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なにさま日記

2017-08-19 【柳原良平追悼】(1915/08/19)

柳原良平追悼】(1915/08/19)

 

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 サントリートリスシンボルキャラクター、「アンクルトリス」をつくり出した柳原良平さんが死去。また懐かしい昭和の星が一つ消えた。

 昭和30年代のサントリー(当時は「寿屋」)宣伝部には、後の作家 開高健山口瞳、そして画家イラストレーター柳原良平など、そうそうたるメンバーが揃っていた。

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 「江分利満氏の優雅な生活」で世に出た山口瞳や、「裸の王様」で芥川賞開高健といった元同僚作家カバーイラスト担当し、船の絵をこよなく愛した画家としても有名。

 何といっても、もっと記憶されているのが「アンクルトリス通称トリスおやじ)」だろう。「トリスを飲んでハワイへ行こう!」で、アロハシャツでフラを踊るトリスおやじキャンペインCMは斬新だった。

https://www.youtube.com/watch?v=dnyOQEg4Rvc

 S36年当時、ポピュラー新婚旅行地は、関東熱海関西白浜とかだった時代に、ハワイ旅行が当たるというキャンペイン。1$=¥360 という固定為替制で、まだ海外旅行自由化されていなかった。

 そんな中で抽選ハワイ旅行が当るというものだが、実際に当選者に贈呈されるのは、ハワイ旅行資金としての「積立預金証書」だったとか。いったいいくら預金証書だったんでしょうね。

 

逝く夏や昭和は遠くなりにけり

 

2017-08-15 【『火垂るの墓』 野坂昭如原作小説とジブリ・アニメ版】

【『火垂るの墓』 野坂昭如原作小説ジブリアニメ版

 

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 二年前にFacebookに書いたものが、浮き上がって来たので再掲してみる。

 

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 テレビジブリアニメ火垂るの墓』やってたので観た。どう見ても、お涙ちょうだい風に見えてしまうね。

 実は初版ハードカバーがあったんだけど、「アメリカひじきしか読んでなかった。アニメで評判になったあと、読んでみた。アニメでは「戦争孤児悲劇」と一般化されたイメージだが、原文では、戦後闇市臭いがそのまま漂ってくる。

 原文にあたるのをお勧めしたいが、西鶴俳諧連歌を連ねたような文が頁の半分ほども句点改行なしで続くので、若い人には取っ付きが悪いかも知れない。

 たとえば「アメリカひじき」では、食料不足で時々、進駐軍放出した見たこともない物が配給で回って来る。あるとき。まっ黒な粒でざらざらに乾燥したものが配られてきた。

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 町内の人々が集まって、これは何だ、これはどうやって食うんだ、と悩んだ末に、誰かが「これはヒジキだ、アメリカひじきだろ」と叫んだ。そこで水で煮て、煮汁を棄てて食ってみたが、あまりにまずかった、という話し。つまり米軍放出したのは、紅茶の葉だったわけで、煮出したカスを食ったわけ。

 こういうのは、「火垂」みたいなアニメ悲劇にはしようがないんだよね。トラジディではなくコメディになってしまうわけ。野坂は、このような悲劇喜劇背中合わせになったような状況を描くのは、天才的だったと思う。

 そこで一言、「ひとを泣かせるのは簡単だが、笑わせるのは難しい」w

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 あくまで、たまたまTVで放映されたアニメを見ての感想であって、原作小説アニメ作品比較してどうこう言おうというものではない。私自身野坂昭如直木賞を獲得して、多くの作品を作り出した'60年代後半からファンであって、ほとんどの作品を買い込んでいた。

 一方で、アニメ作品は好んで観るものではなくて、とくにジブリ作品意図的に避けていたようなところがある。そんなわけで、上記の感想あくまで偏ったものであり、それぞれの作品を適正に評価するつもりもなかった。

 

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 その年の暮に、長らく脳梗塞で臥せっていた野坂が無くなった。その時は、追悼の気持で、下記のものを書いた。 「その3」では、『「アメリカひじき」「火垂るの墓」』という2作品タイトルにした短編集について触れている。

http://d.hatena.ne.jp/naniuji/20151211

 

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 『火垂るの墓』がジブリアニメあまりにも有名になってしまい、野坂昭如がその原作者であることを知る人も少ないかもしれない。この短編集は、『火垂るの墓』と『アメリカひじき』が昭和42年度下の直木賞受賞作となり、他の初期短編と併せて刊行されたものである

