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青空学園だより

2017-06-05 六月五日に このエントリーを含むブックマーク

今日は,六月五日である.「四季と祭り」に書いたが,小学二年から住んだ実家の近くには,縣(あがた)神社がある.六月五日は奇祭といわれる縣祭である.真夜中に街道筋の明かりを消して,梵天のお渡りがある.家を開放し大阪から来た人らを泊める.お宿といっていた.母が鯖鮨を作る.かつてこの日は小学校も午前中で終わりだった.今でも,半ドンで帰るときの祭りに向かう気持ちの高揚を覚えている.なぜ懸神社氏子が大阪の講なのか.仁徳天皇の時代に大阪が干ばつで苦しんでいたとき莵道雅郎子の魂が雨を降らせたことに始まっているという言い伝えがある.河内平野を背後にもつ仁徳と莵道雅郎子のつながりが現代にもおよんでいる.六月五日は2004年に帰ったきりである.またあの夜店を見て歩きたいものである.

さて以下に書くのは六月三日のことである.昨四日は朝のうち,西宮市のクリーン作戦という全市一斉清掃の日で,こちらは自治会代表なのではじめのあいさつもやり,それから気になるところを掃除.正午前後は一休みして夜は京都で授業.というわけで、三日土曜のことをようやく今書けた次第である.六月二日、小田実とや大江健三郎やがはじめた九条の会の全国的な集会があったようだ.これについては「赤旗」が伝えている.そして三日の土曜日には,地元の九条の会が呼びかけた討論会があった.これに参加してきた.

私自身は,憲法第九条を絶対に守れという立場ではない.しかし,いま改憲議論をすることには反対である.日本は一見独立国のようであるが,事実は違う.日本の制空権は日本政府にあるか.アメリカ軍にあるのではないのか.日本で犯罪を犯した米兵を日本法律で裁けるか.出来ないのではないか.そして何より,日本の政治は,一部の官僚とアメリが軍人で構成される日米合同委員会(「首相の知らない「日米合同委員会」」参照)に仕切られている.

安倍政府は先に「主権回復70年」の行事をやったが,「『主権回復』は奴隷の言葉」にも書いたように,彼らのいう主権回復は,アメリカに隷属する現実を塗り隠すためでしかない.それと同じく,現政府やその背後にあるもの達がいう「自主憲法制定」とは,あたかも「自主」の主権が回復しているこのように言うことで,現実を隠す働きをする.本当の民族派なら,何よりアメリカからの独立をまず闘わなければならない.

矢部さんも言うように,アメリカからの独立をはたした後に,初めて憲法をどうするのか議論するのである.私の意見はそのときに言おう.だから,いま憲法を変えようという動きに対して反対し,現政府がすすめるファシズム的諸政策に反対するということで,私と九条の会は同じ側に立っている.

前置きが長くなったが,そういうことで,こちらも参加してきた.二〇人ほどの集まりだった.地元の自治会活動などもやってきた人で敗戦のとき16歳だった人が戦争体験を語り,その後話しあいをするというチラシを見て,こちらも何か言わねばと思い,あらかじめ主催者に連絡し,その人の次に話す時間をもらった.そして三つのことを話をしてきた.第一は母の手記の紹介.第二は山宣のこと.第三は地元の墓地をめぐっての話し,である.

戦争のころの思い出

母はこれを書いたその前年に大腸癌がわかり手術した.これを書いた平成元年一,二月の頃は自宅で療養していた.これをさらに清書しようとしていた.最初の数行がノートに残っているが,結局四月になってあちこちへの転移が出てきて四月末に亡くなった.これを書いておいてくれたことに心から感謝している.これを印刷して読んだ.

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◯ちゃんとお約束をしていた戦争の思い出、その時の兵隊さんや日本人の暮らしぶりについて私の記憶を少し書いてみます。

昭和十二年七月七日、蘆溝橋(ろこうきょう)事件が起こり、日中戦争が始まり、昭和十六年十二月八日、真珠湾攻撃で昭和天皇の宣戦布告があって太平洋戦争に入りました。

この時の私は女学生で京都の街まで通っていましたが、路面電車市電)はガラスが割れていたりして冬は寒いでした。平安神宮や京都御所へ武運長久をお祈りによく行きました。卒業して昭和十七年四月から十九年三月まで宇治菟道(とどう)校の女子組を担任する先生でしたが、学校は男の先生はだんだん出征していかれて、五十人の中、男の先生は十人もいませんでした。町の中は若い男の人の姿がへっていって「もんぺ」をはいた女の人の働いている姿が今も目の前にちらつきます。

召集令状といって「赤い紙」がきて何月何日集合と親が病気でも子供が小さくてもいやおうなしです。しかし戦場は中国とかフィリピンですから身近なこわさはありませんでした。私の組の子のお父さんも召集令状がきて、朝早く日の丸の小旗をもって駅まで送っていったのです。その時そのお父さんは涙を流して「子供をよろしくたのみます」と言って淋しく汽車の窓から手を振ってられた姿が、今でも目の底にやきついています。

しばらくすると役場(今の市役所)からお使いの人がこられて、「名誉の戦死です」と通知を持ってこられたのです。そこのおうちは三年生の女の子と一年生の男の子でしたが、お母さんが頑張ってこられて今はお米屋さんとして立派に暮らしておられます。

私の実家でも二番目の兄が三才と一才の女の子をおいて出征したのです。フィリピンへいく船が太平洋で撃沈されて戦死です。遺骨と言って白い布で包んだ箱が帰ってきましたが、中身は砂でした。

そのころの人々の暮らしぶりは、お米は配給、野菜は家で作れる人はよいほうで、お魚もお肉も忘れたころに配給でみんなひもじい思いでした。山で木の葉や木ぎれを拾ってきてお風呂をわかしている家もありました。それもできない家は何日もお風呂に入れず、石けんもだんだんなくなり、洗濯も遠のき、頭や体に「しらみ」という小さな虫がわいてかゆくて勉強もできないので、放課後頭の「しらみ」を取ってあげるのです。勉強のほうも兵隊さんの見送り、防空訓練、ストーブ用のまき運びと、みな戦地の「兵隊さんありがとう」という気持と、神国日本はかならず戦争に勝てると思って頑張りました。お昼のお弁当も「むぎこはん」「大根めし」はよいほうで「さつまいも」のふかしたのを持ってきている子もいました。どうしてもその日は持ってこられなかった子はお弁当の時間は外で遊んでいるのです。私はお弁当を持っていてもだれに食べさせてあげることもできず、食べない日もありました。上履き(ズック靴)は一カ月五足くらいクラスに割り当てがあるのですが、足と靴が合わない子は順番がなかなかこないのです。わらぞうりの子はよいほうで、はだしが多く、先生もはだしで頑張りました。放課後の掃除は校長先生が「心をみがく」と言われて、冬でも水でぞうきんをしぼり、光がでるまでふきました。

そのころの新聞やラジオでは、「どこどこ爆撃、敵機何機撃墜、敵艦撃沈」という喜ぶようなことばかりでしたが、ほんとうは日本に不利の形勢だったようです。

私は校長先生や◯◯家のことをよく知った先生のすすめで三月でやめて昭和十九年五月十八日に結婚しました。おじいちゃんは京都の洋書の会社から舞鶴というところの軍需工場に行っていたので、宇治に三日いて、二十日に戻り、舞鶴で生活しました。ちょうど一カ月ぶりに宇治に里帰りしているところへ召集令状がきて、私はそれをもって舞鶴に戻りました。そしておじいちゃんは二カ月後に応召しました。舞鶴の家をかたづけてそれから宇治生活です。おじいちゃんは中支へ送られたようでした。この時はおじいちゃんのおかあさんと生活しました。弟さんは中支へ出征中、もう一人の弟さん(大学生)は学徒動員で愛知県の知多半島の軍需工場へ行っていました。おじいちゃんのおかあさんは何でもよくできた人で、私は何でも教えてもらって失敗しては「すみません」言っていました。そのころ人にたのまれて家で若い娘さんにお裁縫を教えました。宇治の工場へ二回ほど焼夷弾が落とされましたが、京都は古い都ですから爆撃だけはまぬがれました。

中支へ出征しているおじいちゃんや弟さんからはたまに葉書がきましたが、書いたときは元気でも、着くころはどうなっているのかと思うと不安の多いことでした。そして銃後の国民も兵隊さんに負けないようにと勤労奉仕、出征兵士の見送りと忙しい日々でした。もしも空襲があったらと、家の土間に防空壕をほってもらい、肩かけかばんを作って大切なものを入れ、綿の入った防空頭布を枕もとにおいてふだん着のままでねるのです。

