災害時の「トイレ」を考える

熊本で大地震が起きた。大分も揺れが激しい。被災者たちの切実な声が新聞やテレビなどから伝わってくる。とりわけ、人々で溢れる避難所のトイレが足りない、自宅の水洗トイレが断水で使えなくなった、なんて話を聞くと、さぞかし困るだろうなあ、つらいだろうなあと身につまされる。駐車場の車の中で過ごしている人たちは、トイレをどうしているのだろうか。駐車場のトイレの数なんて、ごく限られているだろう。避難所には仮説トイレも設けられているようだが、し尿を運んで行く先の処理場が稼動できなくなったとか。し尿の処理に必要な地下水の配管が地震で破損したからで、し尿の汲み取りもままならなくなった。

災害時のトイレって、ほんとに大変だ、他人事ではない。あわてて百貨店の防災用品売り場に行き、「災害時用 男女大小共用 簡単トイレセット 便袋3枚」なるものを1000円近く出して買ったりしたが、その帰り道でふと、以前に中国ハルビンで見かけた「簡易公衆トイレ」のことを思い出した。あれなんか、緊急の場合、日本でも使えるのではないだろうか。

もう10年ちょっと昔になる。僕のいたハルビンの大学で中層の教員用宿舎の建設が始まろうとしていた。作業員は「農民工」と呼ばれる出稼ぎの農民だろうし、何十人かにはなるはずだ。そっちのほうの宿舎はどうするのかなあと思っていたら、近くのグラウンド脇の空き地にレンガ造りの平屋の宿舎がそれこそ数日で出来上がった。長屋風で、ベッドが2段になっている。この種のものの建設は中国では実にスピーディーである。ただ、ここにはトイレはないようだ。

で、トイレのほうはと言うと、これも近くの空き地にあっと言う間に出来上がった。物珍しさも手伝ってのぞいてみたら、6畳ほどの広さのところに深さ1メートルほどの穴が掘ってあり、上に何枚かの板を渡してあるだけだ。板は随分と頑丈そうで、その板と板の間から大小の用を足すわけである。5人やそこらは同時に使えるが、仕切りはない。言うまでもなく、水洗ではない。外からは見えないように簡単な覆いがしてあった。天井があったかどうかは忘れてしまったが、男性用と女性用にちゃんと分かれていた。

中国でも近年は水洗の公衆トイレが随分と普及しているが、古来からの公衆トイレは地面に穴を掘っただけで、しかもお隣で用を足す人との間に仕切りがない。それが普通だった。そして、用を足しながら「ニイハオ」と挨拶を交し合うので、日本人は「ニイハオトイレ」と呼んできたようだが、先ほどの作業員用トイレはまさにその簡易版といったところ。このトイレのすぐ脇には道路があり、僕は毎日のように通っていたけど、汚いとかいった感じは全く受けなかった。

そして、教員用宿舎が完成し、農民工たちが去っていくと、この簡易公衆トイレは壊され、たちまちのうちに土砂で埋められてしまった。溜まっていた排泄物もどこかに持って行って処理されたわけではなく、土砂の下で静かに自然へと返っていくのだろう。「自然の摂理」にかなった極めて合理的なトイレでもあるように感じた。

こんなトイレ、熊本あたりでもどうだろうか・・・1カ月間くらいの臨時トイレとしてなら、かなり役立つのではないだろうか。仕切りがなくても、緊急の場合である、僕なら我慢できるし、カーテンか何かで簡単な仕切りが作れないわけでもない。そんなことを考えていたら、もう一つ、中国人の友人から聞いた簡易トイレの話を思い出した。

これはさっきの公衆トイレとは違って「個人用」「家庭用」といったところ。友人によると、子供の頃、家からかなり離れた畑の脇に設けていた。原理そのものは先ほどの公衆トイレと変わらない。まず、1メートル四方ほどの適当な深さの穴を掘って、上に板2〜3枚を渡す。4隅には棒4本を立てて、周囲の3面は筵で覆う。出入り口には上からノレンのように筵を下げる。

ただそれだけのトイレだが、ミソは穴を掘った際に出てきた土を脇に積んでおき、用を足す度に、シャベルでその土を少しずつ排泄物の上に掛けていく点である。こうすれば、見た目にもいいし、臭いもあまり気にならなくなる。水洗ならぬ「土洗」のトイレと言えなくもない。

どうも日本人に比べ中国人のほうが、ことトイレに関しては、ずっとたくましいのじゃないだろうか。大地震が起きて、熊本のような事態になった場合、「トイレが大変だ」なぞと騒ぐ前に、自分でさっさと簡易トイレを作ってしまうような気がする。8年前の四川大地震の時はどうだったのだろうか。いつか調べてみたい。

ゴールデンウイークが始まった。熊本に行ってボランティアで何かをやりたいのだけど、まだ混乱の真っ最中だ。いま行っても、僕なんかは足手まといになるだけだろう。仕方がないから、わが家の庭先で「家庭用簡易トイレ」の作り方でも練習して、将来に備えようかと思っている。