20110930
■[雑文]カレーと戦ってきた
食ったのではない。戦ってきたのだ。
このエントリは、いつもどおりのクソ長文でたった1軒のカレーやさんを紹介する非常に効率の悪いエントリである。そういうのがめんどくさい人はここ行けばいいです。もしここに行った俺の驚きを共有したければ、以下の文章も読むといいです。
その日はちょっとした用事があって藤沢まで行っていた。ちょっとした、といっても俺にとってはめちゃくちゃストレスの溜まるもので、それが終わった瞬間俺は全身の筋肉が弛緩するような解放感を得た。ここまでがんばったんだ。自分にご褒美を与えてもいいじゃないか。とりあえず腹が減った。昼飯だ。昼飯を食わねばならない。
同時に俺はダイエット中でもある。ダイエットいっても、これはおそらく一生つづくものだから、そう急激な体重の減少をめさしているものではない。まずは「増やさない」「維持する」なかで月に2キロずつくらい減っていくようなのが理想的だ。
そんなわけで、一日に摂取していいカロリーの上限はだいたい決まっている。
しかしその日、俺は腹が減っていた。しかも俺はがんばったのだ。1時間じーっと同じ場所に座っていると体中がおかしい動きを始めるくらいじっとしていることが嫌いな俺が、途中に休憩を挟んだとはいえ、4時間もじーっとしてたのだ。ここはカレーを食おう。ココイチでなければなんでもいい。別にココイチが嫌いなわけではない。住んでいる場所の関係上で、カレーの専門店で日常的に行ける場所にはココイチしかなく、食い飽きているからだ。せっかく遠くまで来たのだからふだん食わないものを食いたい。
さらにいえば藤沢は都会だ。町田が極大都会(©えちかさん)だとするなら、藤沢とても大都会だ。というより俺の住んでいる場所からすれば、ファミレスなんかあればもう都会だ。ブックオフあったら大都会だ。
駅の近辺をふらふらと歩くことにした。
ところで、カレー屋というのは、たとえば神田みたいな密度の高い場所でなければ、ふらふら歩いていてもなかなか出くわすものではない。食い物屋全体の比率からいうと「意外に少ない」のがカレー屋だ。
だから、さほど賑わっているふうでもない商店街のなかで、とうとつにスタンド形式のそのカレー屋を見つけたときには、胸がざわめいた。これは運命ではないだろうか。
そのカレー屋の名は「シュクリア」といった。入るしかない。
建物の内部は古い。時刻はもう14時過ぎていたと思うのだが、せいぜい10席程度しかないカウンター席は半分近くが埋まっていた。この店ははやっている。昼どきなどは待ちが出ていてもおかしくないレベルだ。できるなら隣に人がいる状況は避けたかったのだが、この状況ではぜいたくは言っていられない。入口にいちばん近い席に座った。隣には二十代半ばくらいの兄ちゃんがいて、指輪物語を読みながらカレーを食っていた。なかなかいいペースで食っている。
さて、註文だ。
たいていの場合、はじめて入るカレー屋ではトッピングなどはいっさいなしにビーフカレーを註文する。この日もそうだった。しかし今日、俺は腹が減っている。ここのところはずっと我慢していた大盛りを食って腹を満足させよう。ご褒美なのだ。夜を少なくすればいい。そうすればカロリーの釣り合いは取れる。
もちろん「シュクリア」というカレー屋をご存知の方は、俺がこの時点で死亡フラグを立てていることはご理解いただいているだろう……。
カウンター内にはおばちゃん、というかややおばーさんに近い人が一人と、あと四十代くらいの男性が一人。
俺がビーフカレーを註文すると、まもなく「それ」は出てきた。
さて、俺はいま少し悩んでいる。このブログを運営するうえでのポリシーのひとつとして「画像を使わない」というものがあるのだが、この手のことは、いくら説明しても、現物の写真の迫力にはかなわない。実際、あまりの衝撃にその場でケータイで写真をとった。しかし店舗のサイトにも写真はあることだし、ここは文章だけで俺が受けた衝撃を説明しようと思う。
