★せつない年末年始をしたり、酒をしっかりのめるようになったり。


2010の年末、電話で、おかんと大ゲンカした。

号泣はたくさんあるけれど、、、、あれは号泣ではないとおもう。
泣きながらとにかく叫んだし。
まして、吠えたのは、生まれて初めてだ。
「うおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!」と、意味がゼロの言葉で、ボリュームMAXや。
 
一瞬、ヤクザぽい言葉も自然に発していたように思う。
世界中に響けこの声!と思って叫んでたし。
叫ばないと自分が消えて世界が崩れてしまう感じやった。
でも、さけびおわるたび、ご近所を気にしたりもした。
 
その日から、とにかく、ぼくの中での「おかん取り扱い説明書」や「家族観的なもの」が、大きく変わった。
 

病気はだれも悪いことしてないのに、大勢が傷つくと思う。

事故なら相手を恨めただろう。
事件でも相手を恨めただろう。
それをエネルギーに変えたりする人もいる。
誰が、何が、悪いのかもわからない。
 
よく自殺する人を身勝手というけれど、ぼくは、生きるのも同様に身勝手であると思うようになっている。
うまくいえないけれど、にんげんは、おおきなおおきな冤罪のまましんかしてきたきもする。
 
・・・今は2月で、空気もぬるみ、おかんと普通に電話で楽しくトークしたり、歯医者につれていったりもしている。
けれど、とにかく、不信の上に話しているし、話し込むと不審さが増すし、眠れなくなるし、うなされるしで正直いやや。
それでも、おかんの調子が良ければ嬉しく思う。
 

そして、ビールを1缶のめるようになった。

135mlの小さな、ゆび4〜5本分の高さの缶ビールを毎日飲んでいる。
ぼくは人生をすごく損じているきぶんになり、やさぐれたり、楽しくなりたいとおもった。
それで、しっかりビールを飲めるようになりたいとおもった。
 
心の中では、大人になったりやさぐれたりした気分でいる。
でも、たぶん、これはまだ大人ではなく、反抗期なのだろう・・・。
 

で、昨日、はじめて店で仕事の人と飲んだ。

仕事でせわになっているフレンドリー王のちっちと、のんだ。
トラブル掃除屋さんでもあるちっちは、ここ数年で、危険すぎて言えなかったキツイ話をいろいろ楽しく聴かせてくれた。
 
ぼくは、「どうしてそんなにつらい時、平静を保ってられたん?」て質問した。
そしたらちっちは、「それ以上につらいこといっぱいあったからかな」て、楽しそうな表情で答えた。
それで、ちっちと、6時間くらい『つまみを食べながら飲んで話しに花が咲く』的な状況になった。
 
6時間でジョッキ1杯というペースやったけれど、外で飲む楽しさを初めて知り、飲むための料理を味わえて、ちっちと話せて、よかったです。

おまけ

まえ、トリビアの泉バウリンガルを使ってオオカミの遠吠えを翻訳していた。
ぼくかて、まいにち、遠吠えしたい気分です。
オオカミが吠える気持ちちょうわかるし。
2010の年末以来、毎日、夢でうなされています。

とにかく、いま、ぼくはどうしたらいいかわかりません。

★おとんオバケと、おかんと、ぼく、畳の部屋に集合した時のこと。

死について、怖くて、書けなかった不思議な気持ちを書きます。

 
おかんは、福祉施設に住んでいます。
歩けるようになったけれど、しゃがむことが出来ないので、床から、自力で立てないからです。
 
たまにおかんを歯医者に連れてった帰りには、実家まで歩かせて、自宅を満喫させます。
 
そのとき、畳の部屋の、ホットカーペットにおかんをゴロンと座らせて転がします。
 
ぼくが、子どもの頃旅行から帰ると
「あーやっぱ、うちが一番!」といって、なきぼく一家は、その部屋でゴロンとしたし。
帰省するたび、畳の部屋でウトウトして、家の雰囲気を味わっていたからです。
 
今は、その部屋にゴロンすると、おとんのお仏壇があって、おとんの遺影がこっちを見渡して、家の様子をうかがっています。
 
 