戦局はだんだん日本に不利になり、敵が上陸してきたら竹やりでさしてやると言って家のかど口に立てかけてありました。軍部政治家には分っていても、国民は勝てることを信じて不平不満を言わすに働いていました。そうこうしているうちに敵が上陸してくるとか、沖縄へ上陸とか色々なことが言われて出征兵士の家は二重の心配で大変でした。そうしていよいよ日本に敗戦の色がこくなってきたとき、ついに昭和二十年八月十五日、昭和天皇のお言葉で終戦となったのです。ラジオ天皇のお声を聞いて涙がとどめなく流れました。何の涙だったのか、くやしさ、やれやれ、おいじいちゃんや弟さんのことを思っていたのでしょう。

戦争には負けたが、その日の晩から電気がつけられたのが嬉しくて今でもよく覚えています。下の弟がみずぼらしい姿で帰って来ましたが、元気であることが何よりで、三人で白いご飯をたいて食べました(お米は裁縫を教えていたのでもらった分です)。それからの毎日はガラス戸の爆風よけの紙をめくり、家を開け放して掃除をしたりして忙しいことでした。日本の国の軍部政治家の人はこれからが大変な日々が始まります。うちではおじいちゃんと弟さんがまだ帰ってきませんので、二人分の陰膳を供えて待ちました。

世間の人が食べ物に困ってられるので三人で大根めしも、さつまいも入りごはん、メリケン粉入りみそ汁も食べて、みんなの苦労を少しでもと味わっていました。

役場の人がおじいちゃんの部隊名を色々としらべて知らせてくれましたが、顔を見るまでは安心できませんでした。そうこうしているうちに、弟さんが昭和二十一年二月、おじいちゃんが二十一年六月五日にあかでよごれた軍服で帰ってきました。

昭和天皇が一月七日に亡くなられました。昭和の前半は戦争でした。私は◯ちゃんや◯ちゃんにそんな思いをさせたくないので、戦争といういまわしいことが二度と起こらないように、戦争反対署名はどこでもしています。

今の日本は表面は豊かでありがたい国です。でもあまりもったいないことをしないでください。何時か食糧難の時が来ることがあるかもしれないことを心にきざんでおいてください。

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山宣のこと

f:id:nankai:20170605111906j:image:w300:right父母や親戚一統が眠る故郷宇治の墓地には,山本宣治の墓もある.一九二九年春、治安維持法改悪反対の演説をおこなう予定で草稿を準備していたが、一九二九年三月五日与党政友会の動議により強行採決され、討論できないまま可決された。そしてその夜、軍国主義者の手先となった右翼団体である七生義団の黒田保久二に刺殺された。

このとき治安維持法改悪に反対したのは、山本宣治ただ一人であった。それに先立つ日、彼は全国農民組合大会で

  実に今や階級的立場を守るものはただ一人だ、山宣独り孤塁を守る!

  だが僕は淋しくない、背後には多くの大衆が支持しているから

という有名な演説をした。この言葉は、山本宣治の墓碑に刻まれているが、戦争中は石こうで塗り固められていた。

私の小学校の裏山にこの墓地はある.私は山宣を,あの暗い時代を原則を曲げずに闘いぬいた先輩として尊敬し,あこがれてきた.それでも私は山宣のことを「あの暗い時代に闘った人」とつい最近まで考えてきた.

歴史は二度くりかえすというが,いま共謀罪である.われわれの前にあるのは,極右ファシズム政府である.われわれは山宣のあの時代と同じ時代にいるのではないだろうか.最近つくづくそう思うようになった.いまは戦争前夜であるかもしれないのだ.前の戦争のときも,直前まで多くの人はまさか戦争にはなるまいと思ってきた.戦争を経験してきた人たちの話を受けとめ,できることをしてゆかねばとつくづく思っている.

西宮の墓地

満池谷墓地」にも書いたことを話した.自宅から5分ほど歩いて阪急甲陽線の踏切をわたると,西宮市の大きな墓地,満池谷墓地の北側の入り口である.この墓地は車もとおり抜けることができる.郵便配達のバイクも通り,また自転車も通る.ここを犬を連れてよく歩く.墓地から北をながめると,甲山が墓地と一体に一つの情景を作っている.

墓地にはその街の歴史が刻まれている.古い墓碑には明治十年とかもあるから,ここは少なくとも明治の初めからあった.この墓地は,火葬場一つと葬儀場二つ,納骨堂などもある.一つ一つの墓の文字を読みながら歩く.さきの戦争での戦死者の墓が実に多い.二〇〇はある.「何々島で戦死.行年二十歳」などというのがいくつもあった.手をあわせる.ほとんどが二等兵とか伍長とか軍曹とか一般兵士ばかりである.「父建之」とある.墓碑を建てた親の気持ちを思う.「昭和二十年八月二五日戦死」と言うのもある.敗戦の後ではないか.これを建てた親の悔しさを思う.日本軍がもっと若者の命を大事にするならこの死はなかったのではないか.

「昭和十九年七月十八日,マリアナ島で戦死.行年二十五歳」という墓碑の裏には「昭和三十二年 妻◯◯建之」とありその横に女性の名が並んで記されている.戦後女手一つで子どもを育てられたのだろう.今も新しい花が供えられている.しばらくそこにたたずむ.

犬を連れて散歩し,これらの言葉を読み,そしていつも考えるのは,もう一度これを繰り返すのかということである.このまま今の政治を続けさせれば,その時代が来る.いま我々はそのような時代を生きている.これらのことを言って発言を終えた.

三日のこの九条の会に来て私の話を聞いてくれた人が二人,翌日の掃除にも来てくれて,いろいろ話しかけてくれた.地元で話しをして,私としてはいささか落ちついた気持ちである.

A0153A0153 2017/06/05 18:03 お母様が戦争前後のことを書かれたものが残っている、っていいことですね。私も今頃、生きているうちにもっと話を聞いておけばよかったと思っています。ただ自衛隊の演習をテレビで見て「まだ、こんなことやってんのか」といった言葉を覚えています。自衛隊を戦前の軍隊と同じと思ったのでしょうね。

少人数でスタンデイングをやってますと、こころ細く思うことがあります。そんなとき、山本宣治を思いますと力付けられます。

nankainankai 2017/06/05 23:18 もう三〇年近く前になりますが,癌があちこちに転移して苦しかったなかで,便箋に下書きを残してくれました.清書ははじめの数行で終わっていました.
それを,安倍政治に危機感を持つ人らの集まりで,読み上げることが出来たのは,よかったです.
教員時代に,生徒たちに「親の話をちゃんと聞きなさい」と言っていたので,自分も母に昔のことを書いておいてくれと言ったので,母は孫に書き残すよと言ってくれたのでした.
今の時代,山宣のように,ひとりひとりが弧塁を守るという気持ちが大切だと思います.

PUKINPUKIN 2017/06/06 08:09 戦争がない世の中って、どうやって作れるの。

無防備で戦争ができない国なら戦争が起きないんですか?
日本が武装していると戦争が起こるのですか?
戦争を禁止する法律がないと戦争を仕掛けられるのですか?

日本は前世紀、連合国と戦争しました。

ロシアとは戦争したくて、日本は交戦したのですか?
アメリカとは禁輸さえなければ本当は戦争したくなかったでしょう。
日中戦争は、中国が武装していたから日本が攻めたのですか?
もしそうなら、

「武装していた中国のせいで戦争が起こった」
「戦争できない法律が中国にはなかったので戦争になった」

と主張してみてはいかがでしょう?

自分たちが攻撃しなくても、相手は攻撃してきますよ。
それに応戦しなければ、戦争にはなりませんが、相手にされるがままですよ。
貴方は戦争が起こらなければ、強制収容所に入れられても構いませんか?
家族が、遊びで撃ち殺されても喜べますか?
拷問で死んでも満足ですか?

中国に侵略されたチベットは、漢民族に権力・武力で富を独占され弾圧は一間も続いています。
http://kenjya.org/china5.html

戦争は根絶できると思う自由はあります。
しかし現状、それを実現できる「現実的な」方法は見つかっていません。
そんな中で無理に理想だけで物事を進めても惨事が待っているだけです。

「人間は空を飛ぶことができる」

思うのは自由です。
でも、その手段も講じないでビルの屋上から飛び降りればどうなるか?
君にも判るはずです。

朝日新聞や毎日新聞の投書欄を見ると未だに戦時中の思い出がしょっちゅう掲載されている。
いい加減、前を向いて歩けよって思わずにはいられない。

stantsiya_iriyastantsiya_iriya 2017/06/06 20:37 こんばんは
6/3と6/5のあいだには、当たり前ですが6/4があって、私はまだそこを忘れずにいたいと思っています。

松岡利康松岡利康 2017/06/14 16:14 明日15日発売の『NO NUKES voice』12号で、この「青空学園だより」から引用させていただきました。

nankainankai 2017/06/15 14:43 見ました.『季節』は読み応えのある雑誌でした.
またお会いできる機会があればと思います.

nankainankai 2017/06/15 22:19 『NO NUKES voice』12号,読みました。読み応えのある記事ばかりでした。取材が大変だったでしょう。がんばってください。

T.MatsuokaT.Matsuoka 2017/06/16 11:25 昨日6・15の「共謀罪」成立に対して、ささやかながら「遙かなる『6・15』-----『共謀罪』成立にちなんで」という拙稿を「デジタル鹿砦社通信」(と松岡のフェイスブック、鹿砦社ツイッター)にてアップしました。
http://www.rokusaisha.com/blog.php?p=21127
こちらも、ぜひ、ご笑覧ください。

nankainankai 2017/06/16 12:37 私も共謀罪が6・15に成立したことに偶然でないものを感じました.
本棚を見たら樺美智子の『友へ』がありました.お母さんが編集されたものです.
いまの若い人にぜひ読んでほしいです.

