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20090911

[]みんな代理がかわいいことをもっと思い知るべき

 このテキストは、アンドレ・ブルトンが提唱したところのシュルレアリズムの重要な方法論のひとつである「自動筆記」によって書かれた「かなめもの代理かわいいえろい考察です。魂の自由な躍動、言語化される前の「ナマ」の人間の情動の動きを言語として記述する試みであり、なにが言いたいかというとだだ漏れだからひでえのですいません。メーター振り切っちゃってるので、はてなダイアラー的にはもうアウトな領域に入ってると思います。


 ところで俺、咲って天使だと思うんですよね。だって咲かわいいから。のどっちが咲のこと好きになっちゃうのもしょうがないですよね。だっておんなのこの姿をした天使なんだもの。なんでいきなり咲の話から始めるかな、今日がんばれば仕事が休みになっちゃう人も多い金曜日の昼下がり、みなさまいかがお過ごしですか。俺は団体等を背景とする構成員の方から激烈なクレームを受けたり、冷やしうどんを手でかき混ぜる泥酔者の相手をしたりして、この世界のかたちとかすごいまちがってる俺が新世界の神になるから代理かわいいけっこんしてくださいとか思ってる昼下がりですが、やはりぱんついっちょうです。アニメ見るときはぱんついっちょうって決めてんだよボケが。俺はなにに対して怒っているのでしょう。しかもアニメ見てるときに限らず家にいるときは常にぱんついっちょうであります。冬場は下はぱんつであり、上はTシャツとぼろぼろのフリースとかいう姿で室内を闊歩してたりするのですが、絶対にズボンはかない。トラウマでもあるんですかね。秋ひものさんも言ってましたが、家に帰ってズボンを脱いだ瞬間から精神の解放区が屹立するんですよ。俺はもう外に出ないっていう絶対の意思表示。これが素の自分であるということ。肉体と精神の融合がぱんついっちょうなんですよ。全裸にならないのはちんちんとか出してると落ち着かないからです。あと俺の部屋カーテンないし。

 ところでさー、世のなかの人は代理の魅力わかってなさすぎ。代理ってかなめもの代理ね。ほんとは天野咲妃って名前があるんですけど、作中でも「代理」って呼ばれてますし、俺のなかでも代理は代理って決まってます。

 まずもって代理は小学校2年生。ちっちゃい。かわいい。えろい。ここまでの流れに異論はありませんね。

 え、わかんないんですか? しかたないなあ。じゃあ俺が代理のかわいさについて説明しますね。はい正座。それと俺が用意したこのこどもぱんつかぶる! かぶった? うん。ひどい光景ですね。準備完了。まあ俺はこどもくつした手にはめてますけどね。

 まず代理ちっちゃい。こども。だっこしたい。これは前提ですね。たとえばテレビ見てるじゃないですか、あぐらかいて。ぱんついっちょうで。そしたら代理ひざのうえに座りますよね。ひざの上の同居人ですね。そしたら代理ちっちゃいからすっぽりと腕のなかに収まりますね。目の前に髪の毛多めの代理の頭とかあって、ついつい顔うずめたり頭なでなでしたりしますね。代理いやがるけどまあそこはしょうがないけど俺のジョイスティックの制御にはいつも苦労しますよまったく。

 とまあ、肉体面からいっても代理えろいわけです。ふわふわの髪の毛とか、ふにふにしたほっぺたとか、くびれのない足首とか、角質化してないひざとか、ひざの裏側の皮膚が薄いあたりのすべすべの感じとか、怒ったときに見えるちっちゃい乳歯とかいろいろ。それらが代理のコンパクトボディに無駄なく収納されておりお風呂入ったりするわけです。お風呂なんか関係あんのか。

