名古屋博が始まったようだが…。
そうビックリするだしものは無いようだ。ぼくにとっては
やはり70年の大阪万博である。『ニャロメの万博案内』と
いう、子供向けのガイドブックをシリーズで刊行するため
建物が出来ていない時期から、都合5回ほど取材した。
忘れられないのは「ダイダラザウルス」と呼ばれたジェット
コースターの試運転(技術者だけが乗るトロッコのような
テストカートで)に同乗したことである。
当時、日本最大のコースだ。小心モノの赤塚不二夫は尻込み
して乗らなかった。(笑)
なぜ、そんな初テストに乗せてもらえたかというと、偶然
日本SF大会で初めて出会った「宇宙塵」同人のKさんが
その技術スタッフにおられ、ぼくを見つけて声を掛けてくれた
のである。
二大国が万博で国家の威信をかけて争ったのである。
話題性で70年博が今でも語られるのは、こんな<争い>が
背景にあり、その上、日本の経済発展が本格化していたから
であろう。
不景気・閉塞の万博とは根本的にオーラの出方が違うのだ。
<見たことも無いものを見てビックリする>という、博覧会の
精神からすれば、今回はショボイ。
そういう意味からすればトータル・プランナーには
『PLUTO』の浦沢直樹あたりになってもらいたかった。
マンガ作画は200ページにきた。どうやら今月中に
ペン描きは終了できる。ネーム時に少しずつ下絵も描いて
おいたので、その分、ペン描きが早く進んだ。
夜はイラン対日本のサッカー戦を見た。が、残念デシタ!!