G.A.W. このページをアンテナに追加 RSSフィード

20111123

[]秒速5センチメートルを見たので悲鳴あげる(ネタバレ)

 ゲャーーーーーーーー。

 というわけで悲鳴あげてみました。じゃあこれから、テクノロジーの進歩が生み出してしまった異形のオナニー物件について語りますね。ちなみにこの感想はニコ生でこの作品が放映されたタイミングでの感想としては日本最速に近いものになる予定です。なぜかというと、ニコ生開始48分前になぜか課金して見てたからです。もしこのエントリを48分で書き終えたら放映終了と同時に感想アップということになりますが、まあそんなどうでもいい芸は見せなくていいと思います俺。

 この監督の作品を見たのは初めてです。噂には聞いてましたんで、まあそれなりの覚悟をもって見たわけですが……いや、なんつーか、ダメだこりゃ。だれか止めなかったのかこのエロシーンない動くエロゲ……。


 もうね、なんていうんでしょう。ひどいですねこの作品。

 この「ひどさ」というものを説明するのがちょっといろいろとめんどくさいんですけど、とにかくひどい。好きとか嫌いとかの問題じゃないんですよ。たとえて言うなら、鏡に映ってる自分に向かって好きも嫌いも怒鳴ったってしょうがないじゃないですか。そりゃ自分なんだから。でも鏡に映ってる自分が、なぜか無精髭のおっさんじゃなくてイケメンなんすよ。意味わからねえ。いや俺そんなツラじゃねえだろ、こんなきれいなもんであるはずがねえだろ、なんでこうなった、こんなはずじゃなかった、という感じです。コレジャナイ感の対偶にあるコレであってるけどソウジャナイ感。これは生まれて初めての感覚です。

 まずはあれですよね。ぜんぜん見たことがない俺でも噂には聞いてる背景の美麗さ。

 これはもう、百聞は一見にしかず、という言葉がまさにぴったり当てはまります。映像のことなんで、見てみないとわからない。あたりまえのことなんだけども、それにしたってすさまじかったです。ほら、セピア色の写真とかはノスタルジックな感じするわけじゃないですか。モノクロにも、カラーに慣れた現代人には一定の情緒的な効果をおよぼす要素ってあるわけです。要は風景ってのは見たまんまじゃ情緒的でもなんでもないものなんで、そこになんらかの加工を加えてやる必要がある。その加工をどうするかって話なんですが、これは現状における最適解のひとつなんじゃないかと思いました。

 限りなく実写に近い。時刻表の文字とかケータイの画面とか、まあいろいろあるんですけど、でも実写じゃない。これは絵です。能う限り細密な絵です。絵であるってことで、それだけで発生する情緒ってのは確かにあるわけなんですけども、この作品があざといのは、ここに光の演出を入れてくることです。あれはひどかった。もう、あざといんすよ。見え見えなんすよ。リアルでありながら、常に若干は過剰。それは小学校でしたっけ、あの廊下に映り込む光ですね。そこまで光沢出ないと思うんです。しかもその光沢に、若干廊下が黒ずんだ感じが混じってるでしょう。これは電車の室内の光にしても、もちろん自然の背景なんかにしてもそうです。常に「若干」過剰なんです。この「若干」をどう判断するかなんですが、これを料理にたとえるなら、この背景はどっちかっていうと「素材の持ち味を活かしました」系列でしょう。そこに化学調味料入ってんすよ。もう、この調味料の効きかたがひっでえの。

 なにがひでえって、その調味料にことごとく反応する自分ですよ。ああ、こういうもの見たかったの。そうなの。これなの。あってるんだけど、あざとすぎてひどい。

 もうね、おなかいっぱい。もう食べれないよう。

 そんで、もうこの背景ってなんか異常なもので、一種の発明といってもいいと思うんですよね。なんらかの映像作品を作るにあたって、この背景あればたいていなんでもまかり通っちゃうじゃないですか。背景が語るんだから。もう人間いらねえっすよ。竹槍で戦争してる時代に大砲持ちだしてみんな木っ端微塵にしちまうような暴力的な力です。

