乱反射の光跡 - blog2 このページをアンテナに追加 RSSフィード Twitter

2017-01-29

[][]twitter連携は、やっぱり解除で


以前もやっていて、止めてしまっていたのだが、twitterのつぶやきをダイアリーにまとめる連携を再開してみましたが、やっぱり再び停止することに。


最近はリツイートが殆どで、しかもリツイートする内容が我ながら(笑)散漫で断片的で、まるでランダムなタイムラインを羅列されているような記載になってしまっていて、後で読み返すのもおっくうになるほど乱雑なことになってしまっているので。


備忘録的なものになれば、と思って再開してみたのですが、読み返してもどこにどんな記載があるのか、とても見づらいものになってしまっているように感じられまして。

そもそも、自分のリツイートが散漫で断片的で乱雑だ、ということなんですけど。

これじゃあダメだわ。>ぢぶん

2017-01-28

[]2017年01月27日のツイートまとめ

2017-01-27

[]2017年01月26日のツイートまとめ

2016-10-13

[]寝言でもないけど

タイのブミポン国王がお亡くなりになって、ボブ・ディランノーベル文学賞だとかで、世界がいろいろ動いているのだか、これから動くのだか。まあ、何かの「変化」なのかもしれない、とか思っている。

思いながらも、寝るのだが。

2016-05-24

[]【酔っ払いがこぼす】

酔っ払いながらも、頭から離れないふたつの文章を引用する。

どちらも孫崎享『戦後史の正体』からの引用。

鈴木貫太郎内閣が(一九四五年)八月十七日に総辞職したことをうけ、東久邇宮稔彦王首相とする史上唯一の皇族内閣が誕生していました。関係者は、みな(ポツダム宣言受諾の)調印式で屈辱的な降伏文書署名しなければならないことを知っています。ですからできればその役割を担いたくない。みな、逃げます。 (p.28)

九月二日の降伏文書への署名のあと、(中略)米国はなにを一番重要だと思っていたでしょうか。それは戦争犯罪人の処理でした。(中略)

さあ、大変です。戦犯になれば銃殺される可能性すらあるのです。

その結果、多くの人がなんとか戦犯になるのを逃れようと、米軍と接触し始めます。「自分は罪がない」という人もいれば、「罪があるのは別の人間だ」といって罪を逃れようとする人も出てきます。

(中略)

「最上級の幹部たちが、ひんぱんにマッカサーのもとを訪れるようになり、みな自分の安全を図ろうとしている」 (p,35-36)

「責任の回避」と「自己保身の優先」は、71年前から、日本の政治家の性根に刻み込まれている、ということでは、ないですかねえ。ないですよねえ。ないと信じたいですよねえ。…ねえ?

2016-04-11

[]国会議員の定数は…

はてなブログ、更新しました。

no title

考えるはじめに、参考のデータを。

2016-03-31

[]【酔っ払いがこぼす】失言やら暴言やら、その根底の「社会認識」やら


政治家の失言やら暴言やら、規範に外れた発言やらが頻出してますが。

ご本人は「自分の認識」について、どのように反省されているのかは、報道では見えてきませんな。

「感情を害したのなら謝罪する」「言い方が悪かったのなら謝罪する」というのは、謝罪しているのではなくて「自分は何も外れたことを言ったつもりはないが、聞いた他人が不快に思っているから(とりあえず)謝罪する」という意味にしか取れず、ご自分の(語ったことについての)「自分の認識が誤っていたことを認識し、反省する」という意味には取れないのだが。

女性蔑視の問題とか貧困の問題とか、「現状の認識」が(当事者と発言者の間で)食い違っていることが問題発言の根っこにあるのではないか、と感じられるのだが、そこに対して「自分の認識の間違い(ずれ)を認識して反省する」態度は、発言者の謝罪や弁明からは聞き取れないなあ、と感じてます。

「自分は間違ったことは言ってないけど、怒られたから謝ります」は、「反省」ではないですよね。その場限りを取り付くためだけの謝罪謝罪すれば、それでその問題は終わる。喉元すぎればで、だから時間をおいて再び問題発言を繰り出したりする。「反省してない」から、ですよね。

そうした問題発言をした政治家の「認識を変える」ことは、とても難しいことなのかもしれないけれど、でも、そうした「認識を変えない、反省しない」政治家ばかりが国の運営の代表として居座っている状況は、国際的にも恥ずかしいし、国民としても情けないことなのでは、と思えてしまう。

国民は(もちろん、世論の代表者であるつもりのマスコミならば当然のこととして)もっと政治家にツッコミを入れて、自身の認識の間違いに気づいてもらうだけのことはしたほうがいいのかもしれません。

もちろん、政治家に「自分が認識を変えないと、国民は自分を支持してくれなくなる」と感じるくらいまでは、ツッコミを入れ続ける必要があるのではないか、と。

そう、「ツッコミを入れ続ける」こと、これは国民の仕事なのかもしれません。それをサボっていたから、政治家は「どうせ国民は忘れるから」とか発言するようになるのでは、ないでしょうか。違いますかね?