1970日目・・・「アマリ」の貰った「トラヤの羊羹(ヨウカン)」はボクも大好きだが・・・戦前の「帝国日本の陸海軍の兵士(?)」も「戦地」で喰ったんだろうか?・・・ボクの二人の伯父さん達も戦地で喰ったんだろうか?・・・ビルマ戦線で「軍曹」だった伯父さんは「甘党」だったから喰ったかも、シベリアに抑留された二等兵だった伯父さんは喰わなかったカモ・・・喰ったとしても、「兵站の軍用輸送船」が戦勝で機能している間でしかなかっただろう。戦闘以前に南方諸島での前線の日本兵には兵糧米が無く、餓死していた。モチロン、「廃棄

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 虎屋の羊羹・・・訳等哉の洋館?
         勾 哉の遙堪(遥堪)?
         埜 廼陽関(用換)?
         寅 哉之用巻(要漢・腰間)?
         彪(あや・ヒョウ)?
           哉(かな・はじめ・ヤ)?
            の用漢(字)?
   ↓↑
 和菓子の歴史=虎屋の歴史
 「あらゆる日本文化の粋が
  具体的なひとつの形となって実を結んだもの、
  それが和菓子」
 ・・・以上も以下もブログ記事広告の「虎屋の歴史」から参照、参考し、添付した・・・
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 室町時代後期
 京都で創業
 1586年天正十四年
 後陽成天皇即位
 御所の御用を承る
 1701年(元禄十四年)当時、
 京都御所出入りの
 御用商人の記した文書
 「御出入商人中所附(1754年)」に記録
  ↓
 1600年慶長五年
 京都
 妙心寺の歴史を記した
 『正法山誌(しょうぼうさんし)』に、
 関ケ原の戦の折、
 西軍の
 犬山城
 石河備前守(いしこびぜんのかみ)=石川貞清?
  ↓  ↓
  ↓ 石川貞清
  ↓ 生誕不明〜寛永三年四月八日(1626年5月3日)
  ↓ 改名、光吉(初名)→貞清→宗林(号)
    別名、兵蔵(通称)、三吉、
    官位、備前守
    ↓↑
    〜江戸幕府時代
    主君、豊臣秀吉→秀頼→徳川秀忠
    氏族、美濃石川氏
    父母、父、石川光重
    兄弟、光元、貞清、一光、頼明
    正室、おかね(真田信繁の七女)?
    子、 貞利
  ↓  ↓
  ↓ 石川貞清
  ↓ 美濃国
    鏡島出身・・・・・・鏡島?・・・鑑の揣摩?
    豊臣秀吉の使番、
    金切裂指物使番・・・金切裂の指し物?
    天正十八年(1590年)
    小田原征伐
    尾張
    犬山1万2千石
    豊臣家の
    信濃木曾の
    太閤蔵入地10万石の代官
    天正十九年(1591年)
    文禄の役
    肥前国
    名護屋城の普請工事
    慶長五年(1600年)
    関ヶ原の戦い
    西軍に与し、
    犬山城
    稲葉貞通、典通の父子
    稲葉方通
    加藤貞泰
    関一政
    竹中重門
    らと籠城したが
    極秘に
    東軍の
    井伊直政に密書を送り、
    内応を約定
    城を出て本戦に参加
    宇喜多隊の右翼、
    口北野付近に陣
    敗戦後、所領没収
    犬山籠城中に
    東軍に加担し
    木曽郷士らの人質を解放し
    池田輝政
    口添えにより
    黄金千枚で助命され
    剃髪して
    宗林と号し、
    京で隠棲し、
    茶人・商人(金融業)となる
    慶長十八年(1613年)
    幕府に500石を給されて召抱えられた
    (徳川除封録)
    寛永三年(1626年)死去
    子孫は商人となった・・・?・・・トラヤ?
     ↓
    石川貞清の妻(重正の妻との説も)は、
    真田信繁(幸村)の
    七女
    おかね(於金殿)・・・?
