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中野拓のブログ。書評や映画評を中心に。このページへのリンクは自由です。

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2012-05-10

アンデルセン 『絵のない絵本』

絵のない絵本 (岩波文庫)

絵のない絵本 (岩波文庫)



 飛行機がない時代、映画やTVやインターネットがない時代、世界は今よりずっと広かったはずだ。

 19世紀に異国を想うことは、どれほどに想像力を掻き立てたことだろう。旅への憧憬は、どれほどに強かったことだろう。

 この小さな文庫本は、貧しい画家と設定された語り手による短い序文と「第一夜」から「第三十三夜」と題されたの33の「超短編」から成る。擬人化された月が、貧しい絵描きに、一夜につきひとつずつ、ささやかなお話を語って聴かせるという設定だ。それぞれのお話は、3〜4ページほど。幾星霜どんな遠くの場所も観てきた月は、外国のあちこちの話をする。いろんな人が出てくる。でも、月が照らしだすのは、下品な異国趣味を満足させるような低俗なものではなくて、むしろ、泣いたり喜んだりする幼い子どもたち、芸術への熱情はあるのに才能がなくて孤独に自死した俳優、廃墟となった宮殿…、つまりは、確かに今この貧しい画家のいるところには存在しないし、ひとりで想像するのは難しいけれど、でも、間違いなく普遍的で時代を超えてゆくはずの他愛無いお話、ときに微笑ましく、ときに哀しい風景なのだ。

 月が柔らかな光で包み、優しく語ったいくつもの風景を、あるいは、古今東西の、ひとりひとりの人が普段の暮らしの中で大切に抱いてきた思いを、この貧しい画家はうまく絵筆で捉えて、絵にすることができただろうか。これについては、何も語られていない。けれども、間違いないのは、このアンデルセンの小品は、僕たちが読みながら常に、豊かな心象を描き続けることになる、まさに『絵のない絵本』だ、ということだ。

 (僕が読んだのは1975年改訳の岩波文庫版で、とてもチャーミングだったが、別の翻訳もいくつか出ている。ご自身のお気に入りを見つけてくださればと思う。)