現代伝説考04

西部講堂でのライブのあと・・・

4.劇場系
 劇場やライブハウスといったパーフォーマンス空間には、やたらに霊や怪異現象の噂が多い。ほとんどすべての劇場にひとつやふたつの怪異譚があるといってもいいだろう。とりあえず「でる」といわれる劇場の報告を羅列してみよう。

『#130-1東京青山劇場に*でる*』
《その1。東京の青山劇場は、以前、墓地があった所に建っている。その柿落としの時には、打ち上げを劇場の中でやった。すると、外部からは誰も入って来ないはずなのに、なぜかカウボーイ・ハットをかぶった見しらぬ人たちが大勢参加していた。以降も、ここには、よく出るそうな。》
『#130-2サンシャイン劇場に*でる*』
《その2。サンシャイン劇場も、以前に墓地だった所であり、よく出るそうな。商業劇場では、深夜に仕込をすることは普通だが、ここは、よく出るので禁止されている》
『#130-3新橋演舞場の回り舞台に*でる*』
《その3。新橋演舞場には、廻り舞台の下で見かけたという話がたくさんあるそうな。》
『#130-4明治座に*でる*』
《その4。明治座は、改装前、舞台袖の奥に建物の都合で隙間があいていた。そこは薄暗く、よく出たそうだ。》
『#130-5こまつ座の小道具部屋に*でる*』
《その5。劇場ではないが、こまつ座の小道具室は、幽霊のたまり場になっているという話。》
 ここまでは同一人の報告であるが、これを見ただけでも劇場にはやたらに「でる」という気がする。なにはともあれ、劇場という場所の特異空間性を確認しておかなければなるまい。

 まず舞台が劇場の中心であり、文字どおりハレの場であることはいうまでもない。すべてのスポットライト・フットライトがあつめられ、演者・観客ともに全員の意識が集中される場所である。しかも、演者にとっては聖なる場所でもある。

 ところが一歩舞台裏にはいると大道具・小道具部屋、舞台の袖、さらには地獄を想像させるところから名付けられた奈落と呼ばれる場所まで、とたんに妖しげな雰囲気のただよう猥雑な空間になる。このような極端な落差こそ、幽霊たちにとってはそれこそ恰好の舞台装置であろう。役者が舞台に登場するのと同じように、幽霊たちも自分たちの「舞台」に登場する。

 また、舞台は演者たちが変身する場所でもある。役者たちが、その架空の役割に神憑り的に魂を入れこむ霊的空間でもある。他方観客席は、普通の人々がさまざまなパーフォーマンスを楽しみにくる娯楽の場である。このような両者の対照的な心理の落差もまた、異様な雰囲気をかもしだす。

 さらには、興行がうたれているときの熱気と対比すれば、観客のいない劇場はがらんとした虚空間であろう。ハレの舞台のときのために黙々と稽古というケのときをすごす役者や舞台関係者たち。そしてひと気のすくない舞台裏の薄暗い空間。こういった状況から劇場伝説は生成してくるのであろうと考えられる。

 青山劇場やサンシャイン劇場の噂に指摘されているように、もと墓地であったりという立地の因縁と怪異現象がむすびつけられることも多い。あるいは、劇場の舞台裏というのはさなざまな事故のおこりやすいところでもあり、過去の事故死者や自殺者の霊が伝説に登場したりもする。こうして舞台関係者のあいだでささやかれ出した噂が、外部にひろがるにつれてさらに尾ひれがついていくことであろう。

 このような劇場伝説と似たようなシチュエーションで、ライブハウスの音楽関係者のあいだでも同様の噂が発生すると考えられる。

『#57-6ライブハウスの幽霊』
《目黒駅前のライブハウス「SONOKA」は、日本のジャズクラブの草分け的存在だそうですが、友人から聞いた話。彼女の同居人は活躍中のドラマーですが、SONOKAには「出る」というのがミュージシャンの間で定説になっている。0時を過ぎると聴こえる、ライブが終わって掃除をしていると聴こえる(ピアノの音など)、というのがその内容。前のオーナーの何かである、というようなことを言っていました。幽霊ネタは埒外かもしれませんが、話者が音楽関係者であること、場所がライブハウスであることなどから並べてみました。
劇場などでも同様の話があると聞きます。聞いたのは去年、友人はやはり音楽をやっている20代の女性です。》
 さすがにライブハウスだけあって、ピアノなどの音が重要な役割をはたしているのが特異なところであろうか。

