SF映画ベストテン 〜ナマニクの場合〜

ワッシュさん(id:washburn1975)の恒例行事、今年は
SF映画ベストテン - 男の魂に火をつけろ! 〜SF映画ベストテン〜
とのことで、参加します。
毎年の事ながら順不同です。俺の偏った映画鑑賞遍歴から選んだので当たり前だけど、お先真っ暗な作品かつ70年代末〜80年代初頭に集中してます。最近の作品はアナログ部分が少なくて作り手の個性が出にくいせいか、見てもすぐ忘れちゃうんだよなぁ。

エイリアン(1979)

劇場公開版の方が好きです。エイリアンの造形も一番好きかなぁ。2はドンパチ映画であって、SF映画としてどうなの?と思ってる。3は冗長、4はかなり理想的な構成なんだけど、ブラックジョークが過ぎる。

続・猿の惑星(1970)

無印ではなく、「続」の方。地底人がコバルト爆弾を崇めてるとか、マジでセンス・オブ・ワンダー。冷戦時代が熱いぜ!

イベント・ホライゾン (1997)

次元の彼方を描いたSFとしては、かなり良い線いってると思うんですね。グロいし。お気に入りです。

遊星からの物体X(1982)

SFっつたらお前、宇宙人の侵略だろうが!それにしたって「影が行く」読んだことはある人はわかると思うけど、どうやったらあの小説から本作に出てくるようなバケモンが想像できるのかと。

SF/ボディ・スナッチャー(1978)

もっすごい絶望感が素敵。俺だったら自ら望んで、速攻で寝ちゃうね。

アウトランド(1981)

宇宙のブラック企業ショーン・コネリーがどうにかするって、素敵やん?この映画は、もうちょっと言及される機会が増えてもいいんじゃないかなあ・・・・。

宇宙からのツタンカーメン(1982)

突飛なアイディアで勝負してくる低予算SFって大好き。これは日曜洋画劇場の思い出補正もあるんですけど、大好きな映画。ジェイムズ・カレンのB級味もいい。

ギャラクシー・オブ・テラー 恐怖の惑星(1981)

日曜洋画劇場補正に続き、こちらはビデオバブルの思い出補正入り。コーマン帝国関連作としてはかなり秀逸。ツヤツヤのロバート・イングランドの悪人顔とか堪らん。プロダクト・デザインにジェームズ・キャメロンだし、ナメんなよ。

ダーク・シティ(1998)

ほぼ同時期のマトリックスとどっちにしようかまよったんだけど、マトリックスは根底に流れる変な思想が気持ち悪いし、玉避けてる画しか思い出せなかった。それに比べてこっちはジェニファー・コネリーが可愛いし、ジェニファー・コネリーが可愛いし、ジェニファー・コネリーが可愛いから。

時計じかけのオレンジ(1971)

僕にとってこの映画は、いつまで経っても近未来。この先10年くらいは、まだ近未来じゃないですかね。

以下、検討中に思いついた作品。
スターシップ・トゥルーパーズ、第5惑星、未来世界ブラジル、バトルランナーミミック、レポマン、ソイレント・グリーン、ブレードランナー、ハロウィン3、華氏451スキャナーズブラックホールサイレント・ランニング
それからスターウォーズは元から検討対象に入ってません。告白するとアレ、何が面白いのかさっぱりわかんないんですよ・・・EP1,2,3,4,5,6どれ見ても途中で寝ちゃう。

以上でした。

やってることは第9地区とほぼ同じ「エリジウム」


「貧富の差がその言葉通り「天地」ほど離れてしまった世界で、不平等な世の中を正すために、貧乏人が立ち上がる」という大筋であるが、やっていることは第9地区からまったく進歩していない。

アホみたいにインフレを起こした特殊効果を存分に使い、オッサン同士の大人げない喧嘩を淡々と描く。

インテリ役人vs貧乏人という構図は非常に汎用的で、第9地区のアホな傭兵vsアホなエビvsアホな乞食&アホな役人というムチャクチャだったものに比べると、ぶっ飛んだ感触は薄らいでいる。
しかし、人体破裂、顔面破壊、四肢切断と相変わらず冗談みたいな(スラップスティックと表現した方がしっくりくるくらい)人体破壊描写は健在。
併せて高性能スタビライザーミサイル、電磁シールドといった未来的な武器に毎度お馴染みAKやら日本刀なんかも交え、第9地区同様のハイテクな乱闘劇が楽しめる。

