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2016-06-23 文字霊日記・2097日目

 2097日目・・・「邪馬台国」と「幾何学」と「代数」・・・「キカ臥句(勾)」と「ダイ数得」・・・ナゼ、「隋書俀(倭)人伝・636年・六三六年)に成立」なのか・・・今年(2016年)は「丙申年」であるが、「636年=六三六年=陸参陸年)」も「干支=丙申年」であった・・・60年周期の干支で、なんら、不思議ではないが、「疑念」がムラムラと沸き起こる・・・ムラと云えば「邑=むら=村・叢・屯・斑・群」だが、律令日本の古い漢字は「木札→木簡」で・・・「郡(こおり)=君+阝」と云う漢字が使用される以前は「評(はかる・ただす・さだめる)=言+平」だが、「物のよしあしをはかる・品定めをする」、熟語は「評価・評議・評者・評釈・評定・評伝・評判・ 評論・合評・月評・講評・酷評・書評・寸評・選評・総評・批評・品評・論評・評価・評判」・・・「X」+「平」は「評(品評)・坪(一坪・壱坪・坪数)・秤(天秤)」である・・・そして「郡」も「評」も「こおり」と訓んでいるが、「評」は「こおり」なのか?・・・「郡(こおり)=君+邑(阝)」で、「人びとの集落」は当然、「子(こ)が居(お)る里(さと)」である・・・そして地名末尾は「字(あざ)=宀+子(一了=始終)」である・・・

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  636年(西暦)
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  干支=「丙申」年
  日本=舒明天皇八(捌・8)年
  皇紀=壱千弐百九拾六(1296)年
  中国=唐=貞観十(拾・足・10)年
     太宗治世に使われた
    (六百弐拾七・627年〜六百四拾九・649年)
  朝鮮新羅=仁平三(参・3)年
     第弐拾七(27)代の
     善徳女王の参(3年・634年)
      〜
     第弐拾八(28)代
     真徳女王元年(647年)七(漆・7)月まで
     用いられ
     647年7月に
     太和と改元・・・・太和→大和
              新羅=日本・・・?
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  2012/6/12
 福岡県太宰府市
 市内の
 国分松本遺跡で、
 人名や身分など戸籍の内容を
 7世紀末(飛鳥時代)に記録した
 日本最古の木簡が見つかったと発表した
 律令国家体制が整う
 大宝律令の施行(8世紀初め)に先駆けて、
 統治の基本となる
 戸籍制度が完成していたことを示す貴重な発見
 木簡には
 行政単位の
 「嶋評(しまのひょう)」
 や
 冠位を表す
 「進大弐(しんだいに)」
 などの
 漢字が両面に墨で書かれていた。
 「評」は
 大宝律令以前の
 地方行政単位
 「国・評・里」の一つで
 「郡」に相当し、
 「嶋評」は
 現在の
 福岡県糸島市福岡市西区に当たる
 現存する最古の戸籍
 奈良東大寺正倉院に伝わった文書
 「筑前国嶋郡川辺里戸籍(702年)」などだが、
 それ以前の戸籍の具体的な姿は不明だった
 出土した
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 木簡は
 701年
 「評」・・・・・評(あげつらう・ヒョウ)=言+平
  が
 「郡」・・・・・郡(こおり・グン)=君+阝(邑)
 に変更された
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 685年に
 「進大弐」の冠位使用が始まった
 理由に、
 市は685〜701年の作成とみている
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 木簡には
 「建部身麻呂(たけるべのみまろ)」・・・「建の部」
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 など少なくとも
 16人分の名前が載っているほか
 「兵士」や
 「丁女(成年女性)」
 等の身分や性別も記載。
 「老女之子」など続き柄が分かる表現や、
 正倉院の戸籍と共通する
 「川部里」という
 里の名
 もあった
 「嶋評」のある里を対象に、
 1年間の人の異動を記録した帳簿
 筆跡から同一人物が書いた可能性・・・
