忘却庵 oblivion

2016-05-02 『楽屋』フェスティバル

梅ヶ丘Boxで「『楽屋』フェスティバル」を観る。

清水邦夫の『楽屋〜流れ去るものはやがてなつかしき〜』は、清水の代表作というだけでなく、様々な劇団による上演数の多さでは現代演劇随一だろう。
個人的にも木冬社(1996)、新宿梁山泊(1998)、兵庫県立ピッコロ劇団(秋浜悟史追悼、2005)、シス・カンパニー生瀬勝久演出、2009)とそこそこの数を観ている。
今回も18劇団が参加し、同じ劇場、同じ舞台、ほぼ同じ装置と照明という条件で女優と演出の競演を繰り広げている。
主宰の燐光群の「燐光群アトリエの会」版は南谷朝子の演出で、プロンプター止まりのまま芽が出なかった女優Aに樋尾麻衣子、女優Bに松岡洋子を配役しコミカルな味わいを出す一方で、ベテラン女優Cに中山マリを置くことで女優として生きる者の業を、新人女優Dに宗像祥子を置き若さ持つ無邪気さと狂気の紙一重をそれぞれ巧みに対比させていた。
ある意味、オーソドックスな『楽屋』に仕上げていた。
女優CとDは別キャストもあり、女優Cを川中健次郎が演じる回が観られなかったのが残念に思われた。
これに対して清水邦夫主宰の木冬社の流れを汲む「演劇企画火のように水のように」は女優Aに越前屋加代、女優Bに新井理恵、女優Dに関谷道子ら木冬社のメンバーを、女優Cに文学座八十川真由野を配役、演出にニナガワ・スタジオ出身の菊地一浩を置き、清水邦夫演出とは異なる静的な『楽屋』に仕上がっていた。
特に木冬社では女優Cを清水邦夫夫人松本典子が演じ“なるほど一番怖いのは、女優になれなかった幽霊や狂人の執念ではなく、そこに陥ることなく舞台に立ち続ける女優の妄念にも似た業だな”と納得させられたが、
今回は燐光群アトリエの会版が、女優として線の太い中山マリ(文学座から三十人会、自由劇場、ザ・スーパーカムパニィという経歴は彼女ならではだろう)に女優Cを演じさせること(台詞でもふれられるが、還暦を過ぎて『かもめ』のニーナを演じる厚かましい女優だ)で清水・松本が意図しただろう『楽屋』を踏襲しようとしていたのに対し、木冬社の後継である演劇企画火のように水のようにでは、舞台女優としてはやや線の細い八十川を配役することで意識的松本典子の記憶を払拭しようとするかのような印象があったのが興味深かった。
オリジナルや燐光群アトリエの会では女優Cが好む酒がブランデーで、凶行に及ぶ際の凶器がビール瓶だったのが、演劇企画火のように水のようにではワインペリエに変わっていたのも、両者の女優像の変化が表れていて面白かった。

18劇団の通し券が10,000円と格安で出ていたが、今の学生にはこれでも高額で、できれば半分の9劇団5,000円通し券の方が学生等若い観客の集客が期待できたように気がした。

2015-03-26

『古川ロッパ 食べた、書いた、笑わせた! 昭和を日記にした喜劇王』河出書房新社

古川ロッパ論を寄稿したムック本『古川ロッパ 食べた、書いた、笑わせた! 昭和を日記にした喜劇王』(河出書房新社2015年2月27日)が刊行されました。
同書は古川ロッパの文章や座談、彼について書かれたものを集めた一冊で、これで小説や文学論などの一部を除けば、ほぼ俯瞰できる内容になっている。
正確には、古川ロッパは俳優名に「古川ロッパ」、筆名は「古川緑波」を用いたので、書籍タイトルは『古川ロッパ』よりも『古川緑波』の方が相応しいような気もするが、それは一部の拘りに過ぎないだろう。

