わたしと明日のおしゃれなカンケイ

スタイリスト&エッセイストの中村のんの日々、印象に残った出来事。

植田正治LOVE!

4月16日から渋谷のアツコバルーで開催されている『「あの時代(とき)のホリゾント」植田正治ファッション写真展』
http://l-amusee.com/atsukobarouh/schedule/2016/0416_3617.php

昨日はそこで行われたトークショーに出演しました。
お相手は、植田正治のファッション写真において欠かせない存在だったスタイリストのはたきみえさん。
そしてスペシャルゲストに菊池武夫先生。
私は、意外にもこの場が初対面となるお二人のつなぎ役、トークのナビゲーター役としての参加でした。



植田正治さんがファッション写真を撮られるようになったのは70歳になってから。
きっかけは、1983年に発表された菊池武夫さんのブランドの広告でした。
そのきっかけを植田さんに与えたのは、アートディレクターの植田さんの息子さんである植田充さんでした。タケ先生は充さんとは、60年代からの遊び仲間だったそう。


写真家・植田正治の大ファンだったはたきみえさんは、その広告を見て、植田さんは、こういうお仕事もされるんだ!と思い、すぐに植田さんにお仕事をお願いしたそう。

最初にやられた山川惣二さんのポートレートのお仕事


そして、そこから何年間も植田さんのスタイリストとして多くの時間を過ごすことになったそうです。
1988年には、L'UOMO VOGUEの日本特集の号が「植田正治のファッショングラビア」に多くのページを割きました。(ほんの一部をアップします)




もちろんこのときのスタイリストもはたさんです。



私が植田正治さんがお会いしたのはたった一回。
双子の息子たちが子供のファッション雑誌『セサミ』のグラビアページで植田正治さんのモデルに起用されたときでした。
当時、彼らは5歳。スタイリストはもちろん、はたきみえさんでした。

そのときのヴィンテージプリントは、我が家の末代までの家宝です!

昨日、会場に来た息子たちを砂丘ホリゾントの前で、植田さんの写真と同じ並びで撮影しました。

これは会場にいらしてた写真家の達川清さんが撮ってくださった息子たちと私。
砂丘にでジャンプする親子!滅多に撮れない嬉しい写真、嬉しい!



はたさんは昨日、植田正治さんとお仕事した頃の「撮影ダイアリー」を会場に持ってこられました。
それを見たら、なんと!息子たちが植田さんに撮られた日は、30年前のまさに昨日と同じ月日の4月22日でした!
でも、その驚くべき嬉しい偶然をトークで言い忘れてしまったことをあとからものすごく後悔(>_<)


テーブルに置いてあるのははたさんの撮影ダイアリー3年分。

1日1ページを20年間、20冊のダイアリーがあるそうです。
スタッフの名前からモデルのサイズを書き込み、ポラロイドはもちろん、お弁当の包み紙からチケットに至るまで、その日の記録を貼り付けたノートは、もはやアートでした!
はたさんが、いかに愛をもってお仕事をやってこられたか、同業者として頭が下がる思いでした。
そして個人のダイアリーの枠を超えて、今や、ファッション撮影の歴史資料としても貴重です。
誰か本にして!あ、私か(笑)




植田さんとお仕事をされていた頃のはたさん。
「愛されていた理由」がわかる気がしますw



一般的に「ストイックな孤高の人」とイメージされがちな植田正治さんですが、
はたさんが語られた植田さんの実像は、「子供のように好奇心旺盛で、マイペースで、ニュートラルで、お茶目で、とてもオシャレな方」だったそう。

はたさんのお話を聞きながら、「実像・植田正治」と「実像・菊池武夫」が、私の中でかぶりました。
トーク後、会場に来ていた何人ものカメラマンたちから次々に撮られながら、「なんだか遊ばれてますね(笑)」と、なんだか楽しそうなタケ先生でした。




終わったあと、参加してくださったみなさんから「とても楽しかった」と言う声をたくさん聞けて嬉しかった。
そして、今日、参加してくれた友達が電話で「植田正治の作品に囲まれて、はたさんから植田正治の軽やかな人柄を聴きながら、タケ先生の柔らかいお人柄と、はたさんのチャーミングさがミックスして、会場がとてもピュアな雰囲気に包まれていて、なんとも気持ちのいい時間だった」と言ってくれたことでとても幸せな気持ちになりました。

昨日は、植田正治さん、充さん親子も、天国から、タケ先生とはたさんが出会い、お話をしている様子を見て、喜んでくださってる、そんな気がしてならなかったです。

タケ先生、はたさん、そして、この写真展のディレクターである写真家の五味彬さん、アツコバルーのスタッフのみなさん、ご参加くださったみなさん、本当にありがとうございました!