「グラゼニ」ED1

グラゼニ」ED1が好きだ。

ヒロインのユキちゃんが土手に座り、そのニコニコした糸目の視線の先、フレーム外の「何か」に一喜一憂し、やがてそのフレーム外へと移動していく。

決して派手さは無いのだけれども、視聴している我々に、その視線の先に誰がいて、何をしていて、どんな事が起こっているのか? 想像力を刺激され描かれていないフレーム外の世界を見せてくれている。

そんな90秒間なのだ。

 

絵コンテ:渡辺歩
演出:村田尚樹
作画監督:ALBACROW
原画:ALBACROW

 

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バンダイチャンネルで1話無料配信してた。

https://www.b-ch.com/titles/6128/001

ラブライブを見ていると、μ'sの中でも矢澤にこが気になるし目で追ってしまう。
何故だろう?
ウムムと考えた。


唐突だが、ラブライブにおける


「廃校危機→仲間集め→決戦(ラブライブ)」


この流れを誰もが知る、いや知っていなければいけない名作の類似系として、


「野武士襲来→『お侍、雇うだ』→決戦」


七人の侍に当てはめてみる。
すると、矢澤にこは誰か?
=菊千代(三船敏郎)である。


矢澤にこがアイドルに憧れ、なろうとするソレは、菊千代がサムライに憧れ、なろうとするソレだ。
憧れは誰よりも強いのに、ダンスや歌唱技術で抜き出る事は出来ず、コミックリリーフ側に回ってしまう様も、菊千代を彷彿とさせる。
10話で、「自分はお金持ちだ。料理なんて出来ない」と嘯いてみせる矢澤にこは、盗んだ他人の家系図を広げて見せ、侍である事を証明しようとする菊千代そのものだ。
5話における、部室にアイドルグッズや知識を溜め込むものの、誰も仲間がいなかった様子は、多くのオタク視聴者に


「こいつは、俺だ・・・!俺もこの通りだったんだ・・・!」


と、思わせ、視聴者自身をも瞬間的に菊千代にさせられてしまう有様だ。
成る程、だから俺は矢澤にこが好きなのかと納得。


七人の侍 [Blu-ray]

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タンデムLOVER

女子校。
更には戦闘用タンデマインのパイロット育成学校とくれば、我々男子は例え齢が三十路に達していようとも、淡く甘酸っぱいソレを、オトコノコの誰もが実は密かに隠し持っている乙女回路を全域フル稼働させ、その外宇宙が如くの神秘と未知で最後のフロンティアっぷりに夢想は膨張拡大し続けることを止めない有様なのである。
・・・我ながら1年近く前に書いた駄文でマクラ部分をお茶濁す事に躊躇無ぇ辺り、汚れちまった悲しみで嗚呼、お前は今まで何をしてきたんだと(以下略)*1


タンデムLOVER (まんがタイムKRコミックス つぼみシリーズ)

タンデムLOVER (まんがタイムKRコミックス つぼみシリーズ)



閑話休題
さて、「タンデムLOVER」です。
百合です。
女子校です。
戦闘用タンデマインのパイロット育成学校です。
そもそもコレを紹介するにあたって、造語である『タンデマインとはなんぞや?』とゆー問いを放置しっぱなしでダラダラとキーボート打ちつづけている事に今更気付く有様なのですが、自身の言葉で説明するよりか裏表紙の解説&イラストがコレ以上無いっちゅー位に簡潔明瞭ですわな。



読後、真っ先に


「こ…これは…
 趣味の世界だねぇ……」



等と、機動警察パトレイバー(漫画版)のプロローグにおける泉野明の台詞を思い出しちゃったものだけれども、同じ『趣味の世界』でも泉野明はイングラム(メカ)を指して言った言葉に対し、「タンデムLOVER」のソレは「メカと百合」という複合相乗効果によって『趣味の世界』度合いが増幅させられていまして、更にはそのメカが無骨で重たそうでオイル臭がプンスカ漂っていそうな量産機でスイッチとランプと計器類満載なキャラクター同士の密接感が高い復座型コクピットで・・・とかいったアレコレがあって、指している対象が1冊の漫画本に対しての『趣味の世界だねぇ……』と呟きたくなる感覚っちゅったら分かって貰えるかしらん?