宝塚歌劇でも採用されたという演劇人の戒め「ロッパ楽屋用いろはかるた」も含まれている。

古川緑波喜劇人としては珍しく筆が立ち、優れたエッセイを残したが、その反面、他者の代筆によるもの少なくなく、資料となる過去のエッセイ等を手渡して「あとは上手くよろしく」と万事任せて校正も見ないことがあったとされる。
当時を知る演劇関係者、実際に代筆を行ったという複数の人物に話を聞いたことがある。

とはいえ、基となる文章を提供したあたりが活字に対する緑波の真面目さでもあり、他の喜劇人は材料となりそうな話を二言、三言話して全てお任せが当たり前だったという。

そういう時代だったのだろう。

個人的に今回掲載された文章は、一点を除いて、緑波自身の筆によるものだと思う。
一つだけ、どうにも怪しいと思っている。
が、それは余程の緑波マニアや研究者だけが気になることだろう。うん。

さて、私が寄稿したのは評論の中の「ナヤマシ会から笑の王国へ」と略年譜で、評論では拙稿の他に

岸田國士「ロッパの「楽天公子」」
原健太郎「緑波と映画」

が掲載されている。

岸田國士劇作家の、あの岸田國士である。
まさかこうして岸田國士と原稿が並ぶことになろうとは、私も原健太郎氏も予想外のことである。
因みにこの三人には共通項があるのだが、それが分かる人は親しい者以外にはおるまい、と。

いずれにせよ近年の復刻によって、榎本“エノケン”健一が映像を残し、古川“ロッパ”緑波が活字を残すという状況が漸く出来上がったのは嬉しいことである。

2015-02-26

『古川ロッパ 食べた、書いた、笑わせた! 昭和を日記にした喜劇王』河出書房新社

古川ロッパ論を寄稿したムック本『古川ロッパ 食べた、書いた、笑わせた! 昭和を日記にした喜劇王』(河出書房新社2015年2月27日)が刊行されました。
同書は古川ロッパの文章や座談、彼について書かれたものを集めた一冊で、これで小説や文学論などの一部を除けば、ほぼ俯瞰できる内容になっている。
正確には、古川ロッパは俳優名に「古川ロッパ」、筆名は「古川緑波」を用いたので、書籍タイトルは『古川ロッパ』よりも『古川緑波』の方が相応しいような気もするが、それは一部の拘りに過ぎないだろう。

宝塚歌劇でも採用されたという演劇人の戒め「ロッパ楽屋用いろはかるた」も含まれている。

古川緑波喜劇人としては珍しく筆が立ち、優れたエッセイを残したが、その反面、他者の代筆によるもの少なくなく、資料となる過去のエッセイ等を手渡して「あとは上手くよろしく」と万事任せて校正も見ないことがあったとされる。
当時を知る演劇関係者、実際に代筆を行ったという複数の人物に話を聞いたことがある。

とはいえ、基となる文章を提供したあたりが活字に対する緑波の真面目さでもあり、他の喜劇人は材料となりそうな話を二言、三言話して全てお任せが当たり前だったという。

そういう時代だったのだろう。

個人的に今回掲載された文章は、一点を除いて、緑波自身の筆によるものだと思う。
一つだけ、どうにも怪しいと思っている。
が、それは余程の緑波マニアや研究者だけが気になることだろう。うん。

さて、私が寄稿したのは評論の中の「ナヤマシ会から笑の王国へ」と略年譜で、評論では拙稿の他に

岸田國士「ロッパの「楽天公子」」
原健太郎「緑波と映画」

が掲載されている。

岸田國士劇作家の、あの岸田國士である。
まさかこうして岸田國士と原稿が並ぶことになろうとは、私も原健太郎氏も予想外のことである。
因みにこの三人には共通項があるのだが、それが分かる人は親しい者以外にはおるまい、と。

