Hatena::ブログ(Diary)

柚の管理記録

2017-04-29


朝OK 夜OK

昨日のWBS


 トレたまのフロートドーム。
 全員登って脚立が倒れたらどうやって降りるんだろう、とか。
 入り口に非常用に旅客機の脱出シューターみたいなのがついてたらそれはそれで。
 何らかの問題で回転してしまったような場合、どうなるかとか、もはや考えたくないなぁ。
 まぁ、こういうのは言い出したらきりがないので。

2017-04-28


朝OK 夜OK


 蛍光灯
 エディオンまで行ってきた。
 片道30分弱だから格段にヨドバシよりかは近いんで。
 つかれた。(つかれたばっかりやね。)

普通にどうでもいい


 増田を読んでいて「普通に」ということばの考え方について触れられていたので、個人的な捉え方を少し書き残してみる。
 で、結論からいうと、「普通に」+形容詞である場合、私はただの装飾語として切り飛ばして脳内変換し、理解しているように思う。
 装飾語、という呼び方があるのか分からない(ググってみたが出てこないので、多分正しくない)が、要は修飾はするが被修飾語に意味を持たせることはないという意味で、さらには、そこに状況や感情、心理状態も乗っていないということを含意しているため、置き換えるのではなく、意識的に外す、ということになろうかと思う。

 個人的に、「普通」ということば自体、非常にあやふやな現実を示すしかない実情があるように思うことが多い。
 「普通」はおよそ「あまねく」+「通用する」という意味から来ている。
 「普」に関して、一部の例外を除けば、「普遍」とか「普及」なんてのも同様に意味を理解することができる構造になっている。
 で余談はいいとして、それから考えれば、当該事物が「普通」であるためには、適用範囲、条件、基準などをあらかじめ適合するべく設定し/され、さらには、それが適切に満たすべく機能する/していることだと思われる。
 ただ、昨今の多様性云々とかお台場がどうのとかが悪いわけではないが、それらを曲解して適用すると、同様な事例で「常識」と他者から言われた内容が「常識」かどうか、という問題と同じで、適用範囲内であるにもかかわらず通用しない点の存在を正しいと認める(認知するというのとは違う)ならば、「普通」は成立しないことになる。
 ここで、こういった議論になった際に出る意見の1つとして適用しない点を排除したものが「普通」と再定義すればよい、というのがあるが、そのプロセスを通じて適用しない点に対して「普通」になれ/しろ/するなどというのは、そこから導き出される各種行動において「普通」と「再定義した普通」の一致、不一致、近似をごたまぜにしたものにならざるを得ないことになる。
 実際、全体的に見ればニアリーイコールなのだが、現場レベルまでくるとその「点」自体がそこそこの面積、体積を持ったものになってくるので同値仮定して行動計画を行うと問題になったりするのを経験しているので。
 そういった意味で、ことの厳密性とそこから派生する事物、行動等における適用限界が様々で、一概に普遍的真理であるかのように扱うことが困難なものと化しているように思われる。
 加えて、「普通」であることを設定するために、その条件などを自らが独自で設定するような場合、本質的には適切に満たすことを検証し、それが正しいかどうかのループを回して「普通」を形成する必要があろうとは思うが、そういったプロセスを無視して当人の曖昧な主語の拡張を安易に行う場合、コミュニケーションを行う上でその獲得プロセスと蓄積した知見との乖離が大きいことによってさらに軋轢が生じやすくなると考えられる。
 このような場面においては、もはや「普通」ということは当人自身の認識を主語としてその範囲を自身からいかにどの程度まで拡張したか、というフィルターを通して認知する必要があろうかと思う。
 というわけで、感覚的に、「普通の」+名詞動詞である場合、こういった考え方で「普通」を理解しているように思う。

