Hatena::ブログ(Diary)

もっと 縦横無尽

福島県の小学校教員 なおたかのブログです。

『学び合い』「インタラクティブ・カリキュラム」「アクティブ・ラーニング」「学級経営論」をキーワードに実践を積み重ねています。

 

2015-08-21

引っ越します。

このブログの調子が悪いので、新しいところに引っ越します。

新しいブログはこちらです。

http://nao-taka.hatenablog.com

2015-08-20

わらび餅

今日、山形に行ってきました。有名なお店のわらび餅を購入。あまりの美味しさに驚きました。


なぜ、あんなシンプルなものが、こんなに美味しいのだろう…。

シンプルだけれど、他とは違う。

わたしの授業もそうありたい、と強く感じました。

2015-08-19

さわやかに!

怖い話を大勢の方にシェアして頂きました。それはそれで感謝感謝なのですが・・・。

でも、もっと軽やかな書き手になりたいので、さわやかな話を!


先日書いた通り、わたしは教師の在り方として3つ挙げました。今度は簡単に書きます。

  1. 自分の限界を認める。
  2. 長く広く考える。
  3. 融合させる。

の3つです。


例えば、『学び合い』を始めた直後だとなかなかみんなと一緒に勉強できない子もいるでしょう。友達が誘ってくれているのに、集団に入っていけない。読んでくれているのに混ざれない。そんな時、教師はどうすべきなんでしょうね。

『学び合い』の考え方だけではなく、この在り方ベースで考えてみましょう。

まず「自分の限界を認める」のです。教員一人が何とかしようと思っても無理です。そして、教員がどんなに語って集団を動かそうとしても無理なのです。教員が語れば集団が動き、それによって何とかなるだろうという考えも実は浅はかなんです。わたしはこれを認められるまでずいぶん時間がかかりました。

じゃあ、どうするのか。「長く広く考える」ことが必要になるんです。問題を今すぐ解決しようとしても無理です。また、教員の語りで動いてくれた数名の子で解決するのも無理なのです。そういう子が巻き込まれるには、集団の一部ではなく全体が動く必要があるのでかなりの時間が必要です。この待ちの時間が辛いんですよね。

じゃあ、どうすれば集団全体が動いてくれるようになるのか。わたしの答えは「融合させる」です。この場合、「みんなと一緒に勉強できない子ができるようになること」と「みんなの幸せ」が矛盾しないのだということを教員自身が納得していないといけません。しかもその答えは、その子と集団が置かれている状況を良く見ないと決められません。どこかから語る内容を借りてきてばかりいると、そこを外すかもしれませんね。もちろん、参考にするのはオッケーだと思います。これがフォーラムで坂内さんが言っていた「リアル」ということでしょう。リアルって教員側の経験に沿ってというだけでなく、児童にとっても現実に起きていることに沿っている必要があるでしょうね。



こういうことを具体的に考える材料として、「○○のイメージ」の話を構想中です。



あれ?あんまりさわやかじゃないな。。。

2015-08-18

評価者

Facebookで“アクティブ・ラーニングをどう評価するか”という話題を読みました。

そこにコメントしても良かったのですが、長くなりそうなのとイマイチまとまりに欠ける文章になりそうだったので、自分のところ(このブログ)に書いておきたいと思います。


以前から、わたしは保護者や児童は学校における顧客ではない、と考えていました。

http://d.hatena.ne.jp/nao_taka/20130205/1360052511

学校・教員は経営者。保護者・児童はそこで共に教育活動を営む仲間。そういう感覚です。

学校が行う教育活動に保護者や児童は従事することで、報酬として“学力”を身につける。そんなイメージ。

でも、その“学力”というのが段々と変わってきたのだと思います。文部科学省はちょっと前から“生きる力”という言葉を使っています。にも関わらず、学校では知識理解を重視してきた!?そうでしょうか。中高は分かりませんが、少なくとも小学校では“教員にとって都合の良い振る舞い”が重視され過ぎてきたと、わたしの目には映ります。知識重視よりももっとタチが悪いですね。


アクティブ・ラーニングというのは、そういう“教員にとって都合の良い”価値観にノーを突きつけられたのだと思います。

「もっと違う力を身につけなさい!」

という世の中からのダメ出しというのがわたしの理解です。ああ、怖い!