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 木簡は
 長さ31センチ、
 幅8.2センチ、
 厚さ0.8センチ。
 最大で
 長さ60センチ程度、
 幅20センチ程度だったものを
 折って遺棄したとみられる
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 出土場所は
 大宰府政庁跡の
 北西1.2キロにある
 河川跡で、
 市は近くに
 筑前国を掌握する役所があったとしている。
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 遺跡では、ほかにも
 飛鳥時代から奈良時代にかけての
 木簡9点が出土。
 24枚の木簡を束ねたものに
 付けた札とみられる
 珍しい木簡も見つかった。
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 古代の戸籍
 戸と呼ばれる
 家族集団単位で人を
 登録、
 管理する公文書
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 古代日本の根幹的な
 支配制度の一つだった
 最古の全国的な戸籍は
 670年の
 「庚午年籍(こうごねんじゃく)」
 続いて
 初の法典
 「飛鳥浄御原令(あすかきよみはらりょう)」
 に従って
 690年に
 「庚寅(こういん)年籍」が整備されたが、
 いずれも
 実物は残っていない
 大宝律令に基づき
 702年に作られた戸籍は、
 美濃国岐阜県
 筑前国福岡県
 豊後国大分県
 などのものが現存
 〔共同〕
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 隋書俀(倭)人伝
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 「亠意・図意・事意・捨意」書
 「瑞書」和人伝・・・高野長英・号は瑞皐(ズイコウ)
           久坂通武・号は玄瑞(ゲンズイ)
                幼名は秀三郎
                通称は実甫、誠、義助
                妻は文(杉 文)
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 「図意書和尋伝」・・・「楕円図形」の難解だが、「コペルニックス(的転回・転換)」、「ヨハネス・ケプラー(の法則)」・・・ケプラーは、惑星の運動を歪んだ円、楕円とし、惑星の軌道を「楕円と仮定」、「距離の二乗に反比例する力によって、惑星が太陽に引かれている」、「ティコ・ブラーエの観測記録から、太陽に対する火星の運動を推定し、定式化した・・・
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 第1法則(楕円軌道の法則)
 惑星は、太陽をひとつの焦点とする楕円軌道上を動く
 第2法則(面積速度一定の法則
 惑星と太陽とを結ぶ線分が単位時間に描く面積は、
 一定である(面 積速度一定)
 第3法則(調和の法則)
 惑星の公転周期の2乗は、軌道の長半径の3乗に比例する
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 1609年
 第1法則および第2法則が発見されて発表
 1619年
 第3法則が発見されて発表された」
 ・・・その他、
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 「光の逆2乗の法則
 (強さが光源からの距離の二乗に反比例する)を証明」
 「1631年の水星の太陽面通過を予言
  ピエール・ガッサンディにより証明」
 「ケプラー多面体を2つ発見」
 「1607年の彗星(ハレー)を観測し記録
 「1604年の超新星を発見・観測」
 「雪の結晶が必ず
  正6角形になることを発見」
 「ケプラー問題を提起」
 「ケプラー予想=等しい大きさの球で
         空間を充填(パッキング)するとき、
         平均密度が
         立方最密充填配置(面心立方)
         ならびに
         六方最密充填配置を越えることはない。
         これらの配置の密度は
         およそ74.05%」
 「ケプラー八角星を発見」
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 フゥ〜ンッ、スゴイねッ・・・
