ドイツまで

 9日から19日までドイツにいて,今朝関空に戻ってきた.子供らの住んでいる,フランクフルトの北30Kmの街バートナウハイムに滞在していた.3月下旬に行ったので4ヶ月ぶりである.この時期でも気温は18°ほど.半袖では寒いほどである.日差しは強く日焼けはするが,気温が日本より10度以上低く,さらに空気が乾いている.温帯モンスーンの日本とは大きな違いである.ドイツ鉄道バートナウハイム駅前の通り(写真左)のその正面に有名な温泉の泉がある.落ちついた街である.
 ここを拠点に,数学博物館のあるギーセンや,ライン川の南側にあるマインツや北側にあるヘッセン州の州都ヴィースバーデンに,電車や車で出かけていた.ヴィースバーデンではライン川のぶどうで作るワイン市も見てきた.
 ドイツの街で感心するのは公園が大きく広いことである.日本のように山が多いのではなく,なだらかな丘陵平原が広がっている所なので,街もゆったりしている.フランクフルトから電車に乗ってもすぐに林の中を通ってゆく.京都から大阪とは大違いである.自動車道もその両側は麦畑やいろいろな畑が広がっている.フランクフルトもマインツヴィースバーデンも,広い公園が街中にある.
 1日だけ,ライン川の畔にある,オーバーヴェセルにあるシェーンブルグの古城ホテルに連れて行ってもらった.途中でワイン農家にもより,ワインを買い込んでもみた.古い城でそこがホテルになっている.そして次の日ライン川を少し下り,ボッパルトまで行って,そこからロープウエイで岡に上がり,大きく蛇行するライン川をながめてきた.
 ライン川ではローレライの岩山を船からながめることができた.小学校のときにローレライの歌を聴いてから,いちどは見てみたいと思っていたのが実現した.歌の印象よりもずっと明るい岩山だった.
 この十日間,こちらはある雑誌に寄稿する予定の原稿が頭から離れず,行きの飛行機の十時間から,こちらに集中していた.毎日,気分転換しながら,夜や早朝にいろいろ考える.向こうからいろいろ涌いてくる.それで元稿に手を加え,帰りの飛行機の中で最後の手入れができた.もどって,荷物を片付けたりをすませ,ようやくそれらを印刷して,明日から校正読みにかかろうかというところまで来た.ずいぶん考えを深くすることができた.

 ドイツの街々は,アラブ系の人,アフリカ系の人,そしてわれわれアジアの人間が,白人と混じって生活している.社会を支える下積みの仕事はほとんど移民が引きうける.そのようなあり方が,それなりに定着している.しかし日本と同じく,いわゆる格差は広がっているようだし,近年になって,生まれ故郷で生活できなくなって移って来た人らが,やはり苦しい.横から見ること以上にはわからないが,それでも教会を中心に形成されてきたドイツ社会が基盤の所で変わってゆくだろうとは思えた.
 毎日,少しではあるがワインを飲んでいた.21日は自治会の防災訓練とその後夕涼み会をするので,ソーセージや生ハムを土産に買って,まさにフランクフルト近郊の街のスーパーでフランクフルトを買って,日本酒が恋しくなる頃合いに戻ってきたような次第である.