今週のお題「朝ごはん」

 お題の説明に『パン派 or ご飯派』とあるが、麺派は少ないのかもしれない。
 ちなみに、私はここ5年弱ぐらいうどんだったりする。
 「何うどん」という形態が特に規定されているわけではなく、有り合わせかその時の気分でつゆとかつゆのようなものとかもはやドレッシングっぽいものに成り果てたものなどと一緒に食べることになる。
 ちなみに今日は味噌ベースに余ってた根野菜のかけらをささがき(煮えやすいのとちょっとの料理でまな板を洗うのが面倒くさいため)にして食べた。
 たまに乾麺パスタをゆでてポン酢で食ったり、オリーブオイルで和えた上に冷やし中華のもとをかけたりといろいろ無茶をしたりもするが、やはり大概うどんだ。
 理由は簡単で、業務スーパーの各種袋麺のうち、麺自体の調理をほとんど必要としないという方針の許容範囲内に収まるもののなかで費用対重量として最も安いのがうどんだからである。
 朝食に限らずやきそばにしようかと思ってでかけても自動的にやきうどんにメニューが脳内で変わってしまうのはそういうことだったりする。
 多分、生涯でもっともリッチな朝食を食べていた時期は、料亭の料理のあまりをいただいた翌朝に食べていたころで、これって1万ウン千円の席のだぞ、と思いながら噛み締めていると何気に感動したものだ。

 社畜時代は出社時に歩きながらコンビニのサンドイッチと紙パック飲料で済ませていた。
 コンビニから数軒先の専門学校生でごったがえす時間帯にぶつかると結構大変だったりするのだが、当然サンドイッチのバリエーションが多くさらに入荷量も多い。
 ただ、レジを昼間に行くと2台運用なのに朝は4台に増やしても結構かかるというレベルの混み方を考えると、あまり気持ち的に落ち着けない。
 かといって、そこから少し離れたコンビニは混まないが、バリエーションはおろか1種類1品とかいう両極端さで、ある意味どちらの店舗で買おうかと選択する行為はバクチだった。

 あと、学生の頃は、小学校時代は何を食っていたのかまるっきり記憶になかったりするが、中高では親が起きてこないので、もっぱら食パンに何かを塗る、のせる程度とあとは牛乳だった。
 和食にならないのは、少なくとも当時炊飯がガスの大釜だったので1人分のごはんを作るのが難しかったこと、さらに適当に料理をして材料を使うと虫の居所が悪かった場合はしかられるのもあって、最低限、ということになる。
 まぁ、自身の畑に生えている葉野菜のあきらかに食わなさそうな端の部分をちぎってサラダにするとか旬、または旬をすぎてとにかくはやく消費してしまえとカゴに入れて放置されているものなら問題はなかったりするのだが。
 あと、ネコの朝飯は私がやらなければだれもやる者がいなかったのでネコに合わせてホットミルクを作って飲んだものである。
 今ではネコに牛乳はよくないと言われているが、当時はそんなことも知らないので普通に意図なくネコにあげてたというだけで、虐待というわけではないので許してほしい。
 で、カリカリとホットミルクを床の餌場に置くと、猫舌の私よりネコがいつも先に口を付けていたものだ。

 朝食で何ともいえない微妙な気持ちになるのは、よく観光地の安物旅館で定番の鮭の切り身の塩焼き(っぽいもののことが多い)だろうか。
 観光客向けホテルの厨房に入っていたことがあるが、翌日500食とかいうようなレベルで前日(もしくは当日の深夜にまでなることも多いが)に仕込んでおくわけで、時間的な制約上なるべくしてなっている形態なのだなぁ、などと当時昔を思い出していたのを覚えている。

 さて、お題には朝食を『1日を気持ちよくスタートするため』と位置付けているが、自分にとってどうなのか、を考えてみると、『気持ちよく』かどうかは疑問かもしれない。
 ただ、ここで日記を書き始めた動機が自堕落というか連鎖的に必要なことまでやらなくなるような状態をどうにかしようということから始めている関係上、最低限の目的を満たすための行為に付帯、連関するもの、前工程になるものの1つが朝食なわけで、それにより総じて目的を果たせたならば、それをもって『気持ちよく』と表現してもいいのかもしれない。
 まぁ、別に朝食、夕食を取らなくても薬は飲めるのだが、うーん、胃の負担が大きいしなぁ、、、、そんな感じかと。