 ボクが「幾何学」の「用語」と、その「命題」、それを「仮定・推論」して「証名・結論」自体を理解するのには未だであるが、デアル・・・
 「キ科学」の同音異字漢字の「ショウメイ=背負う名」である・・・「古代日本」は「銅鐸・銅鏡・古墳」などの「幾何学的形体」がワンサではあるが・・・「△▼□■○●」は人為的な計算(規矩=キク)」での図形、すなわち、「規(コンパスcompass)=分回し・差し金・金指(差)→紊回し?」、「物差し・物指し・定規・yardstick・foot ruler・メジャー(measure)=スケール(巻尺)=scale)」での図形であり、多分、自然界には存在しない図形であり、自然界では殆んどは「類似的、近似的な図形」であるだろう・・・対象認識物←視覚(眼)→視神経→思考→認識記憶・・・正確な数字での図形計算は「楕円・隋宛→図意円」に到るまでは「隋書(都-於-邪靡堆、則-魏志-所謂-邪馬臺-者也)の編集者(魏徴、長孫無忌)」はその「随所」で苦労しただろう。「今に云う倭人の知識(漢字=靡・俀・圀)が、隋書の編集者(魏徴、長孫無忌)にとっては昔に記録された知識(漢字=馬・倭・國」の「卑弥呼の國」であった・・・「壹(イチ)の國」、「臺(ダイ)の國」、「倭(ワ)の人」、「俀(タイ)の人」、「拿の國」・・・・これはナニも「日本的事情」に限ったコトではない・・・人類発生〜現代社会まで、「人為的、人工的な同形の形体」の「作製」には「情報伝達」、そして、それらを踏まえた「作成計画」が必要とされてきた・・・「口伝、文字」はその「手段」でもあった・・・人間の経験と記憶、その知識の時間的、世代への伝承には、当然ながら「欠落」が生じる・・・その「欠落」をもたらすモノが「自然災害・戦争・事故」である・・・唯一避けられるモノは「人間の戦争」であるハズだが・・・?・・・
 で、「隋書」の「志第十一・律暦上」「志第十二・律暦中」「志第十三・律暦下」・・・この「隋書・志第十一・律暦上・祖冲之の円周率計算の結果が記録」がある・・・「祖冲之」ですか・・・「祖」は「冲=冫(氷・こおり)」+「中(あてる)」・・・「冲」は12支の「対中」のコトバである。氷を溶かすと水になるが、「沖(おき)=氵(水)+中」で・・・水(山水・出水・泉水・河川・海水)の中には「魚」・・・?・・・「瑞(みず)=王+山+而」は「さかな・うお・まな・ギョ」・・・まったく、ギョギョギョ、ッであるカナ・・・
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 古代朝鮮と日本の地方行政区画
 朝鮮では国によって
 内評・外評
 啄評(たくひょう)
 などがあり
 軍事的な地域編成単位・・・
 日本では
 649年
 評制が敷かれたと考えられるが
 国造(くにのみやつこ)制との関係、
 官制など明確でない・・・
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 古代の朝鮮、日本の行政区画の名称
 「梁書・新羅伝」には
 畿内の邑、
 王城付近の村落を
 啄評(たくひよう)
 畿外の邑を
 邑勒(ユウロク?)
 と呼び
 全国に
 六啄評
 五十二邑勒
 があったとあり
 「北史・高句麗伝」、
 「隋書・高麗伝」
 には
 内評(ないひよう=畿内の評)
 外評(がいひよう=畿外の評)
 の区別があったと記録(内評・外評)
 これらは
 中国の郡県制に相当するもので
 軍営の所在地であった・・・
 「日本書紀継体天皇二十四年九月条」
 に
 「任那の地名として
  背評(へこほり?)」
 の名が見え
 またの名を
 「能備己富利(ゆびこほり?)」
 ともいったとある・・・
 ・・・「能(よく)、備える、己(おのれ)の富の利」・・・
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 朝鮮の6〜7世紀の高句麗における行政区画
 「隋書・高麗伝」に
 12等の官名につづき
 また
 内評
 外評
 には
 五部の
 「褥薩(じよくさつ=長官)がいる・・・?
     褥=しとね(寝床)・蒲団・布団
     薩=救う・菩薩・薩埵・薩摩
        ・・・薩=艸+阝+文+厂+生
 内評は畿内
 外評は地方をいい
 それぞれ
 5部に分かれていた(五族・五部)・・・
ーーーーー
 「ダエン」・・・楕円・拿円・雫円・田円・太円・妥円?
         楕=木(十八)+左+月(肉)
         随所→随処→隋書→髄処・・・
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