そんな部屋で、おかんをしばらく休ませた後は、2人で立ちあがる練習です。

 
1月ごろは、立たせるコツもわからず、
おかんの手をひっぱっても、しゃがめないので、棒のようなおかんを、ずるずる引っ張りまわして、15分くらいかかって立たせました。
引っ張ってもずれないよう、おかんは、おとんの仏壇に足をつっぱって、ぼくが後ろから持ち上げたのでした。
おとんと、ぼくと、で、おかんを持ち上げたようなものです。
 
2月ごろは、YOUTUBEで、介護の「立たせ方」のコツをみて5分くらいで立たせられました。
 
3月ころは、YOUTUBEで、「半身まひでも立てる」的な動画を参考にして、ぼくが、指示しながら
おかんはほぼ、自力で床から、椅子におんぶするようにしてたちました。
 

家に帰るたび、おとんの遺影が見守る中、おかんの立ち上がり訓練をしました。

 
先月だったか、おかんがその部屋にいるとき、
ぼくも疲れたので、おかんと一緒にゴロンて転がって、おとんの写真をみあげました。
久しぶりに3人で話せる気分で嬉しかったです。
最近夢で見た『おとんオバケの言葉や近況』をおかんに伝えてあげました。
おかんは、おとんが夢に出てこないので、ぼくがいろいろ伝える係なのです。
  
「お仏壇に、死んだ人が立つときは、仏壇に背を向けて立つのが正式やてゆってた」とか
「おとんは、自分で自分にはオセンコあげないんやて、あげてもらう側なんやて」とか
「おとんは、テレビを移動したので、なんかちゃうってゆってる」とか
「家にだれもいないので、テレビばかり見ている。ここに座ってる。」て
 
・・・そんな話をしたら、おかんも、あの世のおとんが恋しくなったのか
写真をみあげたまま、おとんの話や死の話をします。
 

おかんは、たまにセンチメンタルになります。

もうこんな体では先が短いとか、ほんとうは死んでもいいのとかいいます。
 
その時も、
「お母さんも、あっち(お仏壇の中)に早く行こうかしら?」とか、
「・・・そしたら、なきぼくがかわいそうね。」とかいってきました。
そして、横にゴロンと寝てるぼくに、
「このまんま、一緒に、しんじゃおっか〜」て、、楽しそうにいったのです。
まるで
「今日のお昼は手抜きで『ぺヤング』でいっか〜!」 的に楽しそうにいいました。
 
ぼくは、いままでなら、そんなことゆうたらあかん!て叱って励まして、きましたが、
そのときは、おとんの写真と、横のおかんの笑顔みてて
つい冗談で
「べつに、いいよお〜」ていいました。
一瞬にうれしい感じもしました。
 

ぼくには、おかんのほかに守る家族もおらんし。

好きな仕事もしたり、つらいことも楽しいことも、
短いけれど、人よりたくさん経験したとおもっておるから
別に死んでもかまわんと思えたのです。
 
でも、おねんの家族や、ちびっこの事、いろんな人のことをかんがえたら、
ここで2人で死ぬわけにいきません。
 
ほか、いろいろ思い出して、おとんの写真を見たら
「ピッピと立て!」てゆってたので、
おかんに、そう言いました。
 
ぼくは、まだやりたいことがあるし、おかんもやるべきことがあるて、結論になりました。
 

でも、その時、一瞬でも、「いいよ〜」て思ったのは、とても危険やとおもいました。

きっと、心中とか、介護に関する自殺とか、殺人とか、こういう風景と
紙一重なんやとおもったからです。
 
いま、おかんとは、たまに会うだけやけど、
もしも、一緒にずーっと介護して生活して、いろんな感情に流されて
目の前の気持ちしか見えなくなったら、きっとぼくは
おかんと心中してしまうのではないか?と怖くなりました。
 