 で、「普通に」+形容詞
 若者らの認識として、他のことばに置き換えてもらうと、およそ「とても」とか「すごく」とか「手放しで良い」ということになっているので、基本的に大幅にポジティブ側に触れた表現だと思われる。
 とはいえ、中には、「意外に(良かった)」という意味で使うという者もいて、ある意味遷移段階にあるのかもしれない、
 個人的に「普通」に一体どんな感情が乗っているのかよく分からないなぁと感じたのは2000年初頭あたりだったように思うのだが、いわゆるコモディティなどといわれる一般的で差別化を図るのが難しく付加価値が乗せにくい状態を「あまねく」「通用している」として認識する場合、そのうまみの少ないネガティブな位置付けから「普通」とは、特別すばらしくはなく、まさに「それ」でなくても同じカテゴリのもので代替の効く取るに足らないもの、といったネガティブな意味とは違う、別の含意を持つ用いられ方をし始めたのではないか、と感じたものだった。
 当時、バブル崩壊の特別が上位であった時代から特別が存在し得ない不況期のなかで普通が相対的に上位に位置し始めた云々というもっともらしいのかどうなのかよく分からないのをどこかで読んだ気がする。(ググってみたけど見つからなかった。)
 いずれにせよ、「普通」に持たされた意味の変化に関する論理的な説明は学者の方たちに任せるとして、「普通」を修飾するのに「すごく普通」といった表現方法がとられるところからしても、何らかの形で「普通」自体の自身における位置付けやイメージがそれなりに変化したのではないか、とは思う。
 しかしながら、実際のコミュニケーションにおいて、その同一表記で主にネガティブ側からポジティブ側に遷移する過渡期において、その含意を正確に認識することは難しいといえる。
 ことばを受ける場合は、年齢や想定するパーソナリティ、口調などから勝手に想像できなくはなく、さらに言えば、ネガティブだと考えている層がネガティブな意味としてことばを発するとすれば、それは結構大概な状況を想定してもいいので、含意を絞り込みやすいとも言える。
 ところが、ことばを渡す側として考えた場合、ネガティブ側からポジティブ側までのいずれのパターンも考慮する場面も多いと思われ、その際の伝達の齟齬といったリスクを考慮すれば、安易に扱う表現たり得ないと考える。
 個人的に、コミュニケーションにおいて、ことばを受けて意識的に認識し、理解しようと心がけてしまうと、基本的に発話自体に用いてしまう傾向にある(相手に流されるとでもいえばいいのだろうか。同一な例かどうか分からないが、結構行った先の方言が移りやすかったりする)ため、意識的に「普通に」の理解をパージすることで先のリスクヘッジを行っている、という形である。
 実際のところ、仲間内とかで形容詞(強意系)+「普通」の場合、「普通」自体を記号認識して「普通って言うなー!」という返しとしての常套句が存在する(原典からすれば意味は違うが)ため、そういう方向に振りがちだが、「普通に」+形容詞は、私にはまだまだ難しい。
 そのように思う。