SOBASOBA 2017/06/24 10:31 こんにちは。雑談日記のSOBAです。
「青空学園だより」時々拝見させて頂いてます。

(辺見庸 私事片々 番外編)最近の記事 雑談日記Archiveの中で、
↓山本宣治を描いた山本薩夫監督の映画「武器なき斗い」を紹介しておきました。リンク先で映画を見られます。
http://soba.txt-nifty.com/zatudan/2017/06/201703170617-ed.html#20170614
 
当時の治安維持法と今の共謀罪が瓜二つ、さらにまた社会情勢が似てきていますね。

nankainankai 2017/06/24 15:31 SOBA様

私は辺見庸さんの次の言葉に,そのとおりだと思いました.

ヨーロッパの哲学者たちは,剥き出しの生に晒されたナチスの時代を経験し,人間の根源を問うた思索というものがあった.それがこの日本では,朝鮮半島を植民地にし日中戦争においてはあれだけの人間を殺しながら,人間の生を剥き出し,あるいは剥き出された経験をしながらも,まだ根源的な思索がないのです.広島,長崎への原子爆弾投下を経てもなお,思想的,文化的に深い総括をしえず,米国に屈従し,ただあこがれ,へつらいながら生きてきた.自前の反省と思索をこれだけしなかった国というのは世界でも希有なのです.(『週刊金曜日』09.1.30-2.13「生体が悲鳴を上げている」所収)

さらにここに福島の核惨事を加えなければなりません.そして,それでもまだ自前の反省と思索はなされていないのです.それどころか,核惨事をショックドクトリンで梃子にしたファシズム暴政が行われています.それが2017年夏の現状です.

愚かなことは,二度くり返さないと世の教訓とならないのでしょうか.ドイツは第一次大戦で大きく破壊され,二度とくり返すまいと誓ったはずだがヒトラーの台頭を許し,二度目の敗北となり,そのうえに,福島事故を経て少なくとも原発廃止には至りました.

まさに,福島原発の核惨事は日本の二度めの敗北です.

PUKINPUKIN 2017/06/25 15:59 >ヨーロッパの哲学者たちは,剥き出しの生に晒されたナチスの時代を経験し,人間の根源を問うた思索というものがあった.それがこの日本では,朝鮮半島を植民地にし日中戦争においてはあれだけの人間を殺しながら,人間の生を剥き出し,あるいは剥き出された経験をしながらも,まだ根源的な思索がないのです.広島,長崎への原子爆弾投下を経てもなお,思想的,文化的に深い総括をしえず,米国に屈従し,ただあこがれ,へつらいながら生きてきた.自前の反省と思索をこれだけしなかった国というのは世界でも希有なのです.(『週刊金曜日』09.1.30-2.13「生体が悲鳴を上げている」所収)

ヨーロッパの哲学者たちって誰?
名前も出さずに言われてもねぇ

「私はバートランド・ラッセルのように「戦争に比べればいかなるものも好ましい」とは言いません。
私が自著『母と子』の巻頭に掲げ、あなたもよく引用されるスピノザの言葉を思い起こしてください。
平和とは戦争の存在しないことではなくて、精神の勇気から生まれでる徳である。」

「平和主義は今にも中立の立場をとれなくなります――圧政に対しては中立者はあり得ないのです。
圧政に反対するか味方するかして、その圧政に関与するのです。
そのどちらかの立場を選ばねばなりません。
「あらゆる戦争に反対する」と宣言するだけのことなら、誰にでもできます。
けれどもあなたがたはそう宣言だけをしていて、被圧制者と圧制者を同じ一つの袋に入れていてはならないのです。(中略)
一.資本主義者およびファシストに対するプロレタリアの決定的な闘争、不可欠の革命。
二.被征服民属の必然的な反乱、植民地の武力的独立。
 この二つについて、あなたがたの態度、行動方針はどちらですか」

「ベルギーがナチス・ドイツに占領されたと想像してください。
1914年の第一次世界大戦でも事態は困難をきわめましたが、そのときよりもはるかに事態は悪くなるでしょう。
ここで、単刀直入に申し上げます。
私が仮にベルギー人であれば、この状況なら兵役に就くことを拒否しないでしょう。
それどころか、ヨーロッパ文明の危機を救う一役を担えると信じて、喜んで出征するでしょう。
こう言ったからといって、これまで平和主義のために運動してきた私が、その主義を捨てたというのではありません。
軍務を拒否することが人類の発展のために有効な手段となる日がふたたびやってくることを、私は切に願っています。」

反ファシズムを標榜したロマン・ロランの発言です。

「あらゆる戦争に反対する」と宣言するだけのことなら、誰にでもできます。
「あらゆる戦争に反対する」と宣言するだけのことなら、誰にでもできます。
「あらゆる戦争に反対する」と宣言するだけのことなら、誰にでもできます。

ヨーロッパ文明の危機を救う一役を担えると信じて、喜んで出征するでしょう。
ヨーロッパ文明の危機を救う一役を担えると信じて、喜んで出征するでしょう。
ヨーロッパ文明の危機を救う一役を担えると信じて、喜んで出征するでしょう。

耳が痛くなりませんかねぇ?

>さらにここに福島の核惨事を加えなければなりません.そして,それでもまだ自前の反省と思索はなされていないのです.それどころか,核惨事をショックドクトリンで梃子にしたファシズム暴政が行われています.それが2017年夏の現状です.

チェルノブイリがあった場所は、現在のウクライナです。
ウクライナは現時点でも4カ所の発電所で10基以上の原発が稼働し、さらに2030年までに10基以上を増設する予定の原発推進国ですけど。

ヨーロッパが行った自前の反省と思索ってどこ?

ちなみに安倍首相の終戦記念日の談話はこれ
http://www.kantei.go.jp/jp/97_abe/discource/20150814danwa.html

でドイツのヴァイツゼッカー大統領の演説はこれ
http://www.asahi-net.or.jp/~EB6J-SZOK/areno.html

安倍首相は太平洋戦争での被害について

「我が国は、先の大戦における行いについて、繰り返し、痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明してきました。」

「私たち日本人は、世代を超えて、過去の歴史に真正面から向き合わなければなりません。謙虚な気持ちで、過去を受け継ぎ、未来へと引き渡す責任があります。」

と、国としての謝罪の気持ちを表している。

ヴァイツゼッカー大統領の演説によるとユダヤ人迫害は、 「この犯罪に手を下したのは少数です。」だそうだ。

で、
「一民族全体に罪がある、もしくは無実である、というようなことはありません。
 罪といい無実といい、集団的ではなく個人的なものであります。 」

「今日の人口の大部分はあの当時子どもだったか、まだ生まれてもいませんでした。
 この人たちは自分が手を下してはいない行為に対して自らの罪を告白することはできません。 」

と、彼は被害者に対し「悲悼の念とともに思い浮かべている」だけであり、やったのはヒトラーで、ドイツ民族には罪がないと言っている。


「人間の根源を問うた思索」の結果はどこですか?

