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なにさま日記

2017-07-29 【団塊世代は何を為したのか】

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団塊世代は何を為したのか】

 

 1960年代から70年代初めにかけて、多くの若者文化が登場したが、それらを主導したのは必ずしも「団塊世代(1947-49生)」ではなかった。

 ざっと関係者を挙げてみると、東大全共闘議長山本義隆1941年サイケイラストレーター横尾忠則1936年アングラ天井桟敷寺山修司1935年状況劇場唐十郎1940年ジョン・レノン1940年ポール・マッカートニー1942年

 エレキギター寺内タケシ1939年プロテストフォーク岡林信康1946年フォーククルセダーズ加藤和彦1947年北山修1946年

 日本赤軍重信房子1945年よど号事件田宮高麿1943年連合赤軍森恒夫1944年永田洋子1945年1972年に起こされた「あさま山荘事件」で逮捕された、連合赤軍で下っ端だった残党にやっと団塊世代が出て来る。

 

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 つまり60年代若者ブームリードしたのは、団塊世代より3〜10歳年長のお兄さんお姉さん世代であり、むしろ団塊世代は、その「受け手」であり、その後に続いた世代だったのである

 団塊世代の圧倒的な世代人口ボリュームが、通過していく過程で、さまざまな社会文化現象が引き起こされたが、それは団塊世代が主導的に何かをしたということではなく、その「世代ボリューム」自体が引き起こした現象だったのだ。

 「年金食い逃げ世代」などというのも、せっせと働き年金納付を続けた結果、やっと受取る世代となっただけであって、年金制度制度設計に関わった訳ではあるまい。もちろん、福祉資金が老齢者に重点的に配布され、若年現役世代に過負担となっている制度は改めねばならないが、それは世代論とは別問題である

 

 そもそも団塊の世代」という言葉は、1976年から連載され、1980年に刊行された堺屋太一近未来小説団塊の世代から来ている。>https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%A3%E5%A1%8A%E3%81%AE%E4%B8%96%E4%BB%A3_(%E5%B0%8F%E8%AA%AC)

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 太平洋戦争の終結により、中国大陸南方方面派兵されていた兵士たちが、続々と復員して来た。また満州台湾朝鮮半島などに開拓団として移殖していた日本人たちも、やっとのことで帰国して来た。それらの家庭で、続々と子供が生まれた。それが「団塊の世代(1947-49年生れ)」と呼ばれ、その前後世代に比べて数割も出生数が多かった。

 

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 団塊世代の圧倒的な世代ボリュームは、彼らの成長ステージに合わせて、様々な社会文化現象を引き起こしてゆく。まず小学校学齢期では、圧倒的な校舎不足で、一学年は6クラス以上、クラスは50人以上のすし詰め状態、その多くは戦前に建てられた古ぼけた木造校舎であった。

 中学校になると、クラス人員数は同じで、クラス数は二桁となる。旧校舎では間に合わず、新築の鉄筋コンクリートの校舎が建て始められるが、当然、卒業時までには間に合わず、在学中はバラックのような教室で過ごす。卒業時には、クラスのほぼ1/3が就職し、残りの2/3は高校に進学する。しかし、さらに大学へ進学するものは、その内の半分にも満たなかった。

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 中学卒で就職するものは、高度成長の下で「金の卵」と呼ばれ、工場商店など中小零細企業での若手労働力として、産業の下支えとなった。高卒就業者も、大手中小企業ともに、中間管理職不足のなかで、頑張れば出世できるという希望が持てた時代だった。

 

 団塊世代青年期(18〜25歳:1965-74年)に差しかると、本格的に新しい社会文化現象が登場した。まず爆発したのが、大学生を中心とした大学紛争反体制活動だった。時期は、まさに70年安保改定差し掛かる時期であり、60年安保改定以後沈静していた学生運動が、再び活性化して来た。

 しかし70年安保期に前面に登場したのは「全学連」はなく、「全共闘全学共闘会議)」であった。セクト(分派)ごとに主導権争いを繰り返す活動家セクト・グループに代って、「全共闘」は、各大学個別問題について大学側と対抗する組織として、大学ごとに有志により立ち上げられ、一般学生を含み広く議論しようという組織であった。

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 日大東大に始まった「全共闘運動は、またたくまに全国の大学に広まったが、1969年1月の「東大安田講堂事件」で転回点を迎える。大学側が機動隊導入を要請し、東大キャンパス解放され平穏に戻ると、同様に、各地の大学も次々と機動隊導入をはかり、大学における全共闘活動は、急速に消滅していった。この後、街頭へ追い出された各セクト活動集団は、各地で過激な活動をしたが、全共闘活動を支持していた一般学生の心は、もはや着いていけなくなった。

 

