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20090524

[]君はレイプ目を見たことがあるか

 なにもこのご時世にこんな危険なネタを出さなくてもいいようなもんですが、ふと思い立ったので。

 ちなみに「レイプ目」というのは、マンガやえろげなど、キャラクターを絵で描写するジャンルにおいて、主に女の子のキャラクターの瞳の光が消えているような描写のことをいいます。いつからそう呼ばれるようになったかは知りません。主にエロゲにおいて、レイプされて壊れてしまったキャラクターの目を、塗りつぶしたように描写することに由来しているのだと思います。

 個人的な記憶だと「ときめきトゥナイト」で、蘭世が心を操られたときにこの瞳になっていたのがいちばん古い記憶なんですが、どうなんでしょう。それより早く、竹宮恵子でもあったような気がするんだけど……まあ、このへんは曖昧ですね。どっちにしろ表現技法としては少女マンガ由来だと思うんですが。

 さて、この文章は、人がレイプ目になっていく状況を目の当たりにしたときの話です。


 俺は料理が好きです。結婚するまでは自炊なんてまったくしたことがなかったのですけれど、結婚して、うちの奥さまがまったく料理をしない人であることが判明して、自分でも作ってみるかなーと思ったらこれが楽しくて。相当に疲れているときでも「めんどくせー」という感覚がほとんどないので、まあよほど好きなんだと思います。

 といっても、ちゃんと分量を計測するでもなく、最初から目分量でてきとーに味つけしたりしていて、食材の使いかたなんかもネットでてきとーに調べてそれで終わり、という感じなので、まあ我流です。それで失敗したことがほとんどないということは、なんとなく調味料の使いかたや強火弱火などの使い分けを漠然と認識していたのだと思います。ありていにいえば、料理の才能にはある程度恵まれていたのでしょう。

 とはいえしょせん、自分の持ち時間の少ない男がてきとーに作る料理ですから、パスタに市販のソースなんていう手抜きメニューの頻度はどうしても高くなります。その日も俺はパスタを茹ではじめてからおもむろに買い置きのあったはずのソースを棚のなかから取り出すべくごそごそと探していました。

 あったのは、105円かなんかで買ってきた安物のカルボナーラ用のソース。冷蔵庫を見るとベーコンがない。市販の105円ソースは、そのままで食べるとそれはそれは残念な結果になります。さらに冷蔵庫をひっかきまわしたところ、賞味期限をわずかに過ぎた明太子がありましたもので、それとカルボナーラソース、あとコーヒーフレッシュかなんかがあったんで、それで風味を補強することにして、てきとーにバターと混ぜ合わせてソースに仕立て上げるつもりでした。

 が、なんか薄い。塩味といいコクといい、とにかく全体的に味がマヌケ。

 どうしたもんかなーと思った俺は、俺は……もう、魔が差したのだとしか思えません。俺の目に留まったのは醤油でした。明太子は和風なんだし醤油でいいかなー。いいよなー。えーい。あ、どぼどぼって行っちゃった☆ ボトルたんのばか☆ だめじゃないか。


 そんなこんなで出来上がったパスタソースなのですが、なんかこう、なんていうんですか、茶色い。あんまり食べ物のジャンルのなかでは見たことのない色になってます。しかもなんかやたらにたくさんある。

 人は、なにか途方もないミスをやったときに、とっさに自分をごまかすものらしいです。「醤油入ってるんだからあたりまえだよね!」と俺は考えました。あたりまえにはあたりまえなんですが、問題はそこじゃない。しかし俺は元気に言いました。

「パスタできたよー」

「おー、はらへったぞー」

 うちの奥さまが、もう5時間くらいは眺めていたであろう、やる夫スレからようやく目を離してリビングに来ました。

 そして嬉々としてテーブルについてその物体を見ました。昔ジョナサンでポイントを集めてもらった皿のうえに、てんこ盛りのパスタと、その上にかかっているクリーム系かつ茶色で不思議に濃厚なにおいを放つソース。