ヨーロッパの国々は海外派兵を禁止していますか?
いや、それ以前に軍備を廃止していますか?
原発はどうです?
ヨーロッパにはたくさんありますよ。
ああ、ドイツにはないそうだが、その代わり電力需要の大きい時は原発のある国から買っていますよねぇ。
貧乏な国に金で原発の危険を押し付けているのが素晴らしいんですかねぇ

HIROMITIHIROMITI 2017/06/27 07:38 nankaiさまへ
そうやって塹壕にこもりながら仲間内でもたれ合っているだけで、あなたたちの運動の展望はひらけるのですか。
まああなただけではなく、今どきの左翼はみんなしてそんな自閉的なことばかりしているから右翼勢力に押されてしまうのでしょう。
そうやって仲間内でもたれ合いながらたがいの自己満足に浸ってゆくことが「孤塁を守る」ということですか。笑わせてくれる。あなたのいうことは、口先だけのことなのですか。
「孤塁を守る」のなら、仲間内でのもたれ合いなんか後回しにしてでも、PUKINさまの反論と対決するしかないのではないのですか。その反論は、下品で粗雑な人格攻撃や誹謗中傷とはわけが違いますよ。それなりに言葉を尽くして論理を提出してきているじゃないですか。それを無視して、あなたの科学者としての誇りや教育者としての誠実さや、何より「孤塁を守る」という人としてのたしなみが保たれるのですか。口先だけの美辞麗句を並べて自己満足に浸っているだけでいいのですか。
今のあなたが説得している相手なんか、あなたでなくとも説得できる程度の相手です。あなたにしかできない相手は、あなただけの前に現れたPUNKINというその人でしょう。彼と対決できるのは、さしあたってこの世にあなただけなのです。そういうあなた固有の相手が目の前にあらわれたのなら、それと対決しないことには「孤塁」も「固有性」も守れないのではないのですか。対決して見せないことには、このブログの値打ちが下がりますよ。ほんとに、くだらない人格攻撃や誹謗中傷なんかどうでもいいけど、PUKINさまものこの反論がそういうたぐいのものだとはいえないでしょう。そしてPUKINさまだって「孤塁を守る」ためにこそあなたとの対決を挑んでいるのかもしれないですよ。

まあ、nankaiさまができないのなら、ここに登場してきた仲間の人たちが代役を引き受ければいいのだけれど、どいつもこいつも安っぽいもたれあいばっかりしやがって、おまえらの思考や感性なんてそのていどでしかないのか?それが「孤塁を守る」ことか?笑わせるんじゃないよ。

まあ僕は政治のことなんか興味がないし、代役を買って出る義理もないののだけれど、行きがかり上、ひとつだけPUKINさまに反論させていただきます。

>ヨーロッパ文明の危機を救う一役を担えると信じて、喜んで出征するでしょう<

ヨーロッパ文明とは、何なのでしょう。
隣国同士がいがみ合って戦争をしたり駆け引きして手を組んだりするのをヨーロッパ文明というのではないのですか。彼らが手を組むのは、戦争をすることの裏返しでしょう。
「文明」という概念の解釈の仕方にもよるけど、文明と文化は違う、文明は「守る」べきものではなく「克服する」べきものだ、と僕は考えています。「文明の危機」なんぞに身を捧げようという趣味なんか僕にはない。
「文明を克服する」とは、戦争をすることも手を組むこともしない、ということです。国と国はもう、そのどちらかの関係になるしかないが、人と人は、そのどちらの関係も持たないたがいに孤立した存在として「出会いのときめき」や「別れのかなしみ」を体験しながら生きている。
平和条約を結ぶしかないのが文明の限界で、個人と個人のときめき合う関係においては「平和条約」すらも必要としないし、「平和条約」すらも結ばれていないたがいに孤立した存在として向き合っているときにおいてこそもっとも豊かにときめき合う関係になることができる。それが「孤塁=固有性を守る」ということでしょう。
日本人は、いかなる場合も従順に出征することはしても、いかなる理由でも喜んで出征することはしない。日本列島1万3千年の歴史の伝統を考えるなら、日本人は「国家文明」なんか信じていない。信じていないから、賛成することも反対することもしない。国家文明が存在することを逃れがたい「運命」と嘆きつつ受け入れてゆく歴史を歩んできただけです。古代の防人だろうと太平洋戦争の出征だろうと、たてまえとしては「万歳」と叫びつつ、じつは「運命と嘆きつつ仕方なく受け入れていた」だけじゃないですか。「運命を受け入れ」そして「滅びてゆく」ことにカタルシスを汲み上げてゆくのは、「みそぎ」という日本列島の伝統的な精神風土です。
「ヨーロッパ文明の危機を救う一役を担えると信じて、喜んで出征すること」が偉いとは、僕はぜんぜん思わない。

PUKINPUKIN 2017/07/01 13:14 >まあ僕は政治のことなんか興味がないし、代役を買って出る義理もないののだけれど、行きがかり上、ひとつだけPUKINさまに反論させていただきます。

申し訳ないが、

「ヨーロッパ文明の危機を救う一役を担えると信じて、喜んで出征するでしょう」

というのは、ロマン・ロラン氏の発言で、ヨーロッパの著名な思想家である彼は戦争を否定していないと言う証拠として書いているんですよ。
だが私も行きがかり上、反論させていただきます。

>ヨーロッパ文明とは、何なのでしょう。

「文明」という言葉は抽象的であり、人によって、或いは時代によって場合によって捕らえ方は違うと言う事を前提に私の考え方を述べます。

彼のいう「ヨーロッパ」文明と言うのは、「ヨーロッパ」という言葉で括られる価値観・生活様式などを示していると私は考える。
それは固定的に「これだ!」といって示されるものではありません。
自身のヨーロッパの一員としてのアイデンティティーとして認識されるものです。
だからそれは個人によって違うものであるし、時代によって移り変わっていくものではあります。
しかし、強制的に、あるいは人為的に変えられるとしたら、従来の価値観を持つ人間としては、反発するのは無理のない事です。

強制的に自分の価値観を変えられるのは、従来の自分が否定される事、自分自身が違う人間になってしまう事だと考えれば、
それを拒否する為に、自分が自分である為に戦おうとする事は愚かしい事だとは思いませんよ。


>隣国同士がいがみ合って戦争をしたり駆け引きして手を組んだりするのをヨーロッパ文明というのではないのですか。

隣国同士がいがみ合って戦争をしたり駆け引きして手を組んだりするのはヨーロッパの専売特許ではないと思います。
中国にも春秋戦国時代がありましたし、日本の戦国時代もそうだったと思いますが?

>「文明を克服する」とは、戦争をすることも手を組むこともしない、ということです。

では、「克服」とはどうやればできるのでしょう?
自分が戦争をしたくないと思っても、他国から戦争を仕掛けられることもある。
隣国は、大国と手を組んで自国に戦争を仕掛けようとしていれば貴方ならどうしますか?
戦争をせずに他国の支配下に入りますか?
では、自分の生命・財産は他国に奪われるような事になってもよろしいですか?
中国に支配されたチベットのようになっても貴方は幸せですか?
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%83%99%E3%83%83%E3%83%88%E5%95%8F%E9%A1%8C

元寇の主力兵は、元に征服された高麗の兵でしたが、貴方は自国に戦争を仕掛けてきた隣国の一員となって別の国に攻め入る事を強制される事になってもよろしいですか?

>国と国はもう、そのどちらかの関係になるしかないが、人と人は、そのどちらの関係も持たないたがいに孤立した存在として「出会いのときめき」や「別れのかなしみ」を体験しながら生きている。
平和条約を結ぶしかないのが文明の限界で、個人と個人のときめき合う関係においては「平和条約」すらも必要としないし、「平和条約」すらも結ばれていないたがいに孤立した存在として向き合っているときにおいてこそもっとも豊かにときめき合う関係になることができる。それが「孤塁=固有性を守る」ということでしょう。

貴方にヤクザが因縁をつけてきました。
どうしますか?
警察と言う「国家組織」に頼らないんですか?

貴方家の前の道路は国家(あるいは市町村)が舗装していて、貴方は受益してますよね?、
信号が青であったら、道路を横切れる。
車側の信号が赤であったら、車は止まってくれる。
その規則を定め、違反者を処罰する組織があるから安全に歩けるんだと思いますが?

人との関係は「ときめき合う」だけではありません。
憎しみ合う時、どうやって解決しますか?
国家に依存しないなら、殴り合いで決めるのでしょうか?
無視したからって相手が何もしないということはありませんよ。
たがいに孤立した存在として向き合っているときに、相手を支配すると言う方法を相手がとれば孤立した貴方はどう対処しますか?
いや、孤立しているのは貴方だけであって、相手は自分が支配している手下を使ってきた時はどう対処しますか?

