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2018-12-30 お知らせ



引っ越しました

投げヤリズム」(はてなブログ)

2018-12-03

ニュースター

「M-1グランプリ2018」の感想をただ書きなぐっておきます。

敗者復活戦

ウエストランド

よかったと思うんだけどなあ。

ダンビラムーチョ

おじさんの設定がもう半回転進化したら凄い。

さらば青春の光

さすがだよ。

ミキ

漫才の勢いとともにタレントとしての勢いを感じる。勝ち抜け。

たくろう

面白かった。ただ漫才に展開があればもっと凄い。

からし蓮根

来年あたりは決勝来るんじゃないかなと。

アキナ

貫禄。

金属バット

突き詰めてほしい。

マユリカ

これからよ。

東京ホテイソン

あんま代わり映えしなかったかなあ去年と。

侍スライス

荒削りでした。

ニッポンの社長

ワード漫才は今やるならあと2捻りくらい必要なのかも。

マヂカルラブリー

上沼恵美子の呪縛。

三四郎

ネタに現役感がなかったような気がする。

プラス・マイナス

渾身だったけどなあ。惜しい。

インディアンス

ひょうきん。


決勝

見取り図

女性の紹介。本筋を進めつつも架空の人物を入れ込むことで違和感を植え付けておいて後程突っ込んで回収するのは少しミエミエだったかなあと。「アタオカ」は去年もやってたけど、うーん定着するのかなあ。とはいえトップバッターでありながら笑いも多く、面白いところは見せつけてくれました。


スーパーマラドーナ

ヤバい人。田中がナチュラルにヤバくて自分は大好き。確かに大会向きのネタではなかったのかもしれないけど、ネタ後の武智が「これが一番のネタでした」と言い切ったところに無念さと清々しさを同時に感じたよ。


かまいたち

ポイントカード。しゃべくり漫才を意図的にぶつけてきた感じ。コントも出来る彼らがしゃべくり漫才をやる必然性はないんだけど、そこにこだわりを込めて戦いを挑んできた野心が見え隠れしているような気がしてしまったんだよなあ。


ジャルジャル

国名分けっこ。もうここまで来るとジャルジャルには頭が下がる。あくまで漫才の本道からはズレているんだけど、それをジャルジャルがやり続けることで「ジャルジャルの漫才」になっているから凄い。テレビ的にもっと評価されていいコンビだよなあ。


ギャロップ

合コン。審査員にも指摘されていたけど、4分で見るネタじゃないよなあ。10分くらい見ているともう笑いっぱなしの状態になるような感じだけに、やっぱり惜しい。あと上沼恵美子の「自虐はダメ」ってことはないと思った。


ゆにばーす

遊園地。去年のような爆発するポイントが出てこなかったのが悔やまれる。川瀬名人は今年も引退を回避できたのでよかったんじゃないかなあ。という感想しか出ない。


ミキ

ジャニーズ。志らくや巨人も指摘していたが、ここにきて昨年の大吉先生の「シャープなネタ」の意味が分かってきた。設定がベタすぎると分かりやすいけど数を見ているとやっぱりちょっと飽きる。特に今年はテレビでもミキの露出が多かったわけで、そこらへんのところもあるのかなあと。


トム・ブラウン

合体。いやあこれは頭おかしい奴ですよね。素晴らしい。自分はどうしてもお笑いにこういうぶっ飛んだ発想を求めてしまうんだな。2本目見たかったなあ。


霜降り明星

豪華客船。ひとつひとつのボケが数珠つなぎのように勢いよく展開。正統派の「しゃべくり漫才」ではないのだけど、ひとつひとつの破壊力が素晴らしく若さに溢れていて、M1ってこういう大会だったよなあと思い出させてくれた。


和牛

ゾンビ。まさに漫才のアーティスト。「殺す」というワードから序盤で不穏な空気を出しておいて、後半できっちり全てを笑いに転化していくところまで全て計算尽くなのだろう。優勝できない、してないのが不思議なくらいよ。