2017-04-27


朝OK 夜OK


 部屋の蛍光灯が切れた。
 量販店・・・・遠いんだよなぁ・・・・

透明


 えーと、飲料系で出てくるのがサントリーである確率が高いのは、回し者とかそういうのでは全くなくて、基本的にコモディティ化が進みすぎた飲料系でこういうのはなかったかもとか、思いつかなかった(もしくは思いついてもそれはないだろうと思っていた)のが出ると買ってみているだけ、と言えなくはない。
 過去にも少し触れたが、こういった新しい何かを仕込んでくる飲料を出すメーカーというのは、サントリーの他にキリン、ポッカなどがあったのだが、ポッカは実質的になくなり、キリンは方向性が変わり、残るはサントリーだけになったというだけの話ということになる。
 感覚的には、飲料部門を単独で考えるかどうかによってそういう博打的な商品開発の切り捨て方が変わってくるのかなぁ、という気がするのは、未だにサントリーだけが食品という区分けで扱っている(例えば、他の飲料メーカーが飲料メーカーと組んで共同配送するのとサントリーラーメン以外の多様な食品を扱う日清食品と共同配送するといった考え方の違いなんてのも1事例かもしれない)ことが、製品が上市される余地として寄与しているのかもしれない、とか考えてしまう。
 で、今回は、透明な紅茶という謳い文句CFなども打たれている「PREMIUM MORNING TEA」を飲んでみることにした。
 まず、購入時に気がついたこと。
 ペットボトルがへにょへにょである、ということだろうか。
 「いろはす」はあれはあれで慣れた(CFでも結構アピールしてたし)が、それと同じカテゴリだから意識したのかどうかは不明だが、よく似た感じになっているといえばいいだろうか。
 普段どおりのペットボトルのにぎり方で持とうとしたら、思っているのと違うへこみ方をしたので、そんな握力があるわけもないのに商品破壊したか?!とか考えて少し焦ってしまった。
 いいわけだが、「いろはす」のようにボトル上部のろうと状になっている部分は、明らかにごつごつした硬さを感じる段ができているのを除き、多角形上に成型してあれば、結構柔らかいから強度保持のためにやってるんだろうなぁ、と思っていたりするので、それはそれでそういう持ち方をしなきゃ、ということになる。
 一方、ボトル上部の断面が円形なものは、炭酸飲料のような内圧が高いものが入っているという先入観があり、さらには「PREMIUM MORNING TEA」はエンボスっぽい加工が表面になされているため、なんとなくパンパンに張っている、もしくは他の紅茶飲料と同じく硬めだと思い込んでしまったところがあったように思う。
 あと、内容量が550mlのため、天地方向に長い。
 スーパーとかだと棚の上下間隔に余裕があることが多いが、コンビニだと入るんだろうか、とか思ってしまった。
 コンビニに行って見て来るかなぁ。(今回買ったのはスーパーなので。)
 麦茶やミネラルウォーター系で500mlと価格帯が同じ扱いで500mlを越える容量の商品があるが、知る限り径を大きくして対応している気がする。
 あえて径を細いままにするのは、多分、想定購入層である女性の手の大きさを考慮したのではないかと思えるのだが、単に気のせいかもしれない。
 パッケージ。
 発売前から言おう言おうと思っていたのだが、それは、多分、迷いがあるんだろうなぁ、ということである。
 少なくともパッケージを見るより前の段階で、完全な無色透明ではないにしても、紅茶のイメージカラーである赤茶系とはかけ離れているわけで、帯状の茶色のバックに「TEA」をかなり大きく配置して、アピール、あるいは、ある意味注意喚起していると思われる。
 ただ、小さく「透明なレモンティー!!」と書いた下にある、グラスに注がれた商品イメージの液体の色は濃い黄色だったりする。
 「透明ちゃうやん!」とツッコミ待ちなのかどうかは分からないが、多分、ミネラルウォーター系の青、水色などの寒色系を用いるにはかなり心理的に抵抗があったのではないか、という気はする。
 だからといってどうすりゃいいんだ、という解は持ち合わせていないわけだが。
 もう、いっそ商品イメージでは色を見せずにティーポットとティーカップだけ配してモーニング扱いにするとか、商品名にもっと「透明」であることが直感的に分かれば他の選択肢もありそうかと。
 香り
 結構いい感じに仕上がっている気がした。
 いやー、いくらなんでも結構うそ臭いんじゃない?とか舐めてかかっていたところもあるかもだが。
 ただ、紅茶党でもないわけで、あくまでしろうとのはなしということで。
 細かい説明をするとすると、何のこだわりもなく水出し紅茶を作ったものと比べて、それから苦味や雑味を連想するものが除かれたような香り、という感じかと思う。
 高級でこだわりのあるのは知らんのでたとえがヘンかもだが。
 あと、ミント香りもくどくない。
 レモンは、、、分からない。
 最近、私は果汁だろうが人工香料だろうが区別できなくなってるので、入っているのは分かる、ぐらいにしておく。
 で、味。
 うーん。
 名糖レモンティーにレモン果汁感が少しプラスされた感じ、かな?
 名糖レモンティーが悪いわけでは全くなくて、逆に香りが名糖レモンティーのそれと全く違う方向性であることに戸惑うという、ある意味先入観のかたまりによる齟齬ということになるかもしれない。
 名糖レモンティーじゃなくて反対の透明レモンティーなわけで。(←おもんないので○んでどうぞ)
 で、真面目な話、レモンティーを出すということは、当然ブラックティー(既に黒じゃないが。多分、ストレートティーとかプレーン加糖とかと同じだと思う)も出すんだろうな、とか思っていたが、これだと紅茶単体ではどんな味になっているのか皆目見当もつかなかったりする。
 そもそもプレーンティー系が一般小売の清涼飲料水という領域で思った以上に出ない(味や香りの劣化が露骨なこともあるかもしれない。そういうことを言ってた人もいるので。)ことと、「MORNING」というキーワードを商品名にまで入れ込みながらも、どちらかといえばニアウォーター系の飲料を飲むというシーンに合わせた味付けをした結果、こうなったのか、それとも透明紅茶の濃縮ポーションでも作れるぜ、ぐらいなレベルまで技術的な練度がまだ到達していないのか、よく分からないところではある。
 そういう意味では、今後の商品展開に期待、といったところだろうか。
 そのまま立ち消えになったら悲しいけど。