正直、乱闘以外は第9地区以上にストーリーが荒すぎ。医療ポッドの設定やエリジウムのシステムやら殆ど解説されないし、あの強化骨格エクソスーツもイマイチ活用できていないように思える。しかし、この手のツッコミはきりが無いので、あまり深いことを考えずハイテク乱闘を頭空っぽにして楽しむが吉である。

第9地区の悲劇の役人、ヴィカス役のシャールト・コブリーが今回は雇われ傭兵役で「特攻野郎Aチーム」見せたキチガイ以上のブチギレ芝居を見せている。今回もまた全てアドリブの台詞なのか知らんが、個性が強すぎてマット・デイモンより印象的。彼の顔面崩壊っぷりも楽しい。

それにしても、貧乏な地球住民は英語とスペイン語を話し、裕福なエリジウム住民は英語とフランス語を話すというイヤミな設定はどうにかならなかったのか。

嫁とデート

最近の週末はお客さんが来たり、俺が足の指砕いたりとバタバタしていて、お嫁さんを構っていなかったので、今週はムッツリとデートをしてきた。
まずはアメリカン・ポップ・アート展。正直、ウォーホルとリキテンスタインくらいしか知らんかった。が、それで十分だった。

日用品・マスメディア・大量生産というキーワードでその辺にあるモノを思いつきでガンガン作り出していっただけに点数が多い。多すぎて、作品自体は大したものでなくても、パトロンが「コレスゴイナー!オマエスゴイナー!」と持ち上げているだけという感がある。

それでもそれなりに面白いんだけど、たとえばジャスパー・ジョーンズのなんかは、同じイメージやパーツを何度も使い回して、同じような作品を乱発している。手法ではなく、パーツそのものという点がどん詰まり感が苦しく思える。なんとなくダウンワード・スパイラルの頃のナイン・インチ・ネイルズの楽曲みたいな苦しさ。

大量生産にしても、もっとプレミア感だしゃいいのになぁ。っと安易に思ったのでした。


そしてそのまま神田に移動し、"うまうま"でホルモン・・というか脂を食べまくり。ここのホルモンはとても上質で美味い!大変満足なデートだった。

面倒だから体を全部機械化しちゃえよ「機械男」

機械男

機械男

機械しか愛せない男、コミュ障の超天才ギークのチャーリーさん。彼は<ベター・フューチャー社>に勤める優秀なエンジニアだったが、実験中、うっかり巨大万力で足を挟まれ片足を切断することになる。
会社の保険で手厚い医療を受けることになるチャーリー。コミュ障的才能を発揮させリハビリ師をも厄介払いする彼の目の前に現れたのは義肢技師のローラ。彼女は”現時点で最高の品質の義足”をチャーリーに進呈。それは確かにバランスも取りやすく”運動エネルギーを無駄にしない”効率の良い義足だったが、、チャーリーに取ってはローテクのヘッポコパーツでしかなかった。
そこで退院したチャーリーは、会社で勝手に義足を改造、どんな義足よりも高性能な<美脚>を開発する。あまりの<美脚>の性能の良さに入れ込んだチャーリーは”大丈夫な方の足”も自ら切断、両足とも<美脚>にしてしまう。
<ベター・フューチャー社>は、この事態に頭を抱えるが「いや、実は<美脚>ってすげえ儲かるんじゃね?っていうか、チャーリーって、すげえヤツなんじゃねぇの?」と、チャーリーに一大プロジェクトチームを預け、次々と”ベター”な製品開発に乗り出す。
そして、チャーリーは機械愛に同調した義肢技師のローラと恋仲に。
かくして、彼はコミュ障からリア充への一大変貌を遂げる。
しかし、一方で、彼は自らのチームが開発した義手に魅せられ「僕の今の手・・すごく不便だよな・・」と考えるようになる。
さらにこの裏には<ベター・フューチャー社>の腹黒い思惑が動き始めていた。

チャーリーは画に描いたようなギークで、着る服を選ぶことさえ携帯電話が無いと決められないガチのガジェット依存男。
そんなガジェット好きが男が、足切断を切っ掛けに自分の四肢をガジェット化することを覚え、それが暴走していく様が中心となる。

