Hatena::ブログ(Diary)

nagaimichikoの日記 RSSフィード

2008-10-01

わかったーが怖い

f:id:nagaimichiko:20081001003611j:image


ひぃぃぃぃぃ。ごめんなさいごめんなさいっっっ。

2008-09-21

Twitterを1ヶ月使わずにいて感じたこと

・・・ってブログは2ヶ月更新してないじゃん!(汗)

すみませんすみません。




出張があったり夏休み取ったり仕事がたまってたり風邪引いたりしているうちに、Twitterに書き込めない日々が続き、

「どうせなら1ヶ月書かないでみよう!」と実験してみました。(Tweetは見てたけど)

いやー、長かった。



で、感じたこと。


■マイナス面

・自分がいなくてもTweet(=世間)は動いてるのねー、と淋しくなる(←当たり前)

・自分の記事に対するリアクションがもらえなくてつまんない+緊張感が弱い

・他人のTweetにリアクションできなくてもやもや

・ふと思いついたこととかを書き留めておかずに忘れてしまう

・それに対するリアクションもないのでアイデアが広がらない

・この1ヶ月に対するログがTwitterに残らない

・たぶんもうみんな、おいらのことなんか忘れてるんじゃないかな。。。。



■プラス面

・逃げ場がないので仕事に打ち込まざるを得ない

・おかげで雑用処理が進む

・夜に淋しかったりするので本を読むようになる

・で本を買い込みすぎて本棚に収まりきらないので古い本を処分するようになる

・思いついたことを日記に書くようになり、自分なりのアイデアは深まる





うーん、まぁプラス面って、昔に戻っただけなんだけど。

さりげなく、でも確実に、Twitterは私の生活を変えてたみたいです。







で、何が言いたいかというと、

Twitter復活しますんで、ぼちぼちよろしくお付き合いくださいませ。

2008-03-23

nagaimichikoさんの悩みを解きほぐしてみる:情報は足したほうがいいのか引いたほうがいいのか

あ、いや、悩んでるわけではないのですけどね。

miruさんがまとめてくれた「nagaimichikoさんの悩み」をちゃんと書いてみる編その1。

nagaimichiko: 情報は足したほうが価値が生まれるのか、引いたほうが価値が生まれるのかと弱い頭で考えている http://twitter.com/nagaimichiko/statuses/772846486

これは、記者としてものを書くときの基本姿勢はどう持ったほうがいいのかなぁ、と考えていたもの。

どちらが良くてどちらが悪いというわけではないのだけれど、自分のスタイルとしては後者のほうを重視している。


編集者の仕事は文字通り「集めて編む」こと。たくさんの情報を「集めて」、自分なりの視点で「編む」。伝えたいことが伝わるように焦点を絞るから、焦点がぼけるような情報は排除する。(もったいないっと思いつつ涙をのむこともしばしば。別のところで使うこともある)

もちろん、間引きしすぎると味気ない、さみしい文章になってしまうので、いかに「引く」かが編集者の味付けであり腕の見せ所。



逆に、情報を足すことももちろんある。歴史・背景情報やデータ(市場シェアとか決算数値とか)、第三者による異論、複数の関係者のコメントなんかは、1つの出来事を客観的・複眼的に見るのにすごく効果的だし、それによって理解が深くなる。

ただ、これはあくまでも「伝えたいこと」をサポートするためにあるもので、「伝えたいこと」がそもそもぼやけてたら、余計何だか分からなくなる。



ちなみに、私は記者がニュース記事で自分の意見を書くのは非常に嫌い。ニュース記事の主役はあくまで「出来事」であるべきで、記者の気持ちはそれを編む「視点」に使う程度にとどめておくべきだと思っている(そしてそのときも、その視点が独りよがりになってないか確認すべき)。自分の考えを書きたいなら、自分の名前でコラム記事として、「自分はこう思う」と書くべき。そしたら、読んだ側も「賛成」「反対」が言える。


意見には賛成・反対できるけど、出来事には賛成も反対もできないからね。


あとは明確に自分の意見だと意識しないまま思い込みで書いてたり、「みんなこう思うはず」と突っ走っちゃったりするのも危険。このあたりは常に自分を客観的に見る(=自分に反論をぶつけまくる)ことで回避すべきだと思う。



