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2017-11-30 文字霊日記・2419日目

 2419日目・・・一昨日(おととい・イッサクジツ)、十一月二十八日、三笠の従姉が来て泊っていった。彼女、九州福岡懇意にしていた友人の「Yさん」が施設にい、札幌の「Kさん」と一緒にお見舞いを兼ねながら旅行してきたコトをハナシてくれた。福岡市は結構、巨大な都市らしい・・・それに「菅原道真の天神様」の本場・・・

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 中世に商人による自治都市が形成され、
 戦乱で度々焼き払われながらも
 豊かな町人文化を育んだ。
 豊臣秀吉の手で復興されたのち、
 黒田(如水・孝高・官兵衛・シメオン)
           ・・・締め音・〆音・市目(女)音(怨)
 が福岡城とその城下町を築き
 那珂川を境に
 西が城下町としての「福岡
 東が商人町としての「博多」
 となった
 江戸時代から明治時代初頭にかけて
 福岡と博多は共存していたが
 1876年(明治九年)に福岡と博多は統合され
 福博(ふくはく)となり、その後、福岡と改称・・・
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 ・・・従姉とハナシているうちに「Yさん」の故郷「与論島」、隣接する「徳之島」、「沖縄」のハナシ、「西表島(いりおもてじま・沖縄県八重山郡竹富町に属する八重山列島の島)」のハナシ・・・
 「吐噶喇列島(とかられっとう)」、「種子島」、最近の「バリ島アグン山噴火のハナシが・・・2015(平成27)年5月29日の「瓢箪島口永良部島(新岳で29日午前10時前に爆発的噴火)」のハナシになり・・・
 そして「屋久島」のハナシになって、従姉が読んだ「林芙美子」の小説「浮雲」に跳び、そして、これも従姉が観たらしい「高峰秀子森雅之」主演の映画「浮雲」まで飛んだ・・・
 従姉のハナシでは映画の最期の場面が「屋久島」だったそうだが、ボクは小説もこの映画も観ていない。
 記憶にある「浮雲」のタイトルは学校で習った「言文一致」の「二葉亭四迷の小説」、それも「原文」を読んだことはない・・・
 従姉がコンピュータで映画「浮雲」を検索して欲しいと云うので、開けたら、作品が「1955年」、映画の舞台が戦前1943〜戦後の混乱期・・・
 「森雅之(もり まさゆき・1911年1月13日〜1973年10月7日)は、北海道札幌郡上白石村(札幌市白石区)生まれ、東京都出身の俳優。父は小説家有島武郎。本名は有島 行光(ありしま ゆきみつ)」・・・オフクロの本棚には2、3冊、有島武郎の小説がある・・・
 映画「浮雲」のコンピュータのモニターには紹介記事で
 おせい:岡田茉莉子
 伊庭杉夫:山形勲・・・・・・・・観た映画の殆んどが悪役
 向井清吉:加東大介・・・・・・・「大判」の名刺の牛ちゃん
 仏印の所員・加納:金子信雄・・・日活映画の悪役
 米兵ジョーロイ・ジェームス・外人の悪役 
 信者:谷晃・・・・・・・・・・・岸田今日子の前の夫
 などの名前が出てきて、あの役者が悪役でドウのコウの、とかのハナシになってしまった・・・
 「森雅之」は
 黒沢明の映画「白痴(4時間26分)」の主演者であることはダレかの映画評論で知っていたが・・・1951年昭和26年)公開、舞台は昭和20年代の札幌ですか・・・
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 黒澤 明
 1910年明治四十三年)3月23日〜1998年(平成十年)9月6日
  生年 庚戌(辛・丁・戊) 没年 戊寅(己・丙・甲)
  生月 己卯(甲・ ・乙) 没月 庚申(己・壬・庚)
  生日 丁亥(戊・甲・壬) 没日 丙辰(乙・癸・戊)
  午未=空亡        5乙卯-6丙辰-7丁巳
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 「丹治(にち・タンジ)」・・・?・・・「青空文庫」に「二葉亭四迷の小説・浮雲」が掲載されているが・・・覗いてみると、どうやら「難読漢字」は、この「浮雲」の「漢字に対する仮名振り小文字の発明=ルビ」にあるらしい・・・
  ↓↑
 ・・・なんか、今現在の「相撲業界」、「国会の森友、家計」の財務省や、文部省の役人、閣僚の答弁状況を揶揄しているみたいだが・・・
