内包と外延――写真と俳句のシステム論的素描


畠山直哉の写真集『気仙川』の「あとがきにかえて」に「絶対的な写真」という言葉が出てくる。写真は、第三者が「写真として」みれば「どうということもない」ものであっても、それを撮影した本人には、個人の記憶とのつながりにおいて、この上なく大切なものでありえる。つまり、客観的な尺度で測れない価値を帯びた「絶対的な写真」でありえる。畠山は、こうした主客の通底不可能性とでもいうべきものが引き起こす感情を「やるせなさ」と名付けている。「近代写真芸術」が普遍性を志向するのは、この「やるせなさ」からできる限り遠ざかるためだったのではないか。そう述べる彼自身、この感情に陥ることから一定の距離を置いてきた。しかし、いつしか彼も、「絶対的な写真」の成立要因をなす一般的目的――「自分の記憶を助ける」――とは異なるが、それでもそれなりの、つまり、個人的関心に基づく有用性に係る撮影動機――「想像力の助けになる」――に押し出されるかたちで、生まれ故郷、陸前高田市気仙町のなにげない光景を写真に撮るようになっていた。こうした――畠山自身の言葉によれば――「どうということもない」写真が、東日本大震災を境に、これまで遠ざけてきた類の「絶対的な写真」に変質してしまった。畠山はいう。「これを近代芸術的な文脈で理解しようとすることは、つまり『写真としてどうか』という風に理解しようとすることは、僕にはもうどうでもいいことのように思える」。

この「あとがきにかえて」を読んでいたせいだろう、大竹昭子畠山直哉の四年にわたる対談のまとめられた『出来事と写真』という本で、畠山の発言中、次の箇所に目が吸い寄せられた。

あるところで詩人で比較文学者の管啓次郎さんと写真家の港千尋さんの対談があって、そこで、管さんがちょっと恥ずかしそうに、ご自身が撮られた写真をスクリーンに映して、これがいい写真かどうかわからないけれど好きだから撮った、と言って、たとえば犬とか街角にちょっと光が射しているとか、病院に行ったときに植物のかたちがよかったから撮ったとか、そういった言ってみれば他愛のない写真を見せたんですね。そうしたら港さんが、「なんでもない写真だけれども、そうやって撮った人の言葉とともに見ると、みるみる絶対的なものになってくる」と言った。言語的な情報を与えられることによって、他愛もない写真が唯一の写真になってくる、と。そのときの「絶対的」という言葉に僕はなるほどなと感心したんですけど、でも反面、絶対的って言葉ほど写真家を困惑させるものはない。すべてが絶対的な写真だったら、写真のよしあしを云々することは不可能になっちゃいます。
(2011年10月2日の対談、畠山直哉大竹昭子『出来事と写真』)

「言語的な情報を与えられることによって、他愛もない写真が唯一の写真になってくる」。「写真として」見れば「どうということもない」写真に張り付く、撮影者に固有であるはずの「絶対性」の感覚が、撮影者本人から与えられた言語情報を介して、その写真を見る側の内面に及ぶことがある。そういう話だ。このような場合、主観的体験の質の受け渡しはかなわないにせよ、それでも、ある水準における伝達が成立していると考えていいのではないかと思える。だが同時に、こうした絶対的感覚の転送は、本当は伝達などではなくて、吉本隆明が「言語の属性」のひとつに数えた「像」の働きによって、見る側において新規のイメージが恣意的に立ち上がっているだけなのではないかと考えることもできるだろう。つまり撮影者の言葉が、ガストン・バシュラールの論じるような、あるいは梶井基次郎の語るような、知覚された像を歪める能力としての「想像力」に働きかけている。畠山の語る「ある種の想像力」で写真が担っていた役割を、代わりに言葉が引き受けているのではないかということだ。つまり言葉とともに写真を見る者は、写真そのものを見ているのではなくて、そこに自己流のイマジネールが重ね書きされた「二重写し」(梶井基次郎)の像を見ている。「絶対性」とは、この新設された像の私秘性のいいかえではないか。

「写真として」ではなく、そこに何があったのか、その人はどんな顔をしていたのか、その時の空は、水はどんな色だったかを、写真から確かめたい。僕は初めてナイーブにそう思った。でもよく考えてみれば、これは人間にとって、写真を撮る第一番の理由ではなかったろうか。
畠山直哉「あとがきにかえて」『気仙川』)