>日本人は、いかなる場合も従順に出征することはしても、いかなる理由でも喜んで出征することはしない。

日本列島1万3千年の歴史の伝統を考えるなら、戦国時代は立身出世を夢見て、足軽に志願した人間はたくさんいました。
日本というアイデンティティの為には死ねないが、自身や一族の為に死ねると言う例なら少なくありません。

>日本人は「国家文明」なんか信じていない。信じていないから、賛成することも反対することもしない。

日本に限らずインテリ層は違うと思いますよ。
玉音放送時に、もう戦わなくてもよいって時に陛下に申し訳ないと自殺する人までいたぐらいですからね

また、日本に歴史上類のないぐらいの搾取をされていたという朝鮮半島における志願兵は、最高60倍以上の倍率でした。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E4%BA%BA%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%85%B5


>「運命を受け入れ」そして「滅びてゆく」ことにカタルシスを汲み上げてゆくのは、「みそぎ」という日本列島の伝統的な精神風土です。

日本の古代における精神には「穢れを嫌う」と言うものがあります。

で「穢れ」の中でも、最も酷いのが「死」です。
伊耶那岐が伊耶那美に逢いに黄泉の国に行った後、「死」に近づいただけで「みそぎ」を行ったことから始まり、過去の日本では天皇がお亡くなりになられただけで、その都は穢れたとして遷都していました。
また平安時代、軍事を担当する兵部省、警察・司法を担当する形部省は死や罪人と言う「穢れ」を扱う事から、名のみの存在となり、地位の低い「武士」にやらせました。
日本の精神風土を考えると軍事自体が「穢れ」であり、ありえない。
「滅びていく」のを見るだけでも「穢れ」に当たるのです。
ゆえに「滅び」や「死」が「みそぎ」であるというのは少々おかしいと思いますよ。

日本の一般国民で積極的に出征していく人たちの動機として、私は江戸時代の武士道・朱子学が武士のみならず、庶民の間にも賛美されていた事にあると考える。
朱子学において、人間は自分の所属する共同体へ義務を負うとし、共同体で最上のものは国家であるとした。これはそのまま武士階級の倫理である。
国家が作った法律やインフラは使っているが、私は国家から孤高を保つっていうのは私にはいただけない。
私は税金を払っているだけで、国家方針など関係ないなどというのは、武士道から外れている。
法律には記されていなくとも国家の一員としての自覚を持つ事は重要であると考えます。

人が命をかけるのはその人にとって自分の命をかけるだけの価値を見出せれば喜んで戦地へ行くと思いますよ。
祖国を守る事が自分の妻子を守る事と思えば、私も行くかもしれません。
自分の信仰の為に自爆テロを喜んでやる人間もいます。
傭兵なら金の為に戦地へ行くし、アメリカ国籍がほしくて軍に入隊するメキシコ人もいるでしょう。
ロマン・ロラン氏はファシズムに反対すると言う自身の政治的主張が自分の命よりも尊いと思っていたから上の発言をしたと考えます。

HIROMITIHIROMITI 2017/07/01 17:05 ロマン・ロランがいったことであるのはわかっていますよ。
ただ。「よろこんで出征する」といわれて、「耳が痛く」ならないといけないいわれなんかないのだといいたかかっただけです。
どんな正義の戦争であれ、そりゃあよろこんで出征する人もいれば、泣く泣く出征する人もいるし、何がなんでも出征するのは嫌だという人もいるでしょう。そのうちのどれかが正義でどれかが悪だというようなことはいえないと僕は考えています。

国家文明が国家文明を克服することなんかできるわけないじゃないですか。ただ個人的な人と人の関係においては、国家文明の制度から解き放たれている関係もあるわけで、人が人にときめくというのは基本的にそういうことだといいたいだけです。

まあ、目の前の人に対するときめきを豊かに体験しながら生きている人は国家のことを考えている暇なんかないわけで、そういうことに鈍感な人たちはせいぜいがんばって国家のことばかり考えていればいい。といっても、誰だって生きて生活していれば、そのほとんどの時間は国家のことなんか頭にないでしょう。そして例えば生まれつき知恵おくれの子供が人やまわりの世界にときめきながら生きて生涯に一度も国家のことなど考えないまま死んでゆくとしたら、それはとても美しく素敵なことだと僕は思う。
よろこんで出征しないといけないのですか。やめてくれよと思うし、そんな人が立派だともぜんぜん思わないし、それが人間の自然・本質だとも思わない。

あなたは何かというと「こういう場合もある」ということを持ち出してくるけど、そういう場合だけが真実で正義なのですか。そうでない場合は人間性の自然に反するのですか。

僕がいうような場合だってあるでしょう。そんなふうに考えたり行動したりしたらいけないのですか。僕はべつに、それが現実でそれが正義だなどとはいっていません。現実がなんであれ、人間性の自然はどこにあるのだろうか、ということが知りたいだけです。誰も人間性の自然のままに生きることができないとしても、それでもそれはなんだろうと問いたい。

やくざに脅かされて泣き寝入りする人だっているし、自殺する人だっている。それが人間の世の中というものでしょう。必ず警察に駆け込む、とどうしていえるのですか。警察に駆け込む人間だけが人間なのですか。

現実なんか知ったこっちゃないと思ったらいけないのですか。現実がそのようになっていてそのように現実を動かしたかったらそうすればいいけど、それが正義だからそれに従えといわれても、誰もが「そうですね」と納得するわけじゃない。それもまた現実ですよ。

死が「けがれ」だといっても、「死の尊厳」や「死者の尊厳」という言葉もあるのですよ。
基本的には「死体」が「けがれ」であって、死そのものに対して別の感慨があるし、死とは何かということはげんみつにはよくわからない。よくわからないから日本列島では「死=隠れる」という。

日本人は「死」がけがれだとは思っていませんよ。「死体」がけがれだと思っているだけです。だから「滅びる」という言葉を抱きしめてゆく美意識というのは、この国の伝統として確かに機能してきたし、だから召集令状にも素直に従った。べつに、喜び勇んでゆけばえらいなんて、僕はぜんぜん思わないし、そこに人間性の真実があるともさらに思わない。まあそういう人もいるだろうなと思うだけです。そういう人もいることは大いに認めるけど、それだけで「人間」や「日本人」を語られても困る、といいたいだけです。
特攻隊はみんなよろこんで死地に赴いたのですか。彼らだって必死に死と向き合った末に覚悟を決めていったのだし、死が「けがれ」だと思っていたらそんなことできないでしょう。必死に自分の「滅びる」ということと向き合ったはずです。そういう美意識が歴史の無意識として息づいている風土だったから、特攻隊という理不尽な戦術が成り立ったのでしょう。

僕は愚かな下層の日本人だから「政治的主張」なんかないし、それを持っていればえらいとも思っていません。この世に命を懸けるに足る「価値」などというものがあるとも思っていません。あなたやnankai氏と違って僕は人間のクズだし、世の中には人間のクズがたくさんいるのですよ。まあ、まじめにいえば、自分の思考や思想のスタンスがそこから外れたらいかんだろう、と思っています。

PUKINPUKIN 2017/07/01 19:19 >ただ。「よろこんで出征する」といわれて、「耳が痛く」ならないといけないいわれなんかないのだといいたかかっただけです。

もともとこの文はnankai氏のブログから読み取れる非武装による平和を批判した文章で、2017/06/06 08:09 の内容と合わさっています。
ヨーロッパの人々が戦争の惨禍を経て平和への思索が完成されてように発言するブログ主に対し、耳が痛くなりませんかと述べております。

>どんな正義の戦争であれ、そりゃあよろこんで出征する人もいれば、泣く泣く出征する人もいるし、何がなんでも出征するのは嫌だという人もいるでしょう。そのうちのどれかが正義でどれかが悪だというようなことはいえないと僕は考えています。

私もそう考えるからこその発言ですが?


>国家文明が国家文明を克服することなんかできるわけないじゃないですか。

貴方の文意がいまひとつ理解できないが、アイヌは北方民族の文明のなかで暮らしていますか?
いまや、観光資源でしかないでしょう?
フィリピンの公用語はタガログではなく、英語ですけど?
大和朝廷に支配された薩摩隼人や古代出雲の人々は現在どんな文明なのですか?
「克服」と言う言葉をどういう意味で使用しているのかはわかりませんが、集落と言う小集団が規模の大きい集団に飲み込まれてそれまでのアイデンティティを失った結果が国家という大集団になったと思います。

>ただ個人的な人と人の関係においては、国家文明の制度から解き放たれている関係もあるわけで、人が人にときめくというのは基本的にそういうことだといいたいだけです。
まあ、目の前の人に対するときめきを豊かに体験しながら生きている人は国家のことを考えている暇なんかないわけで、そういうことに鈍感な人たちはせいぜいがんばって国家のことばかり考えていればいい。
といっても、誰だって生きて生活していれば、そのほとんどの時間は国家のことなんか頭にないでしょう。そして例えば生まれつき知恵おくれの子供が人やまわりの世界にときめきながら生きて生涯に一度も国家のことなど考えないまま死んでゆくとしたら、それはとても美しく素敵なことだと僕は思う。


それができるのは国家が外部から侵略されないよう外交・軍事で、国内が平和で豊かに暮らせるよう治安・雇用の面で頑張っているからだと考えます。
それは国家制度から解き放たれているのではありません。
国家制度に手厚く保護されているからだと言う事を認識しなければならないと思います。