 そんでこの力を使ってなにをやるかって話なんですが……。


 よりによってそれかよ


 もう、この作品見ながら頭抱えたくなりました。

 いや、いいんですよ。まったく正当な利用法なんです。わかってます。わかってんだけどさあ……。

 この「やりたいことはわかった。わかりすぎるほど充分にわかったからもう勘弁してくれ」っていう感覚はちょっと説明が必要かなーと思います。

 お話の内容ですな。

 これがまたなんというか……。

 これ、この内容さあ、これすべてについて「あーこういう妄想したことある」っていう人けっこう多いと思うんですよ。俺のことだけどな!!!!! でもこれは絶対に俺だけじゃない。断言できる。なんていうんだろ、これ全部妄想なんすよ。子供のころの語らいも、精神的に近いとかも、4時間遅れの待ち合わせも。ついでにいうと二話はもっとひどい。これこそはもう最低。なにが最低かって? 少女マンガで育って女の子一人称で小説書きたがる俺がすぐにこういうもん書きたがるからだよ!!!! いいか。こんな女はいねえ。どこにもいねえぞ。いや、いないことはいい。それ言ったらお兄ちゃんとセックスしたくてたまらない妹とかは天文学的確率でいるかいないかの話です。双子近親相姦も精神的にわりとおとなっぽいお兄ちゃんとセックスしたがる11歳もとにかくそんな都合のいいもんはほぼ「この世のどこにもいない」と断言しちゃっていいんですよ。それをもって糾弾することには意味がない。

 でもこの作品には映像の力があるわけです。それも暴力的な力が。

 ……成立しちゃうんすよ。センシティブで恋心のあまり泣いちゃったり布団のうえでうずくまっちゃうサーフィンやってる日焼け少女が。成立しちゃうんすよ。それもかなり生々しいラインで。これどう考えても頭おかしいし。

 つまりですね、ここで起きていることは幻想の少女性とやらを何十年にも渡って「こいつぁうめえwww」と食いまくってた人間の妄想が、そのまんまベタに再現されてる、というとんでもねえ事態なわけですよ。ふつうそんなベタなもんは成立しねえ。しちゃいけねえ。そのはずなのに、あまりに美麗な背景によって、ちゃんと作品として成立しちゃってる。どう見たってきれいなんですよ。成立してるんですよ。もう、二話で帰り道に女の子が泣き出しちゃったときにロケット打ち上がった瞬間には、あまりにベタすぎて、ロケットの発射音がドリフのオチの音楽の始まりかと思いましたよ。ドリフだったら舞台が壊れて、その舞台セットごと消えて、次にはアイドルが歌うたったりするわけですけど、この作品はそうはならない。次から次へと、妄想のなかにしか存在しなかった美しい風景とやらが出てきてあーあーあーってなるわけです。

 そして最終話ですな。もうこの、初恋ひきずってズルズルしてて、っていうこと自体がすでに妄想なんすよ。女のほうはちゃっかり結婚してて、男はといえはタバコなんか吸っちゃってて「くそっ」っていう部分まで含めてすんげえベタな妄想。

 これはねえ、もう物語とかじゃないです。妄想です。

 なにがつらいって、その妄想は俺自身のもんなんだよ……。こういう気分のことを表現するいい日本語があるって知ってます? これねえ「いたたまれない」っていうんですよ。もう、いたたまれない。身の置き場がない。画面に向かってバナナの皮投げつけたらそれが跳ね返ってきて自分の顔にぶち当たる。食べ終わったバナナの皮くっさいよぉ……。


 とまあ、こんな感じです。ほんと好きとか嫌いとかいいとか悪いとかいう問題じゃないです。いい悪いでいうなら「こんなもんあっちゃだめだ」というのがいちばん近い。その「あっちゃだめだ」という感じは、俺と、俺の見えない仲間たちにしか共有されないわけなんですが、それにしたってまあ……なんつーかこれは……。

 男のクズっぷりがアレだとか女のビッチっぷりがアレだとかもうそんなんどうでもいいです。つーかいちおうお話として見てやるならありゃ男がダメだろとは思いますけど、そういう話じゃねえよ。だって全部妄想だもの。他人の妄想にケチつけたってしゃあないですよ。

 問題があるとしたら、妄想が作品として成立して商業的に成功しちゃったっていうそのことだけですね。うん。秒速5センチメートルって桜の散る速度なんかじゃねえ。精子の飛ぶ速度だわ。あってた。ごめん。

 もうさあ、なにがいやだって、俺きっとまたこの作品見るんだよ……。ああもう……。


※追記

 ほんとにニコ生での終了と同時にアップできたらしい。


※追記2

 なにいってんすか鍵ゲーこんなもんと一緒にしないでくださいよ。どんなリアリティのある背景だっていたる絵の一発で粉砕ですよ。秒速の背景が竹槍世界の大砲なら、いたる絵は核爆弾ですよ。放射能に侵された俺の頭が正常だと思っていただきたくないですね。わかるか? いたる絵はかわいい。わかったな? わかったら丘の上で鈴鳴らしてちりんちりんするといいよ。

 つーかまあ実際のところ、鍵ゲーを引き合いに出して「おまえが言うな」はあんまり筋のいいやりかたじゃないと思います。この作品の病根と鍵ゲーの病根は、おそらく同じ文脈では説明できないです。単純にいえば物語としての強度が違いすぎます。