チャーリーはモトから自分でつかうガジェットを思いのままに作り出すことだけが目的で、チームを与えられても、何を命じるわけでも無く自分だけの研究に没頭する。
しかしチームは、チャーリーに触発され、<美脚>以降、各種高機能人工パーツを勝手に開発していくのだが、自分を自分たちで作ったパーツで改良して行くことに歯止めがきかなくなる。この様が徹底的だ。ただのズーム機能付きメガネが、ズーム機能付きコンタクトレンズになり、そのコンタクトが自由に瞳の色を変えられる<ベター・アイ>へと進化していく。さらに<ベター・アイ>の装飾機能をヒントに、ホルモン分泌を調整し肌や髪の状態を改良するパッチ<ベター・スキン>が制作されていくのだ。

神経接続される<美脚>の性能も圧倒的で、念じるだけで”その場所へ”連れて行ってくれる。危険回避のためなら20フィートの跳躍もし、その蹴りは2トンのSUV社も吹き飛ばす。

チャーリー自身が研究のために足をぶっちぎるような人間なので、あおりを受けた開発チームは自らの体を使った人体実験をも辞さない。
最終的には「異様に見た目が良いが、中身はギーク」というヘンテコ研究者チームが形成されていくのだ。これが<ベター・フューチャー社>の思惑やチャーリー、恋人のローラの秘密を巻き込み有機体ロボ同士の大喧嘩に発展していく様は圧巻。

誰しも自分の外見で気になる所を改良したいと思っている。たとえば歯並びが悪ければ矯正もするが、機械男の世界は違う。天才がなんでも作ってなんでもベターしてしまう。歯並びが悪ければ、歯をすべて<ベターな>パーツに全て取っ替えしてしまうのだ。急速に発展していく技術は倫理観を無視して全てをベターにしていく。本作の最後に提示される最終的に全てを<ベターに>した状態は、典型的なSFオチとも言えるが、唖然とすること受け合いだ。

本作は「レクイエム・フォー・ドリーム」、「ブラック・スワン」のダーレン・アロノフスキーで映画化予定されている。彼の初期作品「π」を彷彿とさせるこの「機械男」はお誂え向きであり、非常に楽しみである。

コインロッカー


1988年。俺が中学2年の時、学校の演劇部が文化祭の出し物で、こんな芝居を上演した。

ある女がトイレで赤ん坊を産み落とし、コインロッカーに入れ立ち去る。ロッカーの中でギャアギャアと泣く赤ん坊は、駅員の手によって無事保護され、孤児院に預けられることになる。赤ん坊は可愛い女の子だに成長し養女として、ごく普通に家庭に引き取られる。自分がコインロッカーに捨てられたことは知らされず育てられ、幸せな青春時代を過ごすのだが、高校生になった16の春に男と恋に落ち妊娠。結婚を反対された女の子は高校を中退し男と駆け落ちする。しかし、男が思うように仕事に就けず失踪してしまう。絶望する女の子。悩んでいるうちに妊娠5ヶ月を過ぎ、どうすることもできないまま駅のトイレで出産。子供はコインロッカーに入れ立ち去る。


場面は最初のロッカーの中に戻る。ここで唐突に神が登場し赤ん坊に問う
「これがお前の人生だ、それでも生きたいか?」
今まで見ていたのは、最初の赤ん坊の将来だったのだ。
赤ん坊は答える
「それでもいい、私は生きたい」
コインロッカーの扉が開く。

30分程度の芝居だったと記憶している。どこでどう間違ってこんな内容を上演することになったのか、脚本は誰が書いたのか元ネタはあるのか等は、未だに不明(ちなみにその時の演劇部は全員女子だった)。しかし、今で言う中二病が爆裂したような衝撃の展開に教師共はドン引き。職員会議が開かれ、「演劇部は廃部だー!」とある女性教師キレまくり、一方で「芝居とはこう言うモノだー!」という演劇部顧問教師が熱くぶつかり合ったとか合わなかったとか。結局、どうなったかは覚えてないんだけど、演劇部時代はつぶれること無く存続することになった。ただその後、どんな芝居を上演していたかは覚えていない。


これに俺はガツンとやられてしまい、主役の女の子に惚れて告ってしまうほどであった。そんなわけで、未だにコインロッカーを見るたびに、この芝居の事が頭をよぎる。
余談だが主人公を演じたこの女の子は、非常にレベルの低い高校に進学し卒業後、地元福島でキャバクラに勤めていた。成人式で聞いた話では、店のお客と結婚したとのことだ。