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20090913

[]「女子力を上げたい」とその子は言った

 うちのアルバイトの女の子で、今年高校を卒業した19歳の子がいる。キャラクターとしては、外見は、背はやや低めでちょっとむちむち加減であり、顔はちょっと残念な感じではあるのだが、なんというか愛嬌がすごくあってマイナス要素があんまり気にならないような感じ。髪の毛の色はもうしょっちゅう変わってるし、服装なんかもギャル崩れのだらしねー感じなんだけど、仕事はできる。えらいできる。

 お勉強は決してできるほうではないのだけれど、これはたぶん子供の時点で満足な国語能力を身につけていなかったせいで、テスト前のやばいときなんかよく勉強教えたりするんだけど、理解能力そのものは高い。しかし日本語が壊滅的に駄目。

 いきなり余談になるんだけど、最近はこの手の「日本語能力が駄目なために結果として勉強できない」タイプの子がすごく多いような気がする。まあ例によって半径何十メートルかの狭い範囲での観察なわけですけど。

 で、もともと頭のスペックは低くない子なので、仕事の覚えはいいし、負けず嫌いなうえに「だめな自分」というものを徹底的に許せない子なので、ほっといても仕事のレベルが低下することはない。共同経営者であるうちの奥さまを除けば、もはや俺の片腕といってもいいレベルだ。高校一年生からバイトしてるのでつきあいも長い。

 とまあ、仕事的にはそんな感じ。性格的な部分では、とにかくテンションが高くてうるせえ。前向きで明るいといえば聞こえはいいが、後退のギアを自分で破壊してしまって「だから私は前に進むしかないんだ」みたいな暴力的なまでの前向きさがあって、しかしエンジンが止まると「だりー、なんにもやる気しねー」となる。仕事はとても好きなようなのだけれど、それは「仕事ならばやるしかない」ということで自分のエンジンにガソリンを注ぎやすいからだと思われる。

 理由は想像するしかないのだが、彼女のそう長くない生涯のどこかで「むかつく。もう前向きになってやる!」とか思った経験があって「負けるもんか」でずっとここまでやってきたものらしい。そしてこのタイプにありがちなのだが、致命的に嘘がつけない。隠しごとはできても嘘はつけない。まあこの子の場合は「嘘をつく自分が許せない」というよりは、天然すぎて嘘つくことを知らないままバカ正直に生きてきました、というのが正解に近いような気がする。

 まあ、トータルでいうと「そばに2時間いるとそろそろうざくなってくるが、まあいい子」ってところか。


 で、話はここからだ。このバイトの子(仮にSさんとしておこうか)、いわゆる「女の子らしさ」というものがカケラもない。あー、ぶっちゃけ言って体だけ見ればそりゃまあ女らしいですね、っていう体型をしてるのだけれど、それらをすべてブチ壊すほど、壊滅的に女らしさがない。それがいいとか悪いとかではなく、ここでは単純に状態のことを言っている。

 あれはなんていったらいいんだろう……たとえば、紙に「セックス」と書いてその紙を見ながらオナニーできるくらいに女体に飢えてる状態ならばともかくとして、おそらくなんだけど、女性の肉体単体というものは、男性の性欲にとってさほどの意味を持たないと俺は考える。意味を強く持っているように見えるのは、たいていの男性は女性の肉体についてのフェティシストだからだ。岸田秀の洗脳を一時期受けた俺としては、それは本能が壊れているからです、と明言してもいいようなものなのだけれど、さすがにいまとなってはそれは躊躇する。ともあれ、女性の肉体をフッティッシュとした場合に、男性の欲望は比較的満たされやすいということが言えると思う。

 しかし、それとても「単純な物体」としての肉体ではだめなのだと思う。では肉体に意味を与えるものはなんなのか、といえば、それがいわゆる「女らしさ」というものだ。こんなことは手垢のついた考えかたであるだろうし、掘り下げればいくらでも矛盾は出るだろうが、世の男性(と一般的に考えられている、女性に対して性欲を持つ、肉体的には男性であるようなものだ。以下すべて同じ意味で使っていると思ってほしい)一般の欲望のありかたを考えるに、現実的にはそれで大した不自由がない。

