わたしと明日のおしゃれなカンケイ

スタイリスト&エッセイストの中村のんの日々、印象に残った出来事。

『YACCO SHOW 』の凄さ

1月14日〜2月12日まで、約一カ月間にわたって新宿のBEAMS JAPANのB GALLERYで開催された『YACCO SHOW』が大盛況のうちに終わりました。

箭内道彦さんがアートディレクション、鋤田正義さん撮影の立派なフライヤーには
「日本第一号のスタイリスト高橋靖子。その真髄と生き様」と書かれ、
サブタイトルに「Let's enjoy my Dream Box!」と書かれています。

そう、この展示のコンセプトは、スタイリスト歴50年、75歳高橋靖子の「ヤッコのビックリ箱」だったのです。

売り場とガラスの壁で仕切られた会場に展示されていたのは、
ヤッコさんの昔の写真。
ヤッコさんが友達と撮ったスナップ。
ヤッコさんが撮影のときに持ちだす仕事道具。
ヤッコさんが保存してきたコンサートのバックステージパス。
ヤッコさんが著者からサインをもらった書籍の数々。
ヤッコさんがスタイリングした、清志郎さん、布袋さん、リリー・フランキーさん、中村達也さんの衣装(すべてミュージシャン)
ヤッコさんが、イギ―・ポップにサインしてもらったバッグ。
ヤッコさんが、デヴィッド・ボウイにサインしてもらったギター。
等々。





ここ数年、「デヴィッド・ボウイのスタイリスト」として、あちこちのメディアで紹介される機会も多いヤッコさんですが、来場した人たちのほとんどは、ヤッコさんの交友の広さにまずはビックリしたことと思います。

ご存じの方も多いと思いますが、私がヤッコさんと出会ったのは、17歳、高校生のときでした。
当時、ヤッコさんは32歳でしたが、既に「日本で一番の大御所スタイリスト」であり、スタイリストという職業が大人気だった時代の「時の人」でもありました。最初は一ファンだった私が、ヤッコさんのアシスタント(最初は専門学校に通いながらのアルバイト)になったのは18歳のときでした。
この写真はその当時のヤッコさん。
ヤッコさんの赤ちゃんのオムツを替えたり、保育園の送り迎えをすることもあるアシスタント生活でした。

そして、私が毎日通っていたヤッコさんの自宅兼事務所の原宿の静雲アパート(この建物は今も健在です)。

ヤッコさんは私にとって、血を分けた家族の次に縁の深い人。
約45年間、ヤッコさんの側で、その「人生の歴史」を見続けてきた立場として、その交友の広さや多岐に及ぶ仕事の幅が、今更ビックリするものでなかったのは当然です。
私の「ビックリ」がみんなとは違うものであったことを、ここに書き留めておきたいと思います。

改めて言うまでもありませんが、スタイリストの仕事は「裏方」です。
世間が思っているほど華やかなものでもありませんし、自分が表に出ることなど滅多にない仕事です。
仕事の結果は、「カメラマンの作品」「アートディレクターの作品」「タレントの顔」「企業の広告」として世に出ます。スタイリストは名前がクレジットされることはあっても、「スタイリストの作品」として認知されることも、まして顔がでることなど滅多にありません。そこが同じファッションを扱う仕事でも、ファッションデザイナーとも違うところです。

スタイリストの大御所であるヤッコさんといえども、日常でやっていることは「裏方のコツコツ」の連続です。
そんなヤッコさんがドカンとやったイベントの展示会場にこれでもかとばかりに貼られていたヤッコさんの顔、顔、顔。
そして、コンサート会場を出たら誰もがすぐに剥がして捨ててるはずの、バックステージパスの数の凄さ。

スタイリスト歴50年のヤッコさんがやられてきたポスターやファッショングラビアの展示を期待してきた人にとっては、意外な展示だったことと思います。
ヤッコさんの家から持ち出した本棚の中に、参考になるファッション関連やロック系の本を期待してきた人にとっても、宇野千代さんや佐藤愛子さんのサイン入り本だったことも意外なことだったかもしれません。

ヤッコさんと一度でも会ったことのある人は、必ず「まるで少女のよう」「可愛らしい人」と言います。
小鳥のさえずりのような声、柔らかい話し方、恥じらうような笑みをたたえた表情は、たしかに昔の映画にでてくる(今ではあまり見ることのできない)少女の姿を彷彿とさせます。
でもでもでも、私は今回、はっきり感じたのです。
ヤッコさんがヤッコさんであることの凄さは、普段はコツコツしていながらも、「いざとなれば、自分を全面に押し出すことを辞さないエネルギー」にこそあると。