>よろこんで出征しないといけないのですか。やめてくれよと思うし、そんな人が立派だともぜんぜん思わないし、それが人間の自然・本質だとも思わない。

私は前回書きました。
「人が命をかけるのはその人にとって自分の命をかけるだけの価値を見出せれば喜んで戦地へ行くと思いますよ。
祖国を守る事が自分の妻子を守る事と思えば、私も行くかもしれません。
自分の信仰の為に自爆テロを喜んでやる人間もいます。
傭兵なら金の為に戦地へ行くし、アメリカ国籍がほしくて軍に入隊するメキシコ人もいるでしょう。
ロマン・ロラン氏はファシズムに反対すると言う自身の政治的主張が自分の命よりも尊いと思っていたから上の発言をしたと考えます。」

貴方の価値観でそうであろうと、世の中には別の価値観もあります。
アラーの教えを信じる人には、それが黄金より価値があり死ぬ事も厭わないでしょうが、それを信じない人にとってはティッシュほどの価値もありません。

アメリカは靖国を無価値なものの為に死んだ人の慰霊場所とは思っていないでしょう。
だがかつてブッシュ大統領は靖国に参拝したいと申し出ていたそうですよ。
在日米軍のトップの方の多くも靖国に参拝している。
安倍首相は2月にアーリントン墓地で献花しましたが、日本兵を殺害した兵士と価値観を共有しているからではありません。
国家の為に命を捧げた兵士に敬意を払う事が相互理解になると考えていると思います。
ロマン・ロラン氏の価値観を冒涜するのはやめたほうがいいと思いますよ。

>あなたは何かというと「こういう場合もある」ということを持ち出してくるけど、そういう場合だけが真実で正義なのですか。そうでない場合は人間性の自然に反するのですか。

貴方の発言の意味がわかりません。
「こういう場合もある」と言う事は、場合は複数あると言う事、事実なら一つしかないが、解釈はいくらでもあるということですよ。
また私は「正義」などという言葉を多用する人間は胡散臭いと思い、あまり使いません。(←全く使わないとはいわない。)
人は「正義」の名の下に残虐行為を正当化してきた歴史があるからです。

>僕がいうような場合だってあるでしょう。そんなふうに考えたり行動したりしたらいけないのですか。僕はべつに、それが現実でそれが正義だなどとはいっていません。

貴方が考えるだけなら何も問題はありません、日本には「思想の自由」があります。
ただし、それは貴方の考えであって他人には他人の考えがあります。
だからこそ「こういう場合(考え方)もある」と申しております。

>やくざに脅かされて泣き寝入りする人だっているし、自殺する人だっている。それが人間の世の中というものでしょう。必ず警察に駆け込む、とどうしていえるのですか。警察に駆け込む人間だけが人間なのですか。

なるほど、泣き寝入りしたり、自殺したりする事を容認する事が貴方の言う「ときめきを豊かに体験しながら生きている」ということですか。
それなら私はお断りです。
勿論、国家に依存してもそれらの人間を根絶する事はできませんが、少なくする事はできると思いますよ。

>現実なんか知ったこっちゃないと思ったらいけないのですか。

「現実なんか知ったこっちゃない」って思っても、食べなければ生きていけません。
食品の安全基準は国家が制定して罰則をつけて守っています。
中国のようにプラスチック米を食べさせられないのは、国家の法律・制度による恩恵と、国家や親の教育などで養われた日本人の職業倫理観のおかげだと思います。

>現実がそのようになっていてそのように現実を動かしたかったらそうすればいいけど、それが正義だからそれに従えといわれても、誰もが「そうですね」と納得するわけじゃない。それもまた現実ですよ。

私はそんな事言った覚えはないが?


>死が「けがれ」だといっても、「死の尊厳」や「死者の尊厳」という言葉もあるのですよ。
基本的には「死体」が「けがれ」であって、死そのものに対して別の感慨があるし、死とは何かということはげんみつにはよくわからない。よくわからないから日本列島では「死=隠れる」という。
日本人は「死」がけがれだとは思っていませんよ。「死体」がけがれだと思っているだけです。


誰だったか忘れたが、ある作家が「穢れ」についてこんな内容を書いていた。

あなたの家族がなくなった後、亡くなった方が使っていた箸をあなたは使わないでしょう。
いくら高温殺菌しても使う事を躊躇うはずだ・・・これが「穢れ」の意識だと。

死体でなくとも死と関連付けられると「穢れ」になる。
だから前回にも書いたように日本では天皇がなくなられると、都が穢れたと遷都していました。
それだと大規模な都市計画が不可能であるから平城京のような固定の都になった。
これらは、死体のみが「穢れ」だという貴方の主張では説明できませんよ。

「死の尊厳」や「死者の尊厳」などは日本古来の考え方ではありません。
江戸時代に花開いた、朱子学の影響を受けた武士文化の中での話です。
長い日本の歴史の中では、たかだか300年ほど前でしかありません。


>だから「滅びる」という言葉を抱きしめてゆく美意識というのは、この国の伝統として確かに機能してきたし、だから召集令状にも素直に従った。べつに、喜び勇んでゆけばえらいなんて、僕はぜんぜん思わないし、そこに人間性の真実があるともさらに思わない。まあそういう人もいるだろうなと思うだけです。そういう人もいることは大いに認めるけど、それだけで「人間」や「日本人」を語られても困る、といいたいだけです。

私はそんな事を語った覚えはないが?
「穢れ」という日本古来の考え方には「滅びの美学」など関係ない。
そもそも特攻隊や集団自決は「滅びの美学」などではありませんよ。

>特攻隊はみんなよろこんで死地に赴いたのですか。彼らだって必死に死と向き合った末に覚悟を決めていったのだし、死が「けがれ」だと思っていたらそんなことできないでしょう。

だから、その頃の日本人は「武士道」による価値観が日本古来の価値観より優勢であったからそうしたのでしょう?
私は「死」が「みそぎ」になると言うのが間違いだといっているだけで、武士道による特攻隊の精神は理解しているつもりだが?

HIROMITIHIROMITI 2017/07/04 14:18 だからあなたは、「死」と「死体」を混同してしまっているのですよ。
「死」が「穢れ」であったら、誰も死ぬことを受け入れられないじゃないですか。
「死(死者)の尊厳」は人類普遍感慨あるいは認識でしょう。
「死者を弔う」ということをしない民族がこの世界のどこにいるというのですか。

黄泉の国のイザナミの話は、「死体」は「穢れ」だといっているだけなのですよ。
だから、古代以前には死体が骨だけになってからあらためて埋葬するという「もがり」という習俗があった。チベットの鳥葬だって一種の「もがり」だし、この国の現在の火葬だって、まあ「もがり」みたいなものです。「死」がそのまま「穢れ」だったら、火葬場で焼いた骨を箸で拾う作法なんか、わざわざ自分から「穢れ」を身にまとう行為になってしまうじゃないですか。
「もがり」とは「喪が上がる」ということ、すなわち「喪が明ける」ということ。日本人が喪に服する期間はだいたい一年で、それは死体が骨だけになってしまう期間でもあります。
西洋人びとっては死体はただの霊魂の抜け殻だからそのまま埋葬することができるが、霊魂という概念を知らなかった時代の日本人は、骨だけになった死体を「禊ぎを果たした姿」として認識し、埋葬していた。
ネアンデルタール人は、死者の頭部の肉を剥ぎ取って頭蓋骨だけにしてから埋葬していた。

死んだ人の箸を使わないというのは、「食べる」ということがひとつの「穢れ」だという意識があるからだし、生きてあることそれ自体がひとつの穢れだという意識があるからで、そういう歴史的な無意識がはたらいている精神風土だから「切腹」や「特攻隊」という習俗も生まれてくる。
死んだ人の箸は使わないけど「形見」の時計や服は使うことはするでしょう。それをどう説明するのですか。それが、自分の心や体の「浄め」にもなる。「死=穢れ」だなんて、そんな短絡的なことをいわれもねえ。

日本人にとっては、むやみな生命賛歌をしないことが、より清く豊かに生きることでもあるのです。

生きてあることはひとつの「穢れ」だから、つねに「みそぎ」を果たしながら生きねばならないということ。そうやって日本人は、掃除・洗濯・入浴をとても大切にする。日本人にとっての「きれい」は、ビューティフルではなく「清浄」ということです。
繰り返すけど、日本人にとっての「死」はひとつの「禊ぎ」であり「清浄」な存在になるということなのです。だからわれわれは死者に手を合わせる。たとえ「死体」は「穢れ」であっても、「死」そのものは「尊厳」なのです。そんなことは、日本人としてというか人間として当たり前の感慨じゃないですか。