 皿と俺の顔を、うちの奥さまは交互に無表情で見ます。

「…………」

「ああ、なんか味薄いと思ったから。工夫した」

「…………なにこれ?」

「オリジナルソース」

「なにがオリジナル?」

「工夫」

「……死なない?」

「死ぬような材料入ってない」

「過酸化水素水ってあるよね。ありふれた物質でも、組み合わせによっては……」

「水素と酸素さえあればできるってもんでもないから。だいたい料理は化学合成しないと思う」

「食っていいのね?」

「……たぶん」

「たぶんってなんだコラ!」

 うちの奥さまは、育ってきた環境のせいか、作られたものは文句を言わずに、しかも残さずに食べる、という習性があります。また、人の作ってくれたものである以上「まずい」という言葉は絶対にいわないのです。

 島忠ホームズで選んだお気に入りのフォークが、ほどよくアルデンテに仕上がったパスタをすくいあげ、そのパスタには不思議☆ソースがたっぷりからみついて、見るからに気まずい光景となっています。あえて、なのかなんなのか、うちの奥さまは、なにごともなかったのように、口にパスタを運びました。

 咀嚼しています。

 ゆっくりと。そう、言い忘れましたが、うちの奥さまは、食べものをゆっくりと噛んでからのみこむ、とても健康的な食べかたをする人なのです。

 さあ、どうするのか。「まずい」という言葉は禁止されています。とうぜん俺は最終的な味見なんてしてないわけですが、この時点では、実はそれほどやばいことにはなってないだろうと思ってます。この期に及んでまだ、という話もありますが。

「ど、どうですか……?」

「うん……」

「食えるの?」

「食べれるよ……」

「ほ、ほんとに平気なのか? 俺が食ってもいいよ? だって、表情が……」

「平気……スイッチ切ったから」

 スイッチ切ったようです。

 俺はひょっとして、大変な罪を犯したのではないでしょうか。

「まず……くはないよ」

「無理すんなって。顔、表情消えてる!」

「いいから……なんか、すごく味の濃い飲みものないかな。なんか……すべてをなかったことにしてくれような……」

 俺はあわてて、そのとき家にあった粉末の抹茶ミルクだとか、バンホーテンココアだとか、いろんなものを濃い目にして出しました。テーブルの上は、中央に不思議ソースを身にまとった地獄のアルデンテ殺人パスタ、その周囲に、やたら濃密な色をした飲料がなみなみと満たされたさまざまなマグカップが並ぶでたらめ空間になっていました。

 俺がなにを話しかけても、うちの奥さまは「うん……」「そうだね……」としか反応しなくなっていました。

 人は食べものが原因で心を鎖しうるのか。

 それほど、うちの奥さまの表情は摩滅していました。焦点があってないです。どこも見てません。

 こういう目のことをレイプ目と呼ぶのだ、と俺が気づいたのは、だいぶあとになってからのことでした。


 さて、食べ終わったあと。

「ほんとすんませんでした! 味見してませんでした!」

「もういい。なかったことにするから。忘れるから」

「はい……」

「あと、悪いんだけど、あんたの作るパスタ、あと半年は食えないと思う……」

 そういって、うちの奥さまは、心を鎖し、自分の部屋に戻り、あの分量のパスタを食ったあとで腹の余裕なんかないだろうに、備蓄のチョコレートを貪り食うのでした……。

 ちなみに、後片付けをするとき、フライパンにこびりついていた不思議ソースを食ってみました。

 絶望的にまずい、というわけではなかった。

 ホワイトソースと卵黄、醤油と明太子のすべてがばらばらに個性を発揮していて、それなのに一方では不思議な一体感を発揮し、人の精神を内面からじわじわと攻撃するような、なんともいえない味でした。

 激怒されるほうがまだまし。そういうこともあるのだと知った、あれは36歳の夏のことでした……。

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