 「それは課長の方が或は不条理かも知れぬが、しかし苟(いやし)くも長官たる者に向って抵抗を試みるなぞというなア、馬鹿の骨頂だ。まず考えて見給え、山口は何んだ、属吏じゃアないか。属吏ならば、仮令(たと)い課長の言付を条理と思ったにしろ思わぬにしろ、ハイハイ言ってその通り処弁(しょべん)して往きゃア、職分は尽きてるじゃアないか。然(しか)るに彼奴のように、苟(いやしく)も課長たる者に向ってあんな差図がましい事を……」
「イヤあれは指図じゃアない、注意サ」
「フム乙(おつう)山口を弁護するネ、やっぱり同病相憐(あいあわれ)むのか、アハアハアハ」
 高い男は中背の男の顔を尻眼(しりめ)にかけて口を鉗(つぐ)んでしまッたので談話(はなし)がすこし中絶(とぎれ)る。錦町(にしきちょう)へ曲り込んで二ツ目の横町の角まで参った時、中背の男は不図(ふと)立止って、
「ダガ君の免を喰(く)ったのは、弔すべくまた賀すべしだぜ」
「何故」
「何故と言って、君、これからは朝から晩まで情婦(いろ)の側(そば)にへばり付いている事が出来らアネ。アハアハアハ」
「フフフン、馬鹿を言給うな」
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  ↓↑
 「日本=ニチホン=丹治本」を同音異字の漢字を羅列していたら「丹治(にチ・タンジ)-本(もと・ホン)」になった・・・その意味を検索していたら・・・登場人物の名前らしいが・・・「丹治=タンジ=単字(単語)=丹次=嘆じ・歎じ」・・・「丹治=にじ=似字・似事」・・・「丹薬」による「治療」ではないのか?
 「丹前・丹後・丹波・丹那・丹奈」などの地名と・・・
 「丹=硫黄と水銀との化合した赤土・その赤色・埴輪の埴(はに)・丹塗り矢の丹色・辰砂・鉛に硫黄と硝石を加えて焼いて作ったもの・鉛の酸化物・黄色をおびた赤色で絵の具や薬用とする・主成分は四酸化三鉛・鉛丹(エンタン)・薬のこと(仁丹)」・・・
 「丹=赤色の土・水銀と硫黄と化合した赤土・丹砂・朱砂・辰砂・ あか・あけ(朱)・あかし・あかく塗る・精鍊した薬の金丹(不老不死の藥)」・・・
 「まごころ(誠心)・赤心にして僞なきもの」・・・
 「牡丹(花の名)」・・・
 「鼠姑(ソコ・わらじムシ)=等脚目ワラジムシ(草鞋虫)科の小型の純陸生甲殻類・甲殻綱等脚目の節足動物・灰褐色の長楕円形で、十数個の節から成り、ダンゴムシ(団子虫)に似るが扁平で、触れても球状にならない」・・・
 「丹麥(ヂンマルク・デンマーク・Denmark)は
  歐洲の國名=丁抹」・・・
  ↓↑
 「丁(奇数・ひのと・火の弟」を「抹殺・抹消・塗抹」・・・?
 ・・・「火の弟」の「抹殺」・・・
 「ハムレットの叔父(Claudius)」?・・・
 「復讐劇」・・・ヤラレタラ、ヤリカエスのが鉄則?・・・
 「Hamlet=ハムレット=甸国皇子・班烈多
            狂公子・狂皇子」・・・
 「Frailty, thy name is woman.
  脆きもの、汝の名はオンナ
  脆きもの、汝の名は日本」
 「To be or not to be, that is the question.」
 「沙翁(Shakespeare)=沙吉比亜」・・・
ーーーーー
 ウィリアム・シェイクスピア
 (William Shakespeare)
 1564年4月23日・26日(洗礼日)
 (1564年5月3日g)
  〜
 1616年4月23日
  ↓↑
 永禄七年三月十三日
 グレゴリオ暦
 西暦1564年5月3日  1616年4月23日
 生年 甲子     没年 丙辰
 生月 戊辰     没月 壬辰
 生日 乙卯     没日 戊寅
 子丑=空亡
 六曜
 先負
 日曜日
ーーーーー
  ↓↑
 「抹=さっとなする・こすりつける・マツ
    一抹
    塗り潰す
    塗リ消す
    抹殺・抹消・塗抹
    すりつぶして粉にする
    抹香・抹茶
    こすりつける・塗りつける
   「丹砂を以て面を抹し」
    こすってなくす・塗りつぶす
    こすって粉にする
   「薬ヲこ(抹)スル・(日葡)」
 「抹=扌(手)+末」=する・マツ
           こする・こすって消す
           塗って見えなくする
すって小さな粉末にする
           小さいもの
琴の弦をなでて、
音を小さくおさえる」
ーー↓↑ーー
 「浮雲」の本文の何処に
 「丹治(にチ・タンジ)」が出てくるのやら・・・?