写真が写真の外部(現実や言語)によって変質することの受け入れ。絶対性の観点、私秘性の観点は、写真を外延化する。というよりも、ここで問われているのは、このように外に向かって概念を押し広げる運動、個的な現実とのつながりの深さにこそ、むしろ写真の第一義、本質があるのではないかという問いである。だからそれは「写真」概念の拡張的再構成ということではない。写真を「写真として」見ることの是非をめぐる問いは、写真の自立性や純粋性の否定ではなく、その本来性の回復として問われたものだ。

額縁に入れ、何も解説をつけないで美術館の壁にかけるなんていうのは、写真の機能のごくごく限られた何かを利用して一種のゲームをしているにすぎない、とさえ思いますね。逆に世の中の写真の楽しまれ方というのは、決してそうじやないですね。「見て見て、これが私の犬なの」「見て見て、今度赤ちゃんが生まれたの」そういうふうに使われる写真のほうが、たぶん数が多いですね。そのすべてが絶対的な写真なわけです。
畠山直哉の発言、『出来事と写真』より)

畠山の「絶対的な写真」に向ける視線は、高浜虚子が「九百九十九人」の俳句に向ける視線に重ね合わせてみると、その特徴が明瞭になる。

天才のあるものは千百中の一人、其のあとの九百九十九人はなんとします。俳句が学びたい、俳句によつて我心の苦痛を紛らさう、俳句によつて下劣な欲を遠ざけやう、俳句を以て一生の伴侶とせう、安心立命の便りとせうと、深いもあらう浅いもあらうが、いづれも俳句の杖を力に立ち上らうとする矢さき、そんな俳句は文学的価値が無い、陳腐だ平凡だといはれてしまつては九百九十九人はどうします。
高浜虚子俳諧スボタ経」)

福田和也は、右の言葉を引用し、こう書いている。「発句を近代的意味での文学創作と見なす姿勢が、『千百中の一人』を優遇し、「其のあとの九百九十九」を切り捨てている、という虚子の観察は、俳句のみならず、近代文学全般の片寄りを云い当てるものであった」(『ろくでなしの歌』)。また、「花鳥諷詠」論を大衆へのおもねりとみなす水原秋桜子らの批判については、虚子は「『大衆』などという漠然とした存在ではなく、各自がその裡に『地獄』を抱えた『一人』である事を見ていた」(『日本人の目玉』)。

山本健吉が虚子について書いたある文章に、河盛好蔵「わが交遊録」の一節が引かれている。引用はまるまる、虚子の息子、池内友次郎が桑原武夫に語ったという言葉からなっている。こういうものだ。「おやぢはあなたの第二芸術論を読んで非常に悦んでゐました。おやぢたちが俳句を熱心に弘めてゐた頃は、俳句などは世間で軽蔑されて芸術の仲間入りもできなかつたものであるが、あなたのおかげで第二芸術にまで出世することができたと云ひましてね」。これに付けて山本健吉がいうには、

だが、虚子が友次郎に洩らしたといふ「第二芸術論」についての感想も、考へてみるとなかなかずるい言葉である。言ふまでもなく虚子の仕事は、子規の俳句革新運動を継承したものである。そして子規の俳句短歌への試みは、どうにかしてこの堕落した非文学を文学の域にまで高めよふという運動であつた。そして明治の新派俳句や新派短歌が、そのやうなものとして一応の成功を収めたものであつてみれば、今さら「第二芸術にまで出世することができた」などと、そらぞらしいせりふが言へるわけはないのである。「第一芸術」から転落したとすれば、それは虚子の時代に、虚子の責任においてであつたらう。
山本健吉高浜虚子」)

近代文学」でないものとして「俳句」概念を固めていったのは、虚子その人だ。「花鳥諷詠」という理念の際立った歴史性、構築性、これを踏まえると、「記憶を助ける」写真の働きの反芸術的な特質は、ありのままの素朴性という言葉によってとらえなおすことができるだろう。虚子の「九百九十九人」は「花鳥諷詠」の理念に染まった人間たちであって、ありのままの衆生ではないのである。先に引用した「俳諧スボタ経」の言葉は、虚子が、作中人物である「俳諧仏」の弟子の一人に言わせたものであり、地声ではない。虚子自身の言葉を引いておこう。