 短編集のタイトルとしては『アメリカひじき』がむしろ先に置かれており、いわばこれがA面、『火垂るの墓』がB面という扱いになっている。野坂にとって「アメリカひじき」は、それほど思い入れのあった短編であったと思われる。「火垂る」が、戦時中に亡くなった幼い妹への鎮魂歌であるとすれば、「ひじき」では、戦争を生き延びた「その後」を、散文的で滑稽な人間模様として描きだしている。

 すでに進駐軍占領下になっており、戦後食糧難下で不定期にわずかな食糧が配給されてくる。希望するものが配給されるわけもなく、ときには進駐軍提供する馴染みのない食糧とかも回ってくる。私たち学校給食で悩まされた脱脂粉乳なども、当初は米国家畜飼料用の脱脂粉乳提供されたのが始まりだという。

 『アメリカひじき』は、野坂自身戦後の焼跡闇市体験を題材にした作品で、敗戦直後の進駐軍に対する卑屈な経験を思い起こし、米軍補給物資をくすねて分け合った経験など、滑稽な逸話が語られる。ドラム缶にいっぱい詰められた乾燥された真っ黒な粒子、はて何かといぶかるうちに、誰かが「ひじき」だという、つまりアメリカひじき」というわけだ。

 何度も煮だして濃い茶色のアク汁を捨て、やっと煮詰めた真っ黒な物質はなんともまずい。米軍は何でこんなまずものを食ってるんだと嘲笑ったが、後日分かったところによると、それはブラックティー、つまり紅茶を煮だして、出しがらの葉を煮て食っていたというわけで、そんな惨めで恥ずかしい思い出が語られる。

 『火垂るの墓』では、主人公の清太は死んでしまうことになっているが、『アメリカひじき』では、戦後を生き延びた俊夫という主人公の「その後」物語ともなっている。

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 この初出の短編集での扱いでも分かるが、野坂は「アメリカひじき」をメインにおいており、「火垂るの墓」はあまり前面に出したくなかった作品のようだ。自身経験として重すぎるために、締め切りに追われて止むを得ずに書いたという。どうしてもウソが混じり、兄の清太も決して妹節子に対して、作中のように優しく対処したわけでもない。

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 実際には、妹は一歳半でまだ口もきけなかった。それを背負って生きる定めになった十代前半の兄には、生きるための重荷でしかなかったであろう。アニメ化され大ヒットした作品に対して、原作者野坂昭如に「わたしはこの映画を二度と見たくない」と言わしめている。

 アニメでは、戦争で放り出された幼い兄と妹との、辛すぎる悲劇を見事に描いた。しか野坂自身記憶の中では、そのように美しく哀しい物語などであるはずがない。それ以上に、その体験を美化して描いた自分への自責の念が、決して消えることなく湧き上がってくる。二度と見たくない、というのは当然とも言える。

 一方で、アニメ化した高畑監督には、そのような自責の念は湧いてくるはずもない。いたいけで愛くるしい節子の、美しくも哀しい短い一生を、感動の物語として描き上げるのが、最優先事項となるだろう。

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 そもそも関西うどん関東ソバと同じカテゴリで扱うのが間違いなように、原作小説アニメまたは実写映像作品は、頭から作品として扱うべきものであろう。『火垂るの墓』における原作アニメで、唯一シンクロするシーンは、やはり防空壕の暗闇の中を、火垂るの光が乱舞するシーンであろう。これだけは、タイトルにもあるように、あらゆる実在世界を越えた、「美しく哀しいメルヘン」となって、この作品を一つのものにしているのであった。

2017-08-10 【ロートレアモンとシュルレアリスムとの偶然の邂逅】

ロートレアモンシュルレアリスムとの偶然の邂逅】

 

Salvador Dalí - Sewing machine with umbrellas”

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 シュルレアリスムを語るときに、必ず引き合いに出されるロートレアモン伯爵の一節「解剖台の上での、ミシン雨傘との偶発的な出会い(のように美しい)」

 これは、無名のまま人生を終えた若者ロートレアモン伯ことイジドール・リュシアン・デュカスが、かろうじて自費出版で残した『マルドロールの歌』の中の一節だ。

 

