけど、運営の権限のもとあえて投入して、そこで起こる「違和」を楽しんでるように見える。もちろん楽しめない人もいるので「リロード回避」という策を入れてる+追記でいえば「@ピザ」は衝突を起こす=動画と関係なく登場しちゃう可能性があるので今後が気になるところ