俺と同様、大食いのほとんどの人種にとって、大盛りなんぞは大した腹の足しにはならないはずだ。41歳になったいまでこそ食う量は減ったが、二十代のころには、バーグの大盛りを食ったあとにスクーターで六角家まで移動、チャーシュー麺を食うことくらいは俺もした。おっさんと呼べる年齢になったいま、ココイチの400はややきつい。空腹時でもなければやや食べきるのはつらいかな、くらいの感じだ。それだって、世のふつうの「大盛り」なんぞは「あー食った」程度のものでしかない。そのあとにデザートとして立ち食いそばくらいは食える。
しかし、そのとき出てきたブツは断じて「大盛り」という言葉で表現できるようなシロモノではなかった。
百歩譲って「山盛り」だ。
量が多いといえば、横浜にあるそば屋の「味奈登庵」の富士山盛りならば、神奈川県民ならご存知の方もいらっしゃるかもしれない。あれもたいがいどうなんだろうと思わないでもないが、それをカレーで実現したものが目の前あった。
容器はそんなに大きくはない。だが、底が深めで横長のカレー皿なので、見た目よりは多く入るだろう。その皿に、白飯が「積んである」。盛ってあるなんてなまやさしいものじゃない。カレー屋のカレーらしく白飯はなにかの容器にいったん入れて整形したうえで皿に盛られているのだと思うが、俺の実感としては「盛った上に積んだのではないか」というのが近かった。とにかく、盛り上がっている。形容するなら、奈良盆地に盛り上がった畝傍山。伊豆の大室山でもいい。とにかく、皿の水平面からおかしいくらいに白飯が立ち上がっている。そんな標高の高い白飯が容器の半分を占めている。
「え」
これが俺の内心の反応だった。
次に俺がとった行動は、写真を撮ることだった。まずふだんはしない行動だ。俺にそれをさせるくらいのバカげた盛りがそこにあった。
俺は悟った。これは満腹感が来る前に食いきらなければならない。味わったら負けだ。
元来俺はメシを食うのが速い。貪るように食う、これもまた食事の醍醐味のひとつだと思うからだ。うちの奥さまと結婚して以来「それは人間の食事ではない」と躾けられ、だいぶ食うのが遅くはなったが、それでも牛丼屋なんかで、自分と同時に入った客より遅く店を出ることはほぼない。俺はその能力をフルに発揮し、爆速でカレーに挑みかかった。これは食事ではない。戦闘だ。
そして5分後、俺は思い知った。
減らない。
おかしい。ほかならぬ俺があのペースで食ったのだ。減ってしかるべきだ。
山が崩せない。比喩でいうなら、せいぜい斜面の一部ががけ崩れで崩壊した程度だ。
すでに満腹が近かった。まずい。
気がつくと、隣で指輪物語を読んでいた兄さんのペースが鈍化している。彼もまた大盛りを食ったのだろうか。そこで本を読んではだめだ。福神漬はもっとまずい。それをしては満腹感があなたを征服する。
俺は黙々と食い続けた。食い過ぎで死ぬことはふつう人間にはないはずだ。
山を半分ほど崩した。そこでルーが尽きた。おかしいと思ったんだよ! 白飯とルーの量のバランスおかしすぎるだろ! そもそも盛りに対して容器が小さいんだよ! どうすんだよこの白飯だけの山!
パニックになりかけた俺に、おばちゃんが声をかけてくれた。
「足すよ!」
白飯という暴力の前に屈し、卑屈な目をした俺はおばちゃんを見上げた。
「容器に入り切らないから、ルーは足すんですよ。ほとんどのお客さんはそうですねえ」
「……はい、お願いします」
俺は容器を差し出した。
最初に連想したのは、長浜ラーメンにおける替え玉だった。でも違うよね、なんかおかしいよね。これラーメンでいえばスープが足りない状態であってスープなくなって足すとかなんかおかしいよね。てゆうかそもそも「白飯を食いきるのに必要なルーが容器に入り切らない」ってそれ根本からおかしい。なぜそんなことになったの。
「容器がこれしかないから」
違うだろ! そんな回答俺は求めてないよ! なんでここまですごい盛りになっちゃったの! 俺が知りたいのはそっちなの!(泣きながら)
せめて、せめてメニューかなんかに注意書きが欲しかった。味奈登庵には書いてあるよ。富士山盛りはふつうの人間には食いきれなくて残すともったいないから安易な気持ちで註文するなって。外にあるメニュー表に書いておこうよ! 「当店の大盛りは異常です。ふつうのサイズを食べきった方のみご註文できます」って書いてあればさ、俺だってこんな無謀なものにアタックしなくて済んだのに!