三十八年に私は「俳諧スボタ経」という文章を「ホトトギス」に発表しました。これは、今でもこの文章の趣旨には変りはないのでありまして、俳句の一般の人に与へる功徳といふやうなものを説いたものでありました。俳句を作る人にも、種々の差等があるのでありまして、天分の豊かな人が作るのと、天分に恵まれてゐない人が作るのとは大変な差異があるといつてもいゝのであります。しかし仮にも俳句を作るといふ事に志した人は、全く俳句を作らぬ人に比べてみると、それは有縁の衆生と無縁の衆生との差がある。所謂救はれるものと救はれないものとの差があるといふ事を書いたものでありました。
高浜虚子『俳句の五十年』)

山本健吉は、ホトトギス流の平板な写生句を「手帳俳句」と呼び、ぜんたい否定的だ。「手帳俳句」とはすなわち「物干竿を見ていたら一匹の蝶が飛んできた、そこで一句が出来るという具合」の「それは事実だった」の一点に重心のかかった俳句のことである。じつのところ山本の俳句観は、共同体に感性的な基盤を求めていること、事実よりも事実に感動する心の動きを重んじることにおいては、虚子のそれと、さほど違わないといっていい。両者の際立った違いは、感動の表出と言葉がとる姿態とのあいだに関数的関係を見るか否かという箇所にある。虚子は切り離し、山本は結びつける。言葉の外形そのものに感動の痕跡がありありと現れていなければならない。痕跡は、月並からの距離として現出するものだ。このように考える山本健吉は、子規の鶏頭の句、そして芭蕉の白魚の句について、次のようにいう。

私が鶏頭そのもの、白魚そのものと言った時、それは作者によって発見された本意または本性と言ってもいいのであります。(中略)作品の中で、白魚や鶏頭が事実におけるよりもいっそう生き生きとした甦りを具現しているのを、われわれは味わうのです。(中略)なまの事実を拒否することによって、否虚構の上にでなければ捕えることの出来ないような真実が、作品のレアリティであります。
山本健吉「純粋俳句――写生から寓意へ――」)

結局のところ「真のリアリズム」論である。このリアリズムで現実は、現実そのものとしてではなく、その底に真理を沈めた表層の出来事――真理の上澄み――として扱われる。字義どおりの出来事は素どおりされてしまうのだ。

ロラン・バルトは、「それはかつてあった」、すなわち、表象される事物や出来事が「現実のものでありかつ過去のものである、という切り離せない二重の措定」に、映像一般から写真を区別する特質、写真の本質を見出している。これと、山本健吉が俳句について否定的に見た「それは事実だった」という過去命題との違いは、因果関係の向きの違いとして押えることができる。バルトはこんなふうに説明している。

《それは=かつて=あった》というノエマは(中略)わかりきった特徴として無関心に生きられるおそれがある。「温室の写真」は、まさにそうした無関心から私の目を覚まさせたところであった。普通は事物の存在を確認したのち、それが《真実である》と言うはずであるから、私の場合は逆説的な順序に従ったということになるが、私はある新しい経験、強度というものの経験の結果、映像の真実性から、その映像の起源にあるものの現実性を引き出したのだ。
ロラン・バルト『明るい部屋』)

「温室の写真」――バルトがそこに亡き母親の「正しい映像」を見出した写真――の真実性が、その事実性の後ろ盾になっている。反転の動因であり起点であるこの真実性は、主観性の極限にあふれ出した直観であり、バルトその人を除き、だれにも触知できないものである。可換性ゼロの「これだ!」の固有強度が矢印の向きを変えたのだ。したがって、この逆転運動は、写真がそれ自身の重みによって、それ自身の内側に嵌入する運動でもあるだろう。写真による写真の包摂、写真による写真の塗り重ね。「絶対的な写真」と「温室の写真」の違いは、外延と内包の違いでもあるのだ。この違いが、以下のようなプルースト的事実に伴う差異と一緒になって、写真における絶対系と温室系の体系的差異を作り上げている。

ところで、母の死後まもない、十一月のある晩、私は母の写真を整理した。母を《ふたたび見出そう》と思ったのではない。《写真を見てある人のことを思い出すよりも、その人のことを考えるだけにしておくほうが、もっとよく思い出せる、そうしたたぐいの写真》(プルースト)に、私は何も期待してはいなかった。
(同前)