・・・とここまで書いてきて、「じゃ、情報の『価値』って何なの??」という疑問が湧いてくるのですが、それはまた別のエントリで。




しかし、こう書いてみて気づいたんだけど、私、編集者属性のほうが強いのかな。ずっと記者メインでやってきたから自分は肉食記者だと思ってたんだけどなー。ま、いいや。いいものつくれれば。


nagaimichikoさんの悩みを解きほぐしてみる:1人の天才を引き上げて100人の仕事を作るべきか100人を底上げするべきか

miruさんがまとめてくれた「nagaimichikoさんの悩み」をちゃんと書いてみる編その2。

nagaimichiko: 1人の天才を引き上げて100人の仕事を作るべきか100人を底上げするべきかも考えている http://twitter.com/nagaimichiko/statuses/772847958

nagaimichiko: 基本的に私は前者。でも多分それは想定する社会環境によって違うんだろうと思う http://twitter.com/nagaimichiko/statuses/772848240

うーんと、これも自分が記事を書くときの意識の問題。これについては、具体的にどんなトピックを取り扱いますか&どういう切り口で見せますか、という話。


自分がメインで関わっている媒体がビジネストピックに関するものだから、ということもあるのだけれども、私が記事を書くときに意識してるのは、「新しいものを作ろうとしている人のヒントになること」。媒体属性上、新しい(特にネットを使った)サービスや、それのビジネス化をする上での参考になることを重視してます。


これにはまぁいろいろ理由はあるのだけれど、一番強く感じるのは、あんまりネット業界のビジネスヒントの話ってない気がするんだよね。ほかの業界に比べると。それは歴史が浅いとかしっかり張り付いている記者の数が少ないとかいろいろあると思うんだけど、その辺りで個人的に物足りないなーと思うことが多いのです。だったらまぁ、自分でやるかと。

何より楽しいしね、そういうのが聞けることが。「へー」「ほー」「おおー、なるほど」の宝の山です。人間ってすごいな、って、いつも思う。


「1人の天才を引き上げて100人の仕事を作るべき」っていうのはちょっと語弊があるかもですが、自分のできることには限界があるので、「ヒントを探している1人の挑戦者」の役に立つことがその人の成功につながって、そこから100人分の雇用が生まれたら社会的に意義があるかな、と。それは単純に私の夢であり希望ですね。

「100人を底上げするべきか」っていうのは、100人が喜ぶようなものを作るか、ということ。それもそれで大事なのです。ただ、ターゲットが1人でなく100人になると、そこの共通項を探るのがけっこう大変。これはこれでとても面白いですよ、念のため。たとえば「本当に誰でもが納得できて楽しめる金融知識」とか、すっごい手間暇かかるけど、それが許されるんならやりたいし。


理想は「ヒントを探している1人の挑戦者」の役に実利的に立つ+100人が読んでも普通に「面白い」と思ってもらえる記事、なのですが、これがなかなか難しい〜。うーん、がんばるさ〜。



nagaimichikoさんの悩みを解きほぐしてみる:豊かってなんぞや


miruさんがまとめてくれた「nagaimichikoさんの悩み」をちゃんと書いてみる編その3。

nagaimichiko: あと、豊かってなんぞや、という問いもある http://twitter.com/nagaimichiko/statuses/772860112

nagaimichiko: 私にとって豊かさっていうのは選択肢の多さ。物理的なものも精神的なものも。 http://twitter.com/nagaimichiko/statuses/772860312

これはひとえに個人的な体験によるものですな。


えっとですね、私は大学時代の夏休みに、友人に誘われてアフリカのwikipedia:ガーナに3週間ほどいたことがありまして。現地の人と一緒に山でキャンプして木を植えるということをしてたのですよ。それはすごーく楽しくて、その後すっかりアフリカにはまってしまうわけなのですが。まぁそれはおいといて。