学校における顧客は、社会全体だと思うんです。だって公立学校は税金で運営されています。保護者だけではなく、納税者全体が顧客でしょう。もちろん、個人だけではなく企業だって含まれます。だから、学校の教育活動は世の中のニーズに合うものである必要があるのです。

児童が身につける“学力”が世の中のニーズに合致しなければ、保護者や児童は学校の教育活動に参加しなくなるでしょう。もしも普通の企業が報酬として社会で通用しない貨幣を与えたら、労働者はどんどん辞めていくでしょうからね。今までは、学校の不甲斐なさを社会全体でフォローしてくれていました。でも、その余裕がなくなってきているのをひしひしと感じます。

このままでは、顧客=社会全体から見放されるかもしれません。財務省が「教員を減らすぞ!」というのも、その前兆のような気さえしています。文部科学省がフリースクールを認めるというのも「今のままの学校じゃダメなんだぞ。代わりはあるんだからな!」と言われている気分です。ああ、怖い怖い!


となると、アクティブ・ラーニングにおいて本当に求められる評価ってどういうものなのかが見えてくるような気がします。

それは、世の中で必要とされる人材に育っているかどうかでしょう。で、そうなったら、学校や教員は評価する側ではなく、評価される側になるのだと思います。

ああ、怖い怖い怖い!

なんちゃって。

軽〜い話!

自分がやっていることを言語化するために、思考を整理中です。

で、思い浮かびました。題して、

“3つの考え方と3つの在り方が定まれば、やり方が決まる!”

どうですか、これ。軽い感じでいいでしょう?


3つの考え方というのは、『学び合い』の3つの観のことです。わたしなりの解釈を含めると、こんな感じ。

  1. 子供は、大人と同じくらい有能で、大人と同じくらい愚か。子供と大人では能力的に大きな違いはないんだよね
  2. 学校でしか学べない知識や技術なんて今時ないでしょう?学校で学ぶべきことは、多様な人間と折り合いをつけて生きていく能力だよね。
  3. 授業では、細かいやり方を規定しても意味はない。それが合う子は極一部だから。でも、課題の設定とそれに合致した評価はしなくちゃいけないよね。

これと似たようなことは、何度か書いていると思います。


そして、現時点でわたしがたどり着いている「在り方」はこんな感じです。

  1. 全ての子を幸せにしたいよね。でも、教員の力で全ての子を幸せにするのは無理。これを認めて子供達の前に立たないといけないよね。
  2. 子供達の幸せを考える時、それは“今”“ここ”のことだけじゃなく、時間的にも空間的にもできるだけ長く広くしよう。それだけは子供達に負けないように頑張ろう!
  3. 一見矛盾するように感じるものでも、どっちが大切か?という二項対立では考えない。どっちも大切?というバランスでも考えない。じゃあどうするかというと、二つを融合させるんだよ。

こんな感じでしょうか。

あれ?あんまり軽くない!?


でも、わたしの中ではすっきりしました!!

機会があったら、もう少し詳しく書きたいと思います。

2015-08-17

天才的!

悩みに悩んでいたのですが、2学期に向けて、基本的な授業方向性を決めました。

色々と考えていたのですが、考えれば考えるほどインタラクティブ・カリキュラムって素晴らしいなあと感じます。みゆき会って天才の集まりなんじゃないの?と思います。おっと、日本一謙虚な3人組なんだった、控えめに言っておきます。みゆき会って天才的なんじゃないの?(“的”に謙虚さが現れています)


『学び合い』における3か月の壁を越えた人は、どんどんインタラクティブ・カリキュラムに挑戦すればいいのに、とさえ思います。もちろん、すべての教員・すべての学級にフィットするとは言えません。そんなものはあり得ないでしょう。でも、かなり多くのクラスでイイ線いくと思いますよ。

“かなり多く”ってどれくらいでしょうかね。日本の小学校教員って40万人くらいだったと思います。10%だとしたら4万人、1%としても4000人です。少なくないですよね、この数字。


インタラクティブ・カリキュラムって何?と思った方は、下のリンクをご覧ください。

高橋が「分かりやすさ」優先で書いたものです。(真似しやすさは考えていないので、これを読んだだけではご自分の授業でやるのは難しいと思います。ごめんなさい)

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