例えば、連想させられる作品として前述のパトレイバートップをねらえ!シムーン*2なんかがあると思うんですよ。
知名度やらメディア的にそれらに並ぶ事は難しいかもしれないですが、個人的に並べて遜色無しと。
そんなん思わされた1冊でしたヨと。



さて、以下は難点を。
1話の「コダ×シマ」では従来のカサハラテツロー作品に沿った作画感なのだけれども、2話以降、スクリーントーンを削って描かれた(貼られた?)微細なレベルの影をキャラクターの表情やチョットした凹凸に当ててきている事によって、キャラクターの立体性、それに伴ったリアル寄りな作画感になる事には成功しているのだけれども、印刷された媒体として見ていてなんていうか『綺麗じゃ無いなぁ』(原稿の状態ではどうなのか分かりませんが)と思わされるのよね。
他にも、2話から作画のリアリティレベルが変わった事によって、1話で登場したシマさんが再登場した際、暫く読み進める迄、1話のシマさんだと気付けなかったとか。
更には「脳と筋肉」として役割分担が為のタンデム制御なのだろうけど、この1冊の中では『パイロット二人の密室的距離感』というドラマ部分としての機能はしていても、逆に『一人でも制御出来るんじゃないの?』*3って部分がチラホラ垣間見えてしまうのが難点かなーと。


まぁ、それでもやっぱりオススメなのですよ。
特に2話「クガワ×サナ」の二人がパートナーで無い事が、5話「ムラ×タリン」で最大限に効果を発揮してくる展開(ネタバレ反転→『恋人』と書いて『ライバル』と読ませる対決構図!!←反転終了)辺り、コテコテに思える様で新しさのあるキャラクター構図であり、その二人が相対する迄のボルテージの上げていき方には『変化球だけどド直球だ!!』とかいった矛盾的感想を抱いたものですし(笑)

*1:http://youtu.be/cig0xAUzEz4

*2:シムーン個人的に未視聴です聞きかじり知識ですスミマセン…orz

*3:勿論、効率良く動作する為には2人で制御する必要があるのだけれども

ドゥカティ・F1

エースをねらえ!2」8話より、
緑川蘭子のドゥカティ・F1








ドゥカティというブランドはバイクを手段や方法や道具としてでなく、『バイク』という単体の存在として扱っている。
そんな印象を常々感じさせられる。
残念ながら、日本国内のメーカーで同じ事が出来ている所は無い。
だからこそ、コストパフォーマンスだの、メンテナンス&トラブル頻度だの、大型免許必須*1だのといった障害を苦ともせず、その魅力に取り憑かれたドゥカティスト達が世界中で後を絶えないのだろうと。


そんな事をドゥカティスト(特に旧モンスター乗り)からは嫌われていそうなホンダ・VTR250所有の貧乏ライダーは思ったりするのよさね。
いや、だって壊れないしコストパフォーマンス良いし扱い易いんだもんVTRって。
いや、ドゥカの方がカッチョ良いってのは認めちゃうケドさ。


アニメバイク本―時代を駆け抜けたマシン達

アニメバイク本―時代を駆け抜けたマシン達

*1:中型免許で乗れるドゥカティも少数ですがあります。ハッキリ言って、ソレの人気があるかと言ったら微妙だけど。

ヤマハ・R1−Z

はじめの一歩(1期)」63話より、
木村達也のヤマハ・R1−Z






AKIRAの冒頭で


ピーキー過ぎてお前にゃ無理だよ」


との台詞があり、今思えば映画が公開された1988年という時代を反映した台詞回しだよなぁとか。
というのも、80〜90年代は未だ10代のクソガキ共がピーキーな・・・即ち、高回転でそのハイパワーな特性を発揮する反面、低回転ではスカスカなトルクで車体制御が難しく、慣れない内はエンストしまくりで両極端な性能だった・・・2ストロークレーサーレプリカやネイキッドバイクが市販車として入手し易い状況にあり、その恰もナイフみたいに尖った特性の2ストマシンは当然の様にヤンキーや暴走族にも好まれたもので、ウチが高校生だった当時、校舎前のロータリーに乗り付けては空吹かしして、そのカン高い排気音が鳴り響かせ、校舎から教師が出てくるとなるとトンズラしていく様を見たものだけど、昨今でもそういった文化(?)って残っているものなのかしらん・・・?


まぁ、さておき、馬鹿で無謀でキレ易いガキンチョと2ストバイクとゆー、火に油を注いだ様な組み合わせが今日日余り見られなくなっちゃった事が残念でもあるのよねぇ・・・。
そして、その組み合わせが再放送のアニメで久々見られて嬉しかったりしたのよね。

はじめの一歩DVD-BOX VOL.1

はじめの一歩DVD-BOX VOL.1

はじめの一歩 DVD-BOX VOL.2

はじめの一歩 DVD-BOX VOL.2

19話「そして・・・めぐり逢い」



イヤハヤ、この『手』による色気満載の芝居もさる事ながら、
『ダンとルノがキスしていたか否か?』
という疑問を残す見せ方になっていまして、この場面。
そのどちらとも受け取れるカット割り、見せ方が秀逸過ぎて、思わず
「お? オォォォォォ〜〜〜〜ッッッッッ!!!?」
なんて声出して感嘆してしまった次第だわ。

個人的見解だけど、子供視聴者からは切なくも爽やかな別れに、大人視聴者からは濃厚な別れに見えていたんじゃないかしらん?