でね、料理は自分たちでやるので、市場に買出しに行くわけです。大体置いてある野菜が、トマト、たまねぎ、オクラ、タロイモ、あと名前をもはや覚えていないやつが2〜3個。これにお魚とか卵とかを使って料理するわけです。

うーん、レパートリーに限度が。。。。いや、おいしいんですけどね。


で、3週間の旅を終えて日本に帰国。その足で近所のスーパーの野菜売り場に行くと、5メートルくらい色とりどりの野菜が並んでいるわけですよ。キャベツとかキュウリとかブロッコリーとか長ネギとかいろんな葉野菜とか根野菜とか。


あー、これが豊かってことなんだなー、と思って。


毎日好きなものを好きなように選んで、組み合わせて料理できる。すごいなー、って思った。




これはまぁ、わりと物理的な話ですが、精神的な話でも同じことが言えそうな気がしたの。

どこかに行くとか、何かをするとか、何かになるとか。その制約は他人がかけていることもあるし、自分がかけていることもあるし、もっと外界要因があったりもする。でもそれがもし、「こうじゃなきゃ」っていうように選択肢が1つしかなかったら、それは苦しい。逆にいくつか選べるなら、たとえそれが「する」「しない」の2つしかなかったとしても、自分で選べるなら、それはちょっと、気が楽になる。


お金があると豊かになれるのは、お金があったほうが選べる選択肢の数が増えるからじゃないかな、と思う。「お金がないからできません」って、言わなくて済むならそのほうがいい。


逆に自分の仕事としては、何か「気づかれていない選択肢」を提示できたらいいのかな。「こういう方法もあるよ」とか、「できないと思ってるだけで、ほんとはできるよ」とか、気づいてもらえたら「豊かさ」に貢献できるかしら。


もっとも、

nagaimichiko: 豊か=幸せ とも限らないのかなぁと思う。選択肢が多すぎると迷いすぎる。たぶん適切な量があるんだろうなぁ

という問題もあるので、ただ選択肢を増やせばいいってものでもない気はしているのだけど。


nagaimichikoさんの悩みを解きほぐしてみる:ソフトウェアってなんぞ

miruさんがまとめてくれた「nagaimichikoさんの悩み」をちゃんと書いてみる編その4。

nagaimichiko: ソフトウェアが情報処理ならつまりは処理の話、と思ったことがある http://twitter.com/nagaimichiko/statuses/772874124

これは120%文系にして技術業界媒体記者であるおいらにとって死活問題レベルの話なのですが。

ソフトウェアって、結局なんぞ?? というのは、自分の中できちんと持っていないとまずいと思うのです。自分が定義できていない言葉を使うのはあまりに危険。

とはいえ、ソフトの開発なんてしたことないし。当たり前に使いすぎてて逆にわかんないし。


「これして」→「あいよ」っていうことの積み重ねだとは理解しているのですけどね。



で、まぁうーーんうーーーーーん、と悩んだ結果、「情報処理技術者試験」っていうのがあるくらいだし、「ソフトウェア≒情報を処理する思考プロセス」という仮定義を自分の中でしています。


この定義で行くと、ソフトウェアに関する議論はすべて「いかに情報の処理をうまくやるか」ということについてどう考えるか、というところに落ち着くのかなと。

このあたりは実際にソフトウェアの開発に携わってらっしゃる技術者の皆様にご意見をお伺いしたいところです。やっぱり現場で肌で感じてないと、言葉が生きてこないんですよね。ふがいない。。。


nagaimichikoさんの悩みを解きほぐしてみる:ネットワークってなんぞ


miruさんがまとめてくれた「nagaimichikoさんの悩み」をちゃんと書いてみる編その5。

nagaimichiko: 実はネットワークについてはいまだによくわからない。処理は引き算か割り算だけど、つながることは足し算か掛け算になるからだと思っている http://twitter.com/nagaimichiko/statuses/772874855

nagaimichiko: つづき。つながってるってことは変わり続けるってことだ。生き物みたいだな。 http://twitter.com/nagaimichiko/statuses/772895779

nagaimichiko: だとしたらわからなくても無理はない http://twitter.com/nagaimichiko/statuses/772896331

