新erasusさんへの反応#9

  「チベット大虐殺と朝日新聞」→「田母神俊雄擁護論(朝日新聞糾弾)」とタイトル変え)、田母神論文、朝日の北岡の記事。それに対する私の批評。erasusさんがこれらに対してトラバしてくださった。いくつかの重要なポイントがあった。
1) 航空幕僚長たる人間が民間の懸賞論文に提出するのを、孫子の兵法の観点からすると軽率であったという。説得力がある。一般に言われているように、政府と違う見解を航空幕僚長が述べたという次元の問題ではなく、航空幕僚長たる地位にあるものが、国家観など一般に発表する必要はない。黙っていればよい。黙って影で、政治家や官僚に働きかければよいということだが、まあ、そのような簡単なことではなさそうだが。少なくとも日本の手の内を見せる必要はなかった。そういう意味でもerasusさんが言われるように、自衛隊に「陸軍(軍科)大学院の設置が必要であろう。日本の軍事戦略を言論界を含めた総合的に研究する専門集団が必要だろう。先日、ある外務官僚の講演会を聞いた。オバマ政権獲得後の国際情勢、特に日本の外交がどうあるべきかというような話であった。彼は多くを語りすぎた。外交なんてものはこちらの手の内を教えてはいけないのだ。ロスに住む日本人に国際情勢を教えようという親切さは分かるが、それほど具体的な外交の裏事情を教える必要はない。恐らく我々に教えたのはどうでもよいようなものであったのだろうが、大分本音が出ていた。その意味からも、田母神氏の論文発表は軽率であった。彼は何ら法律を破っていない。シビリアンコントロールの基幹となるところを崩していない。彼がここまでの行動に走った気持ちはよくわかる。あまりにも政治家がだらしなく、警鐘を流したかった気持ちはよく分かる。しかし、更迭されてしまった以上、彼を支援する。
2) 田母神と論文に対する北岡批判は、保守の同士討ちである。これも納得。このような、保守同士のやり取りは、国際戦略上、好ましくない。特に北岡はなぜ、朝日新聞というまやかし新聞に田母神批判をしたのだろうか。北岡は北岡なりの自己保存戦略があったのだろう。朝日なら自由に保守を攻撃できると。そしてこの攻撃は保守陣営の中で、自分の立場を有利に展開したいという、姑息なものであった。これから、朝日に意見を書いた学者や政治家は再起不能にしてしまうぐらいの言論環境をつくるべきだろう(言論弾圧ではない)。北岡は自己保存のために、朝日は使えると思い、朝日も北岡を使えると判断したのだろう。ここで、読者の皆さん(といっても、ごく少数だが)、北岡が田母神批判をした、このことをしっかりと記録に残してもらいたい。朝日は20年後までもつかな。erasusさんも書かれていたが、地方新聞が元気を出してきたとか。ブログも2チャンネル程度の、程度の低いものではなく、しっかりとした論点にたって、言論界に進出していかなければならない。
3) 「知識のない者は、改革(チェンジ)という言葉に弱い」と、erasusさんは言う。私もつけ加えると、正義、愛、平和、進歩、夢、というような言葉も好きなようだ。先日、フィットネスセンターでの黒人と白人の会話を聞いて、アメリカ大衆のチェンジ幻想を再確認した。
白人(黒人に気を使って)「いや、今ドキドキしているんだよ。オバマによって国は変るよ」
黒人「そうなんですよ。これからお互いに助け合って(両手の指を重ねながら)頑張っていきましょう」
いつもなら、この黒人、ふてぶてしい顔をしているのに、その日に限って、実に愛想よく振るまっていた。たかが、フィットネスセンターの更衣室、別に外交の場でもないのにと思うと同時に、黒人の希望に燃える心意気も分からなくなくはない気持ちであった。