比較にARIA3期最終回Aパートラストやら、夏目友人帳2期OPにおける『手』の芝居を参照。
http://d.hatena.ne.jp/namasutenohito/20090122


脚本:前川淳
絵コンテ:どじゃがげん*1
演出:日下直義
作画監督:野本正幸
原画:日下直義・野本正幸・中島大介・勝赤祥視・北村明美・安東信悦

*1:どうやらスタジオジャイアンツのハウスネームらしい? 詳細はこちら。

13期9話「カズマの子守歌」



脚本:伊丹あき
絵コンテ&演出:西田章二
作画監督&原画:丹内司
4月18日(日)午後5:50〜午後6:00再放送


さて、件の「カズマの子守歌」を紹介する前に、
前シリーズの12期における同、西田章二氏の絵コンテ担当回よりアレコレ抜粋。


・12期30話「こんじょうサッカー」より。
物語の主軸は中央奥の「こんじょうそう」側にあり、おじゃると子鬼達は傍観者という位置。
サッカーコート内と外という事もあって互いの関わり合いが殆ど無い。



・12期77話「カズマと多山」より。
物語の主軸はカズマ(&電ボ)→←多山のやりとりが主。
ストーリー進行に関与しないおじゃる丸がこのカット以外でも「動いている」事での存在感がやたら強い。



・12期81話「カズマに背負われどこまでも」より。
子鬼達がおじゃるとカズマの先回りをしようと、川越しの道を行ったり来たりするのだけれど、おじゃる丸が気まぐれで止まったり戻ったり遠回りしたりするので、いつまでたっても相対出来ない。



・12期86話「うすいさん もーそーする」より。
妄想内のお城に住むうすいさちよおじゃる丸が訪れ、それを追って子鬼達もやってくる。
距離が遠すぎて、うすいさちよおじゃる丸達が直接関わる事は無い。



・12期87話「電ボ くすりやさんに走る 」より。
序盤、物語の主軸は田村家の歯ブラシ達の会話。
電ボはそれを立ち聞き。歯ブラシ達と電ボが直接関わる事は無い。




さて、以降は「カズマの子守歌」です。


・カズマが先に寝てしまう。焦るおじゃる丸



・おじゃるの声により、電ボ起床&登場



・カメラが俯瞰から寄る。おじゃると電ボ、寝てるカズマとを写した構図で電ボとおじゃるのやりとり
(視聴者の視線が画面左側のおじゃると電ボに寄せられる)



・と見せかけてキチンとカズマがソレを聞いていておじゃるの言葉に反応してハの字眉
(眉の動きもSEも小さめ、視線が左に寄せられている視聴者にはカズマの反応に気付きにくい)



・カズマ片目開け
おじゃる丸より、一足先に視聴者へカズマが起きている事を気付かされるアクション)



・カズマ両目開け「寝てないから」と台詞。
(おじゃる→←カズマの対話がメインになっても、会話に参加しないものの画面隅に映っている電ボが二人の対話にしっかり反応していて、後々対話に入ってくる)




少し驚いたのが画面の手前と奥に物語の本筋と別筋でキャラクターを配置していた12期の各話に対し、今回は画面左右のキャラクター配置で、一度本筋から離脱したかに見えたカズマが物語の本筋に戻ってくるという事。
いや、サブタイトルで分かりきった事ではあるんだけれども、上記に提示したパターンを外したとゆー意味でね。


12期各話例がTV画面の一部にドラマ進行の注目を集めさせ、もう一方の空いていた部分を使って本筋に関わりないキャラクターを派手に動かす事により、画面を広く見させる感覚(又は物語を二重に読ませる感覚)なのだとしたら、この「カズマの子守歌」ではそれを逆手に取って「一瞬、視聴者にカズマが動いている事を気付き難くさせる」とゆー事をやっていて、その部分が舞台劇の上手下手(+照明とかもあるんだけど)のどちらかに視線を寄せさせる事によって「観客が見ていない場所」からキャラクターが大きい音を立てて登場する事でビックリさせられた感覚にも似た効果があり、ソレにプラスして本筋から外れた様に思えたキャラが戻ってきた! という感覚で物語に惹きつけられる部分があるのかもなーとか。


最もソレは絵コンテのみならず「台詞を発しているキャラクターに視線が寄ってしまう」という、リミテッドアニメを視聴し続けていた人にとって自然と「癖」になっている部分を利用した「視界に入っているけど見えにくい」という現象なのかも。
例えば、漫画において視線誘導のラインから視覚的に見える伏線を敢えて外しておく、みたいな。


そして今回紹介した「カズマの子守歌」と12期の各エピソードとの間には、同、西田章二氏コンテ回である12期90話*1「電ボ カズマをめざす」がありまして、そこでも「主人公が本筋から外れた様な」見せ方をしていて面白いんだよねぇ・・・っと。
遅くなってしまったので今日はここ迄。

*1:12期最最終回でもあります