おばちゃんがルーを足して戻ってきた。
それを受け取った俺は、絶望の淵に突き落とされた。
ルーが……原点回帰してやがる……。
いや、理屈でいえばあってる。白飯が約半分なくなった時点で最初と同じ量のルーが来た。あってる。あってるけど、なんか、そうじゃないでしょ。違うでしょ。それ初期状態だと、白飯に対して必要な半分の量のルーしか入ってないってことじゃん。なんでそんなにヤンチャな大盛りつくっちゃったの。
食うしかない。
ひたすら、スプーンを口に運ぶしかない。残すのはだめだ。それでは大盛りを頼んだ意味はまったくなくなる。いやたぶん知らずに頼んで残す人は多いのだろう。しかし俺個人の矜持がそれを許さぬ。大盛りを頼むのは、普通盛りでは足りないからだ。残すということは「普通盛りで充分なくせして大盛りを頼んだ身の程知らず」を意味する。俺はそんなものにはなれぬ。これは重大なマナー違反だ。背伸びして予約したフランス料理の店で、ろくにマナーも知らずに料理にがっつくのと同質の恥知らずだ。
食うのだ。口に入れて嚥下する限り戦いは続けられる。もう飲み込めない? そんなものは甘えだ。食うことは生命の維持、この点に関して俺は喜んでマッチョ論壇にも加わろう。食えない? そんなものは甘えだ。ソープに行け。食え。食うんだ。飲み込め。日はまだ暮れぬ。食え、食うんだ俺!!
数分後。
店から少し離れた場所には、ぱんぱんに膨れあがった腹を抱えて、ダブルピースを伴わないアヘ顔で空を見上げる41歳のおっさんの姿があった。
完食した。俺は、食った。
食って、店から出るとき、メニュー表をもう一度見た。そこには「中盛り」という表記があった。
俺はそれを見落としていた。中盛りがある店の大盛りはたいていおかしい。これは、見落とした俺の側の責任だろう。それは経営者からの隠れたメッセージだ。2段階の盛りがある以上、そこにはなにかがある。察しろ、ということだ。
食休みに30分かけた。
重たい腹を抱えて歩いた。もうだれも愛せない。そんなことを脈絡もなく思った。
駐車場に戻ると、車のバッテリーが上がっていた。トンネルに突入するときにライトをつけて、消し忘れてそのまま駐車したものらしい。よろしい、これが人生か、もう一度。ニーチェの言葉が頭をよぎる。オートバックスに電話をしてバッテリー交換を依頼した。待っているあいだやることがないのでインタビューズに答えることにした。いちばん上にあった質問が「カレーの魅力について詳細に語ってください」だった。
すまぬ。いまは無理だ。
いまの俺は、カレーを愛することができない。勝負には勝ったが、試合には負けたようなものだ。満足を通り越したものが俺を支配していた。
というわけで、藤沢を訪れた際には「カレーショップ シュクリア」へ是非おこしください。大盛りは、たぶんココイチの500は堅いラインです。たぶんあれ500以上あるんじゃないかと思う。確実に行ける、と思う方だけがご註文ください。
あまりの量に圧倒されて味のこと書いてないんですが、欧風っぽさのない、日本の食堂系の味でした。クセはなくて食べやすく、トッピングをしたほうが活きるような系列の味でした。
で、次の日。つまりさっきなんですが「そういえばカレー食いたいなー」と思ってカレーつくりました。カレーおいしいです。ちなみに隠し味に焼肉のタレを入れてみたんですが、ちょっとした下世話さが出て手抜きカレーのわりにはけっこうおいしく仕上がりました。おしまい。
