Hatena::ブログ(Diary)

柚の管理記録

2017-09-22


朝OK 夜OK

危機が危ない


 一部で「存亡の危機」ということばが誤用であると勝ち誇ったかのように述べられていたりするので、何なんだろうねほんとに、、、とか思っていたら、いつもの文化庁が毎年やっている世論調査だった。
 なんというか、自らが扱う言語に年1でもいいので何らかの気づきをあたえることが目的なはずが、少なくとも正しくない利用のされ方をしている気はしないでもない。
(※いつもどおり、ここでは「遣」ではなく意図的に「使」です。)

 それはそれとして、個人的に「存亡の危機」と「存亡の機」は同じなのか?といわれるとそのイメージという意味も含めてよく分からない。
 というか、アホなので「存亡の機」なんてのを聞いたことがこれまでなかったというね。
 「存亡の時」ならあるかなぁ、と思って調べてみたら「時」じゃなくて「秋」だったり。
 まぁ、アホはその程度だってことで。
 とはいえ、考えてみれば、個人的なイメージとして、「危機」と「機」は同じ漢字を1つ持ちながらも思った以上に違っているように感じていたりする。
 「機」というのはその字源は知らないが、「機械」「機能」などに見られるような何かを的確に行使する装置のようなもの(一応「幾」もそんな意味だし)という意味とその正確性、確実性をもたらすシステムだとかプロセス、装置における確度の高い現状と結果に関して「危機」「契機」「機会」という用いられ方をしているように思える。
 「機」だけが文中に出た場合、イメージ的には「〜の時」だとか「(どちらかといえば絶好の)チャンス」みたいなものを浮かべてしまうのだが、およそそれは後者であって、それゆえ、自らが能動的に行動するに足りる理由をもって時宜を得た時間的観念であるか、もしくはとある理由によってなるべくしてなった結果から振り返って分水嶺だった箇所を指す時間的観念かという意味が付いてまわってしまう。
 一方、「危機」はもともとあった意味とは少し離れた領域から「risk」か「emergency」か「crisis」かなどなどが付加されてきた関係上、明示的意味が無駄に肥大化してしまって、結構語感はすごそうなのだが思った以上に曖昧で使いやすいことばになっている気がする。
 また、悪い言い方をすれば、「危機」自体にそのことばを用いる者における主体性も、当人の意思が存在してその後の行動が明確に示唆されているわけではないともいえなくはない。
 そういう意味で、強要されるわけでも何でもないのでどおってことはないのだが、例えば、「存亡の危機」を「存亡の機」と必ず言い換えろ、と言われれば、個人的には使うのをやめる気はする。
 くだんの件に関していけば、そこまで権限と責任が集中しているとは思えないし判断が丸投げされているとも思えないし。
 故事成語かどうかとは無関係にだけども。

 さて、以前にも書いたかも知れないが、できる限り使わないことばとしては、
 ・意味がぶれていて意思が逆に伝わるなど致命的なもの
 ・個人的にそのことばの正しい意味を自らの発露としてマッチングさせ言語化することに多大なエネルギーストレスが伴うもの
が挙げられる。
 前者は、「うがった物の見方」とか「確信犯」とかで、後者は「気が置けない」とかがそれにあたる。
 で、今回の調査に「ぞっとしない」なんてのが出ていて、よくそんなものを見つけてくるもんだなぁ、とか思ったりした。
 個人的に、「ぞっ」とする、という「ぞくぞく」するといった擬態語として用いることが常であるため、それのON/OFFのうちOFF側を封じられてしまうのは嫌だから、程度のことなのであまりどうという話ではないのだが、基本的に後者側にあたる。
 まぁ、おばけやしきとかで、そんなに怖くなくて「このおばけやしき、ぞっとしないね!」と発言したら、それはそれで的確にディスっているので、結果的に正しい用法になってしまっているのかも知れないのだけれど。
 というのも、落語とかだと、面白くないという意味に加えて、どちらかといえば「くだらない」とか「程度が低い」とか「粗末で品がない」とかいうネガティブな感情がのっている気がするので。
 んー、「知恵熱」は、、、もういいんじゃない?とか。
 もはや育児用語として的確に用いることが可能な時代ではないと思うし。
 それにしても「確信犯」と同じで便利な用語になってしまっている気はするなぁ。

 あと、データが十分に提示されているわけではないので分析のしようもないのだが、「言葉や言葉の使い方に関して、困っている、気になっている」こととして、
 1) 流行語や新しい言葉の意味が分からないことがある
 2) 外来語外国語の意味が分からないことがある
 3) 年の離れた人たちが使っている言葉の意味が分からない
の項目が今回かなりポイントをのばしていることだと思う。
 昔文化人類学の講義とかで文化や様式、技術、言語などの廃れ方という領域において、人口バランスによる各種伝達機能の低下が一因とされると習った。
 結局、すでに昨今のことでさえない職場における知の断絶などの問題は人口ピラミッドのそれに大きく左右されてしまった領域であろうし、現在の変態的な人口ピラミッドからすれば、言語であろうとなんらかの断絶なり社会的に継承されない(記録としては残っているというだけ)とかがいびつな形であらわれても不思議なことではないのかもしれない。
 一応、そういう妄想をもとに1)、3)は納得できるのだが、2)は何なんだろう。
 昔からカタカナことばという形で常に忌み嫌われながらも黒いアイツのように常にうごめいているにもかかわらず、H11〜H22までは40%程度で推移してきたのが今回55%である。
 そんなにカタカナことばが顕著にここ数年で増えた気はしないし、昨今の意識高い系などのような塀の中のことばをいきなり街中に解き放つみたいな者なんてのは、今に始まったことでもない。(当時は意識高い系という表現はされてはいなかったが。ハイカラとか西洋かぶれとか、、あと何ていってたっけ・・・)
 外来語じゃなくって選択肢内にある文言の「外国語の意味」なら私も分からんけど。
 何語かも分からんし。
 えー、そういう質問なの、これ?