 偶然かどうか、これと同じくして透明のコーヒーも発売されたらしい。
 「CLEAR COFFEE」というのがそれらしいのだが、なんでもスタートアップが数ヶ月で開発しちゃったらしい。
 で、開発したきっかけは歯のステインを気にせずにコーヒーが飲みたかった、ということで、さすがに海外のそういった人たちの行動力には感服する。
 で、翻って、透明な紅茶もステインを絡めて同じような表現が、、、できないのかな、規制の関係とかで。
 ちなみに、他のサイトで「CLEAR COFFEE」は日本での発売はないよ、と書かれていたので、「PREMIUM MORNING TEA」の透明紅茶、「伊右衛門」ブランドで透明緑茶を開発して出して、「CLEAR COFFEE」の販売代理とかをかって出て発売すれば、炭酸、果汁以外の3本柱になるんだけどなぁ、とか夢想して終わることにする。
 いや、まぁ、正直この話と関係なく「CLEAR COFFEE」は飲んでみたいんだけどね。

賞味期限


 サクラクエスト第2話。(絶賛視聴遅延中)
 賞味期限が1週間の土産物まんじゅうってあるんか?と周囲に聞いてみたのだが、有馬温泉名物の金泉焼がそれぐらいだったんじゃない?という答えが。(ただ、HPを見た感じ期間が書いてないので確かめることはできなかったのだが)
 いや、ローカル過ぎるし。
 とは思ったが、結構知らないだけで、そういうのは結構あるのかもしれない。
 とはいえ、基本的に土産物は購入から消費までに様々なプロセスを経ることでリードタイムが伸びがちなため、100日前後とかのように結構長めに取っていたり、反対に生菓子のように消「費」期限が当日とか、あっても2、3日とかで購入者の行動を制限する方向性だったりするが、7日というのは、また結構中途半端な感じかなぁ、とか思ったりもする。
 逆に考えると、賞味期限が1週間という土産物というのは、リードタイムが伸びがちな客に対しても口に入るまでの期間を制御できるぐらいの何か、例えば強力なブランドと認知度であるとか(生八橋とか)、味や品質に愛好者に裏打された自信がメーカーにあるとか、JITなどのツールを使って生産、流通の各プレーヤーが廃棄ロスを極小化するシステムが有効に機能しているとか、そういうところが必要なのだと思う。

