NAKAMOTO PERSONAL

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尾生の信

「『諸国民の公正と信義』を夢見心地に待っているだけで… 論説委員・清湖口敏」(産経新聞
 → http://www.sankei.com/column/news/160221/clm1602210006-n1.html

 いま放送中のNHK大河ドラマ真田丸」の主人公、真田幸村(信繁)の才能をことのほか買っていたのが敵将の徳川家康である。幸村が大坂城の南に築いた出城(真田丸)での攻防で徳川方は手痛い目に遭った。


真田幸村の「信」

 そこで家康は幸村懐柔を試みる。3万石と引き換えに寝返るよう持ちかけ、断られると、では信濃一国ではどうかと条件を引き上げた。だが、それでも幸村はなびかない。「一旦(いったん)の約の重きことを存じて較(か)ふれば、信濃一国は申すに及ばず、日本国を半分賜はるとも飄(ひるがえ)し難し」(『名将言行録』)。日本の半分をくれてやると言われても豊臣方との約束は破らない-と。

 わが国では古来、約束を守ることは極めて大切な道徳とされてきた。いまでも子供らは「指切り拳万(げんまん)、嘘ついたら針千本の~ます」と、制裁(拳で1万回殴り、千本の針をのませる)を明示した上で約束を交わす。子供の世界でも約束の不履行はきつく戒められたのである。

 太宰治の『走れメロス』や上田秋成の『菊花の約(ちぎり)』(『雨月物語』所収)は、学校で習うなどしてご存じの方も多かろう。約束を守ることによって確かめ合う友情や信義の篤(あつ)さに青少年の誰もが胸を熱くしたはずだ。

 約束を守れと説くのは、むろん海外でも同じで、グリム童話の『ハーメルンの笛吹き男』などは、大人向けの寓意(ぐうい)はともかく、世界中の子供に強い共感を与えてきた。『論語』には「人にして信なくんば、其の可なるを知らざるなり」とあり、信頼のおけない人間は何をやってもだめだと諭している。

 私はこれらの一々に深い感銘を覚え、約束をたがえるようなまねは極力したくないと常々、念じてはいるつもりだ。ただしそれはあくまで、双方に約束を破るまいとする誠意のあることを前提とした話である。

 言わずもがなではあるが、一方が約束を破れば、破った側だけが得をし、他方は確実に損をする。その利害関係が2回、3回…と重なり「仏の顔も三度」どころでなくなると、さすがに第三者の見方も変わり、約束を破った側よりむしろ、愚直に守り通した側にこそ非があるのではないかと思い始める。

 そしてあきれた表情で、こう告げるに違いない。「お人よしにもほどがある」…。


国家間の「約束」

 昨年末、日本と韓国は慰安婦問題について「最終的かつ不可逆的に解決される」との認識で合意した。世界に向けて発信したこの国家間の約束は、はたして守られるのだろうか。これまで韓国は、日韓の協定によって解決ずみとされた問題をことあるごとに蒸し返してきた。今回、韓国の外相は在韓日本大使館の前に設置された慰安婦像の撤去に努力すると発言したが、その約束は早くも反故(ほご)にされそうな雲行きとなっている。

 拉致被害者の調査を約束して制裁解除の恩恵にあずかりながら、報告期限も守らず核・ミサイル開発に突き進む北朝鮮。新たな制裁が決定されると早速、調査の中止を言い出す始末だ。

 また香港返還に際して約束した「一国二制度」を蹂躙(じゅうりん)し続ける中国の強圧ぶりも、日々の報道にみられる通りである。


「漫然と夢みがちな…」

 その中国には「尾生(びせい)の信(しん)」という有名な故事が伝わる。

 春秋時代、魯の国の尾生という男が一人の女と橋の下で会う約束を交わしたが、女はなかなか現れない。大雨で川が増水しても尾生はなお約束を守って橋の下を去ろうとせず、橋げたにしがみついて女を待ち続け、ついに溺死してしまった…。

 これはいったい、約束を守り抜く固い信義をたたえた話なのか、ばか正直で融通の利かないことを例えた話なのか。

 芥川龍之介はこの故事に想を得て掌編を書いた。題名もずばり『尾生の信』で、小説は次のように締めくくられる。

 「私は現代に生まれはしたが、なに一つ意味のある仕事ができない。昼も夜も漫然と夢みがちな生活を送りながら、ただ、何か来たるべき不可思議なものばかりを待っている。ちょうどあの尾生が薄暮の橋の下で、永久に来ない恋人をいつまでも待ち暮らしたように」

 ふと思う。日本国憲法前文にある「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して…」のくだりに夢見心地となり、諸国民を信頼し続けるだけで「われらの安全」は約束され、守られるかのように信じて疑わない人たちがいる。日本が「尾生」みたいになってもよいというのか。


尾生の信。

 夜半、月の光が一川(いっせん)の蘆と柳とに溢れた時、川の水と微風とは静に囁き交しながら、橋の下の尾生の死骸を、やさしく海の方へ運んで行った。が、尾生の魂は、寂しい天心の月の光に、思い憧れたせいかも知れない。ひそかに死骸を抜け出すと、ほのかに明るんだ空の向うへ、まるで水の匂や藻もの匂が音もなく川から立ち昇るように、うらうらと高く昇ってしまった。……
 それから幾千年かを隔てた後、この魂は無数の流転を閲(けみ)して、また生を人間(じんかん)に託さなければならなくなった。それがこう云う私に宿っている魂なのである。だから私は現代に生れはしたが、何一つ意味のある仕事が出来ない。昼も夜も漫然と夢みがちな生活を送りながら、ただ、何か来るべき不可思議なものばかりを待っている。ちょうどあの尾生が薄暮の橋の下で、永久に来ない恋人をいつまでも待ち暮したように。

── 芥川龍之介(『尾生の信』)

芥川龍之介全集〈3〉 (ちくま文庫)

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走れメロス (新潮文庫)

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改訂版 雨月物語―現代語訳付き (角川ソフィア文庫)

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ハーメルンの笛吹き男

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現代語訳 論語 (岩波現代文庫)

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