2008年09月20日 0920薄く雲がかかっているが概ね晴
笑えさとりし人ヨ
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多忙は怠惰の隠れ蓑である。
来月出版される本の原稿をすべて脱肛脱稿し終えて、帯のコメントを『属国』の著者=ガバン・マコーマックさんにいただいたり、出版社から送信されるプロフィールやデザインなどのチェックして、多忙を極めているような気分になって溜息をつくが、実はそんなことはぜんぜんないことに気付くのに時間は要さない。
多忙は怠惰の隠れ蓑というが、隠れられないぐらいに、リアルの仕事が途絶えて、行く末を思案する日々である。どうしたものかと思案するが、どうしようもないものはどうしようもない。知人が気を使ってまわしてくれたプロジェクトのアフターフォローを少しずつしているが、それももうじき終わる。
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ということで、現実生活の不安から逃避する如く、金になるあてなどない「仕事」に没頭する。「逆格差論」に関する資料を狩猟しつつ、読み込んでいく作業を進行させている。70年前後に、何があったのか外形的なことは見えてきた。もう少しで、網膜の前にくっついていた膜は溶けて消えるだろう。そうして見えてくるものは、複雑な絡み合いと断絶。それぞれのリソースの深みと広がり。たじろぎ、少し俯瞰してみようと視点を変えると、たいへん険しい山岳の風景が広がる。息を呑むグロテスクなまでに美しい風景。
この「仕事」に集中したいのだが、そんな余裕はないので、本が出版されたら、それを持って、旧知の先生方や編集者に「営業」でもはじめようと思う。
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そんな今日この頃だが、世はほんとうにどうしちゃってるのと思うことだらけである。
関東では公立の小中の女性校長先生たちの集会で、水からの伝言(水伝)の講演会。*1
講演では、羊水に『堕胎』という言葉をみせたり、子どもの写真をみせたりした「実験」による映像も披瀝されたらしい。*2(もちろん前者は悪で、後者は善の見本だろう)
暗澹たる気持ちになる。詳しくは、脚注でリンクしている記事をぜひお読みください。
堕胎という行為を、アプリオリに悪として、それを羊水という女性性=母性のイメージに結びつける、この人たちの偏った一方的な価値観をあがめる様子は、カルトな宗教儀式のよう。嘔吐する。
「ゾンビのようなシロモノだ。」とnorth-poleさんは喝破なされたが、その通りだと思う。*3
水伝騒動では、「こんなもん信じちゃいないよ」「いい話だからいいだろ」「なんでも科学的で論理的じゃなきゃいけないのか」…様々な言葉が飛び交っていたが、そのような人たちが水伝そのものの商売と、かかる校長先生たちの行為を支えている。ニセ科学の問題があるだけでなく、水伝のようなバカ話が、支配的な道徳的態度を押し付ける道具とされ、それが受容されていることの問題は放置していい話ではない。
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この前の記事「長い雨の後に」の末尾に書いたカウンセラーの方のセクハラについての発言=認識について、別のカウンセラーの方から(私にはとてもまっとうと思える)疑問が呈されている。疑問を呈された側は無視するつもりかも知れないが、そのまま雲散霧消させられる類の話ではないだろう。何らかのリアクションがあるだろうと思う。
煽る気も、あてこする気もないので、現段階ではどこにもリンクしないが、事態の推移によっては、当該の顛末を見てきたものとして、私も意見を表明しなければならないと思っている。

