きずな…

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『絆』には
縁(えにし)と同じ
糸の偏


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今年の流行語大賞は、『スマホ』が獲ったとか、獲らなかったとか。
まぁ、猫も杓子もスマホスマホだったから、別段、異論は無いですが。


片や、東日本大震災に関する諸所の大災を『3.11』として単語化する、など。
アメリカ文化への卑屈な睥睨が、見事に露顕しているなァ、と、言うか。
(いわゆる 9.11 世界同時多発テロからの再起への復興の誓いを意識したオマージュ)


日本国語の文化の下地が、英語圏に侵蝕されて。
何とも妙なカタチでの侵攻(進行)と崩壊に歯止めが掛からない実態が、如実に浮き彫りに。


そんな中。
いつの間にか決まりましたね、今年の漢字一文字。
つーか、毎年12月12日に発表される取り決めがあるんですね。
……今年、初めて、知りました。





絆。





まぁ、満場一致と云うか、然も在りなんと云うか。
誰に説明しても「あー」って納得されるであろう、磐石の結果。


なのですが。
今年の漢字一文字、って、有志の一般公募による多数決で決定するのだそうで。
ジャンプのマンガの人気投票と、おなじ程度の社会的集計価値しか、無いそうです。(笑)


個人個人、それぞれの意思、よりも。
単純多数決による話題性の集約、の方が、優先される社会学統計学)的データ。
……そんな御役所仕事の群集心理に祀り上げられた漢字一文字に、言霊が宿るモノかと思いつつ。


総数490,000余票の中で、60,000票が『絆』と回答した、とかで。
単純計算、8% 強。
ちなみに。
現行の野田内閣に対する最新の世論調査では、不支持が 51% 弱なので。
8% 強、と云う数字が、如何に少ない子供ダマシであるか、伺い知れようぞ。
……ィャ、比較対照の天秤が、根本的に間違ってるぞ。オレ。(笑)


例えば。
100人のヒトにアンケートを実施して『絆』と回答したヒトが、たったの8人しか居ない。
……机上空論値で、そんな感じの計算となりまス。


なんだか、テレビや新聞や雑誌を見ていると。
然も、一億人の総意によって『絆』が支持された、みたいな美談で飾り立てているのが。
何とも、稀有と云うか、珍妙と云うか、不気味。
大多数メディアの数字の暴力による、思想の統制的な印象操作も、大概にして欲しいと思いつつ。


そりゃ、まぁ。
2011年は、東日本大震災によって、人間関係の在り方の本質が問われた一年となりました。
今一度、自分の周囲の人々との在り方を、それぞれが模索する契機の一年となりました。
それまで、蔑ろにされて来た「人と人との繋がり」を、『絆』を。
それぞれが、見つめ直す節目の一年となりました。


お盆を、正月を、家族と共に過ごそうと考えるヒトが、増えました。
良い事です。
まさに『絆』の一語を、人々が改めて実感した一年であります。


否。
じゃあ、何故、去年は、その「人と人との繋がり」を軽視していたんですか?、……と。
去年まで、各々が『絆』に見向きもせず、手前勝手に生きて来たのは何故ですか?、……と。
個人的には、同時に、そんなコトも考えてしまいます。


過去、「人と人との繋がり」を、テキトーに考えていたヒトが。
今、「人と人との繋がり」を、大切に想うに至る道理を否定するつもりは無いですが。
未来、「人と人との繋がり」を、永く尊重できるか否かについては、大きな疑問を抱きます。


『絆』ってのは、糸の字が示す通り、過去から現在そして未来に繋がる一本糸です。
一本糸、……とは言う物の。
他の糸と結び付いたり、ほつれたり、切れたり、色々とあります。
決して、過去と未来が直結しているワケでは無いのが、人生の妙であり、数奇なのですが。


そんなに、『絆』が大切だと思う感受性があるのであれば。
どうして、大きな出来事が無いと、改めて意識しなかったのかなぁ、……と。


『絆』ってのは、そもそも。
平素、平日、平坦の中にあり、常々、感じ至るモノだからこそ、尊いモノなのに。
どうして、その尊いモノを、今の今まで軽んじて生活していたのだろう、……と。


誰が、どの面を下げて「今年は『絆』の大切さを……」なんて言えたモノなのだろう。
今年は、……では、無く。
生来、絆ってのは、過去から永劫の未来に至るまで、ずっと尊いモノであるハズなのに。


スマートホンなどの新時代の繋がりが齎す、一時的共有として行き来する、情報、愉悦、嗜好、交遊、は。
果たして、『絆』なのかなぁ、……と。
永劫、誰かにとって、誰かを助けたり支えたりする、生命線なのかなぁ、……と。
「人と人との繋がり」、なのかなぁ、……と。