世代間の差について

グローバル化、ハイテック化がすすめばすすむほど世代間の差が開いていっているようだ。なにの差かというと人が生きるために何を大事にするのか、何を優先するのか、何をかっこいいと思うか、だ。
昭和の懐疑主義はきらいだけど、それをよしとしている上の世代が嫌いなわけではない、むしろ大好き。かれらを否定する声もあるけれど、一昔前はそれがスタンダードだったんだし、正攻法だったんだからよいのだ。なんだかんだいって上の世代に助けてもらいつつ、また上の世代に反発していかなければならない。
若者は悔しい気持ちがなにより大切なんだ。空回りしてあがいてなけばいい。コンプレックスの塊になればいいんだ。
上の世代は下の世代を見ながら自分が若いころもこうも生意気言って、空回りして、ばかみたいだったんだなあと思うんじゃなかろうか。もし自分が'上の世代'になったときに、下の世代へいろいろものを言える人間になりたい、そのためにはいろいろ経験しなくちゃならん。
仕事ができる人間、いい人、話のうまい人、よりも他者の相手の立場にたち話しのできる人間になりたい。ただの優しい人ではない、言葉に説得力のある人間になりたい、と思う。

貧困の連鎖をたちきる

またランニングに行ってきました。やっと桜も咲き始めた札幌です。が、はてなさんによると写真がこれ以上のせられないとのこと。。。画像のアップロード制限限界が小さい気が。。。ひっこうそうかしら。
今日はNHKドキュメンタリーWAVEを見ての感想。最近、すごくおもしろいドキュメンタリーが多いです。今日の作品はなかなか秀逸でした。銃規制案が否決されたアメリカ。その中でも銃による犯罪の多発と銃犯罪の低年齢化が際立つシカゴにフォーカスして、町の銃犯罪撲滅をかかげたNGO団体の活動をとりあげていました。
シースファイア、という活動です。以下にリンク。
http://cureviolence.org/

地元の元ギャングを雇い、彼らに現地スタッフとして見回りをしてもらい殺人事件を未然に防ぐ。現地スタッフとして見回るメンバーにはいざこざがおきたときの対応を事前にトレーニングしている。活動の中現地スタッフのメンバーからいろいろなアイディアがだされ、実践している。
ドキュメンタリーの終盤では低年齢化に焦点を当てて、どうしたら子供たちを間違った道に歩ませないか、という部分が強調されていました。子供たちは親が生きるために犯罪に手を染めていく姿を見て育つために悪いことなのかよいことなのかわからなくなる。ドキュメンタリーの中でも10代の子供たちが悪いこととはわかってるけど、抜け出せない。もしまっとうに生きられるならそうしたいし、仕事がほしい。仕事をしてお金を得て、もう一度勉強したい、といっているのが印象的でした。

親の貧困による子供の貧困は、どこの国でもおこっている。地域性や宗教はもちろん問題の中に絡まる複雑要素ではあるのだろうけれど、もっともっと根本的な部分にて考えるとどこの国でもどの地域でも共通している部分はある。お金だ。

勉強にお金がかからなければいいんだ。しかも楽しくできればいい。

私は最近じぶんのやっていることにたいしていろいろな考えが浮かび上がっている。自分の経験も通してのこともある。北海道の田舎で車を運転できない子供のころは本だってまともに買えなかった。本を買うために町に行くお金。学校に行くお金。塾へ行くお金。お金お金お金!いつだってお金の問題は私につきまとった。

こどものためのe-learningはひろがりつつある。たくさん無料で提供されている。でも、e-learningをするには多少の設備が必要だ。。。家にPCやネット環境がないのが普通のエリアだったらどうするんだって話になっちゃう。
でも、それでも少しづつ変わってきているんだろう。自分の子供のころからすると日本のネットの普及の状況だってモバイルの状況も変わってきた。学習にあたる費用が、昔と比べたら安価になりつつあって、高度学習へのハードルがどんどん下がっている。チャンスは多くの場所で与えられるようになっているんじゃないだろうか。

