夏の終わりの金曜行動

 今日は八月最後のTwitNoNukes大阪主催の金曜行動.いつものように100人弱の人が集まり,原発反対,再稼働反対の声をあげる.こちらも定例のこととして7時過ぎから8時まで参加してきた.このような行動はもう三年になるだろうか,全国で行われている.それを土台にして,「全国から最前線の声を集めた脱原発情報マガジン」と銘打って,『NONUKES voice』という雑誌が鹿砦社から,『紙の爆弾』9月増刊号として8月25日発売される.発売日前にこの集会で売っていたのでそれを買った.そのなかで関電前行動を主催しているTwitNoNukes大阪の人も「福井地裁・大飯原発再稼働差止判決について」と題して一文を寄せている.その最後に,

 「TwitNoNukes大阪」として結集した人たちは筆者を含め,今や,レイシズムや安倍・自民党政権に立ち向かう運動にも広く関わっています.現時点では,まず「安倍を倒せ」がキーワードです.一刻も早く安倍を総理の座から引きずりおとし,自民・公明の専横とともに原発もやめさせましょう.

と書いている.行動先行で認識を深める,そのいいお手本である.若い人たちのこういう行動が日常のこととしてなされるということはかつてなかったことであり,私も参加できるかぎりは参加する.
政府は,福島県川内村の避難指示解除準備区域の解除を10月1日に正式決定する.  
 川内村の線量は放射線管理区域の範囲内のままである.もとより住民は反対している.それでも政府は解除する.強行する.なぜそんなに急ぐのか.避難指示を解除すれば,東電や政府の保障金額が変わってくるのではないか.それが,それだけが狙いなのではないか.解除されてもこの線量では危険であると村に戻らなければ,それは勝手な行動として保障しない,それをもくろんでいるのではないか.これが今の日本政府である.人間としての最低限度の尊厳を守ろうとするものにとって,まさに「安倍を倒せ」がキーワードである.必然的にそうなる.
 ところで,もう覚えてはおられないだろうが,鹿砦社の松岡社長とは昔,それこそ25年ほど前に西宮の事務所でお会いしたことがある.同じ京都であの時代を共有した思い出から,その当時のそれぞれのことなどを話した.鹿砦社はそれから本当にいろいろなことがあった.弾圧も受けた.いくつかの反原発出版物は,書店の取り扱いも拒否された.それでも鹿砦社は原則を譲らなかった.このような脱原発情報誌が鹿砦社から出たことにいささかの感慨を覚えながら,戻ってきた次第である.
 さらに話変わるが写真最後は昨日京都で食べた「はものあぶり」.もう20年来の京都駅前の行きつけの店が,時代にあわせてこぢんまりと改装.京都で授業があった月〜木の4日間毎日食べて帰った.そして一昨日は鱧のあぶり.あまりにうまくて昨日はカメラを持ってもういちど食べた.湯通しした鱧を少し焦げ目がつくまであぶり,それをゆず胡椒で食べる.このうまいこと.鱧の骨の唐揚げも何とも言えない.鱧を食べないと京都の夏は送れないのだ.しみじみと鱧を味わった次第である.このような食文化は尊い
 関電前の行動もそれぞれの季節の感情を伴うものになってきた.それだけ定着して来ということだろう.鱧の季節の関電前行動であった.
 追伸24日:関西の八月下旬の風物詩を追加.今日24日は地蔵盆である.住んでいる地域に地蔵堂がある.このあたりは昔は畑や水田が広がる丘陵地帯.それがこの四半世紀,住宅街になった.集合住宅も多くある.このお地蔵様もいろいろ転居をされてきたようだ.はじめはもう少し山の方にあり,それから水田の畦にあり,そして集合住宅ができ道路が拡張されたおり,それを建てた業者が,市などから土地の提供を受けこのお堂を建て,ようやくここに落ちつかれたということだ.
 私の故郷の宇治は,通りのあちこちにお地蔵様があり,23,24日と地蔵盆をしていた.大きな数珠回しをしたことも記憶にある.地蔵盆が来ると夏休みももう少しだなと思う.そういう季節感のある行事であった.子どもらにそういう記憶が伝わってゆくことは大切だと考えていたが,先日,この地蔵堂の掃除をしていた人に地蔵盆のことを聞いたら,24日にしますよということであった.17年ほどここに住んでいるのに,少し離れているので,地蔵盆が毎年行われていることも知らなかった.昼前にお参りして,そこにおられた世話をしている老人に,いろいろいきさつを聞いてきた次第である.