    その縁で商人として成功した貞清は、
    大坂の陣で戦死した
    信繁の
    正妻(おかねの母で、
       大谷吉継の娘or養女?)の
    竹林院を援助・・・
    京都市右京区
    竜安寺
    塔頭大珠院に
 ↓  信繁夫妻の墓を建て
 ↓  五輪塔を建立・・・
 ↓
 石川貞清
 を
 虎屋がかくまった故事記録
 虎屋は
 「市豪虎屋」と名乗っていた・・・市の豪商の虎屋
 当時の店主、
 黒川円仲(くろかわえんちゅう)を
 中興の祖とし、
 現当主は
 十七代目
  ↓
 1628年寛永五年
 店舗の敷地
 京都市上京区烏丸一条西入)
 を買い増した証文(土地売券)がある
  ↓
 1635年寛永十二年
 虎屋の御用記録(注文控え)の中で
 最も古い
 「院御所様行幸之御菓子通」に
 「やうかん、あるへいたう、らくがん、
  大まん、まめあめ」などの菓子名が記されている
  ↓
 1672年寛文十二年
 光冨、朝廷より近江大掾に任ぜられ、
 (1700年元禄十三年)に五代となる
  近江大掾近江国国司の役人の
       第三位の官職名
       江戸時代には実態がなくなり、
       名誉的称号として
       朝廷より御用商人へ授与
  ↓
 1695年元禄八年
 菓子の意匠を描いた菓子見本帳の中で、
 年記のあるものとしては最も古い
 「御菓子之畫圖」が作成
  ↓
 1701年〜1800年
 1705年宝永二年
 帳面「諸方御用留帳」が残る
 御所の正月の行事
 食の菱花葩の記録
 京都の豪商
 三井三郎助
 画人
 尾形光琳などの名がある
  ↓
 虎屋看板(江戸時代)
 店頭に置かれていた
 制作年代不明
 1824年(文政七年)に一部補修
 中央は
 虎、
 右上に
 州浜と羊羹を配し、
 下の円形は饅頭をかたどっている
 虎は着色されており、
 目玉が動いた
 饅頭の部分は
 1824年(文政7年)の後補
  ↓
 虎屋看板(江戸時代)
 1801年〜1900年
 1805年文化二年
 九代
 光利「掟書」を策定
  ↓
 1788年(天明八年)の大火以降
 虎屋の経営悪化
 光利は、経営の店制改革に臨み、
 1805年(文化二年)に
 店員が守るべき
 「掟書」を策定
 この掟書は
 天正年間(1573年〜1592年)
 につくられたものを
 書き改めたものと記されている
 「九代光利店掟書」
  ↓
 1844年天保十五年
 後陽成天皇在位中から
 虎屋とともに菓子御用を勤めていた
 二口屋を吸収
 二口屋と虎屋とは、
 御所に対する献上や菓子屋仲間への対応でも
 常に行動をともにしていた
 虎屋は経営規模を拡大
  ↓
 1869年明治二年
 東京遷都
 店主十二代
 光正は、御所御用の菓子司として、
 京都の店はそのままにし、
 東京進
 神田、丸の内、八重洲へと移転
  ↓
 1879年明治十二年
 銀座に店舗開設
 後に
 赤坂表(元赤坂1丁目)に移転
  ↓
 1895年明治二十八年
 赤坂裏3丁目へ移転
  ↓
 1901年〜2000年
 1918年大正七年
 現在も使用している
 菓子見本帳が作成
  ↓
 1922年大正十一年
 黒川家と親交のあった、
 富岡鉄斎に画室改築の折、
 京都店の離れと茶室を住居として提供
 ↓
 1927年昭和二年
 群馬県利根郡農会に
 白小豆の栽培を委託
 その後、
 1966年(昭和四十一年)
 指定農場・群馬農場を設立
 ↓
 1932年昭和七年
 赤坂表町へ店舗移転
 ↓
 1935年昭和十年
 以降、戦時下、軍関係の注文が目立つ
 主に納入されたのは羊羹で、
 海軍用は円筒形の
 「海の勲(いさおし)」、
 陸軍用は四角形の
 「陸の誉(くがのほまれ)」・・・陸=くが・・・?
 出征した兵士に
 配られるため携帯できる小ぶり
 ↓
 1936年昭和十一年
 男子店員が
 召集で減り
 初の女子店員採用
 ↓
 1938年昭和十三年
 伝馬町御用場(工場)を
 旧店舗跡地に竣工
 ↓
 1946年(昭和二十一年)5月25日
 日本橋
 喫茶「みかく」を開店(1948年9月29日に日本橋店)
 7月11日
 銀座に喫茶「茜」を開店(1947年3月5日に銀座店)
 1947年(昭和22年)3月5日
 銀座店開店
 5月24日
 虎屋商工株式会社を設立
 翌年、
 「株式会社虎屋」に社名変更
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 以下は「ブログ記事」の「羊羹(ヨウカン)」検索のアタマ記事から抜粋添付・・・
   ↓↑
 羊羹(ヨウカン)
 羊(ひつじ・ヨウ)+羹(あつもの・カン)
 熱物(あつもの)」=魚・鳥の肉や野菜を入れた熱い吸い物
 鎌倉時代以降、禅宗とともに日本に伝わった
 羊肉の羹(あつもの)
 羊の肉を入れたお吸い物
 羊の肝に似せた小豆と砂糖で作る
 蒸し餅
 「羊肝こう」=「羊肝餅」
 茶懐石などに用いられる「煮物椀」
 「羹」は
 「うどん」を指す
 女房詞(宮中女房の言葉)
 「羹」=「まる煮した子羊」+「美味しい」
     あつもの(羹)=熱物 (あつもの) 」の意
     魚・鳥の肉や野菜を入れた
     熱い吸い物
  ↓↑
 「羹に懲りて膾(なます)を吹く」
 「楚辞・九章」
 「熱い吸い物を飲んで
  火傷(やけど)に懲(こり)て、
  冷たい
  鱠(なます・ナマス・膾)も
  吹いて冷(さま)す」の意
 「前の失敗にこりて必要以上に用心する」
 「そこまで用心深くなる必要はないの」に、
 という嘲(あざけり・嘲笑)
  ↓↑
 「羹(なます)」=とろりとしたスープ・ポタージュ
          蒸して固めもの
         碗羹=一碗の羹
            鸡蛋羹=卵の茶わん蒸し
            一杯羹=ぶんどり品、強奪品
                利益などの分け前を取る
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 ・・・「虎屋の羊羹」・・・渡等哉の洋艦・・・天武天皇大海人皇子)=翼の持った虎・・・吉田寅二郎=吉田松陰・・・
 「トラヤのヨウカン」のヒ・ミ・ツ・・・