$『マルドロールの歌』(ロートレアモン著1868/栗田勇訳1974)

https://www.amazon.co.jp/%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%83%89%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%81%AE%E6%AD%8C-%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%AC%E3%82%A2%E3%83%A2%E3%83%B3/dp/4329001527/ref=pd_lpo_sbs_14_img_1?_encoding=UTF8&psc=1&refRID=AY52YM1ZX3D1MGSN4QP7

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 学生の頃、詩人栗田勇訳で入手した「マルドロールの歌」には衝撃を受けた。その「第一の歌」には次のような一節がある。

 

 《まず二週間、爪を伸ばしっぱなしにする必要がある。おお、なんという素晴らしさ、上唇のうえにまだ産毛も生えていない、目をぱっちりとみひらいた子供を、ベッドから荒々しくもぎはなし、その美しい髪をうしろになでつけながら、額を心地よく撫でるふりをする! それからとつじょ、不意をついて、長い爪をぐっさりと、だが殺してしまわない程度に柔らかい胸に突きさすのだ。》

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 なぜ、このような残酷な話を、と考える人には文学をかじる資格もない。この残酷さは、人間固有の、しか青春期に固有の残酷さの表現であって、他の動物にはみられない。

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 人の無意識世界に漂うこの残酷は、野生でもなんでもない、まさしく「人間」なのであって、それが、アンドレ・ブルトンやフィリップ・スーポーなどのシュルレアリストによって「再発見」された。ロートレアモン伯爵と名乗った若者は、伯爵でも何でもなく、パリの貧相な下宿部屋で、20代孤独な一生を終えた独りの若者しかなかった。

 このような文学空間空気は、たしかに一度は吸ってみたい気がする。

 

 「解剖台の上での・・・」の一節は、「デペイズマン」の例として引き合いに出されるのだろう。これは、意外な組み合わせをおこなうことによって、受け手を驚かせ、途方にくれさせるというシュルレアリスムの一手法として組み込まれた。

 いくら意外とはいえ、ウナギ梅干しみたいな「食い合わせ」では、腹痛を起こして終わりなんだろうが(笑)

 若い時に、何となくまね事でやってみたことはある、読んで笑うな(笑) >http://d.hatena.ne.jp/naniuji/20141028

 

*「ロートレアモン伯爵wiki

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%AC%E3%82%A2%E3%83%A2%E3%83%B3%E4%BC%AF%E7%88%B5

 

*『シュルレアリスム(Surrealism 超現実主義)』 山田視覚芸術研究室

https://www.ggccaatt.net/2012/02/28/%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%AB%E3%83%AC%E3%82%A2%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%A0/

2017-08-09 27【20世紀の記憶 1925(T14)年】

27【20世紀記憶 1925(T14)年】(ref.20世紀の全記録)

 

*3.29/日 日本で初の「(男子)普通選挙法」が成立。25歳以上の男子選挙権納税額制限が撤廃され、有権者は従来の4倍に。

*4.22/日 「治安維持法」が公布さる。「国体変革を目的とした結社を禁ず」など、の条項で、以後の思想弾圧の根拠となる。

 

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 第一次世界大戦後、大正デモクラシーといわれ民主主義拡張雰囲気が増した時代、まさに大正の末の1925(大正14)年に至って、加藤高明内閣の時に「普通選挙法」が成立した。高橋是清犬養毅加藤高明を中心に、普通選挙の実施を公約に掲た護憲三派が結成され、衆議院選挙で勝利を収めると、憲政会総裁である加藤高明内閣組閣した。こうして、公約通りに衆議院議員選挙法(普通選挙法が成立した)が改正されることになった。

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 普通選挙法によりそれまでの納税額の制限がなくされたが、選挙権所有者の年齢は変らず、満25歳以上の男子衆議院議員選挙権、満30歳以上の男子被選挙権を保有するとされた。そして、有権者の割合は全体の約20パーセントとなり、今までの約4倍に増加したが、依然として女性には参政権が与えられなかった。また、公的な扶助を受ける者、住居不定の者らは、選挙権の欠格者とされた。

 