ぼくは、そういう事件は、辛くて起こるのかとおもっていました。

けれど、じつは、目の前のふとした、自分(たち)しか見えない
しあわせな気分がキッカケで起こる事もあるのもあるのかもしれないと思いました。
 
これは、意外だったので、ここに書いておきます。
今回はちいさな気持ちだったけれど、やがて、間違わないようにも、日記に書いておくことにしました。
以上です。
 
最近よくつぶやいている、ぼくのツイッターです

http://twitter.com/nakibokuhttp://twitter.com/nakiboku

★おとんのように o(・Ω・

すこし、嫌われるくらいのほうがいいんかな?て、今日おもったことのまとめ
 

ぼくは今年おとなになったとおもいます。

 じゃけど、気が狂いそうなほど、むいいってなる日もたくさんありました。
窓ガラスをみると、ばりーんてパンチで割りたくなる日もいぱいあってん。
足痛くなったり、蕁麻疹でやすくなったり、あごのニキビがなかなかひっこまん。
一人でカラオケもいったし、道でないたり、バイオリン買って気分落ち着けたり、プランターの土をトントンしたりした。
 
 人付き合いをして、いろんな人が居るというのはわかったけれど、いろんな人付き合いの仕方も、考え方もあるんやと思った。
 
平均的にはおとなになったかもしれないけれど、ぼくは、それで、うれしくもあるし、くるしくもある。
 
ぼくもおかんも、お人よしやし、控えめな性格やし、それを美徳とおもっている。
いまも、おかんからみたら、ぼくが積極的に人と会話している姿は、心配でならないらしくて、それがぼくを苦しめたりします。
 
この解決方法はないから、ときどきけんかしたり、あきらめるしかありません。
たぶん、ぼくが自立するのを心配して、おかんならではの、そういう心理になっているんやとおもいます。
 

おとんが亡くなって、なんでもズバズバ決断し、どかん!て怒って、家族をひっぱってきた存在がいなくなったので、世間のノイズが、どんどんおかんに押し寄せている事も分かる。

 
 親戚があれこれ、ぼくや、おかんに口出ししたり自分の都合や気分でズケズケと指図するのも、怖いおとんがいないからだ。
それに、おかんの心配を調えるダムがなくなったので、おとんのかわりに、ぼくがおかんの心配事を解決するとゆうより、びしっ!と気合い的なもので、仕切らなくてはならないのかもしれません。
 
おかんは最近記憶がまともになったけれど、性格は変わらず心配症で、よそからみたら、グズやし、、、ぼくも似たような性格やけど、、、おかんは今は行動も自由やないから、じゃから、結局、おとんが守ってきた、いろんな人付き合いのバリアや責任は、ぼくがやる事になるとおもいます。
 

そうなると、つまり、ぼくは、おとんのように、つよい人間にならないとあかんのではないかと、おもいました。

 
 人づきあいの大きな気の流れとか、気持ちとかの川が、ながれていて、それをしっかりおとんのように、手入れしないと、いろんな人が土足で、おかんやぼくの心の中まで踏み込んできて、まずいんじゃなかろか? 
 じゃって、、、一昨日一時帰国している、おねんが、最近すこしおとんに似てきて、おとんのようにちょっとしたことで怒ったり、怒鳴ったりしています。
ぼくは、それに気づいた時、おかんに面白半分に、
「ああやって、怒るの、おとんみたいじゃよねえ〜(おーこわ!」て2人でこっそり笑ったけれど、
だれかが、ああして、おとんのように、仕切らないと、ぼくもおかんも、ニコニコぐずぐずしてるから、しゃあないんかもって、おもった。
 
じゃから、笑ってないで、ぼくも、しっかりおとんのように物をはっきりいったり、怒ったり、断ったり、しなくては、、、と思いました。
 
人付き合いで、嫌われない事も大事やけど、時間や気持ちの整理整頓をしっかりして、斬るものは斬らないと、自分の人生や、大事な人をしっかりまもれないんじゃないか、しっかり生きていけないんじゃないか、とおもいました。
 
で、でも、そんなこといえるのも、すこし人付き合いができるようになってきて、気が狂いそうやから、そう言えるだけで、、、
きっと、上級者は、うまく「我を通す」事ができるのかもしれません。
ただ、うまく我を通すなんて、難しそうやから、すこしは、人に嫌われてもいいのかもしれないと、かすかに思います。
 
