就職協定の翌日で

 「自分は人材として無価値なのか」という増田の記事を見て胸が詰まる思いです。
 増田本人の置かれている立場を正しく理解できるわけではありませんが、就職協定守っとる企業ならまだ3ヶ月もあるきに、ぐらいな鷹揚な心持ちで望んで欲しいと思います。
 と、およそ社会的にある程度の地位や成功を確立、達成した人が多そうな「はてな」住民の方々とは違い、私はあまりよろしくない領域(違法ではないですが)を邁進してきた部類なので、真っ当な就職指導的な話ができるはずもなく、とりあえず、別の観点から書いてみることにします。
 まず、記事タイトルにあるような考えにたどり着いてしまった原因となった「企業には、スター人材の採用も必要だが、「有害人材」を雇わない努力も不可欠である(DIAMOND Harvard Business Review 2/29)」(原文:It's Better to Avoid a Toxic Employee than Hire a Superstar 2015/12/9)だが、増田記事内でその中身について触れていないものの、増田の著者が想像した内容とは異なるものです。
 ただ、読む前から記事内容を自らの糧にするのではなく自らを糾弾しているような錯覚に苛まれる状況も含め、最後の『支離滅裂です。』に繋がっているのだと思います。
 前述のとおり、人に言える立場にはないですが、松岡修造氏のことばを借りるなら「考えろ!考えるな!」でしょうか。考えて後退する方向性の領域を考えるよりも考えて自分に資する領域に集中する方が結果はついて来やすいように思います。とはいえ、思った以上に目移りしてしまうものですけれどもね。
 とりあえず、DHBRの記事の内容に触れてみると、まず「有害人材」とは『有能で生産性は高いが、組織に害を及ぼす行為に関与する人たち』と定義しています。
 toxicを有害と訳したのが少し軽い表現過ぎたかもしれず、実態としては「毒をもって会社を蝕む」ぐらいな意味ででしょう。
 toxic assetとかtoxic bondsとかを聞いたことがあればその単語に込められた忌避すべきマイナスイメージが理解できるかもしれません。
 で、詳しい分析内容は本文に譲るとして、「有害人材」は組織、会社に害を及ぼす行為でダメにすることが生産性の高さをはるかに凌駕するという調査結果が説明されています。
 そして「有害人材」の性向・特徴を端的に表すと『腐敗しているが成績優秀である』と訳されています。
 で、さらに細かいニュアンスを付け加えてみると、「腐敗」は原文ではcorruptとなっていて、政治家の汚職収賄(ただ、bribeの方が多い気がするが違いは私自身英語できないのでよく知らない。)に使われることが多く、またその元の意味として堕落した、腐敗した、不道徳な、とか訳されることも多い単語なのですが、イメージできればなのですが、個人的には「ヒャッハーな状態もしくはそれを体現する性向」が一番しっくりくる気がしています。
 やられ役集団のNo.2とかNo.3ぐらいの有能さだけど、性格なんかは押して知るべし的な感じと言えばいいのでしょうか。
 この記事の結論として長めに引用しますが、『「人々は往々にして、人材の採用と評価に際し1つか2つの側面しか考えていません。高い生産性で売上げに寄与し、顧客サービスにも優れているような人を求めます。しかし、3つ目の側面があるのです。それは、“組織市民性”(corporate citizenship:組織に対し自発的に、無償で貢献する姿勢)です。この姿勢が著しく欠けているようであれば、よい採用とはなりえません。生産性はあまり高くなくても、組織市民性に優れている人を採用したほうが、組織全体の生産性はより高まるものと思われます」』と提言しています。
 実は、3つ目の側面として挙げられている内容(原文:the person's corporate citizenship)が日本で流布されている「組織市民性」という企業への滅私奉公であるとか日本語訳での注釈部分にあるような企業に自発的に無償で貢献する行動というような置き換えをすることに対し、日本的な滅私奉公を驚きで認知する欧米人が多いことをから考えて違和感を覚えている口で、the person's corporate citizenshipの個人的なイメージとしては、企業に所属(もしくは契約)することにより、その企業における自身の使命を自覚し、それに伴う企業と自身の関連性を考慮した上で、直接的に労働対価を伴う行為を遂行するとともに必要があれば直接的な労働対価を伴わない行為も自主的に行うことができるという考え方のように思っていたりします。
 何というか、citizen自体日本語(日本の歴史観?)に馴染みにくいのに、さらにcitizenshipとか理解するのなんて無茶な話な気はするのですけど。
 結局、簡単にしてしまうと、会社全体の利益や持続性と自身の利益をバランスよく考慮できる者と言えるかもしれません。
 とは言え、最近の企業の中には、その企業の公にできない内実のために、会社全体の利益や持続性と自身の利益をバランスよく考慮できる者を忌避するような場面も出くわすようになったようには思います。
 これこそ「有害人材」を率先して集めている企業なのかもしれません。