いずれにせよ近年の復刻によって、榎本“エノケン”健一が映像を残し、古川“ロッパ”緑波が活字を残すという状況が漸く出来上がったのは嬉しいことである。

2015-02-13

筒井康隆『繁栄の昭和』文藝春秋――喜劇女優「高清子」

筒井康隆『繁栄の昭和』文藝春秋――喜劇女優「高清子」


表紙を見て「これは・・・!」
と思ってパラパラめくるとやっぱり「高清子(こうきよこ)」

スバラシイ装幀なので購入。
筒井康隆の本を新刊で購入したのは中学?高校?以来だと思う。

大御所は生きてる内は寝かして読む方が面白いのポリシーに反した。

電車の中で「附・高清子とその時代」だけ読む。

筒井夫人は高清子にそっくりらしい。
夫人自ら似てると認めるのだから、確かだろう。
しかも夫人はベティちゃんにも似ているとか。
ベティ・ブープ伝』はそういう理由での関心と出版だったのか。

本によれば高清子は主に戦前にエノケン劇団や映画で活躍した女優で戦後は劇団「新風俗」に出演した。
戦前、二十歳の時に同じエノケン劇団の正邦乙彦と結婚する。
正邦は後にジプシーローズを発掘して有名になる、毀誉褒貶激しい人物だ。
高は彼の正妻として、戦前戦後を正邦の母親や子どもの面倒を見ながら、とかく苦労したという。

なぜわざわざこれを書くのかというと、かれこれ15年以上前だが
私は「高清子の娘」を名乗る人物から電話を貰ったことがあるからだ。
おそらくは当時カジノ・フォーリーについて書いた論文を知っての電話だと思うが
穏やかな平日の昼に受話器を取ると、粋なり高齢の女性の声で

「初めまして、私は高清子の娘なんですが、母について何か知っていたら教えてくださいませんか?」

と早口で言われたのを覚えている。

当時、高清子につていはプログラムで名前を知る程度だった私は、咄嗟に
戦前のエノケン関係のプログラムや、戦時中のムーラン・ルージュ新宿座で名前を見かけること
映画『エノケン魔術師』に出演していること
戦後も新風俗、池袋アヴァンギャルドという軽演劇の有力劇団に名前があるので、
軽演劇女優としての確かな信頼と一定の演技力の評価があっただろうこと
以上のような内容を、あたふたと電話口で話した。
「高清子」という変わった名前だったので、プログラムなどで見かけて印象に残っていたのが幸いだった

「ありがとう御座います。何か他に分かったら教えて下さい。」

と言われ、電話番号を教えて貰い、私は急いでバイトへと出た。。
が、結局その後も高清子についてめぼしい新情報がなかったことと
電話のせっかちなで押しの強い声を再び聞くことが何だか億劫で
とうとう連絡をしないまま今日にいたってしまった。

筒井康隆が調べている、となれば娘さんも喜ぶだろうと思い電話番号を探してみたが
当時の手帳やノートに電話番号の記載はなかった。
また日を改めて探してみるが、大掃除したり、引っ越ししたり、それ以前に整理整頓の意味が分からないし
といった生活なので、今更見つける自信がないのが反省される悔やまれる。
20代の頃は、ここまでマイナーな、忘れ去られた人々ばかりの世界に首を突っ込んでいるとは思ってなかった。

高清子について知りたい、もしかすると本を書こう、といった出来事はおそらく今後ないだろうし
少なくとも筒井康隆といった有名人が向こうから関わってくることもないと思う。
情報が集まって、評伝が出れば嬉しい。

繁栄の昭和

繁栄の昭和

2015-02-08

公開シンポジウム 浅草オペラの音楽・舞踊・演劇

浅草オペラシンポジウムを開催します。


基調講演:小針侑起 (浅草オペラ研究家)「大衆と共にあった浅草オペラ
シンポジウム
  毛利眞人(音楽ライター)「浅草オペラから昭和レヴュー時代にかけての音楽的変遷〜佐々紅華を中心として〜」
  杉山千鶴早稲田大学教授)「芸術か?エロティシズムか?〜浅草オペラの舞踊〜」
  中野正昭(明治大学兼任講師)「常設館興行からみた浅草オペラ


日時 2015年3月1日(日) 13:30〜16:30
会場 早稲田大学小野記念講堂(小野梓記念館 地下2階)


主催:近代日本のダンスを考える会
問い合わせ: modern.japan.dance@gmail.com
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