胡蝶の夢

胡蝶の夢(一) (新潮文庫)

胡蝶の夢(一) (新潮文庫)

臨床看護1996年6月号 ほんのひととき 掲載

今年(1996年)2月13日に司馬遼太郎さんが腹部大動脈瘤破裂で亡くなりました。72歳でした。皆さんのなかにも愛読者であった方が多くいらっしゃると思います。私もとりつかれたように司馬遼太郎さんの歴史小説ばかり読んでいた時期がありました。
その時代時代を精一杯生き抜いた人物を淡々とした語り口でえがいていく司馬小説は、歴史を知ることによっていまの時代をより客観的にみることができることを教えてくれました。小説に取り上げられた人物は、坂本竜馬西郷隆盛などの有名人に限らず、今まであまり知られていなかった人々も多く、そのなかには医学に関係する人たちも含まれています。
さて、今回紹介する『胡蝶の夢』は、膨大な司馬小説の中で「医学」を取り扱った小説です。大学の授業では無味乾燥に思えて嫌いだった医学史が、こんなにも面白いものかと夢中になって読んだころを思い出します。
この小説は、江戸時代幕末のオランダ医学(蘭学)が長崎から広まり始めた時代を背景にしています。蘭学者、松本良順とその弟子・島倉伊之助を主人公にして、長崎で日本に初めて体系的に西洋医学を紹介したオランダ人ポンペとの交流を主軸に物語が進んでいきます。江戸時代には漢方医学一辺倒であったなかから、蘭学・西洋医学が勃興する過程が歴史的事実にそって描かれています。
この小説のなかで、ヨーロッパにおける病院の成立について次のような一節があります。
「本来、病院はその社会の歴史的産物であり、ヨーロッパで成立した病院の思想はまずカトリックの医療思想や制度を祖形とする。
ポンペの僕のオランダの市民社会で成立した病院は、病人を病人としてのみ見る。原則として、病人の身分の高下や貧富は、病院の門を入ればいっさいその優性、劣性の効力を失う。
良順はポンペにこの話しを聞かされて、夢の国のような感じを持った。
江戸体制は身分制度で成立しており、医師にも大別して4段階ほどの身分があり、医師たちは自分の所属する身分ごとにそれに見合った身分の患者を診るのである」
そして江戸幕末(安政5年、1858年)に大流行したコレラ患者を身分・貧富に差なく長崎で自由診療したポンペの医療行為を通じて、身分制度で固く閉ざされていた江戸時代の社会に錐でもみ込む様ように西欧の平等思想が浸透していく過程が描かれています。
こうした江戸時代末期からの医療の歴史的変遷を淡々と記述しながら、司馬さんは読者に自ずと現在の日本の医療制度や医学教育、患者対医師の関係を理解するうえでの基本的なヒントを歴史的事実から与えてくれます。
たとえば、江戸時代に医官と呼ばれていた診療医(そのほとんどは漢方医でした)が、僧侶の容姿をして威張っていた理由を次のように述べています。
「王朝の頃には、真言宗天台宗の祈祷僧が、昇殿の資格はなくとも天子や后妃に近づき、時には祈祷のためにその肉体に触れ、出産に関する祈祷の場合には産道に触れたりもする。そのことは僧侶が浮世の人ではない約束事のうえに成立しているのだが、医官が貴人を診療治療する場合、考えようによっては祈祷僧と類似するということで、僧形をとらせることにいつのほどかなったのであろう」
そして、「江戸時代は、とりどりの権威がたがいにせめぎあい、畏れあい、相手をみて卑屈になったかと思うと、居丈高になったりすることで、ふしぎな調和と秩序が保たれており、威張るというくだらなさが、江戸期の人間どもをどれだけ卑小にしたかわからない」と今の官僚制度への批判に通じるような指摘も随所にみられます。
今回読み直してみて、学生時代に読んだころの印象とずいぶん異なりました。それも司馬小説が深い含蓄に富んだ構成と、歴史と人物に対する確かな視点をもっているためだとおもいます。
「人と人がたがいに縁によって結ばれれば、影響を与え、また受けることになる。他人に与えた影響の総量がその人の一生の価値を決めるといっていいかもしれない。」