それは他の地域でも国でもそうあってほしい。チャンスが得られなかった人たちに、機会を。意思さえあれば這い上がれるってこと、弊害となるお金の問題をわたしは技術で解決できるって願ってる。

いずれそういった舞台に立つ予定。みんなの自立していく支援ができればいいな。
だからいまはCCNPがんばるよ。
千里の道も一歩から、この言葉は今の自分にすごく胸にしみる。

5月

連休に姉夫婦と姪二人を旭山動物園に連れて行って、その後札幌から車で函館に帰ったり、いろいろしていたら突然祖母が他界。2日ごすぐ札幌に戻ってきた。どたばたした連休で、少しも休むことができない日が続いて、祖母のお葬式の後もすぐ仕事、、、
連日雨、雪続きでグダグダでした。天気が悪いとさらに気落ち。

今日は晴れました。曇りだけど、ようやく光量が増えた。
運動不足解消もかねて札幌ドーム周辺をランニング!


新芽が出てきている。めっちゃボケてる。。。


ヒヨドリの声。声はするけど姿は見えず

カラスではない。たぶん、、、もう少し大きい、とんびかな?
農業試験センターの畑地ぞいにある電柱の上。野鳥の声がぴよぴよとするので小鳥をねらっているのかなあ

結局ランニングっていよりはただの散歩になっっちゃった。

帰り道に住宅街を歩いていたらものすごい大きい鳥がアパートのあいだをぬってとんでいました。カラスじゃない。体は黒く、めっちゃでっかくて背中の羽が黒と白のツートーン。。。まさかオオワシ?札幌の住宅地にいるのかいな

ロールモデルとかどうでもいい

新入社員を安心させるために、2年、3年上の先輩がこんなところに配属されています!っていうの紹介する意味があるのだろうか。いたからなんだってんだ。面倒見てもらえるから安心するの。なんだか「あほっぽいなあ」と思っちゃうのよねん
結局自分がどうするかは自分で決めていかなくちゃいけないから、それに気づくのは早いほうがいいと思う

故郷

今日介護施設へ行ってきた。寝たままいる祖母が体が痛いといっているをみてつらくなった。なにもできなくて。でも、いちばんだめなことはおそらく悲観的になることだと思う。祖母にもすごく失礼だから。でもつらくて少し涙がでそうになってしまって、こらえることができなかった。

死はおそろしい 親しい人のものは特に辛い みんな逃げたくなるのは、悲観的になってしまっている自分が当の本人と対峙するときにきちんとした態度でいられないからだと思った

今日いってわかったことはよくきく’自宅で全うしたい’という
大それたわがままではないように聞こえることが実は大変なことだということだった。また介護施設も100人待ちだったり、仕事がきついし介護の手が足りていないということ、介護が必要な老人がいる家庭はお金がないと何もかもが大変だということ。

祖母の部屋は簡素すぎるので、祖母の故郷にあった山の写真を引き伸ばして大きくコピーして、部屋に飾ってあげようっと。少しでも、故郷に戻った気持ちになりたいよね。

さよなら

定期的に自分の考えややっていることがゆらぐときがある。このままでいいのか、これを続けていていいのか。状況が変わらない、進歩していないのなら違うことをしたほうがいいのではないか。

常にこれを考え続けることは大事。ひとつ、昨日目を覚まさせられたことがあった。そして今日、またひとつ。

人間の人生は交錯している。仲間は、自立している人間同士の間に生まれる関係であって、馴れ合いとは違う。重なるときがあれば、重ならないときもある。そして共に平行して同じ方向に向かうときも。

そしてそれぞれの明日へひた走る。

だんしゃり

いまさら断シャリを実践しています。。。
へ、へやがいっこうに片付かない。。

後で読もう。と思っていた記事のきりぬきやら本が捨てられずに溜まっている。これを片付けるには読めばいいのね。読んで捨てればいいのよね。