肯定する力

 昨日は関電前行動の日.秋を感じる頃になった.昨日もおよそ50人が集まっていた.2012年の3月からこの行動は続いている.こちらが参加しはじめたのは関電前抗議集会に残っているがその夏.時間が経ったのはその通りである.が,時代もまた動きはじめている.いつも半時間の後,途中で時間をとって,集会の告知や参加呼びかけをやっている.
大阪ではこの秋に,知事選と市長選がある.大阪市解体構想に反対する若者の運動をはじまりとするSADLが主催する, 大阪ダブル選のための緊急談義の呼びかけもあった.市長選では,大阪維新の会自民党が候補を立てる.大阪維新の会に勝たせないために,自民党の候補に投票することが呼びかけられている.共産党も候補を立てず自民候補を支援する
 その呼びかけのときに,われわれの世代の人から「それでも自民党に投票するのはな〜」と言う声があがった.それに対して,この日の抗議行動の主催者の人が,大阪維新に勝たせることは安倍を認めることになる.大阪維新を落とすために,ここは自民党に投票しよう,とていねいに話していた.
 実際,今の日本で政治的な線引きをすれば,ファシズムか民主主義かである.そしてこの線は自民党の中を通っている.線の向こうに安倍があり橋本がある.自民党の市長候補の柳本市議は,大阪の庶民の感覚は失っていない.安倍政治の人ではないことは雰囲気でわかるような気がする.
 われわれの世代の運動は,「〜〜反対」がそのスローガンであった.とりわけ日本の左翼はそうだった.暴露して反対させる,これが運動の主な形であった.反対して,では何を作るのか.それには答えていなかった.あの当時は,その後の万博から日本経済がまだ拡大ができるときであった.「何を作るのか」に生き方で答えようとしたのがヒッピーであったが,それはなかなか現実的な基盤を持ちえなかった.
 それに対して今は,経済拡大にはよらない別の生き方の追究に現実的な基盤がある.そこで「これが民主主義だ」という.この肯定がスローガンになるところが新しい.先の香港の若者たちのデモで「私たちは香港だ」がスローガンになった.「中国ではない」とは言わなかった.これが香港の運動に新しい段階をきり拓いた.この日本でも,ようやくに肯定する力こそが主導権を持つようになってきた.このようなときにあいかわらず「反対」を言うのは逆に歴史の反動となる.
 もとより「これが民主主義だ」もまたもっと深められなければならない.とりわけ運動する側内部の民主主義ももっと議論されねばならない.しかし,運動の始まったばかりの今,いくつもの課題があるのは当然だ.歴史を観念で飛び越えることはできない.まず,ファシズムに対して,民主主義,国民主権,個人と人間の尊厳.これがそうだと言えることを生みだしてゆく.
 拡大していなければ存在しえない資本主義が,拡大の領域がなくなり行きづまり,唯一拡大しうる領域としての戦争商売にその存続をかけかけてきている.アメリカの産軍複合体は,冷戦終結以降その道を歩んできたのだが,日本もまたそこに加わろうとする.それ以外に彼らに途はない.それが安倍ファシズムだ.とすれば,われわれは拡大ではなく循環,経済資源としての人間ではなく「これが人間だ」という生き方を,なし得るところから生みだし,互いに手をつなぎ,そして「これが人の世だ」といえるものを生みだしてゆかねばならない.その力,その広がりが,ファシズムに対抗する土台である.そんなことを考えながら戻ってきた.