見世物小屋@花園神社 二の酉

11月14日(月)
今年は靖国神社の御霊祭へ行けなかっただけに、花園神社の酉の市は欠かせなかった。特に大寅興行社が仕切る花園神社ではお峰太夫小雪太夫の共演が観られるので、入方興行社が仕切る靖国神社の今風の見世物とは異なる、往時の禍々しい雰囲気が微かに漂うのが嬉しい。

夜の9時過ぎに駆けつけ最初の見世物は、小雪太夫の悪食。ちょうどこの回から新しい蛇にするというので、PTSD間違いなしのウルトラハード・バージョン(このフレーズももう聴けない)、今回は幸先が良かった。

小雪太夫 悪食
アマゾネスぴょん子 蝋燭
お峰太夫 火炎の術
超能力蛇の硝子抜け
双頭の仔牛のミイラ
手品箱 引き寄せの術
ニシキヘビ 

ニシキヘビは初代・花子が東日本大震災で亡くなった(享年13歳)らしく、5歳のチョロ太(名前うろ覚え)と8歳の花子2世。今年も脱皮した皮を無事にゲット。

入方興行社の興行主・入方勇氏が亡くなられ、いよいよ最後の見世物小屋となった大寅興行社。まだ三の酉があるが、少しでも多くの人が観て、見世物小屋の禍々しさ、猥雑さを記憶にとどめて欲しい――と書くと重くなるので、軽い気持で行って欲しい。さて、今年も授業で告知したが、学生はどのくらい観に行ったやら。

立川談志逝去

11月23日、立川談志立川流家元逝去の報をテレビで知る。
寄席に頻繁に通った学生時代はあまり機会に恵まれず家元の高座を生で聴いたのは数える程しかなかった。が、幸運にも、2007年の早稲田大学演劇博物館企画展『古川ロッパとレヴュー時代』で直接お話をすることが出来た。当時同博物館の助手としてロッパ展を企画担当した私に同僚が「いま展示室に立川談志さんが見に来てますよ」と教えてくれ、これはッ!と大急ぎで駆けつけてみると、ポロシャツ姿の普段着の家元が確かに居るではないか!!

恐る恐る「立川談志さんですよね?」と声を掛けると、
「うん、そう、あたしが立川談志、あなたが中野さん?」と気さくに答え、ニコニコと話をしてくださった。

当日はロッパ展関連イベントとして映画『ハリキリボーイ』上映、古川清氏の講演、齋藤晴彦氏のロッパ日記朗読が予定されていたこともあり、

談志「いいね、盛況だね、これだと何時頃から並んだらいいかな?」
中野「……もし宜しければ関係者席を一つ御用意しますが」
談志「いや、いいよ。並んで観るつもりで来たんだから(13:00からのイベント開始に対し、家元は博物館開館の10:00からいらしてた)」
中野「今日は学生の他にお笑いマニアも多く何かあったら事ですので、是非」
談志「(ポロシャツをつまみ)こんなんだから分からないよ、それにサインしてくれって言われても場所が場所だからそんな非常識な奴ぁね……」
中野「是非、関係者席で!!!」

学生やお笑い好きの一般客と一緒に列に並ぶ立川談志――この光景も捨てがたかったが、ここは職務に徹して関係者席に座っていただいた。

展示室で他の観覧者を気にしなが小声で、体験的な古川ロッパの話や日本のお笑い・ミュージカル史等をあの声と口調で色々と話して下さったこと、ここぞとばかりに2ショット写真をお願いしたら「ああ、かまわないよ、こんな格好でいいのかい?」と快く応じて下さったこと(気を遣って下さったのだろう。写真の家元はテレビや高座で眼にする毒舌家・立川談志らしくない笑顔、どこか固い笑顔だ)、映画『ハリキリボーイ』を席を並べて観たことは本当に忘れられない思い出となった。

世間的には毀誉褒貶が激しい毒舌家という印象があるが、個人的な感想として、「専門家じゃないんでずっと気になっててさ、分かったらこの機会に是非とも教えいただきたいんだけどね、×××っていうのはどうなの?」と、江戸っ子らしい言葉遣いに微妙に敬語を織り交ぜながら半分近い年齢の私にあれこれ質問してくる家元は、こちらが恐縮する程の折り目正しさと気さくさを兼ね備えたダンディストという印象が強い。僅かに面識を得ただけの私が言うのも憚れるが、直接会話をして感じたのは、立川談志という人物の持つ厳しさ・頑固さ・気さくさ、そして(年下でも感じる)妙な人なつっこさは、男として一つの憧れを抱かせるものだった。

『饅頭こわい』を聴きながら、ご冥福をお祈りすると共に、貴重なお話しをお聴かせ下さったことに改めて感謝したい。ありがとうございました。