じゃって、ぼくのまわりの、仕事できる人とか、いろんな事積極的にガンガン行動しているひとは、どこかでだれかに、陰口たたかれていたり、あいつ我がままだっていわれたり、あいつのまわりはイエスマンしかいなくなってるとか、いわれてる…。
  
そのへんの加減、まだよくわからないけれど、ぼくは自分に自信が持ちにくかったり、ほっとくと一人ぼっちやので、人に嫌われるのが怖くてしょうがないので、今後大きな課題です。
いっぱい嫌われて、裸の王様のようになったりするのは嫌やけど、、、
じゃけど、悪いことをしてないなら、おとんのように、堂々として、物をはっきり言うのもひつようなのかもしれないとおもいはじめました。
それも責任ある行動の一つやないかとおもいました。
 

今年のしめ

・・・ひょっとしたら、今年の日記はここまでかもやけど、いろいろ、ここみてくださったり、気にかけてくださったり、アドバイスくださったり、今年もありがとうございました。
ほんまは、今日も、むいいってなっててな、、、いま、実家からもどってきて、日記かいて、すこしでも冷静に自分をみれたらと思って、書きました。
 
来年はもうすこし、また、大人なって、がんばります。
 
ひとまず、今年は、おかんが、劇的によくなって、かなり歩けるようになって、いろんな心配もできるくらい元気になったことが、なみだ出るほどうれしいです。
 
じゃって、去年の今頃は、おかんに通帳みせたら「さっき、緑の洗濯機にテレホンカードいれた」とか言いだすし、「おとうさん、生きてて触ったら熱あった。生きているのに葬式しちゃってかわいそう」とか泣きだすし、立たせるとペンギンみたいに頭から倒れて縫ったり折ったりやし。病院は、2カ月で出ていけっていうし、、、自販機の前に車いすで連れて行ってコイン持たせても、使い方が分からなくて、コインを持って不思議そうに空中に文字かいてるし、僕の顔だけ、嬉しそうに振り向くから、おら、ほんま、どうなるかとおもって、、、と、とっても、ものすごく、怖かってん。
じゃから、おかんよくなって、もとの心配症のおかんが遠い世界から帰ってきてくれて、おら、ほんま一番うれしい。ぐすん。
今後も大変やけど、ここまでよくなってくれたのにも意味があると思うから、めげずに、がんばります。

 

★おかんと大ゲンカした日 o(・Ω・´

先日おかんとケンカした。

おかんは、こころぼそいのか、ぼくが面会に行くと、施設のいろんな事を教えてくれます。
それは愚痴や悩みも含まれます。
おかんは、お人よしやけど、
昔から、ぼくにいろんな愚痴をこぼすことで安心しているから、
愚痴には慣れています。
 

その日、施設の人にぼくがよばれて、おかんの尿とりパットの備蓄が足りないので外出の時、買ってきてほしいっていわれた。

どうやら、おかんは新しい施設で、ベッドの手すり(さく)がないので、
腹筋を使って必死で起き上る時、尿漏れしてしまうらしい。
 
ぼくは、外出の時買う約束したけれど、近所にうってなかった。
施設に戻り、夕食の時にスタッフルームに行って「今日買えませんでした」って、謝って報告した。
 
そしたら、スタッフは「来週来れないなら、わざわざパット買いに来るのも大変だから
こちらで、今回だけ、立て替えて買っておきますね」て親切にしてくれた。
だから、ぼくは、おかんが、どんなメーカーの尿パットを使ってきたのか、
おかんの使い勝手や、生活行動、尿頻度の状態などやり取りして、今のパットの長さをはかってもらったりした。
スタッフとやりとりして、パットのサイズや量を確認した。
ぼくは、スタッフにたくさんお礼をゆって、よろしくお願いしますってゆった。 
そうしてる間に、30分近くかかってしもて。
 
そしたら、おかん、怒ってて。
「なきぼくは、なんでも余計な事しゃべりすぎ!」って。

ぼくは、カチンときました。

じゃって。おかんの家族は、実質、ぼくしかいなくて。。。
ぼくは知らないことばかりやから、、、世間話しないとだめなん。。。。
「知らない人ばかりの近所づきあい」も「苦手な親せきづきあい」もして、
名前をいっぱいおぼえて、たくさんお話して、たくさんお礼いったりして。
自分のことしっかり相手に伝えないと、助けてもらえないん。
じゃから、おら、ひきこもりで無口やったけれど、
おかんの周りの人とは、少しでもたくさんしゃべるようにしています。
おばさんたちの、しょもないギャグにも乗りツッコミしたり。。。。
お世話になってる近所のうちと、その犬にも、世間話して、お土産あげたりしてます。
 