 いつもどおり投げっぱなしでまとまりなく終わる。

2017-09-21


朝OK 夜OK


 晩御飯、早っ。(当社比

2017-09-20


朝OK 夜OK


 まいたけ、うま。
 ここのところ、こんなんばっかり。

その3


 先日の食中毒の件で、約20年ほども営業してきたブランドを手放し、全店閉店することを決定したとのこと。
 マスコミ界隈などでは旗色が悪いとはいえ、シロクロがはっきりしたわけでもなく、逆に保健所側からすれば、当時がどうかは別として現状の調査において問題が極端な高確率で起こりそうといった要素がないとしているわけで、その決断の速さから某領域では下衆な勘ぐりに近いことまで出ていたりはする。
 いずれにせよ、悪意をもって直接的な結果をもたらす行為に及んだ者がいない場合には真実は誰一人として分からないし認知すらできないパターンであるため、よくいう何がどうしてどうなったのかは結局分からないことも多い。
 前回書きはしたが、分からないからといってバンザイしないかぎり何らかの対策なり改善をしていくのが当然であるわけだが、それは会社や組織や業態などが成熟していればしているほど困難であって、さらに原因がわからないことは目に見えて改善するだろうと予想できるような項目以外の選択肢をちまちま潰していくような泥臭い作業が延々と続くことになるともいえる。
 確かにこういったことは商売には当たり前のことだという意見もあるだろうが、リスクアセスメントから考えてリスクの見積もりにおいて不確定要素が多すぎる、結果的に他のブランド(他の名称のスーパーや外食など)にとってリスク資産になりうる、もしくはその危険性が高いと判断した、というのが一般的なものではないかと思われる。
 とはいえ、その判断というものは、私自身がその経営の現場にいない以上もはやただの妄想に過ぎないが、長い間地元に親しまれてきたブランドであるとかそうでなくても立ち上げた後にそれなりに維持してきたブランドに経営者自身に愛着がないわけがなく、それゆえ、何かしらの後手に回ってから決断するみたいな時間感覚をもって一般的な基準とするといったようなものに合致しない今回の例が異質に映るのかも知れない。
 単純に外面から見た考え方からすると、ことが起こって以降一部で述べられていた親会社の対応とは符合しないところではあるが、株式を通じた人情に惑わされない経営判断行使という意味では有効に機能しているようには思える。
 いやらしい言い方をすれば損切りといわれかねないかもしれないが、リターンが極端に増大することもなく先述のとおり不確定要素が大きくなり想定し得ないリスクを負うことは、ステークホルダは望んでいないはずである。
 まぁ、リターンが極端に増大することがない商売のほとんどの領域において、経営層に限らず所属する要員すべてが様々な立場から不確定要素を排除しリスクを低減するなり事後緩和させたりするのが当然ではあるのだが、それはそれ、前出の意見と同じで人それぞれ、会社それぞれでどうこういう話ではない。
 加えて挙げることができるのは、はたして当の惣菜店はいったい何の強みがあったからこれまで存続してこられたのか?という点からも考えていいように思う。
 これも前回書いたが、リスクを削っていけばいかに販売しないかという他と均質な方向に近づくわけで、そうではなく、差別化していた事項、されていた事項が何だったかという点について残すことを前提にいかに他者(社)とは違う対策打つか別のプロセス、組織体制はどうあるべきかなどをが求められるわけである。
 私自身、地域的に当の惣菜店を利用したことも目にしたこともないので勝手な想像だが、ロジの構造などから考えて、例えば、デパ地下の惣菜のようなメニューと販売形態という付加価値を狙ったものであったとすれば、それを運営するための安全側に振ったオペを想定した際に、それを実行するには管理コストが大きすぎるというところがあるようには思える。
 大きすぎるのは何と比べて大きいのかはいろいろと面倒臭いので書かない(書かないと書いている時点でアウトかもだが)が、個人的経験として現場のボスが立て直してみせます、時間をください、と上に掛け合ってもコストは下がらないでしょ?(笑)で追い返されてくるのを何度か見たことがあるので、何となくそんなパターンを想像してしまった。

 古い考え方に違いないのだが、想いだけで商売ができる時代ではない気がする。
 それは原動力の1つではあるのだろうが、1つでしかない。
 またステークホルダはその原動力を押さえ込んだ上で別の推進力を与えるなんてことも多く、そのリターンが少なくなりがちな構造化ではよりそれらがいびつな状態で推移することも多い。
 無理の結果として割を食うのは消費者なのだが、それがどうもこうもなく、以前からのとおり自衛するほかない気がする。
 トングがべらぼうに売れて店内に潤沢にトングが配置されただけで全てがまるく解決するのなら簡単なのだろうけど。

2017-09-19


朝OK 夜OK


 いたみかけのほうれんそううめぇ。
 半額で買って半分ぐらい捨ててたら何の意味もないけどな。
 まぁ、それはそれ。

2017-09-18


朝OK 夜OK


 風邪気味なのやっと治ってきた
 風じゃなくて