  ↓↑
 日本=ジツホン=字通本・字椄本・実本
   =ひホン=比本=比翻=秘本=卑本
   =ニチホン=似知本=耳知本=二字補務=似字補務
   =丹治本=昵補務
  昵(ジツ)=日+尼(尸+七=牝)
  ↓↑      尼(あま・ニ)=屍の牝・雌・女
  ↓↑
  顋=思+頁=おとがい・あご
  ↓↑
  拿破崙髭(ナポレオン)
  比斯馬克髭(ビスマルク)
  髭あり服あり
  我また奚(なにを)かもとめんと
  済した顔色(がんしょく)で、
  火をくれた
  木頭(もくず)と
  反身(そっくりかえ)ッて
  お帰り遊ばす、
  イヤお羨(うらやま)しいことだ
 盤帯(はちまき)
 微塵(みじん)
 左而已(さのみ)=それほど
 非道(ひどく)
 吝(おしま)ず
 掙(扌+爭)了(かせぐ)
 足掻(あがき)踠(足+宛・もがいて)
  ↓↑
 ちんぷんかん(珍紛漢=珍糞漢=陳奮翰)
 言葉や話がまったく通じず
 何が何だか、さっぱりわけのわからない・・・
 ちんぷんかんぷん
 (珍糞漢糞=珍粉漢粉=珍紛漢紛=陳奮翰奮)
 江戸時代の儒学者が難しい漢語つ使って
 教養をひけらかしているのを聞いた庶民が
 儒学者を冷やかすために作った言葉・・・
  ↓↑
 薔薇(ばら)の花は頭(かしら)に咲て
 活人は絵となる世の中独り文章而已(のみ)は
 黴(かび)の生えた陳奮翰(ちんぷんかん)の
 四角張りたるに頬返(ほおがえ)しを附けかね
 又は舌足らずの物言(ものいい)を学びて
 口に涎(よだれ)を流すは
 拙(つたな)しこれはどうでも
 言文一途
  ↓↑
 1887年(明治20)第1編刊
 1888年第2編刊
 1889年第3編
 を「都の花」に連載
 官制の改革が行われた
 1886年の東京を舞台に
 内海文三・・・「得通視文簒」?
 と従妹の
 お勢
 の相思相愛の関係が
 文三
 が役所を免職になったのち
 変貌していくありさまを描く
 世俗的なお勢の母親はともかく
 新時代の教育を
 身につけたお勢までが
 なぜ
 卑しい出世主義者の
 「本田昇」・・・ほむたのぼる・・・
 に惹(ひ)かれていくのか
 文三・・・・・・文+三
 にはわからない
 異様なものとして現れてきた
 世界の姿を問い続けながら
 文三
 は孤独のうちに
 発狂寸前まで追い詰められていく・・・
  ↓↑
 「昵=ジツ・ヂツ・ちかづく・なじむ
    近づいて慣れ親しむ
    昵近(ジッキン)・昵懇(ジッコン)
    ほんとう・真実
    まごころ・誠実
    中身・内容・実質
    成果・実績
    なれる・なれしたしむ
    昵交
    狎昵(コウジツ)・親昵(シンジツ)
    昵(ちか)づく」
ーー↓↑ーーー
 言文一致=ゲンブンイッチ=原文一致・元文一致
 ↓↑
 宣=宀+一+日+一・・・類字は「宜(よろしく・ギ)」
  =のべる・のる・のたまう・セン
   宣言・宣告・宣誓
   広く行き渡らせる
   宣教・宣伝・宣揚
   天子や神が意向を述べる
   宣旨 (センジ) ・宣命 (センミョウ)
   院宣 (インゼン)・託宣(タクセン)
   勅宣(チョクセン)・宣下(センゲ)
   神や天皇が神聖なる意向を
   人々に対し口で言ったりして表明
   太祝詞事(ふとのりとごと)・祝詞・六月晦大祓
   呪詞や名など
   みだりに口にすべきでないことを
   はっきりと言う
   しめす・すみ・つら・のぶ・のぶる・のり
   ひさ・ふさ・むら・よし
   あまねく意向をわからせる
   街宣・宣言・宣告・宣誓
   宣戦・宣布
   宣伝・街宣・託宣・不宣
   ↓↑
 本居宣長(もとおりのりなが・ホンイセンチョウ)
ーーー↓↑ーー
   宣化(センカ・宣言+変化)
   天皇(テンコウ・転向)
 同母兄の
 安閑天皇に後嗣がなかったので
 武小広国押盾尊
 が即位して
 宣化天皇
 となった
 武烈天皇
 以来の旧臣
