2011-10-28
ついに酒を酌み交わすことが叶わなかった人へ
追想 | |
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先程、札幌の三上先生(id:elmikamino)からメールが入り驚いている。暗い予感というものは現れる、とは言いたくないが・・・。
以下勝手ながら先生から来たメールを一部引用させて頂くことにした。
南無さん
すでにご存知かもしれませんが、
(中略)××××という人からメールがあり、
(中略)死んじまったそうです。
9月11日に。衰弱死だそうで。詳細はわかりません。
引っ越し先の住所は誰にも知らせず、
こっそり、あの世に引っ越しちまいました。
あいつらしいです。
南無さんと三人で飲みたかった。
確かに彼のDiary(id:hayakar)は昨年の12月で終わっていたし大怪我のあと今度は内部疾患に見舞われていたことも「ただいま - hayakarの日記」に於いて窺うことが出来た。でも、あの若さ(正直言って正確な年齢は知らない)で、と絶句するしかなかった。訃報に接してもまだしばらくの時間、半信半疑状態でもあった。でも今は肯定せざるを得ない。
彼は4月4日のtwitterで以下のように呟いていた。疾患での苦しみが彼をして以下のように言わせている。
彼は気高い野良犬として生き抜いたのであって一度も負け犬であったことはなかった。なぜなら負け犬であれば私と呑みたいと思うはずがないからだ。それは野良犬である私が保証する。
哀悼!
2011-09-29
2011-09-27
秋になったが一挙に年老いてしまった
妄念 | |
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まだ働けるかな、と正直思っていたが、今はもう思わなくなった。またそういうことに気付かされている自分がいる。年だからと言ってしまうと身も蓋も無いが、今年の夏の暑さは相当堪えました。こんなにバテしまったのはいままでに無かったことだ。過去を振り返ればもっと暑い夏が沢山あった記憶があるが、他人事のようにしていたのかと思ってしまうほどだ。ま、何を言いたいのかというと「年老いた」ということであります。目もだんだん不便になっている。したがって運転免許の更新も今度はするつもりはない。足もだんだん弱りで時々横断歩道の白線で躓いたりすることもある。情けないとは思うが老いというものはそうやって忍び込んで来てある日突然のように宣告されてゆくのかも知れない。先日も歩道を歩いていて、そのちょっとした段差で転びそうになり差し伸べられた子供の手によって支えられた。ここも、もう暫くで去るだろう。
広がる雲の中で浮かれている者達
視楽 | |
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システム深化のスピードが予想以上だ。それだけ人間の欲望に際限が無いと思えばいいのだろう。時も場所も選ぶことなく世はクラウドで満杯の感がある。繋がって共同性を煽っているが、どれほどの実効性があるのかまだわからない。隣り合ってパチンコしている者同士と違うというところを見せつけなくてはいけないだろう。ねぇ、オッサン、オバはん達。その雲の中にいて懲りずにG+やってるオレも浮かれジジィだけど。わらい。
2011-09-06
ぼくたちはいくつもの墓標を打ち立てなければならない。
視楽 | |
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唐突であるが実に言葉というものはやっかいなものだと思っている。またインターネットというバーチャルな世界に於いては尚更である。読み手という存在の想定が謂わば今流に言えば想定外であるからとも言える。無論それは自明でしかないのだが当初は情熱を燃やす人たちも数多くいたということは「想定」できた。で、今はどうなのだろうか。無論私も含めてと言うことでもある。
(前略)
ブログという場もすっかり衰退し、いまではツイッターという場が隆盛を極めていますが、ブロゴスフィアが持っていた意義、そこに確かにあった価値、というものを否定することは誰にもできないと思います。それもやがて忘れ去られるでしょうが、そこから出て来た書き手として、そのことを皆が忘れても、私はおぼえている。いや、それは思い上がりですね。数え切れないほどの多くの人々が、いまはもう消え去ったブロガーたちが全身であらわした情熱を、かなしみを、夢を、おぼえているはずです。そのことは、私が言葉にするまでもありません。静かに燃え続ける思い出こそ、何よりもブロゴスフィアの墓標にふさわしい。
(後略)
-根本正午 wrote-2011/05/07 08:40
これは私のアップしたエントリィに対して9ヶ月以上も経過して彼から頂いたコメントである。そして彼の言葉に惹かれるようにして、その翌月私が商用で上京したおり彼と新宿で再会を果たすことが出来た。たった一晩のことではあったが、双方語り尽くすことが無くなるかと思えるほど互いに語ったように思っている。気がつくと目の前のカウンターに乗せられていた1升瓶は既に空になっていた。両方ともヘベレケになるまで飲んでしまったのである。おそらく彼にとっては初めての酒の体験*1であったのかも知れない。
話の切り出しはどういうわけか突然フェルディナン・セリーヌ(Louis-Ferdinand Céline)から始まった。あとはロレンス・ダレル(Lawrence George Durrell)とか云々で今となれば不確かではない記憶が残っているが、いずれにしてもある意味では反社会的と呼ばれている作家について語り合っていたのではないかと思っている。この事については今となれば、なぜセリーヌなのかと、判ったような気もする。嘗て抱いていた情熱が無力感と変わりバーチャルな世界は今だ幻影のごとく形を変えて在る有り様への苛立ちが彼をしてそう言わせたのではないかと思う。彼は私に言葉を伝える前にまず既にあった言葉を墓標としなければならなかったのである。
最後に私の好きな詩句を以下に引用したい。かの詩人は当時会社を首になり4畳半一間で無職であり貧乏底なしであった。
ぼくはでてゆく
嫌悪のひとつひとつ出偶うために
ぼくはでてゆく
無数の敵のどまん中へ
ぼくは疲れているがぼくの瞋りは無尽蔵だ
「転位のための十篇」1953.9.1に収録-吉本隆明-
悲しみも怒りも聞こえないふりをして日常が流れてゆく
雑念 | |
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昨日までの台風はいつの間に過ぎたのかも判らず通過したようである。新聞には当県特有の地形が何事もなく終わらせたとあった。今は雲が多いが青空が広がっている。
*1:根本氏の名誉のため言って於くが正直言って彼は下戸の方である。しかも非常に弱い。















秀子を嫁がせる前に自分が逝っちまうとは、、。
いつだったか彼は、死ぬ時、家族はなくとも、「ディア・ハンター」のワンシーンのように
友達が乾杯して送ってくれれば、幸せだと書いていたのを思い出します。
「気高い野良犬」に乾杯するしかありませんね。
明日、ご実家へ伺い、友人たちと乾杯して送る予定です。
元気な頃を知っているので、亡くなるまでの彼の状況について
色々と考えております。
初めまして、早川さんの元同僚の相澤と申します。昨日友人より早川さんの訃報を知り、連絡先を知りたくこちらのブログに辿り着きました。私の方で連絡先として千葉の鋸南町の住所がわかっているのですが、こちらにご連絡されましたでしょうか?色々とご事情があった方でしたので、どこに連絡すべきか迷っております。よろしくお願いいたします。