 実のところ、売ることが目的などと題目を並べるのは簡単ではあるが、思った以上にそれを(主にそれだけを)実践するのは難しく、ガッツと気合いと根性で売ろうとしても売れるものではない。
 当たり前の話にはなるが、こういったまんじゅうを売るという行為においてSCMサプライチェーンマネジメント)を当てはめるのは常套手段ではあるが、適用すると、もはや五人の勇者の話ではなく、その勇者が滅すべきは内なる組織の自覚なき欺瞞と無為な怠惰であるということになりかねない。
 SCMから考えると、計画、調達、生産、流通、販売(開発などはとりあえず最初から除く)を分けて考えるとして、既に流通か販売にしか手が打てない状況(通販は無理というあたりで既に流通関係は捨てるということにはなろうかとは思うが。街中に行商に行くなんて方法もなくはないが、まぁ、それはそれ)からの出発ということになっている。
 その状況を招いたのは、とりもなおさず当該職員ということになる。
 官の体制というものが常に正しくないというわけではないという立場から考えるとして、正しくさせなくすることが可能となる事項として挙げられるのは、予算の消化、という点にあろうかと思う。
 基本的にどういった予算取りが地方公共団体内部で行われているかは分からないが、思った以上に予算執行の段階で予算が金銭的に大過なく使われればそれでよいといった執行時の具体的な計画性がおざなりにされることが多い。(いや、まぁ、10年ぐらい前の話だけど)
 今回の件において生産(まんじゅうが手元にある状態になること)はアウトソースすると考えれば、実際調達の段階(要はファブレスなのでカネだけが必要)で組織運営にかかるシステム上具体的な計画が適切に機能し目的を達成するか(ここでいえば、村おこしの、例えば知名度が上がるとか)が設定される、もしくは設定されないならば適切にコントロールされる(適切な計画がなされるまで決裁されない、または、消化せざるを得なくなっても適切に検証し評価するために厳格にフォローされるなど)べきであろうが、先の予算の消化の考え方に習えば、何のコントロールも行われずに流通、販売一般には流通も無策であることが多いので、販売まで至ってしまうことも多い。
 実のところ、さらには、販売を総括することもないため、そのまま次のループも計画がなされないというオチもありはするが、今回は関係がない。
 いずれにせよ、計画、調達、生産の段階で官の体制、考え方の悪い使い方が色濃く出てしまっているように思える。
 あと、話中で『小ロットじゃ採算合わない』と言わせてしまっているのは、どういう意味を持たせるつもりでいたのか分からないが、適切な計画の中で採算とロット数を論ずるのか、ロット数が増えれば単価が下がるだけのことを計画自体なしで論ずるのとは全く異なってくる。
 私は、先のセリフが後者であると視聴の最中に感じてしまって、恐ろしくて鳥肌が立った。
 逆にカブラ王国という施設が未だに現存していることの方が不思議なぐらい、と言えるような気がして少し気が滅入ってしまった。



 そんな話じゃないよね。
 これって。

 で、次回は。
 「この後スタッフがおいしく頂きました」を実現するために寝食を惜しんでまんじゅうを食べまくる(日本語としておかしいがそういう意味)観光協会職員と五人の勇者たち。
 消「味」期限を過ぎても食べることができるといっても限度というものがあり、一人また一人と倒れていく。
 そんな中「チュパカブラの呪いだ」という天啓を得た由乃は、HCUや個室隔離などバラバラになっていた勇者たちを再度召喚。
 再集結した五人の勇者たちは満身創痍ながらもチュパカブラとの戦いに挑むべく立ち上がり(物理的に立ち上がれない者も多い)探索を開始する。
 そこで五人の勇者が見たものとは?
 ってことはないと思う。
 一応、これだとクエストなんだけどな。
 探してるし。