 大伴-金村(かなむら)
 や
 物部-麁鹿火(あらかひ)
 を
 大連(むらじ)
 ↓↑ ・・・大連市=遼寧省の南部に位置
           渤海と黄海に突き出た
           遼東半島の南端
           北緯38度43分〜40度10分
           仙台と同緯度
           市花はアカシヤ
           古名は「三山浦」
           旧名=ダルニー市
           日露戦争後ロシアに代わり
           日本が中国大陸で統治し始めた
           初めての都市が大連・・・
           日本は古地図に見られる中国語の
           地名「大連湾」からとった
           これはロシア名の
           ダルニ(遠い)と発音が似ている
           1905年(明治38年)
           ポーツマス条約により
           日本の租借地である
           関東州の一部
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  ↓↑  丹東市(タントンシ)=中国遼寧省南部
      北緯40度07分33.32秒
      鴨緑江を隔てて北朝鮮と接する国境の街
  ↓↑  旧名は安東(アントン・あんどう)
 とし
 新たに
 蘇我稲目を大臣
 阿倍大麻呂臣を大夫(まえつきみ)
 とした
 新羅が任那を侵略したので
 大伴金村に詔し
 その子
 大伴磐(磐は筑紫に留まった)・・・磐(いわい)=石井
 と
 大伴狭手彦
 を遣わし
 任那を助け
 百済を救った・・・
 一度失脚した
 大伴金村
 が
 名誉挽回のために
 軍を起こし
 南朝鮮経営の失敗を挽回するため・・・?
 ・・・朝鮮経営は行き詰まっていた・・・
ーーー↓↑ーー
   宣化=中国、河北省北西部の県
      宣化区=中華人民共和国河北省張家口市の区
      宣化県=中華人民共和国河北省張家口市の県
         (宣化区とは異なる)宣化府
ーーー↓↑ーー
 宣化天皇
 ↓↑
 雄略天皇十一年?(467年?)
  〜
 宣化天皇四年二月十日(539年3月15日?)
 第二十八代天皇
 (在位、宣化天皇元年12月(536年1月?)
     〜
     宣化天皇四年二月十日(539年3月15日?)
 諱  檜隈高田皇子
 別称 建小広国押楯命
    武小広国押盾天皇
 父親 継体天皇
 母親 尾張目子媛
 皇后 橘仲皇女
 子女
 石姫皇女
 小石姫皇女
 倉稚綾姫皇女
 上殖葉皇子
 火焔(カエン)皇子・・・変えん・替えん・代えん
             買えん・飼えん・化円
 日影皇女
 宅部皇子
 他
 皇居 檜隈廬入野宮
 ↓↑
 皇后=橘仲皇女(たちばなのなかつひめみこ
         仁賢天皇の皇女)
 石姫皇女(いしひめのひめみこ
      欽明天皇の皇后)
 小石姫皇女(おいしひめのひめみこ
       欽明天皇の妃)
 倉稚綾姫皇女(くらのわかやひめのひめみこ
        古事記に倉之若江王で男性
        欽明天皇の妃)
 上殖葉皇子(かみえはのみこ・恵波王・椀子)
       丹比公(多治比真人・偉那公の祖)
 某(夭逝、男女不明)
 妃=大河内稚子媛(おおしこうちのわくごひめ)
   火焔皇子(ほのおのみこ・椎田君・偉那公の祖
 母不詳
 日影皇女(ひかげのひめみこ
      欽明天皇の妃)
 宅部皇子(やかべのみこ
      扶桑略記・本朝皇胤紹運録には
      欽明天皇の皇子)
ーー↓↑ーー
 諱は
 檜隈高田皇子
 (ひのくまのたかたのみこ・日本書紀)
 和風諡号は
 建小広国押楯命
 (たけをひろくにおしたてのみこと・古事記)
 武小広国押盾天皇
 (たけをひろくにおしたてのすめらみこと・日本書紀)
 継体天皇の第二子?