ひきこもり治す時に学んだことがあります。

自分のこと相手に知ってもらう事が、円滑に生きていくには不可欠で
しょもない事でも知ってもらって、それと同時に、相手のことも知る努力するという事です。
そういう些細なことから、円滑な人間関係や、気持ちよく助け合える人間関係になってゆくって事です。
 
じゃから、ぼくは、この1年、おかんの事で、たくさんいろんな人とがんばって話してきたよ。
ぼくとおかんを助けてくれる「おかんの社会」や「ぼくの家族との社会」が消えないようにです。
 
それをおかんは、「くちかずがおおい。余計な事しゃべりすぎ」と言ったので
ぼくは涙でるほどショックで怒りました。
 
おかんは、ずっと地元で、親せきやご近所など、嫌でも人との絆があって、
そういう中では、口数すくないほうが、トラブルに巻き込まれなくて済むだろうけれど。
都会で一人でフリーランスで生きていくには、積極的に人と無駄なことまで会話しないと
いざという時、人のつながりが薄くなってて、助けてもらえません。
ぼくは、おかんを助けたくて、一生懸命ご近所さんや、スタッフとお話しているのに、
おかんは、それを良くないと思ってたなんてショックじゃった。
 
それで、大声でけんかしてもた。
「ぼくは、ひとりぼっちなんだよ!そうしないと、たすけてもらえない!!」て叫んだよ。
おかんは、少し理解してくれた。。。
 
それで、ぼくは最後に、
「余計な愚痴や噂話なんかをスタッフやお友達に言うことはありません。
でも、おかんの安全と健康に少しでも関することは
態度をあらためず、ぼくは、余計な事までがんがんしゃべってアピールします」
キリ!o(・Ω・´ て、いってやりました。
 

おまけ・最近お気に入りの曲どすえ。

Stare Into The Sun Music by Graffiti 6

★ひっこしがおわって、すこし、はしゃぎました o(・Ω・

おかんの施設の引越しが無事終わり、しさしぶりに仕事の関係の人と飲みました。

久しぶりに会ったひとたちに、おかんの事をいろいろ話した。
記憶も良くなり、歩き始めたことや、今は自由な施設に移動できたことなど。
おかんがよくなって、おめでとうって、いってもらえた。それで、乾杯してくれた。じーん
店に、遅れてきた人がくるたび、
「今日はなきぼくくんのお母さんの快気祝いもあるから、おめでとう!」て何度も乾杯してくれて、みんなでグラスをがちゃんがちゃんした。
もう、グラス的なものならなんでもよくなって、端立てなどをがちゃんがちゃんし始める人もいた。
 
去年倒れた直後は、仕事先の人には、重すぎてはっきりいえないから、軽く報告してた。
それで仕事の人たちは去年から「近々快気祝いしましょう」って、励ましで、ゆってくれてた。
けれど、ぼくは、そんなん、ずっとできないかもしれない…と思ったこともあった。
じゃから、なんじゃか、ほんま、おかん元気なって、こうして笑顔でおかんの事話せるようになってよかったです。
 
ぼくは、施設で見たいろんな心の事や、施設のお祭りのこと、可笑しかったこと、記憶の不思議、不思議な人の話などを、身ぶり交えて必死に話した。
みな興味しんしんで、きいてくれて、笑ってくれた。
 

「なきぼくくんが、立ち上がって話すなんて、めずらしいね!」て、しみじみ喜んでくれたりもした。

それは、フレンドリー王のちっちで、ちっちは、ぼくが心を閉ざしてた時期を知ってて、
ぼくをひきこもりから世の中に引っ張り出そうとしてくれた人です。
じゃから、たぶん、ぼくがこんなに、元気にしゃべるのを、みて、喜んでくれてるぽかった。

