わたしと明日のおしゃれなカンケイ

スタイリスト&エッセイストの中村のんの日々、印象に残った出来事。

柳本浩市さんのこと

発売されたばかりの「Casa BRUTUS」を買った。特集「収納のルール」。
この中の118ページに見開き紹介されている柳本浩市さんは、ご自分が取材されたこの本を手にすることなく、3月4日に46歳という若さで天国に旅立たれた。

私は柳本さんのことをよくは知らない。
昨年初めてお会いしたときを入れて、4回しかお会いしたことがない。
しかも、そのうちの2回は道ですれ違っただけだ。

けれど、人は100回会っても印象に残らない人がいる。何度会話を交わしても親しくなった気がしない人がいる。
その反対に、1回しか会ってないのに強く印象に残る人がいる。少ししか話してないのに、共感し合える人がいる。
そういう意味で、柳本さんは私にとって、明らかに後者の人だった。
そして、よく知らないながらも、「大好き」と言いたい人だった。


柳本さんが突然他界されたことを知ったのは3月7日のことだった。フェイスブックでだ。大きなショックを受け、ものすごく動揺した。
急逝された二日前に柳本さんは金沢で感激した食のことを書いておられ、亡くなられる前日にも社会に向けたことを投稿されていた。



少ししか知らないのに、私が知っている限りの柳本さんのことをどうしても書き残しておきたい気持ちが抑えられず、キーボードに向かっている今です。


私が柳本さんと初めてお会いしたのは昨年(2015年)5月のことでした。
9月に私が原宿でやるイベント『70's 原風景 原宿』と並行して、8月に発売する写真集『70'HARAJUKU』の記念イベントとして、代官山蔦屋書店でも70年代原宿の写真展をやらせていただくことになり、その打ち合わせの場で蔦屋の方から紹介されたのでした。

柳本さんはとっくに有名な方だったのに、無知な私はこのとき初めて「柳本浩市」をいう名前を知ったのだった。
その場の前半では、私がなぜ「70年代原宿」にこだわるのか、その話に黙って耳を傾けて下さってた柳本さんだった。
途中、柳本さんがポツンと言われた一言に、突然興味を惹かれ、そこからは打ち合わせそっちのけで身を乗り出し、柳本さんに質問しまくった私だった。

小学生の頃から山梨の甲府から一人で電車に乗って、原宿に遊びに来ていたこと。
当時「原宿の表玄関」と言われていた、今や伝説の喫茶店「レオン」に、小学生ながら一人で入っていたとこと。
幼稚園の頃から、実家の本屋に並んでいる本は、雑誌を含め、すべて読破していたこと。
小学生の頃からサザビーズのオークションに参加していたこと。
リュックサックの中には親も知らない札束が入っていたこと。

ありとあらゆる情報をスクラップすることは幼稚園児の頃からやっていたという話。

代官山蔦屋書店に並んでる以上の本を所蔵されていること。


そんな話を聞きながら、次から次へと質問しまくった私でした。
芝居やコンサートに行って渡されるチラシもすべて持ち帰り、インデックスを付けてスクラップしているという柳本さんに
「たとえば、NODA MAPのチラシ、主役は宮沢りえ、衣装がひびのこづえの場合、それはどのインデックスに入れるんですか?」とお聞きしたら
野田秀樹、NODA MAP、宮沢りえ、ひびのこづえ、可能な限り、そのすべてです。そのために、同じのを10枚もらってくることもあります」という答えにのけぞりました。

「たとえば、世の中にコレクターが山ほどいる切手、そういう平凡なものも集めているんですか?」とお聞きしたら
「ブルータスの切手特集で紹介された切手は、ほとんど僕のものでした」と、少しも自慢げでなく、さらりと答えらえた柳本さん。

あまりにもつまらない誰もが捨ててしまうようなものも集めているのを知って、「なぜ?」とお聞きしたら
「山ほど作られていて誰もがすぐに捨ててしまう物こそ、この世に残らないでしょう。でも、そういう物こそ、この世から消えた将来、その時代を象徴するものになったりすることもあるんです」と。
そう仰る柳本さんは、私がそのとき制作中だった写真集「70'HARAJUKU」にもとても共感してくださったのでした。


日々更新しながら作っているスクラップのすべてをスキャンしてクラウド化することが夢だと語っていた中で、とても印象的な言葉がありました。

「たとえば、70年代原宿のことを知ろうと思ったら、『70年代』『原宿』というワードを打ち込んで検索しますよね。でも、僕はそこにエモーショナルな要素を入れた検索方法を考えているんです。たとえば『せつない』という感情にヒットする『70年代原宿』の情報といった感じに。
僕が目指しているのは情報の、いわばDJなんです。DJは、楽しい曲とか寂しい曲とか、場の空気や人の感情を読み取って曲を選ぶでしょう。僕は情報のそれをやりたいんです」
「情報を集めまくってクラウド化することについては、幼稚園の時から考えていました」
「えええ???柳本さんが幼稚園の頃は、コンピューターもまだなかったでしょ?」
「ええ、でも、なんか、いずれそういうものができることを、なんとなく知っていた気がするんです」
ただただ絶句だった柳本さんとの初めての会話。
そして帰り道は、自分がやる企画のことよりも、柳本さんから聞いた話がものすごい熱で心の中に充満していたのでした。