2017-04-26

今週のお題「部活動」


 小中あたりのよく分からない活動(半強制の有志と呼ばれるようなもの)は置いておくとして、基本的には、中高大ということになるだろうか。
 中。
 市内はおろか県内でも同一名称がなく同等の活動を行っている部活がないと顧問の先生が言っていた珍獣なので名前はちょっと。
 名前は別として、扱う活動領域が広すぎるので、確かに「同等」ってのはない気もするが、今も存続してるんだろうか。
 少子化で部活の統廃合が進んでいるので早々になくなってそうだが。
 高。
 幽霊部長と呼ばれていた。
 単に部活に出ないという話なのだが。
 通っていた高校の運営の特性上、部の組織としての渉外活動が結構多いのだが、その面倒臭い仕事だけ押し付けたいために設定されていたので、じゃあ、部自体には出なくていいよね、という半ばけんか別れっぽい形でそうなってしまったという。
 部活なんて楽しくないとダメだと思うし。
 ただ、自部の権益云々を考えずに、他部や自治会、その他の組織などと話ができる機会が多く持てたのは、属性として普段話をする機会などありえないような方々であるところからしてある程度の強制力がなければ得られない経験だったとは思う。
 大雑把な言い方をすれば、考え方は様々で適合性から考えれば完全に否定できるものはほとんどなかったりするが、かといってそれでは話が進まないというのを自身の脳内シミュレーションだけでは思いつきもしないことがいっぱいあることを知れたことはよかったかもしれない。
 とはいえ、自身の生き方にほとんど生かされてはいないので意味はないかもだが。
 大。
 未だに頻繁にやり取りのある友人、知人はここが多いと思う。
 部活、というか同好会は、私が卒業後数年あたりで断絶してしまっていて、そこなあたりでいろいろあったらしく、過去側に属する記録、情報群は、時期的にネットなどに情報がリアルタイムで乗っていないこともあって、今後とも情報を外に出さないことが暗黙の了解になっていたりする。
 個人的に当時の活動が自身の黒歴史だとは今も全く思っていないのだが、それとは別に後世において情報が極端に少ない暗黒の時代を意図的に作り出すことを歴代の者たちが判断したというなら、それはそれで面白いかも、という気がしたので。
 って。
 話せない部活ばっかじゃん。
 なんだろね。
 それこそが黒歴史として認定すべきなんだろうか。
 あと、中学の時には、他部において顧問による度が過ぎた組織の私物化が大きく表面化した事件があり、それは多分、当事者にとって多かれ少なかれ墓場まで持ってくレベルの心の傷になったんじゃないだろうかとか思ったりするのだが、昨今の部活顧問であること自体労働対価という観点から忌避されるところからは想像もできないぐらい時代は変わったという気はする。
 この事件の当事者の生徒側は別として、教師側はもうほとんどあっちの世界に行っているはずなので、具体的に書いていいかとも思ったが、それはそれ、数日でまとめられる分量じゃなかったりしたのでやめておく。
 一応、やばそうな内容というのは、
  ・部員の数に見合う練習場所確保の面倒臭さによる顧問の生徒への過度な嫌がらせ。
  ・主語は書かないが、結果的な犯罪教唆とそれにかこつけた部内粛清
  ・部員大量退部と一部恫喝(主語は書かない)による残留
  ・職員間で大きく問題視されるも、不穏な事件が頻発し立ち消え。
  ・有志教員による退部した生徒の自身が受け持つ部活への入部。(当時として内申に影響するため。うちの部活は結構引き受けたものの問題なかったが、問題が起こった部もあった。)
  ・学校側(予算的な意味で市側まで行っているかどうかは分からない)の強権発動による練習場所の確保(とはいえ、屋内競技のコートを屋外の吹きっさらしなところに仮設したため基本的に競技にはならないし、練習にも疑問符はつく)で部員の差し戻しを迫るも当該顧問らが拒否し限りなく険悪ムードになる。
  ・恫喝して残した部員の一部が暴力事件を起こし、大会出場が不能。
  ・当該顧問発狂し、髪も顔色も白くなり、人が変わるも、外部に出せないため転勤させてもらえない。
  ・最終的に実質休部。
ぐらいか。
 多分、関係者のほとんどは幸せじゃなかった/ならなかったと思う。
 学内で現在進行形の者がいるならば、できれば、楽しく幸せな部活動を楽しんでもらいたい、そう思う。