死が穢れであるのなら、せいぜいがんばって永遠に死なない方法を見つけてください。あなたもnankai氏も嫌いじゃないけど、悪いけどあなたたちのその短絡的な生命賛歌には
ついてゆけません。悪しからず。
僕は、むやみに生命賛歌などしないのが人としてのたしなみだと思うし、人としての真実は、あなたたちのような上手に生きる方法が大事の人たちよりも、「この世のもっとも生きるのが下手で無力な人」から学んでゆきたいと思っています。
生きてあることの真実は、上手に生きる方法のもとにあるのではない。それは、その方法を持てないもののもとにこそ宿っている。
無防備に他愛なくときめいてゆくことこそ、もっとも尊い。
まあ僕が、生き延びるために何をしようと、そんなところに人間性の真実があると居直るつもりはありません。そんなことは僕のただの悪あがきです。自分なんか真実を知るためのなんの参考にもならない。だから、おまえだってそうだろう、といわれても困ってしまう。べつに自分を正当化するためにものを考えているんじゃない。自分のようなあさましい存在を物差しにして人間の真実を知ることなんかできない。

ご健闘を祈ります。早々。

PUKINPUKIN 2017/07/05 00:04 >だからあなたは、「死」と「死体」を混同してしまっているのですよ。
「死」が「穢れ」であったら、誰も死ぬことを受け入れられないじゃないですか。
「死(死者)の尊厳」は人類普遍感慨あるいは認識でしょう。
「死者を弔う」ということをしない民族がこの世界のどこにいるというのですか。

悪い事は言わない。
WIKIのこのページを読んでみてください。

「穢れ(けがれ)とは、忌まわしく思われる不浄な状態。死・疫病・月経などによって生じ、共同体に異常をもたらすと信じられ避けられる。」

明確に「死」が穢れだと書いてあります。
はっきり言います、貴方の主張は間違いです。

>黄泉の国のイザナミの話は、「死体」は「穢れ」だといっているだけなのですよ。

恐れ入りますが、その部分をそのまま抜き出していただきたい。

>だから、古代以前には死体が骨だけになってからあらためて埋葬するという「もがり」という習俗があった。〜ネアンデルタール人は、死者の頭部の肉を剥ぎ取って頭蓋骨だけにしてから埋葬していた。

この話との関連性は見られないが、どういう主張でしょうか?

>死んだ人の箸を使わないというのは、「食べる」ということがひとつの「穢れ」だという意識があるからだし、生きてあることそれ自体がひとつの穢れだという意識があるからで、そういう歴史的な無意識がはたらいている精神風土だから「切腹」や「特攻隊」という習俗も生まれてくる。

「食べる」と言う事が穢れだとは初耳ですが、どなたが主張されていますか?

>死んだ人の箸は使わないけど「形見」の時計や服は使うことはするでしょう。それをどう説明するのですか。それが、自分の心や体の「浄め」にもなる。「死=穢れ」だなんて、そんな短絡的なことをいわれもねえ。

古墳にはいろいろな副葬品があったのをご存知ですか?
日本書紀には11代垂仁天皇が殉死をやめさせたとある。
と、いうことはそれ以前は時計や服どころではなく、使用人まで一緒に埋めたと言う事でしょう。

私は最初に書きました。

>「文明」という言葉は抽象的であり、人によって、或いは時代によって場合によって捕らえ方は違うと言う事を前提に私の考え方を述べます。<

仏教の伝来などもあり、その日本古来の価値観が薄れていったのでしょう?
「もったいない精神」ってところですか。
貴方は現代日本人が、いや戦時中の日本人でも、古代の価値観をそのまま純粋に持っているとお考えかな?


>生きてあることはひとつの「穢れ」だから、つねに「みそぎ」を果たしながら生きねばならないということ。

もう一度WIKIを記します。

「穢れ(けがれ)とは、忌まわしく思われる不浄な状態。死・疫病・月経などによって生じ、共同体に異常をもたらすと信じられ避けられる。」

生きてあることは「穢れ」ではありません。

>そうやって日本人は、掃除・洗濯・入浴をとても大切にする。日本人にとっての「きれい」は、ビューティフルではなく「清浄」ということです。

「穢れ」と「汚れ」を混同しないでくださいね。
亡くなった方の箸はいくら洗っても使わないのです。
「汚れ」ではなく「穢れ」だからです。
勿論、中には使う人もいるでしょう。
それは、日本人の古来の感覚から現代の感覚が変わりつつあるということ。
時代は変化します。

>繰り返すけど、日本人にとっての「死」はひとつの「禊ぎ」であり「清浄」な存在になるということなのです。

繰り返します。

「穢れ(けがれ)とは、忌まわしく思われる不浄な状態。死・疫病・月経などによって生じ、共同体に異常をもたらすと信じられ避けられる。」

「死」が「穢れ」であるのにみそぎとして死ぬと言う事はありません。
繰り返すのなら言い張るだけでなく、根拠を示していただきたい。

>だからわれわれは死者に手を合わせる。たとえ「死体」は「穢れ」であっても、「死」そのものは「尊厳」なのです。そんなことは、日本人としてというか人間として当たり前の感慨じゃないですか。

恐れ入りますが、それは仏教の価値観(しかも本来の仏教ではなく伝来仏教)であり、日本古来の価値観ではありません。

>死が穢れであるのなら、せいぜいがんばって永遠に死なない方法を見つけてください。あなたもnankai氏も嫌いじゃないけど、悪いけどあなたたちのその短絡的な生命賛歌には
ついてゆけません。悪しからず。

現代日本人の感性・価値観は多種多様なエッセンスによって構成されています。
日本古来の価値観もそうだし、仏教の価値観もそう、武士道もそう、人によってはキリスト教も大きな影響を与えてかもしれません。
私は「和を以って尊しとなす」なんてのは今でも大きな比重を占めていると思いますよ。

で、私のどこが「生命賛歌」なのでしょうか?
思い込みの激しい方ですね。

>僕は、むやみに生命賛歌などしないのが人としてのたしなみだと思うし、人としての真実は、あなたたちのような上手に生きる方法が大事の人たちよりも、「この世のもっとも生きるのが下手で無力な人」から学んでゆきたいと思っています。

私は「無力な人」はごめんだねぇ
「無欲な人」には学びたいと思うがねぇ。

>生きてあることの真実は、上手に生きる方法のもとにあるのではない。それは、その方法を持てないもののもとにこそ宿っている。
無防備に他愛なくときめいてゆくことこそ、もっとも尊い。

私は前回書いた。
「それができるのは国家が外部から侵略されないよう外交・軍事で、国内が平和で豊かに暮らせるよう治安・雇用の面で頑張っているからだと考えます。
それは国家制度から解き放たれているのではありません。
国家制度に手厚く保護されているからだと言う事を認識しなければならないと思います。」

つまり、無防備に他愛なくときめいてゆけるとしたら、それは国家が貴方の安全を守っているからなのですよ。

>まあ僕が、生き延びるために何をしようと、そんなところに人間性の真実があると居直るつもりはありません。そんなことは僕のただの悪あがきです。自分なんか真実を知るためのなんの参考にもならない。だから、おまえだってそうだろう、といわれても困ってしまう。べつに自分を正当化するためにものを考えているんじゃない。自分のようなあさましい存在を物差しにして人間の真実を知ることなんかできない。

なにか一人で暴れてますね。
私は生命賛歌などした覚えはないし、人としての真実・人間性の真実などと言うものなどあるとは思わないがねぇ

教えてくれないが?
人間の真実ってどういうこと?
内容ではなく何を指していっているのかな?
それが解ればどうなるの?
自分の言葉に酔うのは程ほどにしては?

PUKINPUKIN 2017/07/05 08:14 おっと「穢れ」のリンク張り忘れた。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A9%A2%E3%82%8C

で、神道と仏教の項にも注目してください。

両者とも穢れに対する意識はあるが、もっとも異なるのは、死そのものに対する考えで、神道では死や血を穢れとするが仏教では神道のようには死を穢れとみなさない。葬式などは、仏教では寺で行うこともあるが、神道では神域たる神社ではなく各家で行う。これは神聖なものがなんであるかの違いであり、また、清めの塩は穢れを清めているものである。この穢れは死者ではなく、死という事象が穢れていると感じた精神的な物である。


「この穢れは死者ではなく、死という事象が穢れていると感じた精神的な物である。」
「この穢れは死者ではなく、死という事象が穢れていると感じた精神的な物である。」
「この穢れは死者ではなく、死という事象が穢れていると感じた精神的な物である。」


はい答えは出ていますね。

HIROMITIHIROMITI 2017/07/06 09:40 ウィキペディアに書いてあればすべて正しいとはかぎらないのですよ。本やネットから拾い集めてきた知識だけでものをいっていてもしょうがない。あなただけでなく学者や評論家の中にも、「死」と「死体」を混同している人はたくさんいます。

箸にはたくさんの「禁忌(タブー)」が付きまとっています。迷い箸とか箸で人を指したらいけないとかご飯の上に突き立てたらいけないとか、箸には穢れや霊魂がまとわりついているというような観念があるわけです。食べ物はひとつの穢れだから箸で食べる。箸が穢れを吸収してくれる。神社の魚の肉をさばく儀式は、箸を使って手では触らない。
したがって日本人には「箸=穢れ」の観念があるということはいえても、それはべつに「死=穢れ」と認識していることの証明にはならないのです。