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 一方で、普通選挙法により無産政党などの勢力が増大し、社会運動などが過激になることをおそれた政府は、普通選挙法の公布の直前に「治安維持法」を公布した。治安維持法は、天皇主権の国家体制を変えることや社会主義の動きを取りしまるために制定されたものであるが、やがて日本軍国主義が進むと、共産主義者だけでなく自由主義者まで弾圧されるようになり、思想の自由を完全に奪うための悪法として機能するようになった。

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 この年の1月、ロシア革命によって成立したソビエト連邦と、国交が樹立されると、共産主義運動の激化が懸念された。

また、米騒動が起きるなど従来の共産主義社会主義者とは無関係の暴動が起き、さらに、関東大震災後の社会不安なども高まっていた。このような社会運動大衆化のもとで、特定の「危険人物」を監視するだけでは対応できなくなるとの懸念から、反社会的な思想や結社を予防的に取り締まる必要があるという流れが出来つつあった。

 

 普通選挙法が成立すると、社会変革を恐れた枢密院の圧力などにより、同時に治安維持法も成立し、衆議院議員選挙法改正公布より先行して、4月22日公布された。普通選挙法とほぼ同時に治安維持法も制定されたことから、飴と鞭の関係にもなぞらえられる。

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 当初は、共産主義の浸透を懸念したものであったが、その後の改正などにより、「国体変革」と「私有財産制度の否認」を明確に分離し、共産主義活動以外の体制批判思想・活動も、幅広く「国体変革的思想活動」として取締られるようになる。すなわち、軍国主義的体制が進められるにつれて、宗教団体右翼活動、自由主義等、政府批判はすべて弾圧・粛清の対象となっていった。

 

 普通選挙法で除外された女性参政権は、平塚らいてう市川房枝などにより参政権運動が続けられたが、結局、敗戦後のGHQによる占領下で、やっと1945年昭和20年12月に、成人男女による完全普通選挙が行われるのを待つことになる。

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 また、治安維持法敗戦後も運用継続され、終戦後1945年9月26日にも、同法違反で服役していた西田幾多郎門下の哲学者三木清獄死している。治安維持法もまた、GHQによる人権指令によって廃止されるのを待つことになった。

 

$『人生ノート』(三木清/1937年

http://www.nhk.or.jp/meicho/famousbook/64_jinseiron/index.html

 


*2.27/独 ナチスミュンヘンで再建大会ヒトラーが釈放後、初めて公衆の前で演説する。

*7.18/独 ヒトラーの獄中の書『わが闘争(マインカンプ)』が刊行され、世界支配を説く。

*11.9/独 ナチスが「親衛隊(SS)」を創設。ヒトラー総統崇拝の選り抜き私設軍隊で、レーム率いる「突撃隊(SA)」に対抗させる。

 

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 1923年11月ミュンヘン一揆に失敗し収監されたヒトラーは、その裁判で得意な弁舌をふるい、刑務所では特別の扱いを受けた。獄内では、口述ルドルフ・ヘスらに筆記させ、出獄後『我が闘争 "Mein Kampf"』として刊行する。おそらく、演説するのと同じ調子で筆記させたものと考えられる。

 ヒトラーは、1924年12月に釈放されるが、それまでの間にナチ党は内部抗争によって分裂し、12月の州選挙でも大敗を喫した。翌1925年2月ナチ党は再建され、釈放後初めて公衆の前に姿を現したヒトラーは、大規模集会で演説を行った。この演説で政府批判を行ったため、ヒトラーには2年間の演説禁止処分が下された。

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 この間にヒトラーは、ミュンヘン派閥をまとめ上げ、突撃隊の実力者レームを引退させ、分裂した対抗派閥に居たヨーゼフ・ゲッベルスを取り込むなどして、党内独裁体制を確立してゆく。同時に獄中で執筆した『我が闘争 第一巻』を刊行し、「指導者ヒトラー」の指導者原理アピールすることに成功した。

 

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 この年に刊行された『わが闘争/第一巻』では、自分の生い立ちを振り返り、ナチ党の結成に至るまでの経緯が記述され、全体的には、ヒトラー自身の幼年期から反ユダヤ主義および軍国主義的となったウィーン時代が詳細に記述されている。

 翌年に刊行される『第二巻』では、自らの政治手法、群衆心理についての考察など、ヒトラー独自のプロパガンダノウハウなども記されている。さまざまな分野での自らの政策を提言する中でも、特に顕著なのが人種主義の観点であり、世界人種同士が覇権を競っているというナチズム世界観が展開される。

