手の500万年史

手の五〇〇万年史―手と脳と言語はいかに結びついたか

手の五〇〇万年史―手と脳と言語はいかに結びついたか

臨床看護2006年2月号 ほんのひととき 掲載
“本書は<手>が人間生活の中心部で,脳と同じほどの比重をもつという前提に立つ調査だった。<手>は人間の学習に関係する。多くの人にとって手は特殊な訓練を積む年月の中心であり,職業としての仕事をもつ生涯にとって,思考,技能,感情,意図の決定的に重要な道具になる。われわれがこれまで<手>について学んできたことを,そっくり子どもの授業の向上のために活用できるのだろうか"(本書あとがきより)

 先日,NHKテレビで「脳梗塞からの再生」を見ました。国際的な免疫学者で『免疫の意味論』などのエッセイや,能の作者としても活躍されている東大名誉教授の多田富雄さんの半年間を追ったドキュメント番組でした。71歳の多田さんは4年前に脳梗塞に倒れ,右半身不随,声と食べる自由を失いました。
 介護なしには日常生活も送れない日々で,一時は自殺を考えるほどだった多田さんを,内科医でもある奥さんが支えとなってリハビリに努めて,現在は自宅で車イス生活を送れるまでに回復されている姿を克明に映し出していました。
 科学者として独自の目線で,脳梗塞によって不自由になった状況を受容して,パソコンのキーボードをかろうじて動く左手で操作して,電子音によるコミュニケーションをとりながら,若い科学者達を叱咤激励する姿。さらには「リハビリは科学,創造的な営み」と車イスで近隣の病院へ週3回も通い,お弟子さんたちとの多田先生を囲む会で「くぅあ〜ん ぱ〜い!」(乾杯)の発声ができるようにと言語療法士の指導を受けながら発声練習をする姿などなど…ごらんなって感動された方も多いと思います。
 私にとって特に印象に残ったのは,左手の指で一つ一つキーボードをたたきながら電子音で言葉を組み立てている姿でした。
 というのも,この番組を見た直前に読んでいた本が,本書『手の500万年史』でした。利き手であった右手の自由を完全に失ったうえに,構語障害で声も出せない多田さんには,幸いにも「考える」能力が残っていました。その頭脳の活動を引きだしている左手の動きに本書を重ね合わせてみました。
 著者のウィルソンさんは,カリフォルニア医科大学に勤務する神経学者で臨床医です。手を傷めた音楽家の治療にあたった経験と,ピアノ演奏を学んだ経験とから,卓越した手技の持ち主と身体と脳の関係に関心をもちはじめたそうです。
 “人類の進化の過程にあって手の重要性に着目すると,手を手首から先にある付属器官と見ることには意味がない。手と腕と肩と脳に,解剖学的・神経学的・生理学的な深い結びつきがあることを明らかにする"というテーゼに基づいて,本書では脳科学や神経学,言語学認知科学などの最新成果や古典的業績を縦横に狩猟し,脳と身体をめぐる現代の難問を<手>を軸に叙述的に描いています。
 “マリオネットに息を吹き込む人形遣い,利き手の指を失くして目覚めたアクセサリー作家,奇術師の手を持つ外科医など手を通して身体と語り合い,困難を克服した手技のエキスパートとの濃密な対話によって,精神活動の源である手の謎と秘密を鮮やかに描く"と書評で紹介されている通りで幅広い引用を愉しむこともできます。
 私にとって興味があったのは,外科医の<手>に関するウィルソンさんの見方でした。
 “純粋な運動能力(手の器用さ)は外科医の熟達度の決定的な要因ではない。複合的空間情報にかかわる比較的生得的で非言語的・知覚的な基本的認識が,手術室でより中心的な役割をはたすように思われる。つまり手術箇所の適切な解剖学的構造がすぐにはわからないときでさえ,「見分ける」能力にあることを意味する。手順のどんな所定のポイントでも,いくつもの感覚が関連するデータと行動を知的に組織し,スムーズで有効な一連の反応を可能にする能力のことである"(本書より)
 本書を読んだ翌日の手術では,あらためてじっと手をみつめてからオペを始めました。