その日のうちにフェイスブックで繋がり、
私が運営するサイトの中の70年代の原宿の思い出を語るリレーエッセイ「思い出のあの店、あの場所」に参加してほしいとお願いしたら、二つ返事でOKを下さり、「クリームソーダ」に関しての原稿と画像をすぐに送ってくださったことを思い出して、改めて感謝すると共に、図々しくもお願いして本当によかったと思っている今です。

柳本さんのエッセイのページ→http://www.nonnakamura-presents.com/relayessay/boutique/kouichi-yanagimoto-creamsoda/

柳本さんのコレクション資料。

エッセイを書いていただくことに関しては、何度かメールを送りあいました。


2回目にお会いしたのは、私が9月にやったイベント「70's 原風景 原宿」の会場、バツアートギャラリーに、柳本さんが、ふらりと現れてくださったときでした。入り口に展示した、マイク野上さんが撮影された70年代原宿の風景、柳本さんにとっても私にとっても「好きな街」の前で一緒に写真を撮りました。

会場で受付をやってくれてた友人に、「柳本さんは、スクラップ帳を4万冊も作ってるのよ」とご紹介したら、「いや、40万冊です」とやんわり笑いながら訂正なさった柳本さん。
一度しかお会いしたことがない気がしない柳本さんと「今度ゆっくりお食事でも」と言い合いました。

そして11月。
原宿神宮前の交差点でばったりお会いして、このときも「今度、ゆっくり」と言い合いました。

翌12月。
今度は、キラー通りワタリウムを出たところでまたバッタリお会いしました。
「よく会いますね〜」と言い合いながら、このときはちょっと会話しました。

ちょうどこの日の数日前、谷川俊太郎さんのお孫さんの夢佳ちゃんと食事をしていて、そのとき、「祖父は物への執着心がない人で、自分の著書さえ、残してないんです。でも、孫として祖父のアーカイブをきちんと整理しておきたいと思ってて、でも、どうすればいいのかわからなくて」という話を聞いて、「まずは柳本浩市さんに相談するのが一番いいと思う」と言い、翌日すぐに柳本さんにフェイスブックのメッセージでその件を打診したところ、
「夢佳ちゃんなら一度、お会いしたことがあるので知ってます。お役に立てると思います。いつでもご連絡ください」とお返事をいただいた翌日くらいだったので、お互いに「やりとりをしたばかりのところに偶然ですねー」と言い合っていたのでした。
「谷川さんの件は、いつでも相談に乗りますよ」と、そのときも仰ってくださった柳本さんでした。

ああ、でも、谷川俊太郎さんのアーカイブにご協力いただくことは永遠にできなくなってしまった。。。。
図々しくも「柳本さんの事務所に遊びに行ってもいいですか」とお聞きした時、快く「いつでもどうぞ」を仰って下さってたのに、その「いつか」が訪れることはなくなってしまった。。。。

数回しかお会いしたことがないながらも、思い返せば、私がお願いしたことすべてにたいして、「いいですよ」「いつでも」という言葉を即行返してくださった柳本さんでした。
そのことに柳本さんの人柄のすべてが現れているような気がします。


ブルータスの記事の最後には、取材された方の言葉で
「いずれはデータ化し、広く閲覧できるようにしたいと考えている柳本さん。スキャンするだけでも相当な時間がかかりそうだが、ぜひとも実現を目指してほしい」
と書いてある。
私と会話する中で、「計算したらスキャンするだけでも、自分一人の作業だと100年かかる」と仰ってた柳本さん。
柳本さんの夢を実現させてくれる人なり機関なりが現れることを切に願い、祈りたい気持ちです。


今日は、柳本さんの告別式が執り行われました。
参列できなかった私ですが、「記録すること」「残すこと」の大切さを熱く語られていた柳本さんを思い出しながら、ブログに書き残すことで追悼に代えさせていただきます。

幼稚園児の頃に、「クラウド化」できる未来を予測していた柳本さん。
「現在」と「未来」と「過去」を境界線なく、同時に捉えながら日々を送られていた柳本さん。
柳本さんの頭の中の時間軸は、私のような凡人には計り知れないスケールだったことと思います。
そしてまさに、時間軸のない世界に旅立たれてしまった柳本さん。
「安らかに」と告げるよりも、「どうか今度はそちらから、たくさんの人の元に、インスピレーションという名の未来に必要なメッセージを、放射線状にガンガン送ってください」と言いたい気持ちです。
柳本さんなら、あちらの世界にいっても、絶対できそうな気がするから。