 ちょいと話が逸れた。Sさんの話に戻る。ここで長々と脱線をしたのは、つまりSさんは肉体的には女性なのだけれど、そこに自分が「女性」としての意味をまったく付与していない、ということを言いたかったから。男性の欲望の視線はもちろん彼女の肉体に強制的に「欲望されるもの」としての意味を与えるけれど、どうやら彼女のなかでは、その欲望は「なめられた」というように感じられるものであるらしい。

 Sさんは、とにかく「負けたくない」とか「なめられたくない」というやりかたで19年間を生きてきた。その負けたくない対象というのは相手が男性であろうと女性であろうとまったく変わらない。つまり彼女のなかには「負けたくない自分」というかたちで一個の明確な自我が存在するのであり、彼女の自我の形式にそぐわないやりかたで欲望する男性は「打ち砕くべき対象」ということになる。

 このようにしてSさんは「男なんてどうしようもないし」「頼りたくなんてないっすよ」などの発言をするようになった。

 もちろん、たとえばファッションなんかに気をつかわないわけではない。しかしファッションにめちゃくちゃ興味があるというのでなければ「見てもらう対象」というのを定めなければ、なかなか統一感のあるファッションを身につけるのは難しい。彼女の服装はいつもどこかがちぐはぐだ。おかしいということはないのだが、トータルで見ると、なにをやりたいんだかよくわからん。


 とまあ、ここまでのところ、だからといって俺にとって困ることはなにもない。俺は仕事する人としてSさんを雇っているのだし、彼女も別にそれ以上のなにをも店に期待しているわけではない。問題ない。

 しかし、最近になってSさんは「女子力を身につけたい」と言い出した。どうやら「女の子っぽくない自分」というものについて、それなりの自覚はあるらしい。いままでの人生で彼氏がいなかったというのもさすが焦りを感じさせる要因ではあるらしい。で、とにかく根が素直な彼女は、店のいろんな人に相談をし始めた。

 店の深夜のアルバイトの人で、これは女子力の塊のような二十代半ばの女性がいる。とて頭の切れる人で仕事相手としてはやりやすいんだけど、なんであんなにもてそうな人がコンビニで深夜にバイトやってるんだかよくわからない。この人に相談したところ「まずやることさっさとやっちゃえばいいんじゃない? わかるのはそのあとよ」とのことで、まことも実もフタもないお答えをいただいたようだ。なめられるのも負けるのも嫌いなSさんだが、恋愛に対する憧れがないわけではない。むしろ過剰にあるといってもいい。この解答はSさんのなかで却下されたようだ。

 次に、ほかの女子アルバイトに相談したらしい。この子は、気の弱い自分を鼓舞して、なんとか勇気を出して最近彼氏ができたらしいので、相談相手としては適任だと思われる。で、結果としては「ほんとにSさん、女の子っぽくなりたいと思ってるの?」ということで、疑問を呈されただけで終わった。

 次に相談した相手がうちの奥さまだったのだが、これはもう相手が悪いとしか言いようがない。Sさんのことを上から下まで見回したあげく「Sさんさー、たとえば重たいもの自分が持ってて、あたりに男がいたとするよね。重くてもてなーい、とかいって男に頼ることできる?」と質問した。当然ながらSさんの返事は「そんなん、めんどくさいっすよ」だった。うちの奥さまは断言した。

「無理だ。諦めろ」


 そして、Sさんのなかでどんな革命が起こったのかは知らないが、相談は俺のところに回ってきた。ちなみに店のなかでの俺のパーソナリティは「仕事以外のことはぼんやりしてて、PCに向かってだらだらなんかやってる人」なので、相談相手として(ふつうに考えて)これほど不適任な人はいない。

 俺は、仕事を終えたあとで、例によってついったーにだらだら常駐していた。そこで「店長、女度を上げるにはどうしたらいいでしょう」と質問された。

 せっかくついったーにいたので、その場でTLに質問を放流してみた。その対応はどうなんだ、という話ではあるが、とにかくやってみた。

 もらった答えをいくつかわかりやすいように噛み砕いてSさんに伝えたなかで、ちはや氏の解答がクリティカルなものだった。ちょっといまついったーにつながらない状況なんで、記憶にもとづいた引用ってかたちにさせてもらうが、要は「かわいいって言われること」っていうのがその答え。これは核心だった。