これは前エントリの続きにして、現在直面している難問の1つ。ネットワークって、なんなんだ?? という定義が、自分の中でまだあんまりできていない。


「ネットワーク≒つながってること」と仮定義すると、じゃあ「つながってる」ってどういうこと??となる。これが難しい。

現象の1つとして、つながってるとお互いに影響を与え合うので、そこで変化が起こる(ゆり戻して結局同じに戻る、というのはあると思う)。常になにか変化している状態がある、としたら、それは生命体に似てるなーとふと思った。

だとしたら、ネットワークを構築するときは、常に変わり続けることを念頭に、生命体のような自己修復機能や自己維持機能を入れて設計するのがいいのかなぁともんやりと思った。モニタリングシステムとかはそういう発想なのかな、とか。

あと細胞みたいにモジュールが壊れることが前提になるから、同じものを作って入れ替える仕組みが必要なのかなーとか。Googleのクラスタリングサーバ的なイメージ。


ちょっとこの辺は自分の想定範囲も含めてめっちゃあやふやなので、もんもんとした思考実験の粋を出ていないです。すみませーん。

2008-03-21

お礼。

もんもん(?)としていた色んなことを、酔っ払ったことに甘えてtwitterで書きなぐってみた。書かないと忘れちゃうからね。


そしたら色んな人がレスくれて、幸せだなーと思った。


ちゃんとまとめなきゃなー、と思ってたら、miruさんがまとめてくれてた。きゃー♪ 多謝!



twitterでは文脈を一切排除しちゃってるから、なんじゃこりゃ?なのでちゃんと背景を入れたものをちょっとずつ書いていきますです。おうっ。がんばれ自分。

2008-01-24

ノートPCとイー・モバイルとmixiとtwitterとほんのちょっとのIMでおいらの仕事はできている

今日の仕事の流れが面白かったので書いておく。


・14時ごろ

昼の取材が終わってご飯食べて、食後の紅茶を飲みながらPCを開いてイー・モバイルでmixiをチェック。マイミク日記でロイターが「ドコモ×グーグル、3時から会見」と速報を打ったことを知る。

同時のタイミングで上司から電話。会見に直行すると伝える。ついでにtwitterにロイターの記事を流す

・15時ごろ

会見場に到着。イー・モバイルが使えるので、会場で渡されたリリースを元に速報記事をサイトに掲載。記事UPした旨をtwitterに流す

・15時過ぎ

会見中にGoogleの人が「1時間前にYouTubeをケータイで検索できるサービスを始めた」と発言。Googleの検索結果にYouTubeが出るのかと思ってGoogleモバイルを見るも発見できず。twitterでヘルプを求める

 ↓

cojiさんがhttp://m.jp.youtube.com/の存在を教えてくれる。PC、ケータイで存在を確認。

 ↓

IMで社内の人間にGoogleからリリースが出ているかを確認。リリースはないものの、YouTubeブログで書かれていることが発覚。記事執筆を依頼

・17時ごろ

記事をアップデート。twitterに流す

 ↓

shnさんから誤植の指摘。あわてて直す。ノートPCの電池不足と戦う。

・21時ごろ

弊社主催の新年会にてYoiさんと会う。「やーやー、いつもtwitterではどうも」という一言から会話が始まる。

2/14のデブサミがひどく面白そうなのに私がその時期日本にいなくて行けなくて涙目とか話す。

ニコニコ動画は人真似じゃない日本の数少ないネットサービス&ビジネスモデルまで自分らで作ってるのに、それについて盛り上がってることが傍目にはオタクにしか見えないとか訴えてみる。でもおいらオタクでいいや、とか思い直す。むしろ入れてくれ。

そしてYoiさんとおいらの身長差は30cmくらいあるのではとか思いつつ深く考えないことにする。

Yoiさんと「また後(twitter)で〜」といって別れる。周り全員きょとん。

・24時ごろ

家に帰ってきてノートPC開き、ご飯を軽くつまみつつtwitterに「たらいま」とか挨拶してブログ書く←いまここ

猫が起きてきたのでこれからしばらくホットカーペットの上で撫でて寝かしつける予定。そしておいらも寝る。