乱読ノート ~出町柳から哲学の道へ~

イギリス思想史を研究する大学教員の読書ノートです。もともとは自分自身のための備忘録として設置したものですが、「隠れ名著、忘れられた名著に関する情報を学生の皆さんに発信したい」というささやかな期待もこめられています。

樋口陽一『一語の事典 人権』

「さすが樋口陽一!」と唸ってしまう隠れ名著。この人の本はいつもすごいが、この本は特にすごい。120ページ余りの小スペースに、「人権」という言葉が抱える様々な問題が実にコンパクトにまとめられている。

著者が繰り返し力説しているのが、「いちばん厳格な意味での人権の主体が人一般となった個人である」(個人の尊厳)という原点をくりかえし確認することの重要性である。とりわけ「法人の人権」という論点を考える場合に、このことの重要性がはっきりと立ち現れてくる。

1789年フランス人権宣言に結社の自由についての言及は含まれていないが、

実際、大革命期の人びとにとって、現にある結社とは、個人の解放を妨げている身分制集団であり、そうした結社の自由ではなく、結社からの自由をつらぬくことが、革命の課題そのものなのだった。(p.43)

「結社からの自由」と「結社の(結社する)自由」は等価ではない。前者のほうが人権にとって本質的である。そのことを忘れて、「結社=法人それ自体が自然人と同じ意味で憲法上の主体として扱われる」(p.44)ことを認めてしまうと、結社=法人――巨大企業、巨大労働組合、マスメディアなどを想起せよ!――が個人の自由を抑圧するという「社会的専制」(J.S.ミル『自由論』)への批判が困難になってくる。

「法人の人権」という考え方は、「社会的専制」からの保護の途をせまくしている。(p.85)

狭義の人権の観念がもつ思想史的意義のバーゲニングは断じて許されない。

以上のような著者の立場に対して、「人一般などどこにもいない。それはフィクションにすぎない」という批判もあるだろう。しかし、「大事なことは、そのようなフィクションのうえにこそ「人」権が築かれてきた、ということの積極的な意味合いのほうにある」(pp.58-9)と著者は主張する。そこから続けて著者は「近代」および「実定法学」の意味について次のように説き及ぶ。実に奥が深い洞察だ。

苦心さんたんしてひとつの壮大な建て前を編みあげ、それによって世の中を整序しようとするところにこそ、「近代」の持つ意味があった。理念史的にいえば神、国制史的にいえば身分制の社会構造という、頼りになるものをあえて取りはらったうえで、「強い個人」の自己決定と、その強い個人も触れてはならぬ基本価値とをひとくくりにして「人権」と呼んだ「近代」は、ことのはじめから、いってみれば危ない綱渡りを宿命づけられていたのであった。
つきつめればバランスをなくして墜落するおそれの大きい、そうした綱渡りを、ほどほどの所で賢明に処理する仕事が、実定法学、いみじくも iuris prudentia (法の賢慮) と呼ばれてきた人知の領域であった。(p.59)

こんな小さな本に、よくぞこれだけいろいろなことが書かれてあるものだ。

バーク研究にも益するところ大だ。権利論をめぐるバークとペインの対立は、「イングランド人の(古来の)権利」と「人間の(自然の)権利」との対立であったと言える。バークに強い共感を寄せながら行われてきた僕のこれまでの思想史研究は、実は、本書とは対極的な立場に位置している。今後の僕のバーク研究は本書をくぐりぬけた地点から展開されねばならない。

人権 (一語の辞典)

人権 (一語の辞典)

評価:★★★★★