フレンドリー王は、いい人やのに、傷ついても世の中のごたごたにも凹まない人で、さまざまな知識や人間社会にどん欲で、がんがん人の中に入って、人間と人間を結びつけていく本能の持ち主です。
でも、いい人すぎて、一流のグローバルなビジネスマンを経験したのち、責任とってどん底を体験し、
いまは、その才能を、表から裏社会までのばしてます。
帰りの電車がいっしょになって、今日はずっと、トカレフの魅力と、日本刀についての知識をおしえてもらいました。
 
そんなちっちは、よく、ぼくの悲しい時期の事を、やんわり口にする。
他の人はあえて口にしないようにしてるけれど、ちっちは、普通に口にする。
ちっちは、すごいどん底経験しているからか、そのような悲しい話題は平ちゃらなようだ。
だから、ちっちは、ぼくの成長をずっとみてくれている感じがして、うれしいような照れくさいような感じがします。
 
裏も表もある人間やけど、ほんまに、本音と建て前も意識的に使い分けているようです。
しかし、建て前を通したのち、ちっちは時期が来たらしっかり本音を共感しあってる気がします。
なので、なんじゃか、建て前やハッタリやヨイショも、嫌味なく思えます。
ぼくも、飲みの席で、「ほんとうのきもち」を素直にしゃべって共感しあえるくらい、いろんな仕事の人となかよくなれたら、ほかの仕事場でも苦しくならずにすむかもしれない…とおもいました。
ぼくは、、「ほんとうのきもち」をいきなり伝えようとしたり、建て前の会話がへたやので、
少しでも見習えたらいいなとおもいました。
 
ちっちは、おとんの葬式にもきてくれて、おかんと会話したことがあるので、
おかんの事も、ぼくの事もきにかけていて。
きっとおかんに、「ちっちと飲んで、ちっちが、快気祝いでおめでとういってくれてたよ」て報告したら、おかんもよろこぶとおもいます。

★悲しみの先延ばし o(・Ω・

なんじゃか、ぴりっとしないけれど、おぼえがき。

おかんは、術後の6ヶ月くらいの記憶がなくて、夢の話しかおぼえてないから、
ぼくは、おかんの手術後にケータイで撮った痛々しい写真をプリントしてある。
海外のおねんに、報告するために、すこしだけ術後の写真が撮ってあったん。
集中治療室で頭に縫い目がある写真は、痛そうで目もうつろでつらそうでな。
その写真、おかんの記憶整理のアルバムの1ページめに置いてある。
 
たまに病室で眺めるようにアルバムにして置いたけれど、最近はもう安心して見てないようじゃった。
だから、先日、「これ、たまに見て記憶補完してな」て1ページめひらいたら、
痛そうなおかんの写真がでてきた。
ぼくはとっさに、「おかん、痛そう!かわいそう!ほら」て見せた。
おかんは、そしたら、なんでか、記憶がないせいか人ごとのように、こういったんだよ。
「おかあさんは、しぬのこわくないの。しんだらなきぼくがかわいそうだから、いきていたいの」
て。

ぼくは、その前の週だったか、深夜の海外ドラマ「ドクターハウス」を見てな。
たしか、末期がんの小学生の賢い女の子の話で。
ほんとは別の複雑な病気で、検査しなければ見過ごして早く楽に死ねる。
でも女の子は勇敢で、がまんして大手術を何度もして、
複雑な病気を治してほしいという。
でも結局がんだから、後1ねんくらいしか持たないかもしれない。
助かってももっとつらい抗がん剤治療を続けるって話があった。
ドラマの中で、正直者のハウス先生が、この手術しなければ、あと1年つらい思いをせず、
早く楽に死ねるて、賢い子にヒントをあげるのじゃが、
「今後のがん治療がつらくても母親のために、長生きしなくてはならない。
 そうすることで、母親がよろこぶから」って言ってた。
先生は、「悲しみの先延ばしか」て言った。

ぼくは、おかんも、ぼくが悲しむから生きているって言ったことで、
とっさに、本当にそうなのかもしれないと思ったから、
「そーだよ。悲しいから、(しんじゃ)だめじゃよ」てゆった。
 
