国破れて山河もなし−3・11に

 あれから3年.私が金曜日の関電前集会に戻るのは4月になって暖かくなってからと考えていた.が,3・11は火曜日だが,いつもの関電前集会の主催者はこの日も関電前で集会をするとのこと.これは行かねばなるまいと,夕方5時に現地へ.前に日の丸を持って参加していた彼にメールすると,彼は1月の集会の底冷えにする日に参加し,「大風邪を引いて大事をとっておりました。もう大丈夫です。」と返信が来て,彼も来るとのこと.現地で合流した.集会は5時から8時までであったが,われわれ老人は最後までは無理,2時間弱で引きあげ,茶店でひとときを過ごしてきた.結構寒くて腹も冷えるなと思っていると,携帯カイロを配る人がいて,これはありがたかった.遠慮なくもらって腹に貼るといい具合である.
 集会の参加者は5時には数えるほどだったが三々五々増え,それでも100人というところか.ひところ3000人が集まっていた.確かに参加者は減っている.しかし,量の問題ではない.今日は,それぞれ一言喋る時間も作って,みな喋ってきた.孫子のためにしなければならないとの思いで参加している老年世代が多かった.その一方で若い人も見受けられ,持続する志を改めて確認.こちらもいろいろ考え,力をもらった.この質はどこかで量にもういちど転化するにちがいない.
 福島核惨事はまったく現在進行中の事態である.ますますこれがいかに悲惨で過酷な事態であるかが明らかになってゆく.それとともに,彼とも茶店で話したのだが,現代日本の,その底で進んでいる事態,国家とそして民族の崩壊ともいうべき事態.国破れて山河もなし.歴史の転換点で国家や民族が消滅することは過去にもあった.このままでは日本もまたそうなる,との彼の意見.われわれの世代は一体何を残せるのだろう.何が出来るのだろう.自問自答する.
出かける前もこんなことを考え,集会でもその思いやまず,茶店でも同じ会話をする.こういうことを考えるのが,人間の証しといえば証しであるが,しかし,人間とは難しいものだ.いずれにしてもオリンピック東京開催などありえない.広瀬さんの訴えが広がれば,選手から多くの参加拒否がでるのではないか.誰も来ないオリンピック.もしたとえオリンピックの開催はなくなっても,しかし日本の現状は悲惨というか,打つ手なしというかではないか.そんな話しをして分かれた.
 滋賀県大津に住む妹から,もらい物だがといって,近江の地酒720mlが5本が送られてきた.一応薬剤師なので「ステロイドを飲んでいるうちは飲み過ぎないように」との言葉を添えて.日本の各地にこのような地場の産物があり,長い歴史とともに受け継がれてきた.しかし核惨事はそれを断ちきる.琵琶湖が汚染されれば,この酒もなくなる.
 「風評」という言葉が流される.「危ないというがそれは風評.安全ですよ」というわけである.これは「原発は安全だ」に続く安全神話である.何の根拠もない.事実は,福島の地場の産物は,危険である.核汚染を認定しそれに伴う経済的被害はすべて東電に責任をとらせなければならない.額の問題ではない.東電を破産処理し東電と金融資本に責任をとらせる.それを恐れる原子力村が「風評だ」というあたらな安全神話を流している.
 「フクシマの嘘」(YouTube の日本語字幕版)にもあるように,阿武隈川の汚染は非常に高い.数値で4000Bk/Kg前後が出る.これまで日本では100Bk/Kgが基準値であった.東電がまき散らした核汚染が河に集まる.この水が仙台湾に流れ込む.ところが日本政府はこの基準値を8000Bk/Kgに改訂した.基準値を改訂してそして「安全」.阿武隈川の汚染は「風評」だ.これが今の日本である.こういう状況を「国破れて」というのではないだろうか.
 ところで,このYouTubeのも「フクシマの嘘」はや削除されている.YouTubeへの検閲が早い.必ず自分のPCに保存していかないと観られなくなる.はじめにこれを教えてくれたブログ「秋葉龍一のねごと」では観られる.
 3年経って核汚染はとどまるところを知らない.そのなかでの,とりあえず私の街頭復帰であった.前は10月18日だったので,5ヶ月弱外に出られなかったのだ.よく治ってきたという思いとともに,公私とも今後を考える思いは強くなっている自分を見出した.街頭復帰をありがたいと感謝しつつ,戻ってから少しだけ地酒をいただいた次第である.
 追伸:3/9の「さよなら原発3・9関西行動」の記録は,レーバーネットYouTubeにある.そこでの小出さんの発言「福島の人たちを苦難のどん底に落としながら,何がオリンピックだ.それなら私は喜んで非国民になる」は重い言葉である.