 第一巻、第二巻を合わせても、発効時の売り上げは6千部に満たず、ナチ党以外の一般人にはほとんど行き渡っていない。独裁者自伝や語録によくある例にもれず、ナチ党員のバイブル的な象徴として機能しただけであった。後にナチス政権を獲ると、全国民に配布される「国民書」となるが、はたしてドイツ人が内容を読んだかは疑わしい。

 

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 当時のドイツでは、政党の集会や演説会に他党の党員・支持者が殴り込みをかけるのが常態であり、各党は独自の実動部隊を持つのが一般的であった。バイエルン州ミュンヘンでのナチスも例外ではなかったが、ドイツ革命重要な働きをしたフライコールドイツ義勇軍民兵組織)などに影響力のあった、エルンスト・レームを中心に組織された「突撃隊(SS)」がその任に当たることになった。

 突撃隊は「ミュンヘン一揆」に至る、ナチ党の伸張に活躍したが、レームの影響下で、党から半独立的な準軍事組織であった。一方で、この年、「総統アドルフ・ヒトラー」を護衛する党内組織として、「親衛隊(SS)」が創設された。突撃隊は、ミュンヘン一揆の失敗後、党に従属する組織として再出発したが、その歴史的経緯から、ヒトラーにとっては、思うままにならない厄介な組織となりつつあった。

 

 1933年ナチス政権を奪取すると、ヒトラーに忠実なハインリヒ・ヒムラー率いる親衛隊によって、復権していたレームをはじめとする突撃隊幹部が粛清された(長いナイフの夜)。粛清後の突撃隊は勢力を失い、親衛隊の配下として、以降は国防軍入隊予定者の訓練など主任務とする傍系組織となった。

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 一方で、党内警察組織として急速に勢力を拡大していった親衛隊は、当初は「ヒトラーボディガード」に過ぎなかったが、やがてナチス政権を獲得した1933年以降、警察組織と軍組織との一体化が進められ、保安警察ゲシュタポ刑事警察)、秩序警察親衛隊情報部、強制収容所など第三帝国の主要な治安組織・諜報組織をほぼ傘下に置くとともに、親衛隊特務部隊(武装親衛隊)として、正規軍である国防軍からも独立した、独自の軍事組織として強大な権力を行使した。

 


*12.12/イラン イランのシャー(国王)にリザー・ハーンが即位、「パハレビー王朝」が始まる。

 

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 イラン紀元前から、古代オリエント世界に強大な「ペルシャ帝国」を築き栄えた。ペルシャ帝国は、ゾロアスター教をその統治の理念とし、何代か王朝の変遷を経たが、その間、あのアレクサンダー大王と戦ったり、後にはローマ帝国と抗争した。ペルシャ帝国は、オリエント大帝国として独自の文明を誇り、ローマ帝国イスラム帝国に、政治、文化面で大きな影響を残した。

 7世紀に入ると、ペルシャ帝国最後の王朝サーサーン朝は国力を落し、イスラム帝国(サラセン帝国)によって征服される。以後イスラム教に席巻され、ゾロアスター教消滅するが、古代以来のペルシャの独自文明を維持し、アラブ圏とは異なった独自イスラム文化圏形成することになる。

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 イスラム勢力による征服後、イランでは何代ものイスラム王朝が入れ替わるが、その間、モンゴル人やトルコ人の侵入支配なども受ける。近代になると、イスラム最後の王朝ガージャール朝は、近代化したイギリスロシアなど列強侵食を受け弱体化してゆく。

 イギリスロシアなど外国からの干渉と内政の混乱の下で、ガージャール朝の専制に対する批判が高まり、憲法の導入などを求めて、イラン立憲革命が始まった。イラン国民国王に対して議会の開設を求め、国王議会開設の勅令を発しさせるが、内部対立やロシアによる介入により、立憲革命は失敗に終わる。

 

 第一次世界大戦勃発すると、イギリス1919年8月9「英国イラン協定」を結び、イラン保護国化を図った。この協定に反発したイラン国民は、ガージャール朝妥当を目指し急進的に革命化してゆく。そんな中、1921年2月イランコサック軍がクーデターを起こし、実権を握った「レザー・ハーン」は1925年10月にガージャール朝廃絶法案を議会に提出、翌1926年4月には「皇帝レザー・パハラビー(パハラビー1世)」として即位し、「パハラビー朝」が成立した。

