同じ肌の色だった祖先

 江戸の寛永年間に生まれた人形劇団は今は11代目だという、飛鳥寺を作った人は現在40代目だという。飛鳥寺が建ってから1400年経つ。これらのことを踏まえて、1世代を30年と考えるのは妥当だと思う。10世代以上先祖を辿れる家族は少ない。しかし、100世代でも、1000世代でも。必ずいたはずだ。
 100世代前は3000年前だから縄文時代なのだ。文字がないので、名前を伝えることは難しい。
 必ずいるはずの100世代前の先祖は名前がついていたとして、字の天地(サイズ)を1センチで書くと、かなり遠くからでも読めるが、100世代は1メートルに収まってしまう。2000世代でも20メートルで書ける。
 2000世代は私たちホモサピエンスの先祖が初めてアフリカを出た時だ。ここを出た時、皆浅黒かった。肌の色は紫外線の強さで決まるからだ。ヨーロッパへ、アメリカへ、アジアへ、オセアニアに広がると共に、様々な肌の色の人たちができた。
 紫外線は身体に悪いものだがまったくなくても困る。他のビタミンは体内で作れないがビタミンDは皮膚で作られるからだ。日差しが弱いところで浅黒いままの人たちはメラニン色素が邪魔をして、ビタミンD不足で骨の異形成がおこり滅びて、白く突然変異を起こしたグループが生き残った。
 たかだか2000世代前は同じ肌の色をしていたのに、肌の色が白いとか黒いとか、黄色いとかで、差別しあうことが如何にばかばかしいかということが分かるだろう。民族も同じことが言えるはずだ。
探検家、医師 武蔵野美術大学教授 関野吉晴

2016.11.18付 公明新聞 すなどけいより