   さて、知識人は、時代に逆行する、「守旧派」、「保守派」になる人が多いという指摘、これも納得。現行の矛盾を正すために過去歴史に回帰しようとする。特に国粋主義者は「過去を設計」しようとする。これは確かに、保守が陥る欠点だろう。そこで、木庵も陥っていると言いたいのだろう。さて、どうなのか。私が最初にブログを書き出したテーマが「保守とは何か」であった。もう一度私の書庫から、そのテーマについて書かれている部分を抜書きしてみる。

保守、再考察
 もくねんじんさんが提示してくださった、Wikepedia の 「保守」 をじっくり読んでみた。私の保守に対する解釈は大まかなところで当たっていた。そして、以前から考えていた保守に対する考えが再認識され、また深められた。そこで、保守について、再考察したものを、以下述べる。
1)保守は反動ではない。反動とは現体制を盲目的に維持しようとするもので、保守の本流の考えではない。保守とは先祖が残してくれた、国土、文化、伝統、歴史を尊重し、それらが時代に即応して発展することを願う考えである。先祖が素晴しい文化遺産を残してくれたように、現代に生きる我々が後世に誇れるものを作り上げる。つまり、「保守は歴史の継続性を肯定し、未来を築くための努力を惜しまないエネルギーを内臓している」。
2)保守は革命や革新とは考えを異にする。特に革命とは完全に対極に位置する。なぜなら、革命とは歴史を否定する考えだからだ。革新が過去の英知を参考にしながら改革していくという要素があれば、保守の未来志向型の考え方と袂を同じくする。しかし、一般的な革新とは、歴史の縦の糸を切ろうとするので、保守と革新とは違う。
3)保守より、革新、革命が歴史を動かすエネルギーが強かったように思える。例えば、1918年に人類史上初めて誕生した革命思想・共産主義は、世界に強烈な地震波を送りこんだ。また、それを阻止しようとした、反共勢力・ナチスや日本の国粋的軍国主義も、歴史の継続性を否定した革命思想であった。
4)革新の考えは歴史を否定しようする。その意味で革新は革命と度合いの違いはあるが、同じ方向性をもっている。
5)保守と右翼は違う。ただ、このことを議論すると、複雑になるので、これ以上述べない。
6)3)で述べたように、保守は歴史上、革命、革新に比べ、影が薄かった。その理由は、歴史の縦の糸を裁断する革命や革新の方が、自由で未来へ飛躍するエネルギーが大であるからだ。 保守が現状を変えようとしても、過去の因習やしがらみに縛られ、未来を大胆に開拓できないという要素がある。
7)ところが、近頃、「自分は保守である」と、堂々と言える時代になった。それは、ソビエトの崩壊以降、共産主義という革命思想への幻想が取り除かれたからだ。
8)1930年代の日本の大学生の3分の1が共産主義者であり、後の3分の1はマルクスの「資本論」は読んでいる、容共主義者であった(のこりの3分の1はノンポリ)。戦前の共産主義者容共主義者は、国粋的軍国主義者と対立し、結果として、表舞台から振り落とされ、潜伏してその存在をかろうじて維持した。そして、戦後GHQの保護のもと、日本の言論界に躍り出た。GHQからすれば彼らの役割は。戦前の日本の指導者を追い出すための、猛犬にすぎなかった。ところが、この猛犬がGHQ体制そのものまで攻撃しだしたので、レッドパージ共産主義者を抹殺する工作に出た。QHQは一応自由主義を標榜しているので、共産主義者を戦前の軍国主義者がおこなったように、根絶までもっていけなかった。だから、戦後、共産主義を容認する社会構造を包含しているといえる。
9)石原慎太郎ゴルバチョフに対し、「世界の中で社会主義国家として成功したのは日本のみである」 と冗談めいたことを言ったが、実は的を得たコメントであった。
10)戦後体制を考える時、日本は自由主義社会主義の中間に位置すると考えられる。官僚主導型国家、つまり国権を主軸にする国家は、社会主義国家に近いのである。
つづく