 さらに性格や境遇の面でも代理はやたらかわいいです。基本的には「かわいそうな子」のバリエーションなんですけど、代理は気の毒なくらい頭のいいしょうがっこう2ねんせいの子で、中学生のかなよりも、そして周囲の大学生や予備校生たちよりもよっぽどリアリストです。子供であるからリアリストではない、というのは俺はおかしな話だと思うわけで、子供たちは、自分の把握できる現実の範囲ではずいぶんなリアリストだと思う。そして代理はその「現実」の範囲をいやおうなしに拡大せざるを得なかった子供であり、だからあの冷静さ、一種の黒さ、ああしたものはすべて代理の健気さの表出の一形態であると俺は考えるのです。

 しかしそうはいってもやっぱり8さいは8さいなので、やっぱりお母さんとかに甘えたかったりもすると思うんですけど、代理はそういう素振りはほとんど見せません。そのことが代理の根本的な「かなしさ」なのです。なんでもカギカッコに入れる癖は大川七瀬先生に影響を受けた時代でもうやめるべきだったとは思うんですが、いまでもやってしまいます。

 俺は常々、どんな奇矯に見えるキャラクターであっても、それは本質的には人間であると考えるべきだ、みたいなことを言ってたりします。だから代理だって、ああは見えてもただの8さいなんです。ぱんつとか見えてもあんまり恥ずかしくない8さいなんです。だから本当はさびしい。甘えたい。その「本当」を幻視することによって代理に対する愛情は爆発的に増大していき、空にみんなの邪念が漂い秋雨前線っぽいものになる。

 その代理のかなしさというものは、OPの、眠る代理の指チュパに表れています。指チュパいっちゃだめですかね。じゃあ指しゃぶり。あの一瞬の描写によって代理の幼児性というものがよく表現されています。


 さて、ここまでを理解したうえで、もう一度代理をよく見てみます。ちっさい体に黒キャラっぽい表情、そんな代理のなかにいっぱいのさびしさが詰まっている。それは本人にもあまり自覚されないかたちで。そう思うとほら、代理のことだっこしたくなりませんか。俺はなる。すごい代理だっこしたい。あと代理から新聞店とか全部うばって存在意義のないものにして代理こわしたい。抜け殻になった代理をつれて帰らない旅とかに出たい。代理かわいい。

 ところで作中でもよく描写されていることですが、実は代理は意外にも面倒見がかなりいいです。そりゃまあたとえ8さいであろうとも「所長代理」ですからね。それをしなければ立ち行くものも立ち行かなくなるわけですけど、すでに多くの人に看破されているとおり、あれは代理が「強がっていられる」その力の源泉なのです。

 俺はそんな面倒見のいい代理を見ているうちに、代理に飼われたいなあっていう気分を強く覚えるようになりました。もっというと、生まれ変わって代理に養育されたいなーとか思いました。養育されるなら母乳がいいので、俺は代理は母乳出るといいと思いました。こうして俺は新ジャンル「こどもぼにゅう」に目覚めました。このあいだ39歳になりましたが、人間は諦めない限りいつまでも進歩を続けることが可能な存在なのだということをあらためて認識した次第です。生まれてきてすいません。

 というわけで本日の結論ですが、このように代理はとてもかわいいしえろいしちっさいしもうすばらしいことずくめなので、俺があんまり行かないPixivで、気まぐれに「代理」とか入れて検索したときに、そこには心の底からなんの曇りもない笑顔で笑ってたりする代理とか、泣いちゃったりする代理とか、迷子になって不安そうになる代理とか、授業参観にだれも来なくて「別にどうでもいいわよ」とかいいながら窓の外を少しだけさびしそうな表情で見てる代理とか、瞳のハイライト消えちゃった代理が土砂降りの雨のなかをふらふらと歩いてる絵とか、そういうのがいっぱい見れるといいなあって思いました。


 なお末文にて失礼いたしますが、俺はいったいなにに挑戦してこんな文章を書いているのでしょう。いや、やることないし日記書こうかなーって思ったらこんな内容になっちゃっただけなんですが。素かよ俺。


※追記

 ああ、これ忘れたら俺の存在意義がなくなりますね。代理は初潮まだです。

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