人はどうして死者の形見の時計や指輪や服などを大切にするのでしょう。きちんと説明してくださいよ。あなたたちがなんと屁理屈をこねようと、人の心から「死(者)の尊厳」という人類普遍の切実な感慨を消すことはできないのですよ。
この家は死んだお父さんとの思い出がたくさん詰まっているから改築することも引っ越しすることもしたくない……といったりするでしょう。

古事記には、黄泉の国のイザナミの腐乱した死体にうじ虫がたかっているのを見たイザナギは驚き逃げ帰った、と書いてあるじゃないですか。死体は穢れだし、死体を見てしまうことも穢れだ、と古代人は考えた。古事記では「汚垢」と書いて「けがれ」と読ませているのですよ。汚れだけが穢れじゃないけど、汚れは穢れじゃない、というような理屈は成り立たないのです。
誰だって死体を前にすれば手を合わせる。それは、「死者の尊厳」を思う(=弔う)ことであると同時に、そうしないと死体の穢れが自分の体や心にまとわりついてくるという「畏れ」でもあるわけです。

あなたが僕を罵るのは勝手だけど、はたしてこれを読んだ読者がみんなあなたのいうことに「そうだ、そうだ」とうなずくでしょうか。もしかしたらただ苦笑いされているだけかもしれないですよ。
神道と仏教のことなら、こっちはあなたのようにどこかから拾い集めてきた知識だけですませることなく、たぶんあなたの何倍も自分の頭でで必死に考え続けていますよ。
まあ、いつまでも水掛け論をしていてもしょうがないからこれ以上のコメントはやめ
ておきます。悪しからず。

PUKINPUKIN 2017/07/06 23:48 >ウィキペディアに書いてあればすべて正しいとはかぎらないのですよ。本やネットから拾い集めてきた知識だけでものをいっていてもしょうがない。あなただけでなく学者や評論家の中にも、「死」と「死体」を混同している人はたくさんいます。

たくさんいるどころか私は君と同じ主張をどこにも見つけられないが?
私は何度か君に督促したが一度も書かないねぇ
君の妄想には付き合っていられないねぇ

>箸にはたくさんの「禁忌(タブー)」が付きまとっています。迷い箸とか箸で人を指したらいけないとかご飯の上に突き立てたらいけないとか、箸には穢れや霊魂がまとわりついているというような観念があるわけです。食べ物はひとつの穢れだから箸で食べる。箸が穢れを吸収してくれる。神社の魚の肉をさばく儀式は、箸を使って手では触らない。
したがって日本人には「箸=穢れ」の観念があるということはいえても、それはべつに「死=穢れ」と認識していることの証明にはならないのです。

だから、君以外に箸自体が穢れているっていう人・文献を示してみたらどうだい?
そしてきみは以前こう書いたね?

「死が穢れであるのなら、せいぜいがんばって永遠に死なない方法を見つけてください。」 2017/07/04 14:18

これは穢れを認識したならそれを避けるよう努力すべきという主張だろう?
じゃ、君は箸を使わないよう努力しているのか?
いや君はこうも言っていたね。

「死んだ人の箸を使わないというのは、「食べる」ということがひとつの「穢れ」だという意識があるからだし」 2017/07/04 14:18

穢れているのは「箸」なのか「食べるという行為」なのかはっきりしろよとも言いたいが、「食べるという行為」も「穢れ」と言うならば、現在君は断食でもしているのか?

おお!君はこうもいっていたね。

「生きてあることはひとつの「穢れ」だから・・・」

いやぁ、それを「穢れ」と言い「死」がみそぎになると言うなら努力せずとも、駅のホームで電車が通過中に身を投げ出せば簡単に実行できますよ。
いつやってくれるのですか?
是非、場所と日時を書いてください。

>人はどうして死者の形見の時計や指輪や服などを大切にするのでしょう。きちんと説明してくださいよ。あなたたちがなんと屁理屈をこねようと、人の心から「死(者)の尊厳」という人類普遍の切実な感慨を消すことはできないのですよ。
この家は死んだお父さんとの思い出がたくさん詰まっているから改築することも引っ越しすることもしたくない……といったりするでしょう。

君は文章の理解力がないねぇ
それは現代に生きる君の価値観であり古代の人の価値観ではないと言う事だ。

古墳にはたくさんの副葬品があったが、どうしてなのかな?
過去の人間はなぜ死者の形見の品を大切に使わず一緒に埋めたのだ?

この家は死んだお父さんとの思い出がたくさん詰まっているから改築することも引っ越しすることもしたくない……といったりするなら、
天皇が死んだらなぜ都まで捨てたんだい
せっかく作った宮殿を放置するのはもったいないだろう?
私にきちんと説明してくださいと言うぐらいだから、君は私にきちんと説明できるんだろうね?

>古事記には、黄泉の国のイザナミの腐乱した死体にうじ虫がたかっているのを見たイザナギは驚き逃げ帰った、と書いてあるじゃないですか。死体は穢れだし、死体を見てしまうことも穢れだ、と古代人は考えた。古事記では「汚垢」と書いて「けがれ」と読ませているのですよ。汚れだけが穢れじゃないけど、汚れは穢れじゃない、というような理屈は成り立たないのです。
誰だって死体を前にすれば手を合わせる。それは、「死者の尊厳」を思う(=弔う)ことであると同時に、そうしないと死体の穢れが自分の体や心にまとわりついてくるという「畏れ」でもあるわけです。


君は本当に古事記を読んだのか?
なぜイザナギは黄泉の国へ行ったのか知っているのか?
黄泉の国へ行ってイザナミを返してもらう為だ。

「返してもらえる」と言う事ができるのなら、まだ死は確定していない「死(仮)」ということだろう?
ところがイザナミは黄泉の国の食べ物を食べた事で死が確定してしまった。
それをイザナギが認識した時点で「穢れ」が発生するのだ。
その認識した時点と言うのが「腐乱した死体」を見た時だ。
「穢れ」と「汚れ」を混同するなと書いただろう?
「穢れ」とは精神的なものだ、死体を見なくても死を確認できたならその時点から「穢れ」になるのですよ。


>あなたが僕を罵るのは勝手だけど、はたしてこれを読んだ読者がみんなあなたのいうことに「そうだ、そうだ」とうなずくでしょうか。もしかしたらただ苦笑いされているだけかもしれないですよ。

君が先に

「死が穢れであるのなら、せいぜいがんばって永遠に死なない方法を見つけてください。あなたもnankai氏も嫌いじゃないけど、悪いけどあなたたちのその短絡的な生命賛歌には
ついてゆけません。悪しからず。」

と罵ったのだろう?
人のせいにしないでもらいたいねぇ。

で、私は一定の根拠に基づいて主張をしているつもりだが、君はほとんどが自分の主観ではないかな?
で、同じ論理を展開している文章を載せても「正しいとは限らない」といって中身の論証なく否定する。
自分は何一つ客観的なものを出せずにいるのにね。

>神道と仏教のことなら、こっちはあなたのようにどこかから拾い集めてきた知識だけですませることなく、たぶんあなたの何倍も自分の頭でで必死に考え続けていますよ。
まあ、いつまでも水掛け論をしていてもしょうがないからこれ以上のコメントはやめ
ておきます。悪しからず。

はいはい、考え続けているっていうだけなら誰でもできます。
とっととお逃げなさい。
笑いながら見送ってあげますよ。

PUKINPUKIN 2017/07/07 09:51 HIROMITI君がWIKIの穢れの解釈が間違っていると言うので他を見てみよう。

goo辞書
「3 死・出産・月経などの際に生じるとされる不浄。」
https://dictionary.goo.ne.jp/jn/67431/meaning/m0u/

ブリタニカ国際大百科事典
「出産,死,月経,あるいは動物食をはじめとする異常食事などによって,当事者およびその関係者に付与される異常状況をいう。」
https://kotobank.jp/word/%E7%A9%A2%E3%82%8C-59292

三省堂 大辞林
「死・疫病・出産・月経などによって生じると信じられている不浄。」
http://www.weblio.jp/content/%E7%A9%A2%E3%82%8C

神社ポータルサイト日本神社
「神道で言う穢れというのは、大まかに言うと死や血・悪い行いなどを指します。」
http://www.jinja.in/column/k/121599

これだけ皆が同じ事を言っているのに、違うって?

「自分は間違っていない、世界が間違っているんだ〜」ってことですか。
典型的な幼児性脱却失敗の例ですね。
パソコンと言う便利なものが目の前にあるのに使い方を知らない方はかわいそうですね。