バルトはこのように繰り返し写真の「反=思い出」性について語っている。たとえ「温室の写真」が「思い出と同じくらい確実」であったとしても、そこに喚起される確実性は、再認のそれではない、発見のそれである。が、その一方で、両システムは、否定のスコープにおいて、だいぶ重なり合っている。温室系も、絶対系と同じく、近代芸術的文脈からの逸脱を、その存在論的拠り所としているからだ。

「写真」は芸術となることができる。だがそうなると、「写真」にはもはや狂気はいささかも含まれず、「写真」のノエマは忘れ去られ、したがって「写真」の本質が私に働きかけるということはなくなる。
(同前)

俳句はどうだろう。虚子の「花鳥諷詠」論は、いうまでもなく近代芸術の文脈を一顧だにしないものであった。しかし、俳句を芸術一般の側に引き寄せようとしているかに見える山本健吉においても、これをポエジーの原理によって理論付けようとしているわけではない。山本が俳句システムの要素として重視するのは、時間からの逸脱という特性である。

このことはわれわれが普通に取る俳句の鑑賞法を考えてみれば分かることです。それは低吟乃至黙読を二度繰返すという方法であります。何のためにこのようなことをするのか。加藤楸邨氏は、俳句は「読み了へたところから再び全句に反響する性格がある」と言っています。これはなかなか卓見であります。これと同じことを芭蕉は「発句の事は行きて帰る心の味なり」と言っています。俳句も十七音の言葉の連続である以上、形式としては時間の法則に従わざるをえない運命を担っているわけですが、了ったところからふたたび全句に反響しようとする、あるいは行き着いたところからふたたびもとへ帰ろうとする性格を持っているということは、俳句という短詩型が、おのれの詩型の時間性をみずから否定しようとする傾向を内包していることを物語るものだと思われます。すなわち十七音の中に一つの時間的継起として排列されている言葉が、他方また鑑賞者のある種の操作によって、同時的に現前しなければならないのです。形式における時間性と内面における反時間性とが、無限に摩擦し相克し合うところに、俳句的な性格が確立されるのだと思われます。
(「純粋俳句――写生から寓意へ――」)

同様の主張は、「挨拶と滑稽」等、他の俳論にも見られるが、つまり俳句は、世界一短い詩でも、短歌に比べて短い詩型でもなく、長さそれ自体を捨て去っているという認識である。長さの抹消が長さの倍加によって確保されること、伸びることで縮むこと、この逆説において付与されるのが強度だ。外に出ず、内側で足踏みする俳句の存在論は、「温室の写真」のそれに似ているかもしれない。しかし、「花鳥諷詠」論の体系が写真の絶対系からずれているように、純粋俳句のアテンポラルな性格も、温室系の素性と完全に重なるわけではない。アレクサンダー・ガードナーが独房のルイス・ペイン(南北戦争末期、リンカーン大統領ら政府要人を狙った暗殺計画に加わった人物)を撮影した写真を眺めながら、バルトは次のように語っている。

彼は絞首刑になろうとしている。この写真は美しい。この青年もまた美しい。ストゥディウムはそこにある。しかしプンクトゥムと言えば、それは、彼が死のうとしている、ということである。私はこの写真から、それはそうなるだろうという未来と、それはかつてあったという過去を同時に読み取る。
ロラン・バルト『明るい部屋』、太字は原文では傍点)

それはすでに死んでいる、と、それはこれから死ぬ、とが一つになっているのだ」。時間は無化されているのではない、圧縮されている。そしてこの圧縮が、写真を見る者において、ひとつの直観として生きられている。ここに違いがある。鑑賞者の意識的な操作によって強度が付与される純粋系との違いである。

内向する言葉と強度への志向は、言語外現実と縁を切り、言葉を自立的に組織していく傾向を生み出さずにはいない。突き詰めれば、「文芸上の真」(水原秋桜子)といった口実さえ不要なのである。その意味で、言葉派のような動きは、「純粋俳句」の必然的帰結であるように思われる。こうした現実との関係の完全な切り離しだけは、写真には無理だろう。写真の純粋性に向かう意識は、だから逆に、むしろ積極的に、写真の不純性に向けた意識を尖らせていくことになる。