 で、増田本文について少し触れてみます。
 『昨今は「人間性」が採用の評価基準になっているからこそ、余計に自分の価値に自信が持てない。』という部分なのですが、逆に採用の評価基準における「人間性」とは何でしょうか?
 何年も付き合った友人や恋人や果ては肉親でさえその人間性を正確に推し量ることなどできないというのに、ちょろっとしたESや対策講座が開かれるような小論文や数分程度の面接で人間性が判断できるとは思えませんし、もしそのような人が存在したとしても、国内の数百万社もある企業に1人配置したとして数百万人もそんな能力を持ち合わせているようには思えません。
 ぶっちゃけてしまえば、企業にとってステークホルダに対して採用にかかわる説明責任を果たすための儀式のようなものであって、採用の評価基準を「人間性」であると銘打っているのであれば、ステークホルダに対して「人間性」で採用したと思わせる(たとえ嘘でも)ためのエビデンスが作成可能な「何かよく分からない別の基準」であり、本質的な人間性ではないと考えていいように思います。
 また、本質的な人間性として、例えば社会的に非適応性が強く触法行為を繰り返すもそれを自身の力で抑止することができず、今後所属する団体に危害を加える可能性が極めて高い場合などを除けば、自身が自身の人間性から導く自分の価値は新卒採用などにおいてはさして重要ではなく、どうせ相手側には分かりようもないので、何かよく分からないがそこそこ自身を持っていそうだ、ぐらいな表層的な状況でよいのだと思います。
 『でも相手を黙らせるほどのスキルがあるわけでもない』とその前の「人間性」の評価と対比で繋がる部分について、昨今の新卒採用に明るくないのでその繋がりを想像で補うことしかできないのですが、「人間性」の評価をより深い部分まで踏み込むという意思表示をしている企業が増えてきているということだとして、それに対応するために表面的な偽りの自分を弄しても攻撃を繰り返されれば、弱点が露呈する。よって相手を圧倒的火力で早期に制圧すれば問題は解決するが、そのリソースを持ち合わせていない、ということなのでしょうか。
 先ほどは、人事担当に「人間性」の本質を理解できると考えるには無理があるとしましたが、採用にかかる作業の数をこなしているだけあって、表層に纏った偽りの自分といった嘘を見抜く能力は非常に高いと思います。
 昨今の就活講座などのセルフプロデュースについてどのように教えているのか分からないですが、全く違う自分を作り上げて人事の目をかいくぐり、内定を勝ち得る者は一部の特殊能力者とでも呼ぶべき者たちであり、普通は、例え真実ではない盛った内容であったとしても、最終的にその内容が自身の性格や経験、学力、人間性などに有機的に結びついている状態を常に実感できるようにすることで、先の人事担当の嘘を見抜く能力、もしくは言質のうそ臭さを見抜く能力を回避することができるのではないかと思います。
 また、『相手を黙らせる』の「相手」を人事担当と定義しましたが、採用面接でともすればこれまでに数百人とか相手にしてきた人事担当を社会人経験ゼロの新卒が黙らせることができる方が普通じゃないですし、売り手市場の頃なんかは、人事担当がやり込められているようなら、その企業もたかが知れていると就活生から揶揄されていたそうです。