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 レザー・パハラビーは、イスラムより「イラン民族主義」を重視し、遅れていたイラン近代化を推進する一方、反共政策を強化するとともに独裁化を進めた。第二次大戦中には、枢軸国よりの姿勢を見せたため、連合国による進駐を受け、レザー・パハラビーは退位し、息子の「モハンマド・レザー・パハラビー(パハラビー2世)」に譲位した。

 

 戦後国民の圧倒的支持を受けてモハンマド・モサッデク首相に就任すると、英米が支配するイラン石油国有化を推進したが(石油国有化運動)、英米の秘密諜報活動と、それを受容れたモハンマド・レザー・パハラビーによって失脚させらた。以後、英米の強い支援のもとで、パハラビー2世は権力の集中に成功し、独裁的にイラン近代産業化を推進した。

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 英米の利益に沿ったパハラビー2世の急激な産業化政策は、秘密警察サヴァク(SAVAK)による強権政策や、徹底した世俗化(反イスラム)などで国民イスラム宗教者の反感を買った。そして1979年ホメイニーらイスラム法学者の指導する「イランイスラーム革命」により、パハラビー朝の帝政はたった2代で倒れ、パハラビー2世(日本では「パーレビ国王」と呼ばれた)は亡命する。かくして、近代には特異なイスラム宗教国家イラン・イスラーム共和国」が誕生した。

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$『イランイスラム : 文化と伝統を知る』(2010/森茂男編)

http://www.hanmoto.com/bd/isbn/9784861102158

 

 

〇この年の出来事

*1.20/日ソ 日・ソが北京で基本条約に調印し、ロシア革命以後、途絶えていた国交回復。

*2.20/米 軽快さ、粋、風刺など、都会的センスが売りものの週刊誌ニューヨーカー』が創刊さる。 

*8.8/米 秘密結社クー・クラックス・クラン(KKK)」がワシントンで第1回全国大会を開催し、20万人が参加。

*8.16/米 チャップリンの『黄金狂時代』がニューヨークで封切られ、大成功をおさめる。

*12.24/ソ エイゼンシュテイン監督の不朽の名作『戦艦ポチョムキン』が、モスクワボリショイ劇場で初公開される。

2017-08-08 【江戸川乱歩 没後50年】

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江戸川乱歩 没後50年】

 

 

 NHK ETV特集「二十の顔を持つ男〜没後50年・知られざる江戸川乱歩〜」を観た。

 

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 乱歩に出会ったのは中学生の頃、少年向けポプラ社の「怪人二十面相シリーズ。その後、家の物置に講談社探偵小説全集が転がっているのを見つけて、旧字旧仮名にも拘らず密かに読みふけった。何となく子供ごころに、大っぴらに読んでいてはいけない雰囲気を感じ、物置に隠れたりして読んだものだ。

 

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 乱歩作品は三期に分けられるという。初期の「二銭銅貨」や「D坂の殺人事件」など、謎とトリック論理的推理を重視したもの

 次に「屋根裏散歩者」「人間椅子」「芋虫」など、エログロ小説として評判になった猟奇シリーズ。並行して「黒蜥蜴」など、のちの怪人怪盗ものにつながるものもあった。

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 そして「怪人二十面相」「少年探偵団」という少年向けシリーズ。ご存知、名探偵 明智小五郎探偵団長小林少年怪人二十面相が大活躍するシリーズだった。

 

 以前に書いた「芋虫」が、戦争末期になってから戦時時局に反すると発禁にされた。戦闘四肢を無くし芋虫のようになった兵士の性生活を描いたが、そのエログロ性よりも、「英雄ではない無残な兵士」を描いたからであろう。

 すべての作品絶版とされ、執筆依頼も無くなった乱歩は、沈黙し、書斎に篭って洋書ミステリーなどを濫読したという。戦後になると、その博識を発揮し、西欧の著名ミステリーの紹介と、日本におけるミステリーの発展に尽力した。

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 戦後少年向けの「二十面相シリーズ」は、過去の蓄積から楽しみながら書けたが、本格的な作品はほとんど書かなくなった。たまたま古本屋で見つけた「ぺてん師と空気男」という作品を読んだが、かつての乱歩の才能のきらめきは観られなかった。