 この作品に登場する、特に女性キャラクターですが、これらについては、実はどのキャラがどれであってもまったくお話に影響は与えません。ヒロインにあたる女性キャラクターは実質のところなんの個性も与えられていないですし、二話に登場するキャラクターについても、あれは、主人公に対する「片想い」という機能さえ持っていれば、ほかの設定はどうだってかまわないわけです。その女の子がなにを考えどう生きていようとも、そんなこととは無関係にロケットは飛ぶし、主人公は東京の大学に行く。じゃあなにが表現されるべきものなのか、といえば、それは個々の「シーン」にほかなりません。夕暮れの丘、いつもはカブで通っている道路を歩いて帰ること、泣いちゃう女の子、そこが最大の眼目で、それゆえ俺はこの作品を「妄想」というひとことで括っているのです。

 俺はこの作品が、男にとって都合のいい妄想でできているからダメだと言ってるわけじゃないです。本文中にも書いているとおり、それをもって糾弾することに意味はないんです。そうではなくて、夢見る文系男子がやっちゃいがちな妄想を「そのままの形式で」作品化してしまったことがやばいといってる。

 このへんちょっとクソめんどくさいメンタリティなんですけども、この作品に登場するようなことを妄想したことがある人間って「この美しい妄想をなんらかの手段で表現しなければ!」と思ったことがあって、しかもそれだけじゃ作品にならないんで挫折した、という経験を持ってることがかなり多いと思われるんです。妄想は「やりたいけど実際にはできないこと」を想像することなんですが、それってあくまで「自分がやりたいこと」なので、それだけ書いたって「僕はこういうことがしたいです!っていう表明以外のものにはならないんです。

 そのはずだったのに、この作品はちゃんと「作品」として成立してしまっている。この作品を妄想だと断じる人たちってブコメ見る限りけっこういるみたいなんですが、そう考える人たちって、おそらくこのへんのめんどくせえメンタリティを理解してるってことなんだと思います。

 対するに、鍵ゲーは、KanonもAIRも、まあ尺の違いもあるんですが、相応のドラマツルギーを持っています。なによりキャラクターとストーリーは密接に関連していて、かなり計算高く作られています。AIRに至っては話の作られかたが秒速とはほぼ真逆で、上述のような妄想を持ちがちな人たちの妄想を、二重三重に、執拗なまでに否定しています。

 キャラクターの性質そのものについていえば、確かに鍵ゲーってかなりひどい偏りはあるんです。あえていうなら、男性の欲望にかなり忠実であるといってもいい。ただしあれらの作品のおかしいところは、そうした男が考える「かわいい」を要素に分解して、分解した結果の精製物をキャラクターに還元しなおした、みたいな不自然さがあることです。鍵ゲーっていうと、よく「ヒロインが白痴」とか言われるところではあるんですが、これはこの精製の過程で抜け落ちたものがある、ということだと思っています。抜け落ちていない部分では白痴ではなく、それ相応の知性があります。個人的には、名雪が白痴だっつーやつは俺が相手だかかってこんかい! 名雪はとても賢くていい子でそれが見えねえヤツが白痴だオラ来いやあ!!!!!

 すいません。最後まで粛々と書くつもりでしたが、もちませんでした。

 ただ、何度も言うように、キャラクターの存在、ストーリーそのものが妄想っぽいかどうかは問題ではない。白痴であるかどうかすらも関係ない。本来ならば、そうしたものを二次加工して、お話のかたちにして提供することが常道だというのに、秒速はそれをまったくしなかった、その点において驚きがあるわけです。

 病根という点では鍵ゲーは確かに相当に深いものがあるんですけども、これをもし罪深さという言葉に置き換えるのならば、秒速の罪深さはそれを作ってしまった人にあり、鍵ゲーの罪深さは、それについて熱心に語り擁護するような信者の側にある、といえます。ですから名雪は賢くていい子ですし、観鈴ちんは「あのようである」ことしかできなかった運命のなかでせいいっぱい生きること「しか許されなかった」にもかかわらず、あんなにしっかりしていていい子なんで、「そうであることしかできなかった」観鈴ちんを「強い子」と表現するヤツは俺が相手だかかってこいやああああってそれはシナリオライターやーーーーー来いや麻枝ぁぁぁぁぁぁ!!!という話になりますね。

 さて、この追記で、入れないほうが絶対に説得力が上がった部分が多々あるのですが、そういう部分をわざわざ入れて説得力を下げるような作業が俺は大好きです。それじゃひだまり荘で待ってます。きっと見にきてくださいね! ゲャー