《付》写真の不純性と時間性

写真の不純性ということでは、「『私にとっての退屈な写真』は、退屈であるにもかかわらず、ではなく、退屈だからこそ私を感動させるのである」(太字は原文では傍点)という「矛盾の力学」の指摘から始まる鈴木雅雄の論考「退屈だからこそ感動的な写真と出会うために――ブルトン、バルト、「バナキュラー写真」」が、写真の「宿命的な『不純さ』」を問いなおすにあたって、有益な視点を提供してくれる。

一方にそれ自体として評価されるべき写真、他方にそれについて語られること、すなわち「文学」によって価値を規定される写真があるのではなく、自ら進んで文学と混ざりあって不純なものとなり、そのことで文学の純粋性自体を無効化してしまう、そんな写真が存在するはずだ。
(鈴木雅雄「退屈だからこそ感動的な写真と出会うために――ブルトン、バルト、「ヴァナキュラー写真」」、塚本昌則編『写真と文学――何がイメージの価値を決めるのか』所収)

この論考では、この視座に立ち、『明るい部屋』中「温室の写真」が提示されていないという事実が、そのようにするバルトの所作を肯定的に評価するジェフリー・バッチェンの見方とともに、批判的に問われている。バルトは「温室の写真」を見せるべきだった。なぜなら、「ありふれた写真とバルトの文章の限りない距離のなかにだけ、読者は彼の真実を、いい換えるなら彼の狂気を見出すことができたはずだ」からだ。

感動の共有に抵抗する写真がまさにそれゆえに働きかけてくるという「矛盾の力学」は、「絶対的な写真」における絶対性の転移の意味、そして本性について、あらためて考えることを促すものだろう。また、芸術写真とスナップ写真という二元論の突き崩しを促す視座は、「永遠」と「瞬間」という写真の時間に係る二極の無効化を図る視座でもある。やはり時間性の問題に向き合うことがポイントになるようだ。

写真の時間性ということでは、田中純の新しい著作『過去に触れる──歴史経験・写真・サスペンス』が、この論点を中心的な主題に据えている。

この本では、前記ルイス・ペインの写真についてバルトが指摘した「時間の圧縮」が、「サスペンスの時間」と呼びなおされる。現実世界において破局はすでに起きている。しかし、写真の中ではまだ起きていない。こうした写真に特有の時間性に突き刺されること、「それは実際には起こらなかったのだが、過去において起こりえたかもしれない無数の未来との遭遇である」。

この遭遇を通じて企図されているものはなにか。写真の中に囚われた、過去未来の可能性の救出である。ここで注目したいのは、この救出作業に際し、時間性の把握に関する、あるひとつの根本的な態度変更が遂行されていることである。それは一言でいえば、別の時間性を生きること、文法的にいえば、テンスからアスペクトへの視角の転換である。出来事全体の外側に立ち、それを客観的な時間軸に位置付けるのではなく、逆に、出来事の内部過程に包まれるように自己意識の態勢を整備すること。写真それ自体の内部に自らを差し入れ、その点括的な時空間に定位したまま、像に固有の時間性を瞬間の前後に押し開くこと。ここに「サスペンスの時間」が流れ出す。

田中純は、こうしたサスペンスの構造を、叙述の水準にも探り当てる。バルトの『明るい部屋』はもとより、ゼーバルトアウステルリッツ』、ローラン・ビネ『HHhH』、そして畠山直哉の『気仙川』といった諸作品のナラティブが鮮やかな手つきで分析される。この探索で焦点化されるもの、それは、「われわれ読者にはどうやっても見ることのできないイメージ」である。このような不可視の像を呼び覚ますには、語りの叙法(モード)における、やはり根本的な態度変更が求められるに違いない。つまり、直説法から条件法へのそれだ。「不在のまま現前させる」この技法には、錯覚でなければ、様相実在論の手触りがする。反事実的条件法としてのサスペンス、これが常に「希望」の一語とともに語られる。バルトの「狂気」が組織的に「希望」に読み替えられていく。「サスペンスの文法」は、希望の文法でもあったのだ。


※関連するエントリ:
一九五九年型リアリズム――「語り得ぬもの」を語るやり方としての - 翻訳論その他