朝OK 夜OK

2017-04-25


朝OK 夜OK

昨日のWBS


 RPAの話が出ていた。
 RPAってのは知らなかったのだが、絵面だけ見ると大昔からあるSAPサイボウズあたりで実現するものとどう違うのか分からなかったのでググってみた。
 そもそも、「ロボット」というには程遠い気がしたので。
 で、Wikiによると、『RPAと今までの自動化との違い』として『RPAは、画面上のアプリケーション、システム画面を識別し、人間と同じように操作を行うことができるようなソフトウェアソフトウェアロボット)によって実現されている。』とある。
 具体的なイメージはぼんやりとしかわかないが、とにかく違うことは違うのだろう。
 番組内でやっていた住所変更受付の部分は、具体的に何がどのように行われているかは不明(画面自体隠している)で、単に人件費が削れてよかったよかったというところがクローズアップされていたので何ともいえないが、作業時間のかかり方からするに、例えば電話応答をして既存のシステムに入力して確認作業をして確定するまでのプロセスを1ユニットとして動作するということのような気がする。
 多分、ミドルウェアの多くが複数の社内システムを統合して運用し効率化することもメリットの1つだったとは思うが、そもそも統合するための大変さに見合うメリットが存在しないような切り離すことのできるプロセス(およそ率先してアウトソースされてきたもの)を独立して自動化するという同等なメリットを今だ享受できていない領域が現に存在している、ということなのかもしれない。
 ただ、献立から発注書を作るとか、勤怠表を自動集計する(中小なら紙ベースのところも未だ多いのではないかと)とかは工事見積から発注書を自動で作るとか勤怠表から社内規定上、給与や査定に反映しなければならない回数、度合いで遅刻、欠勤などを抽出する(当時給与オフコンだった時代)システムなんてのは、その実現がRPAだからどうのという以前の20年ぐらい前に私自身前の会社で自前で作ったので、いずれにせよだからどうなんだという気もするわけで。
 逆にこういうのが当たり前で、今まで何とも思っていなかった、できないと思って改善しなかったのが至極普通であるのならば、それはそれで、社会的ないろいろな疑問が解決しそうな気はする。
 その後のAIを用いたサポートというかオペレータとの二人三脚でよりよいサービスを提供する的な利用は興味深かったのだが。


 あと、トレたま外貨電子マネーの自動交換機。
 運営会社の「ポケットチェンジ」のHPを見ると『その場ですぐに、ご希望の電子マネーギフト券などに交換が可能です。/日本人旅行者の余った外貨も、訪日外国人の余った日本円も。』とあるのに、羽田の到着ロビーにしかないとはこれいかに。
 訪日外国人の利便性を上げて訪日外国人を増やしたいんじゃなかったけ・・・
 悪意ある見方だけど、円をとことんまで円のまま国内で落とさせよう(要はモノを買わせよう)という偏執狂的意識が垣間見れる気がして心がなんとなくぞわぞわして落ち着かないんだけど。
 選択肢は複数あっていいと思うし。
 ただ、訪日外国人の気持ちというのがどうなのかは私が勝手に想像して当たっているとは思えなくはあるけども。

 最後にちょろっとでてきた登記のはなし。
 コメンテーターの高橋氏の話では、登記の義務化の方向になるかもしれない、というものだったが、土地所有者が分からないことが問題ということを解決することを目的として、例えばイギリスのように公信力を持たせるという方向性なのか、単にちゃんと登記してよ、的な「ちゃんと」で解決する方向性としてやるのかが分からないといえば、分からないかと。
 登記すること自体をコントロールするだけが問題ではないはずで、結果として法的に登記をどう扱うかという複雑な領域に踏み込む必要があるのではないかと考えると、簡単な話ではない気がするんだが、どうなんだろう、とか。
 死亡者課税というある意味禁断の領域まで切り込む気はないのかも知れないが、どこまでのところまで求めているのか気になった。
 議事録が出るのを待って読んでみるかなぁ。