犬公方

 少し古いニュースだが、秋田県の動物殺処分の話題として当初予算案の知事査定スタート「動物愛護の秋田PR」秋田魁新報 1/28)にて動物愛護センターの新設が触れられており、掲示板などでは、猫好きの知事として有名な佐竹氏に絡めて犬公方ならぬ猫公方とか軽口を叩かれていたりした。
 ところで、動物愛護の範疇と認識し得る具体的な各種行動は、個人の信念やそのレベルによって判断は異なると思われるし、政治的、経済的、宗教的にバイアスが主観にかかっていることを考えれば、各意見に対してどうこう言う気は起こらない。
 ただ、当人の動物愛護の範疇となる具体的な各種行動が、脊髄反射的な思考のみ(二重過程理論でいうとプロセス1のみ)で規定されることは当人の理性により判断するそれよりもより論理的に正しくない解答を導き出している可能性が否定できず、そのあり方について一意な解があるわけではないが、個人ごとの動物愛護に関する意識の涵養はあってよいのではないかと思う。
 税金を投入する以上、単純な市場原理として費用対効果を求めることは判断が難しいところではあるが、対外的認知として「犬猫殺処分ゼロ」という数値的事実は有効に機能するとして、県民においては、「犬猫殺処分ゼロ」であることそれだけが重要ではなく、自治体としての責務の一つである県民の各種意識の啓蒙に繋がるものでなければならなかったりする。
 第3回秋田県動物愛護管理推進計画等検討委員会での意見の中にも、『「殺処分ゼロ」に向けて、犬猫の引取り数を少なくする』という表現が見られるように、「犬猫殺処分ゼロ」というボスの命令を単なる数値目標と捉えれば、引取りを極限まで減らせば殺処分も減るという小学校の算数レベルの手法もとることが可能である。しかしながら、この手法は、行政サービスを受ける側の立場に立った場合、動物愛護の意識に対する啓蒙という目的からは外れた行動に映るはずである。(善良な県民に適用する場合であり、悪意や当人の利益のみを最大化する意思を持って捨てる、虐待するような当事者には適用しない。)
 今年度の予算として動物愛護センターの設計費用が計上されているのだが、当然これに先立ち整備計画、整備構想の策定がなされており、これは、環境デザイン研究所が担当している。環境デザイン研究所は、和歌山県川崎市の動物愛護センターの設計にかかわっており、手堅いところを選定した形である。
 ただ、注目すべき点は、箱物に魂をいれる役目を担うボスが他の自治体のボスに比べて造詣の深い得意分野と合致していることだろう。
 彼のもとで本庁職員は「犬猫殺処分ゼロ」が数値目標より先にどういう意味を持っているのかについて薫陶を受けていると考える方が自然だろうと思う。
 そこから末端要員まで伝言ゲームでその精神は薄まりつつも伝達されると思われる。
 今回の場合は、自分の作業をもしボスが行うとしたらどうするだろうかと考えるだけで、たとえバックボーンを系統だって理解できなくてもさほど行動の差異が発生しにくい例だと思われ、数値目標の先にあるものを実現するための恰好の条件が揃っていると考えられるため、他の自治体に比べ、たとえ数値目標が同じであるとしても、特筆すべき特徴のある実りある事業になってくれるものと思う。
 じゃあ、知事が代わったら元も子もないのかというとそうでもなく、およそ一般企業でもボスはどんどん入れ替わるわけで、それはコーポレートサスティナビリティなどのサスティナビリティマネジメントの領域で検討する内容かもしれないので他に譲る。

 それにしても、今回の件に対して、医者いじめやいじめられた生徒の自殺や自殺率の高さ、ガン死亡者数の多さなどから動物よりもまず人間を愛護してあげて、という書き込みもあり、よくそこまで特定自治体の社会現象的、政策的な事案を知っているなと逆に感心した。
 コミュニケーションツールの発達によって、その領域に近しい人だけでなく、思いも寄らない領域から一介の地方自治体の政策を注視している者が複数いることを当該職員はあらためて認識し、衿を正さなければならない時代になったのかもしれない。