最終決戦

ジャルジャル

ポーズ。貫いたなあ。


和牛

オレオレ詐欺。これも素晴らしいネタ。最後のにらみ合いだけで笑わせるのは圧巻。いやあ本当に優勝してないのが不思議だ。


霜降り明星

学校。1本目の破壊力がえげつなかった余韻を増幅させる出来。瞬間最大風速の違いだったかなあ。


優勝は霜降り明星。今回決勝進出者が発表されたときに「安定感はあるけど、本来M-1が目指していた若いスターが出てくる大会じゃないのかなあ」と思った。しかし一番若い霜降り明星が優勝したことで、その自分の考えを全て吹っ飛ばしてくれた。もちろん芸歴が10年を超えた中堅が売れる足掛かりになるのを見るのも、それはそれで感動があるのだけども、今回のように「若手がスターダムの座をさらっていく」のがやはりM-1の本来なのかなあと感じた。


今年は例年に増して審査員のコメントをしっかり聞いており、そのどれもが的確すぎて、審査に異論を差し挟む余地なんかなかったように思う。個人的な事情として「録画を見る前に優勝者をバラされた」ことを除けば、何の文句もない大会だったと思います。新しいスターが出るのはやっぱり、いい。

2018-10-26

紙一重

「ロンドンハーツ」のナダルドッキリを見て「うーむ」と思った話。


「ロンドンハーツ」のドッキリに関して自分は全幅の信頼を置いていて、田村淳という人の悪魔的な追い込み方が為せる芸術だとすら思う。言い過ぎだけど。ただまあそのくらい褒めても構わないくらいロンドンハーツ班のドッキリの構成は優れている。


ドッキリの大オチは素晴らしいのはもちろんだが、何より素晴らしいのはその大オチに持っていくための小さな積み重ね。そしてその積み重ねを行うための細かい気配り。全体としての絶妙なバランス。どの全てが欠けてもあんな芸術的なドッキリにならない。


今回の放送でいけば「ドッキリ」というカテゴリで話していいのかはよく分からないくらいに渡辺直美とノブコブ吉村のドッキリは面白かった。まあこれに関してはロンハー感は薄く、なんだか昔の「Qさま」ドッキリを見ているようだったけども。とにかく面白いものは見れた。


しかしその後に放送されたコロチキ・ナダルの「コンプライアンスドッキリ」はどうだったかといえば、自分は「うーん……」という感想を絞り出すのがやっとだった。理由を書いてみる。


ひとつは「今回はドッキリであったが、ナダルが今後同じようなことを普通にやりそうだ」ということ。そしてそれは笑い飛ばして「面白かったねー」では到底済まされる話ではないこと。簡単に言えば、ネタバラシがオチになってない。今回はドッキリで済んでよかったね、なのかもしれないけど、あんな様子だったら今後も同じことを絶対に、やる。そして自分がそういう類の関係者でテレビを見ていたら、確実に狙う。これはもうドッキリでも何でもない。ただの「カモ紹介」である。これ、実際に自分と同じことを考える人間がいて実行に移した場合、ロンハー側はどう対処するつもりなのか。ほっかむりするのだろうか。また、ナダルが「またドッキリだろう」と思って同じような事態に飛び込んで行ったらどうなるか。あれだけ優秀なロンドンハーツ班がそんなことに考えが及んでいないのか。であればちょっと怖い。


例えば同じ筋書でも、「いつの間にか巻き込まれて結果コンプライアンス違反になってしまって焦る」であればまだしも、自ら積極的に飛び込んで行ったナダルはもう、これがドッキリだとしても普通にアウトなんじゃないのか。放送していいものなのか。もはや自分はそれすら判断がつかない。


また、「ドッキリクラウドファンディング」もあんまり筋が良くない。カンニング竹山、FUJIWARA藤本、ロンブー亮から「出資」と称してブランド品や現金を徴収するというもの。ナダルドッキリの小道具にブランド品を使用したり、また徴収した現金を多用したりと、ここもドッキリの脇役として組み込まれていたのだ。


もちろん上記の3人は売れっ子のプロ芸人であるから、このくらいの対応は屁でもない。本人たちも了承の上だから当事者間で問題は全然ないのは自分も分かる。しかし、それを俯瞰で見た場合はただの「カツアゲ」である。「こういうもの」と分かっている人間はいいが、これを見た多くの人間が「ちょっと酷くないか」とならないか。特に良くなかったのは竹山は奥さんとのペアで購入した時計、藤本は嫁からのプレゼントと、「家族に関わっているもの」を出していること。ただの高級時計ならまだしも、家族の品が絡んでくると見ているほうは途端に嫌悪感を抱くもの。本人たちは「それも了承済み」ではあるんだけど、なんかこう筋が良くないなあと見ていて感じた。