 母は
 尾張目子媛(おわりのめのこひめ)・・・尾張の目の子
 安閑天皇の同母弟
 欽明天皇の異母兄
ーー↓↑ーー
 第二十八代天皇
 名は
 タケオヒロクニオシタテノミコト
 継体天皇の第三皇子?
 母は
 尾張-連-草香の娘・・・草香=くさか=久坂・日下・草加・草薙
 「目子媛 (めのこひめ)」
 大和檜隈廬入野宮
 に都
 仁賢天皇の娘
 橘仲皇女を皇后
 在位期間中
 蘇我稲目が大臣
 ↓↑
 安閑天皇
 が崩御したとき
 子供がなかったために
 同母弟の
 宣化天皇が
 満六十九歳で即位・・・69サイ・・・陸拾(足)玖
 筑紫の官家の整備
 大伴金村に命じて
 新羅に攻められている
 任那に援軍を送った
 即位元年(536年?)
 蘇我稲目が大臣
 子の
 蘇我馬子
 以降の礎が築かれた
 在位が
 三年余
 安閑・宣化朝は
 父、
 継体天皇
 死後直ぐに即位した弟の
 欽明天皇と
 並立していたとの説(辛亥の変仮説)・・・?
 宣化天皇の血統は
 石姫皇女を通して受け継がれている・・・?
 後裔氏族
 多治比氏・・・他字比・他似比・丹治比
 その末裔に
 武蔵七党の
 丹党
 同じ
 武蔵七党の私市党にも
 多治比氏の末裔とする・・・
 歌人・額田王は
 宣化天皇の四世孫(玄孫)・・・
 ↓↑
 「宣化記・古事記」
 「弟(いろと)
 建小広国押楯(たけをひろくこおしたて)命
 檜垌(ひのくま)の
 廬入野(いほり)宮に坐しまして
 天の下治めらしめしき」
 「宣化記」の系譜記事
 宣化天皇が
 二人の比売(ひめ)を娶って
 産まれた御子が
 男子三人・女子二人
 子孫にあたる氏族の記録
 宣化天皇陵
 奈良県
 橿原市の
 畝傍(うね び)山の
 南および南東一帯をさす古代地名
 宣化天皇陵は
 身狭桃花鳥坂上
 (むさのつきさかのえ)陵・・・身狭=九州北部の古地名?
                身狭=むさし=武蔵
 宣化天皇陵
 現在治定の
 ミサンザイ古墳・・・「鷦鷯=三十三才=ミサンンザイ」
           「仁徳天皇(大鷦鷯尊)
            武烈天皇(小泊瀬稚鷦鷯尊)」
            鷦鷯=ささき=佐々木
 (橿原市鳥屋ミサンザイ古墳出土の
 鉄剣銘
 から
 箭羅奈胆加(やらないか)大王
 身狹-桃花鳥-坂上陵
 (むさのつきさかのえのみささぎ)
  桃花鳥=とう・つき・トキ(朱鷺・鴇・鴾・鵇)
      コウノトリ目トキ科の鳥
 ↓↑
 第二十八代宣化天皇(せんかてんのう)
 異称
 檜隈高田皇子
 (ひのくまのたかたおうじ
  武小広国押盾尊・日本書紀)
 建小広国押楯命
 (たけをひろくにのおしたてのみこと・古事記)
   ?〜 宣化天皇四年
   73歳
  在位期間
  安閑二年(宣化天皇元年)
   〜
  宣化天皇四年
  父
  継体天皇
  第二子
  安閑天皇の同母弟
 ↓↑
 第二十八代天皇
 武小広国押盾尊
 (たけおひろくに おしたてのみこと)
 漢風諡号
 継体天皇の皇子
 新羅(しらぎ)軍の
 任那(み まな)侵入の際
 大伴狭手彦を派遣
 撃退
 ↓↑
 「安閑・宣化天皇・欽明天皇」・・・???・・・
ーーーーー
 ・・・九州の「倭國王朝」は筑紫・・・「阿毎王朝」は肥後・・・
 ・・・「倭委奴國」は「怡土」・・・「怡土郡(いとぐん)は、福岡県(筑前国)の郡」・・・「伊都」は伊太利亜の「羅馬」or「バチカン=和地関」・・・41度=四拾壱(肆足壱←壹・位置)のタビ
 和の地に関係・・・北緯41度54分・・・
      函館市=北緯41度46分・・・
   松前郡福島町=北緯41度29分・・・
   亀田郡七飯町=北緯41度53分・・・
   爾志郡乙部町=北緯41度58分・・・
ーーーーー
 ・・・