 というような情報の古い(そりゃ新卒なんぞ(ピー)年前だしさぁ・・・orz)テクニックの話をしていてもしょうがないのでやめるとして。
 レスにもありますが、とりあえず、まず一呼吸して、お祈りされても祈られない(呪詛にかからない)、振り返るよりアンチドートすることを心がけることから始めるのがいいのかもしれません。

今週のお題「方言」

 以前の記事で「方言コンプレックス」とでも言うべき人物の話にちょっと触れたので、別のエピソードを。
 その昔私が勤めていた会社での話である。
 当時、私は発注先への報告書の提出期限が迫る中、作業に追い込みをかけていた。
 既に深夜0時を回り、とっくに終電はあきらめ、始発で帰って風呂に入ってから引き返して始業に間に合わせるパターンでもういいかと思っていた頃である。
 部署には複数チームで総勢10数名が在籍していたのだが、私の案件の納期が一般に納期が集中する年度末の時期からずれていることと、私の案件のチームがかなり上の上司との2名編成だったため、力技で何とかしなければならない場合は、下っ端の私が担当することになるという関係で、部署内で徹夜を覚悟して残っている者は私と部署のボス(兼務なので実態は複数部署を束ねた事業部のボス)だけであった。
 そして、深夜2時頃、部署内の誰かの電話が突然鳴った。
 大体終電が終わる時刻あたりから+1時間の間は、家族(男性社員の場合はほとんどが奥方)からの電話がかかってくることが多い。
 このときは、「つい先ほど(何時とまでは言わない)退社されました。」と答え、会社用携帯に即刻電話(こういう電話がかかる社員は大抵家族用の携帯を切って、会社用の携帯だけ開けている)し、さっさと家族に連絡してください、とほぼできあがっている状態であろうと連絡するのが通例(というかしきたり)であった。
 この電話もそうだろう。
 そう思いながらピックアップする。
 こちら側が会社名を告げると相手側から1秒ほど居酒屋のざわめきのような雑多な環境音が聞こえる。
 間違い電話だろうか?
 そう思った瞬間、音が割れるほどの男性の大声が響いた。
 その声にはかなりの怒気を含んでいるのは分かるが、何を話しているのか全く聞き取れない。
 そもそも何語かさえ分からない。
 申し訳ございません、少し聞き取りづらいのですが・・・
 そう応答すると、「○○(うちの会社名)さんやろ?」とはっきり聞こえるのだが、その後の話している内容が全くもって理解できない。
 確実にうちの会社名あてにかかってきた電話で間違い電話ではなく、こちら側の日本語は完全に理解でき、相手側も少なからず流暢な日本語がしゃべれるはずなのにほぼ全てが理解できないしゃべりかたをされる。
 さらにピックアップしてしまったので、どのプロジェクトの誰あての電話かも分からないので翌日折り返すと切り出してから会話がほぼ成り立たない状態でも電話を終わる方向にももっていくことができない。
 ああ、だめだ。詰んだ。
 そう絶望していると、私の脇に私以外に唯一残っていた部署のボスが立っていた。
 彼を見上げると身振り手振りで「私に電話を代われ」と言ってくる。
 今思えば、下っ端の電話応対を雲の上ほどの人が引き継ぐなど恐れ多いにも甚だしいのだが、その瞬間は、ものすごく助かったぁ、と思いながら引き継いだものである。
 で、その顛末はというと、「方言」ネタで書いているので想像はついているとは思うが、発注者の山間地の現場事務所で酒盛り中にうちが納めた報告書を読んでいたところ、むちゃくちゃなところがあったらしく、酔いに任せて怒りの電話をしてきたとのこと。
 普段は標準語を話す努力をしてくれているらしいのだが、部署のボスがその発注者らといっしょに飲みに行き、酔いが回ると、地の方言が出てしまうため、8割は理解できないらしい。
 電話の声が割れるほどの大きさであったため、遠くからでも誰からの電話なのか分かったと教えてもらった。
 あと、この世の終わりを見たかのような絶望に満ち溢れた顔をしてたら普通助けるで、とおどけて付け加えられて激しく恐縮したのを覚えている。
 と、「方言」に関する教訓めいたエピソードでもないのだが、時に大変なことも起こりうるものだ、というぐらいでお茶を濁しておくことにする。