ナダルドッキリにしろ、クラウドファンディングにしろ、ロンハードッキリにしては「紙一重で笑えない」ほうに傾いていた気がする。いつもロンハー班はこの「笑えるか笑えないかギリギリのところ」を絶妙のバランス感で笑えるほうに傾けている印象があるのだけど、今回は全部裏目裏目で笑えないほうに傾いていたと思う。今回たまたまそうなってしまっただけならいいんだけど、もしそうでないとしたら、こういう感覚が悪い方に揺らぐのは怖くないか。


もちろんこんなのは自分の好みが大きい。だからある人からすれば今回のドッキリも何の臆面もなく笑えたものだったとは思うし、評価も高いのかもしれない。けど自分はちょっと今回のは全体的に「うーん」と思えた。また次は素直に笑えるドッキリを頼みたい。

2018-10-20

プロフェッショナルとは

ジュリーこと沢田研二が自身のライブをドタキャン。


記者会見の姿がカーネルサンダース過ぎて、自分は正直そっちのほうが面白くてちゃんとこの報道について考えていなかったのだけど、なんだかジュリーを非難する声が思ったより多くて驚いております。


もちろんジュリーのライブを見に遠路はるばるやってきた人もいるだろうけども、そもそも全国ツアーで回っているライブだし、近くに来たら見ればいいだけの話。今もってジュリーのライブを見に来るような人間が「生活費を削って田舎からジュリーのライブに!」なんて人は多くないだろう。どちらかといえば余生まっただ中でお金を持て余している層が戯れで参加しているというイメージ。だからまあ基本的には「よくないこと」ではあるんだろうけど、このドタキャンで本気で怒っている「現役ジュリーファン」はいないと思う。だからこの件は本来「まあ、しゃあないね」でお終いだ。


けどなんだか、ことさらに怒りを増幅させ、ジュリーのことを「プロ失格」とか言ってる人がいてこれも驚く。なんでプロ失格なんだろう。自身のライブを楽しみにしていた7000人の人をないがしろにしたからか。まあその点で多少なりとも「非」はあるんだろうけど、もしその「非」がプロの自覚から来るものだとしたら、それはプロ失格なのだろうか。


ジュリーは記者会見で「満員にならないライブ会場でパフォーマンスをする気にならない」という旨を述べている。それが契約の段階でそう伝えられていたのか、ライブをやる条件だったのか詳しい話は知らないけども、少なくともジュリーからすれば「満員になっているホールでこそ初めて自分のパフォーマンスが発揮される」と思っているのだ。それが事実かどうかはともかく、演者がそう思っているんだから、それがいい悪いの問題じゃないのだ。ジュリーのプロフェッショナルの意識の問題である。


もちろん「そんなの言い訳だろ、ちゃんとライブやれよ」という意見はある。それはそうだろう。しかし、「それでもやるのがプロ」という考え方と「それではやらないのがプロ」という考え方に優劣はなく並列だと自分は思うのだ。世間の多くの人が考えるプロ意識とは前者であり、ジュリーの考え方は後者である。ただそれだけだ。だとしたらなんでジュリーはプロ失格なんだろうか。自分の考えに合わない考え方をただ「プロ失格」と罵るのは、それはプロ以前に人間としての何かを失してないか。


実際ジュリーがそう思っているかどうかは分からないけども、大損害が出ることを承知で自分のプロとしての矜持を曲げないために批判を覚悟でその決断を下したのだとすれば、それは紛れもなくプロだろう。それをただのワガママと言うのかもしれないけど、自分はプロだと思うんだよなあ。