 ほぼ同時期、寺山修司は『書を捨てよ町へ出よう』と若者たちをアジり、アングラ劇団天井桟敷」を主催した。これに対抗するように、唐十郎率いる「状況劇場」も、紅テントでのゲリラ的な演劇若者たちを動員した。また、改造中の新宿西口などでは、自発的に集まった若者たちによって、「フォークゲリラ反戦集会」が開かれ、集会は強制排除されたが、「反戦フォークブーム」は、全国の若者に及んだ。

 これら「若者の反乱」とも呼ばれる社会文化現象は多岐にわたったが、これらの世代社会に出て企業人になるにつれて、沈静化していった。グループサウンズフォークグループといったアマチュアグループも、その多くは、タレントプロダクションレコード会社テレビマスコミといったエンターテイメイント産業に吸収されていった。

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 団塊世代社会人となると、独身社会人としては、自由に使える可処分所得で、ファッションをはじめ、個人的趣味世界消費財に多くの収入を割いた。また、家庭を持つと「ニューファミリー」と呼ばれ、核家族夫婦中心の独自の消費生活を営んだ。これらは、生産財から消費財へという産業構造の移行を促すこととなる。

 一方で、団塊世代の多くが会社員給与所得者となると、その企業内での人口ボリュームが、新たな問題を顕在化させる。「終身雇用制」や「年功序列制」は、せいぜいが戦後の高度成長下で確立されたに過ぎない制度であって、それが物理的に維持不可能なことが明かになって来た。

 

 私自身の経験でいえば、1973年4月に入社、その秋に第一次オイルショックで、営業職なのに売る物が無くなった。そして、それまでの高度成長経済から、安定成長と呼ばれる低成長経済に転換した。入社時には、10年で営業課長、20年で営業部長と言われていたが、実際に10年経過すると、さらに10年経たないと課長職に成れないという状況となっていた。

 私自身は10年余りで自主退職したが、その頃に安定した正社員職を捨てて退職する例はまれだった。誰もが、定年退職まで務めるつもりで、住宅ローンを組んで子作りをしたのであった。「窓際族」「肩たたき退職勧告)」「早期退職」などという言葉が叫ばれるようになったのは、その後からだったと思われる。

 

 そして、団塊世代人生の節目ともいえる60歳に達する時期になると、例の年金問題が噴き出す。きっかけは、社会保険庁による「消えた年金問題(年金記録問題)」であったが、そもそもは、「公的年金統合」を前提にした基礎年金番号導入と、そのデータオンライン化作業であった。

 そして、さらにその前提になったのが「年金制度破綻」への憂慮であった。何といっても、最大の年金納付世代としての団塊世代が、60歳で、国民年金の加入納付義務からはずれ、また定年退職などで厚生年金から離脱するわけなのだから。かくして団塊世代は、年金を含む福祉資金の老齢者偏重と、若年者の過負担による年齢差不平等の元凶とされるに至った。

 

 しかしこれらの問題は、実は1976年からの『団塊の世代』で、すでに堺屋太一が指摘していたこである生産財産業から消費財産業サービス産業への移行と、若年消費者の主導。終身雇用年功序列崩壊と、中間管理職ポスト不足、中年サラリーマン退職勧告。そして、退職世代の増大と、年金基金不足の顕在化、年金破綻顕在化など、社会保障制度の危機。

 この近未来小説を書いたのは、元通商産業省官僚であった堺屋太一である政府経済政策を担った通産省でも、当然このような問題は予測できたはずである。数多くの経済統計データの中で、もっとも将来予測が確実なのが人口構成である年代別の人口ピラミッドは、完全なピラミッドからネギ坊主型へと、間違いなく移行してゆく。

 

 中高年齢層が膨らんだ不安定人口ピラミッドでは、どのような経済問題が発生するかは、堺屋ほどの想像力があれば予測できたはずだ。団塊世代らが若年労働者として続々と経済活動に参画した時期に、高度成長は展開した。通産省などの政策が功を奏したと言われるが、実際には、団塊世代という人口ボリュームが通過してゆくときに、引き起こされた経済成長であるという要素も大きい。

 高度成長は、いわば「人口ボーナス効果によって引き起こされたと言ってもよい。特別な経済政策など無くても高度成長は実現されたというわけだが、逆に「負の人口ボーナス」に関しても、政策効果が薄いとも言える。その後の、終身雇用年功序列制などの日本的雇用関係崩壊してゆく過程や、年金制度崩壊には、結果的に無策であった。

 

 団塊の世代という巨大な人口ボリュームが通過してゆく過程で、さまざまな社会文化経済事象を引き起こされたが、それは団塊世代主体的に何かを為したというわけではなく、ひたすらその大きいずう体が必然的に起こした現象でしかなかった。団塊世代が、世代としての自らの意志で何かを行ったということは、何ひとつ確認されない。それはむしろ、「顔の見えない世代」だったということだ。おおむね引退した彼らは、いまどこで何を為しているのであろうか。