昔から「私はスタイリスト界の宇野千代を目指すわ」と言い続けてきてるヤッコさん。
宇野千代さんは、かなりの高齢になられてからも「私は死なないと思うんです」といつも言われていたことでも有名です。
そして、90歳を過ぎてベストセラーをお出しになった佐藤愛子さん。
このお二人を尊敬してやまないヤッコさんのエネルギーが、「スタイリスト」の枠を超えたものであることをまのあたりに実感した「YACCO SHOW」でした。



最終日を飾ったのはヤッコさんとチャーのトークショーでしたが、
進行役を務めたビームスの藤木さんが「ヤッコさんは運がいい人ですよね」と言ったのを受け、チャーが即座に、
「いや、オレはそうは思わない。デヴィッド・ボウイやT・REXにも会えて仕事ができたのも、ヤッコさんがアクションを起こしたから。あの時代にロンドンに行ったのも、ヤッコさんのアクション。そのアクションがなければ叶わなかったこと」(運が向こうからきたわけじゃない。運を掴むためのアクションを起こしたから、といったようなこと)をきっぱり答えたのが印象的でした。

他の人がなかなか真似できないヤッコさんの凄さは、そのアクション力であり、生涯変わらないであろう、そのミーハー力。そして、20年ほど前にヤッコさんが「カネボウヒューマンドキュメンタリー」で大賞を取ったときに開いた祝賀パーティのタイトルが「パチパチパーティ」だったこと、著書のタイトルが「私に拍手!」(幻冬舎)だったことからもわかる、「自分、大好き力」にこそあり!と思っている私です。
(「コツコツ」だけだったら、できる人はたくさんいる)



私はオープン初日(私の誕生日でした)、リリー・フランキーさんとのトーク野宮真貴さんとのトーク、チャーとトークした最終日の計、四回、会場に足を運びました。
そのときの様子を、ヤッコさんのフェイスブックからいただいた写真も交えてここにアップしておきます。

オープニングパーティには私は参加しませんでしたが、
ヤッコさんが大大大好き&大尊敬の鋤田正義さんとのツーショット。
めちゃめちゃ嬉しそう。

リリーさんとのトークには、山本寛斎さんもいらしていました。

野宮真貴さんとヤッコさんの共通のお友達として来場されていた丸山敬太さんと手塚眞さんとの記念写真には「のんちゃんも入って!」とヤッコさんに呼ばれて私も参加。

サプライズで中村達也さんがドラムを叩いた日には私は行けませんでした。

チャーは15歳のときにヤッコさんと出会って
私は17歳のときにヤッコさんと出会って
私は20歳のときにチャーと出会って
それから続いているそれぞれの関係。
時代について、思い出について、ヤッコさんについて語りながら、随所で同意を促すように、最前列に座っていた私の目を見ていたチャーと、「ヤッコさん、ありがとう。これからもずっとお元気で」、そんな思いを共有していたような気がしています。



会場で私の作った写真集を販売してくださったビームスさん、ならびに、Bギャラリーの藤木さん、設楽洋社長にも心から感謝申し上げます。
ちなみに、表紙の写真は、ヤッコさんと50年の仲の染吾郎さんが撮られたヤッコさんと山口小夜子さん。



それぞれのゲストとのトークの途中で何度も
「これからの私の夢は本を書くこと。それも、戦争体験も含めて、今までとは違うタイプの本を」と宣言するように言っていたヤッコさん。執筆することは、リリー・フランキーさんもトークで仰っていたように「99パーセントが体力勝負」。どうか、これからも健康第一で夢の実現に向かって、得意のコツコツを続けていかれることを祈ります。

ヤッコさんが歩んでこられた人生の凄さを知りたい方は、2015年に出版したこの本をお読みください。
時をかけるヤッコさん

こちらの文庫本も購入可能です。
表参道のヤッコさん (河出文庫)

いつか「私にとってのヤッコさん」についての本を書いてみたい気もしています。
ヤッコさんみたいに「私、絶対、書くわ!」と言いきれないところが、私の弱さであることを、ヤッコさんと出会ってから約45年、実感しっぱなしです(笑)。