NHKの「プロフェッショナル」で番組の最後に「あなたにとってプロフェッショナルとは?」と尋ねるシーンが必ず挿入される。それはNHKが「名言あるある早く言いたい」とRGばりに名言あるあるを狙っているのではなく、プロフェッショナルが100人いれば100通りの「プロフェッショナルの考え方」があると思っているからだろう。だからジュリーが「批判を受けることを覚悟で自身のライブをドタキャンし、気分が乗らないパフォーマンスは提供しない」というのも、ひとつのプロフェッショナルの答えではないのか。まあ長いことアマチュアイズム丸出しの文章を書き殴っている自分が言うことではないんですけども。

2018-09-17

元祖名乗るべからず

テレ東の「大食い」において、照英があっさりと司会を降板させられる。


半年に一度くらい放送されるテレ東の「大食い」特番。一時期の大食いブームを牽引し、そして他局の早食いを真似した死者が出たあとの自粛ムードを経てから変わらずにずっと続けている長寿番組。自分を含めた固定ファンは多い。


その「大食い」特番は、2年前の2016年に一大転換期があった。長年大食いの司会を務めてきた中村有志が、体力の限界を理由に司会を退いたのだ。大食いを妨げない司会の腕はもちろん、出場者に「絶妙にダサいニックネームをつける」ことも大食いの醍醐味だった。今ではお馴染み「ジャイアント白田」「ギャル曽根」など、全て中村の作品である。改めて書いてみても絶妙に分かり易く、ダサい。


そんな大事な職務を引き継いだのが照英だった。照英がそもそも持っている熱さを前面に押し出しつつも、中村のダサいニックネームテイストも引き継ぐなど、まだまだ心許ない部分はあったが、照英なりに奮闘していたと思う。


それが今回、司会が高橋みなみにスイッチされた。これは裏切りである。


今回放送された高橋みなみの司会っぷりは「多少うるさいが、こなれたもの」であった。さすがの芸歴である。高橋みなみの好き嫌いを除けば、照英から変更されたところで特に文句が出るような人選でもないように思う。仕切りだけを考えればそのスキルは照英より上だろう。


しかし、この番組は「大食い」なのだ。単に司会が上手いだけでは務まらないのである。なぜなら、大食いの司会には前述したように「絶妙にダサいニックネームをつける」という責務があるのだ。そんなの誰が決めたのか、と聞かれれば「自分だ」と言うしかない。しかしこれは絶対である。大食いの司会である以上、ダサい名前を付けるのは責任であり義務である。それが高橋みなみに務まるか。答えはNOだ。


もちろん照英が中村有志と同じレベルだったとは思わない。そりゃそうだろう。キャリアが違うのだ。しかし照英はちゃんと「中村有志の魂」であるところのダサい名前をつけようとしていた。定着するようなものはなかったけども、そこに魂を感じているかいないかは、30年の歴史を誇る「大食い」にとって何より大事なことじゃないのか。


今回優勝したアンジェラ佐藤も、そして優勝しなかった魔女菅原も、決勝に進んだロシアン佐藤も、全て中村の作品だ。ロシアン佐藤さんは名前の由来である「ロシア人がかぶってそうな帽子」はもう一切かぶっていないんだけど、それでも「ロシアン佐藤」と呼ばれているのだ。中村有志の魂を感じずして何がロシアンだ。


照英を降板させるということは、中村有志の魂も降板させるということ。それは今までついていた中村のニックネームを棄てるということにもなる。だから今回の放送では「魔女」も「アンジェラ」も「ロシアン」も全て使うべきではなかった。もえあずが何の事情で出場しなかったのか知らないが、もえあずと照英とともに、全ての名前は返上すべきだったのだ。


今回番組自体もリニューアルの意識が強かったようで、ブーム終了後名乗り始めた「元祖!大食い王」の名前を変更した。照英の降板もその一環なのだろうよ。しかし自分から言わせれば、番組は自ら「元祖」を名乗らなくなったのではない。中村の魂を継承した照英と共に「元祖」を棄て、「元祖」を名乗る資格を失ったのだ。


歴代のレジェンドを出場させ、アンジェラ佐藤が優勝した。そんなアンジェラももう40代。菅原さんは50代だ。とても大食い新時代などと言ってる場合ではない。この先番組はちゃんと生き残るのだろうか。「元祖」とともに番組が消滅しないことを願う。百歩譲ってたかみなはいてもいいから、ちゃんとその横には照英を置くべきだ。