それに、おかんが死ぬかもしれないていう時、
ぼくは、悲しいから連れて行かないでって、おとんのおぶつだんに必死でおねがいしたから。
そのとおりなん。
 
たしかに、ドラマのハウス先生の言ったように「悲しみの先延ばし」なのかもしれない。
でも、じっくりかんがえると、それは、病気だからとか、関係ないと思います。
 
じゃって、どんな人間も、やがてしぬから、先延ばしして毎日いきているきがします。
周りが悲しむから死ねないという人はたくさんいるとおもいます。
 
それと、今日、ツイッターの偉人の名言に、「愛されるより、愛するほうが幸せ」て書いてあって。
感慨深かったです。

と、とにかく、でも、悲しむから死ねないのと、そのほかにも、ほんまは、いろいろあんねんで。
みながみな、悲しみの先延ばしを目指すからには、なにか大きな意味があるとばくぜんとおもいます。
それを、しっかり、おかんにつたえたいです。
今の施設は、長く抗がん剤うちながら寝てる人もいます。
たぶん、そういう人みていると、おかんもおセンチになってしまうのかと思います。
  
そして、来週あたらしい施設にひっこしたら、おかんが、料理や手芸をして、
新しい場所でニコニコと、新しいお友達と楽しく過ごせればいいなと思います。
どうせ先延ばしなら、出来るんなら、希望とか夢のある、先延ばしできるうちは、そうしてほしいやんか。
じゃから、はやくおかんが、楽しそうに日常を過ごす様子をみたいです。
 
同様に、ぼくも、楽しそうに暮らしていないと、おかんがしんぱいするから、
なるべくめそめそしないで楽しくいきいきと暮らせるようになりたいです。

★おかん、最近「あたし」ゆうねん、、、o(・Ω・;

おかんは、家の鍵が欲しいとゆう。

ぼくが、実家で業者と庭の手入れの打ち合わせに行ったときや、
施設に行く前日実家にぼくがいる時、
「あたしも、なきぼくと実家にいく。じっとしてるから」って最近よくいう。
 
おかんは、記憶も歩行もしっかりしてきて、家のことが心配なん。
 
そして1年も家に泊まってないし、いろんな許可証ないと、自由に帰宅できひん。
元気になるほど、どんどんホームシックなってるぽい。
 
冷静に考えたら、もし自分が入院したとして、もうわりと元気やのに、
勝手に外出もできず、自分の家のものが1年もほったらかしで、家の鍵が手元になかったら、
家から閉め出されたような不安になるやろな。。。
たとえ、自由に家に帰れなくても、鍵をもっているだけでも、安心なんやろな。
1年も入院してたら、お見舞いの客も減ってるしな。。。o(・Ω・;
 
あと2週間で、実家からタクシー1めーたーくらいの自立支援の共同生活施設に入れる。
そしたら、施設の人と買い物いったり、料理したり、自分の家具やから、
すこしは生活感が出て、ホームシックも落ち着くとおもいます。
あと、その施設で、生活の訓練をすることで、いろいろ自分の限界や注意点もわかってくるとおもいます。
 

いまは、なんでもやってもらえる施設やから、何でも自分で出来そうな気分になってるだけです。

実際1歩外に出れば、50mあるくのがやっとで、段差もあるし、
自分でかばんを持つことも危ない。
じゃから、いまはつらいけれど、早く新しい施設で、
そういう自覚や生活訓練をつんで、はやく安心してあちこちいけるようになればいいなとおもいます。

立てないときは、立たないように5秒も目を離せないときもあったけれど、
立てるようになったらなったで、新しいこといろいろ挑戦する間は1秒も目を離せないので、しばらく大変です。

今週末は、親戚の法事です。

「家⇒寺⇒墓⇒レストラン」と術後最大の移動距離と、階段や砂利道、墓地では100mくらい歩くなど、いろいろあるので、しんぱいです。
でも、よくなてるから、うれしいです。
 

それにしても、、、

まえは、一人称が「おかあさん」やったのに、最近はメールでも電話でも、
「あたし」ていうていろいろダダこねるので、ほんまに子ども化してます。o(・Ω・;