長谷邦夫はてなダイアリー・アーカイブ

長谷邦夫はてなダイアリーのバックアップです。今のところ更新は無い予定です。

名古屋博が始まったようだが…。

 そうビックリするだしものは無いようだ。ぼくにとっては
やはり70年の大阪万博である。『ニャロメの万博案内』と
いう、子供向けのガイドブックをシリーズで刊行するため
建物が出来ていない時期から、都合5回ほど取材した。
 忘れられないのは「ダイダラザウルス」と呼ばれたジェット
コースターの試運転(技術者だけが乗るトロッコのような
テストカートで)に同乗したことである。
 当時、日本最大のコースだ。小心モノの赤塚不二夫は尻込み
して乗らなかった。(笑)
 なぜ、そんな初テストに乗せてもらえたかというと、偶然
日本SF大会で初めて出会った「宇宙塵」同人のKさんが
その技術スタッフにおられ、ぼくを見つけて声を掛けてくれた
のである。

公式ガイド本は講談社が刊行した。

 これは全て実物がまだ出来ていない時期に、代理店・企業が
発行したパビリオン案内資料によって、編集制作されたものだ。
 これに対してニャロメ本は、観客と一緒に見たその感動を
子供にマンガ・写真などで伝えようということで企画した。
 まるで博物館のように大きいソ連館は、こまごまとしたものを
ていねいに展示していた。だから、ガイドには切手のコレクション
まで掲載している。
 もちろん目玉はホンモノの宇宙船ロケットだった。アメリカは
こうしたものを打ち上げるパワーが持てず、小型で月へ行き、ポッド
海上に帰還する離れ業で「石」を持ち帰り、その石だけを展示した。
 スケールでは完全に負けていたからだ。

二大国が万博で国家の威信をかけて争ったのである。

 話題性で70年博が今でも語られるのは、こんな<争い>が
背景にあり、その上、日本の経済発展が本格化していたから
であろう。
 不景気・閉塞の万博とは根本的にオーラの出方が違うのだ。
<見たことも無いものを見てビックリする>という、博覧会の
精神からすれば、今回はショボイ。
 そういう意味からすればトータル・プランナーには
『PLUTO』の浦沢直樹あたりになってもらいたかった。

マンガ作画は200ページにきた。どうやら今月中に

ペン描きは終了できる。ネーム時に少しずつ下絵も描いて
おいたので、その分、ペン描きが早く進んだ。
 夜はイラン対日本のサッカー戦を見た。が、残念デシタ!!