 ちはや氏のポストをSさんに伝えたところ「あー、かわいいって言われても、ありがとうとは思うけど、別に欲しい言葉じゃないですね」と答えた。

 なるほど、多分、ここだ。


 俺自身が性差意識の非常に少ない人で(これは必ずしもいいこととは限らない)、常日頃「かわいいと思われたい」と思う女性がこの世に存在するということにはほとんど思い至らない。あまりに思い至らないため、俺という人間はいわゆる女子力の高そうな人からは徹底的に疎まれる傾向がある。彼女が丹精込めて磨き上げたみずからの「価値」というものを徹頭徹尾理解しない人間だからだ。たとえ相手がだれであろうとも、それがみずからの努力の結果として仕上がった「作品」であるのならば、それを評価しない人間を、彼女は憎むか、あるいはバカにするに違いない。

 実際のところ「女子力」という概念が俺にはよくわからない。かりにそれが「女らしさ」の今日的表現であるのだとしたら、それは必ずしも男性だけを意識したものではないに違いない。ただ、どうなんだろう、その価値基準に「男性の視線」というものがまるで介在しないときに、はたして女子力というものはそもそも存在しうるのだろうか。理屈とかを抜きにした漠然とした直感として、構造的にそれはないんじゃないかと思われる。現実には「女子力」というものが、男性の視線を抜きにした、女性のあいだのみで共有される価値観であったとしても、その成立過程のどこかでは必ず「男性の視線」というものを組み込んでいるのではないか。論証することはできないけれど、男性優位で組み立てられてきた社会のなかから発生したものは、男性視点を組み込まざるを得ないのではないか、と思うのだ。

 話が大きくなりすぎた。

 少なくとも、雑誌のきれいなモデルさんが女子力を持っているのだとして、Sさんがそこに到達するためには「かわいい女と思われたい」という過程を経ることが絶対に必要だ。これは実際にSさんを見ている俺にしかわからない実感かもしれない。しかし、たとえばスカートをまったくはかない女子力というのはかなり難しいのではないだろうか。うちの奥さまは言っていた。スカートを私服としてはいたことは一度もなく、30越すまで完全にノーメイクのまま生きてきた人だ。

「スカートをはくには、歩きかたから変えなきゃいけない。それは面倒だから、やらない。化粧は、する意味がわからなかったから、しなかった。だからわかるんだけどね、Sさんは無理。そんな素のままのSさんでもいいって人があらわれるか、あるいはSさんが心底好きになった相手が、女らしいSさんを求めて、Sさんがそれに応じて自分を作り変えてでも好きになってほしいと思うそのときまで。それはもうね、どうにもならないはず」

 つまり、自分をまったく作り変えず「もっとも素のままで」生きたいと願ってきたうちの奥さまにとって、女子力ですか、それを身につける作業は「自分を作り変える」ということに等しいらしい。挙措動作のひとつひとつ、言葉づかい、表情、気づかい、恥じらい、そしてそうしたものを作り直すもっとも有効なモチベーションがあるとしたら、それは「かわいいと思われたい」という欲望のみであると。


 まあ、実際のところは他人の話なんでわからない。人間に関する話は、それが自分のことでない限りは常に(男性だろうと女性だろうと)憶測の範疇だ。たとえば女性の本当の幸せは、自分を守る強くてやさしい腕のなかでまどろんだときに得られるもので、それは生物としてのごく自然なありかたなのかもしれない。もちろん、そんなものは後づけの社会的教育なのかもしれない。

 俺はたまたま周囲に「女性であること」を意識的に拒絶してきた女性が多かったので、なおのことよくわからない。ただ、あらゆる女性に関して、その人が「女らしさ」というものを見せるたびに、その部分だけが理解できないことは確かだ。まるで人間ではなく「そのように動く装置」に見える。それは単に俺が理解できないだけなのか、あるいは実際に単なる装置なのか。

 男も女も単なる人間だ、と断言したい気分の強い俺としては「あれは教育の成果なのだ」と言いたい。人間として不自然だと言いたい。けれど、それで世のなかのかなりの部分がうまく回っているときに、そのまんなかに踊りこんでいってなにもかもぶち壊してしまいたいと思うほどには、強い確信は持てない。


 最後に、俺自身はSさんにこう言っておいた。

「女の子っぽくなりたいのであれば、そうしたいと思うだけの強い理由がない限りはやめたほうが無難だと思う。そんで、自分が女の子っぽくなったことで得られるものが、失うものより多いと思うんだったら、やればいいと思う。Sさんはなにが欲しい?」

 答えはまだもらっていない。