 墓地という因縁のかわりに、もと監獄という歴史が反映された奇っ怪な劇場伝説をも紹介しておこう。あの極東軍事裁判でさばかれた、A級戦犯たちの記憶につながる巣鴨プリズンとむすびついた話である。

『#133-1監獄跡のサンシャイン劇場に*でる*』
《池袋にあるサンシャイン劇場は、墓場ではなく、軍隊の関係施設かなにかがあって(正確なものを忘れてしまった。ごめんなさい)、「でる」というのは有名です。
 スーパーエキセントリックシアターゲネプロで、幕をあけたら、誰もいないはずの客席に軍服姿の方々がずらっといたというのが、私の聞いた話です。
 ああ、思いだした。巣鴨プリズンがあったんだ。そうそう。たしか、そうだったと思います。昔のことはよくわからない世代なので、(なにせ東京オリンピックもしらん)もしかしたら、違う施設かも知れませんが。》
 もうひとつ、建物そのものの外観の異様さとむすびついた話を引用して、つぎの稿にうつろう。京都大学西部講堂という、大学の講堂とはおもえない寺院の本堂のような瓦葺きの木造建築での伝説である。かつての大学紛争の舞台にもなり、その屋根瓦には色とりどりのペンキが塗られているという不思議な外観からしても、噂のひとつやふたつあってもおかしくないとおもわれる。

『#177-1京大西部講堂の怪』
《それはともかく、京都大学西部講堂の怪談の話はもう出ましたか? とにかく、この話がしたくてはるばるやってきたので、まあ聞いてください。
 実名は出しませんが、これをぼくに語ってくれたのは、友人の女性ピアニストです。ぼくはちょっと芸人のまね事もやるので、彼女と一緒に西部講堂でイベントをやったこともあります。その時は、講堂の客席真ん中にコンクリートの台みたいなものがあって、そこでぼくは演技をしたのです。さて、そのコンクリートの下には、何があると思います?
 西部講堂は中世の寺院の一部をどこかから移築したものだとか。だから、昔から居ついた幽霊がいっぱいいるんですね。講堂でお芝居をやると、そういう幽霊が見物に出てくるので、もぎりを通った人は少ないのに、暗い客席の中は静かな観客たちでいっぱいになっていることが、しばしばあるそうです。また、そういう時は、悲しい場面でもないのに、俳優の声がみんな泣き声になってしまう現象も起きると聞いています。
 その西部講堂に、ぼくもよく知っているパフォーマーが、ある時出演しました。この人は語り手であるピアニストのご主人で、パフォーマンスの分野では世界的に有名な人です。
 その彼が出演した時、客席、といっても土間ですが、そこに穴を掘り、幽霊を穴に封じ込める儀式を演じた後、そこにしっかりと杭を打ち込んだのだそうです。終演後、その講堂を管理している学生たちに彼は「この杭は抜かない方がいいよ」と、なにげなく言ったのだとか。しかし、学生たちはそれを気にとめず、杭をぽいっと抜いてしまいました。
 その夜、学生たちが講堂の中で眠っていて、一人がふと目覚めると、その穴からぶわーっとものすごい勢いで、たくさんの幽霊たちが飛び出してくるではありませんか。わわわわ・・・! そして、学生に「こっちへおいで、こっちへおいで」と手招きするんですって。ふらふらとそっちへ行きかけた学生。その彼をからくも止めたのは、最後に穴から出てきた学生の祖母の幽霊でした。彼女は生前キリスト教徒だったのですね。「こっちへ来てはいけない」。制止する祖母の姿に、学生ははっと我に返りました。間一髪、彼は救われたのです。
 翌朝、彼から事の次第を聞いた学生たちは驚き、神社から神主を呼んできて、おはらいをしました。そして、そこをぶ厚いコンクリートでしっかりと塗り固めたのでした。あのコンクリートの台はそうやって、できあがったものなのです。それから、幽霊たちはどうなったかって? さあ、その後のことは知らないのですけどね。》