10月8日(水)「気狂いピエロ」

気狂いピエロ」('65・仏)監督・脚本:ジャン・リュック・ゴダ−ル 原作:ライオネル・ホワイト 撮影:ラウ−ル・クタ−ル 美術:ピエ−ル・キュフロワ 音楽:アントワ−ヌ・デュアメル 出演:ジャン・ポ−ル・ベルモンド/アンナ・カリ−ナ/サミュエル・フラ−/レイモン・ドボス
ジャン=リュック・ゴダールの描く、「勝手にしやがれ」と並ぶヌーヴェル・ヴァーグの代表的作品。映画的文法に基づいたストーリーというものはなく、既成の様々な映画の要素を混ぜ合わせ、光・色・音等を交差させて、引用で組み立てられた作品。「勝手にしやがれ」のジャン=ポール・ベルモンドを主演にして、ただただ破滅へと向かってゆく主人公の姿を描いた本作は、今にしてなおファンの間では“伝説”とされる、最も過激で刹那的なアナーキー映画である。主人公が顔中にダイナマイトを巻き付けて自爆するラストシーンは圧巻であり、同時に“美しい”映画史に残る名場面。原作はライオネル・ホワイトの『十一時の悪魔』。<allcinema>

◎若い頃に映画館で見たときはラストのピエロの爆死シ−ンしか記憶に残らなかった。以来ゴダ−ルの映画は敬遠してきたのだが、今回見直してみて前半のアンナとの破滅に向かっての道行きは台詞も洒落ていてナカナカだなと思えたのだった。しかしそれが、恐らくはゴダ−ルが最初に思いついたと思われる主人公の自爆シ−ンにかこつけるためのドタバタの挿入が不自然で、トリュフォ−の「ピアニストを撃て」に見られたようなユ−モラスなギャグもなく、唯一、崖の上で軽い“ボン”という音で爆死するシ−ンのあっけなさにゴダ−ルのギャグを感じたのだった。そのラスト・シ−ンに被されるランボ−の「地獄の一季節」の“また見つかった、なにが、永遠が・・・”の詩句は余計な飾りではなかったかと思ったことだった。その詩句も原文とは違っていたようだが、仏語に明るくないので断言は出来ない。呑気呆亭