日本の美を求めて 東山魁夷

東山魁夷-私の最も好きな日本画家である。
中でも、欧州を旅行した際の一連の作品が好きだ。
中学生の頃だったと思う。美術館で、
「緑のハイデンベルグ」という作品を見てファンになった。

本書には魁夷の随筆と講演が計5編綴られている。

少年の日の思い出の景色
唐招提寺障壁画執筆の裏話
ドイツでのドイツ語による講演の日本語訳

等々。

日本の風景を深く愛し、同時に西洋文化(外国文化)も
取り入れるそのスタンスは日本の芸術の歴史そのものである。

魁夷によれば、日本の芸術は強く、複雑な縄文文化
丸く、簡潔な弥生文化が基礎となっており、
縄文文化弥生文化が包んでいる。

魁夷の書く日本語はとても美しい。
画家としての美意識が書に現れていると思った。

幸福論 アラン

フランスの哲学者、アランは
「心優しき哲学者」
とも評されている。

この本はルーアンの新聞に連載された
「プロポ(哲学断章)」を収録したもので、
計93ある。

一貫してアランが主張しているのは、
幸福であるか否かは、周囲によるものではなく
自分自身の気の持ちようであるという点。

自分で幸福をコントロールできると思えば、
優しい気持ちになれるものである。

「幸福になることは、また他人に対する義務でもあるのだ。
 (アラン)」

モデラート・カンタービレ M・デュラス

モデラート・カンタービレ
「普通の速さで歌うように」という音楽用語である。

この物語は人妻であるアンヌが情痴殺人事件を目撃したこと
をきっかけに、酒場でショーヴァンと毎日事件について
語り合うという話である。アンヌは密かに町からの脱出を
夢見る。

「あなたは死んだほうが良かったんだ」というショーヴァン
に対し、アンヌは
「もう死んでいるわ」と答え、物語は終わる。

「情熱」と訳されるPassionはキリストの受難というシーンを
西洋人なら誰でも思い浮かべるものらしい。
しかし、日本語訳では抜け落ちてしまっている。
この点に注意して読み進めていただきたい小説である。

デミアン ヘルマン・ヘッセ

デミアン」は1919年に世に出た「問題作」である。
これはヘッセ自身の自伝とも言うべき書であり、
主人公シンクレールと同じ「エーミール・シンクレール」作として
匿名で出版された。

「主人公シンクレールが、明暗二つの世界を揺れ動きながら
真の自己を求めていく過程を描く」とあるが、それだけではない。

カインは実は悪者ではなかったとするデミアンはデーモンのもじり
である。ヘッセであるシンクレールとデミアンはアプラクサスという
不完全な世界の不完全な神に惹かれる。
そして、デミアンの母の異名はエヴァ夫人である。

シンクレールは夢見る。
卵の殻を割って、世界に出てゆくことを。
「卵」の中身は、第一次世界大戦前のキリスト教世界観をもった
世界そのものである。

海からの贈り物 アン・モロウ・リンドバーグ

アン・モロウ・リンドバーグって誰?って思う人が多い
のではないだろうか。

単葉単発単座のプロペラ機でニューヨーク・パリ間を飛び、大西洋単独無着陸飛行に初めて成功。「翼よ、あれがパリの灯だ!」で有名な
チャールズ・リンドバーグの妻である。

アンは自らも女性飛行家の草分けとして名高いことは意外と
知られていない。

本書は、しかし飛行記録を示したものではない。
一人の女として、女の幸せを考えるものである。

彼女は言う。
生活から無駄なものを省き、人間は本来孤独なものと受け入れる。
仕事と家庭の極端に走るのではなく、中立のバランスの取れた状態を
目指しなさいと。

仕事をしながら家庭を持つ女性にとっては考えさせられることの
多い本ではないだろうか。

マダム・エドワルダ ジョルジュ・バタイユ

マダム・エドワルダ−バタイユ小説の最高傑作と言われている。

これについては、コメントを控えようと思う。
とても短い小説なので、実際に読んでみて欲しい。
バタイユはほとんど読んでいないが、最高傑作と言われても
おかしくない作品と思われた。

その他に、小説が2編、死者と眼球譚が、論文と講演集も収められている。
全体を通して言える事は、バタイユにとってエロスとタナトス(死)はセットであると言うこと。

眼球譚は梅毒で盲目の父の影響を受けて書いた処女作である。
バタイユは幼少時は父に懐いていたが、そのうちに嫌悪感を抱き、
ついに戦時中に父を置き去りにしてしまう。
その後もバタイユは矛盾する行動を取る。敬虔なキリスト教徒が棄教して無神論者となったり。。。

バタイユは“神が不在の宗教”の創製にむかって、「無頭人」(アセファル)という秘密結社をつくったという。このアセファルには画家の岡本太郎も出入りしていたものとその著書から推測される。


おれ自身も、そしてこれら何百万の人間も、おれたちの目覚めには
意味があるのか?−マダム・エドワルダより−

Noa Noa ポール・ゴーギャン

Noa Noa とは「かぐわしい香り」という様な意味のタヒチ語である。
ゴーギャンの作品の多くがタヒチの影響を強く受けていることは
有名である。

ゴーギャンがヨーロッパ生活に見切りをつけてフランス領の
タヒチへ辿り着いたのは、1891年のことである。
タヒチには、欧州の影がところどころで見受けられ、当初は
失望するが、次第に魅了されていく。

ゴーギャンタヒチでテウラという女性と結婚する。
紹介で出会ったその日に結婚を決めてしまったのだ。
あまりにもすんなりと結婚してしまったので驚いた。

このタヒチ滞在記は、ゴーギャンの日々の生活と現地にまつわる
神話からなっている。そして、随所にゴーギャンの作品が挿入されている。

タヒチで2年の歳を重ねたゴーギャンは、家族の事情にて帰国する。

−さらば、親切な土地、甘美な土地、自由と美の祖国よ!
 私は2歳の歳を重ね、20年若返り、来たときよりもさらに野蛮に、
 だがさらに教養を積んで、出発する−