2012年02月09日 肉筆萌え 

「どんなタイプの女の子が好き?」
など聞かれることはもはやない。
そういうものである。
恋愛適齢期なんかもうとうに過ぎた。
それでも、いつか聞かれた時に答えようと考えてみる。だが、この年くらいになると、ルックスとか性格すらもどうでも良くなる。「だれでもいいです」というのが関の山。
あらためて思う。聞かれなくなったというよりは、もう答えられなくなったのだ。タイプとかそういうのより、「いまの喋り方」とか「しぐさ」とか「視線」などといった切り取られた瞬間にグッと来る。その繰り返しや積み重ねがあって、ある日誰かを好きになったりするのだろう、そんな気がする。
刹那という言葉が好きだ。
人の生きざまの儚さが愛しい。
さいきん自分は肉筆に萌えることに気づいた。
パソコン文字の反動なのかもしれないけれど、人の手によって書かれた文字には意味以上のものが詰まっている気がする。そこには脳や心の震えのようなものが感じられる。
手紙のようにかしこまって書かれたものより、あまり意識されないまま書かれたメモ書きの文字ほうがいい。
変態だろうか?と自分で思う。
まあ変態なのかもしれない。
パソコンに向かってキーを叩く姿にはなにも感じないが、ノートにペンを走らせるしぐさはセクシーだ。とすら思う。インテリジェンスを感じさせる。いつのころからだろう?そんなふうに思うようになったのは。
てなわけで
ぼくのタイプの女の子は「ペンで文字を書くひと」ということにしました。だれが書いても「MSゴシック」な文章ばかりでは不感症になってしまいそうなので。
2012年02月06日 譲られあいの精神 
お知らせ:
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電車の中では、まず席に座らないぼくも
その日はもうほんとうにくたくたで
おまけに電車もほどよく空いていて
それじゃ、と座席に腰を下ろし目を閉じた。
ふと
目を開け頭を上げると電車は渋谷で停車しており
わらわらと人が乗り込んでくるところだった。
白髪のおばあさんが乗ってきたので
席を譲ろうと腰を上げたとたんその席に着いたのは
おばあさんではなく、小学生くらいの男の子。
「いっぱい歩いたねえ」とその子は顔を上げて言う。
だれに話しているんだろうかと目の先を追えば
なんとぼくが席を譲ろうとしたおばあさんであった。
どうやらその子は、おばあさんの孫のようである。
40オヤジがおばあさんに譲るはずの席に子供が座る
はて?
着地せずにふらふらとさまよう善意。
いや、善意なんておこがましい。
たかが席を譲ろうとしたくらいで。
それにしても
テメこのガキ、バアさんに席を譲らんか!
とヒトコト言わざるべきか、言うべきか?
おばあさんは小ぶりで見た目70を超えている。
若ぶりなだけで本当はもっといっているかもしんない。
子供は立つべきだとは思うが
「いっぱい歩いた」というのも気になる。
それより隣のネタふりサラリーマンはどう見ても20代。
ここはひとつ席を譲り、婆も隣りに座らせてはどうか。
と喉まででかかってひとり悶々と過ごす。
でも本当に寝てたら、起こすのもかわいそうだ。
急停車によろめくおばあさん。つり革に手が届かない。
こらガキ、お前もさっさと寝るんじゃない!
三軒茶屋で近くの席がもう一つ空く。
席の前に立つOLと思しき女性がが座ろうとするのを
「す・すみません、こちらのおばあさんが・・」
と思わず声で制するぼく。
だがおばあさんは、孫の手をひいてドアの向こうへ。
もう降りるんかい!
ひと声かけられたばかりに、一瞬ひるみその隙に
勢い乗り込んできたおばさんに席を横取りされたOLさん。
明らかに横目でぼくを睨みつけているのがわかる。
すいません。とべコリと頭を下げるぼく。
なんか一番悪いのはぼく、みたいになってる。
なんだこの突然な罪悪感。
こういうのってなかなか疲れますよね。
部屋に戻ると、観葉植物が枯れていた。
Hami★
お久しぶりでございます、なおきんさんandちびきち君・・・
“間の悪い私”は、なおきんさんの気持ちが良く分かります。
おばあさんに、もし席を譲れたとしても、おばあさんは、孫?に座らせてしまったかもしれないですね・・・そんな感じがします。
優しいなおきんさん、自分をホメテあげてください。
私は、小さな優しさを当たり前にできるひとが大好きです。
和真
素晴らしい姿勢かと感服します。
昨今譲る方を見かける機会が減ったようですね。
電車内など公共の場でなおきんさんのような人を見ることがほとんどなく
寝たふり、見ぬふり、知らぬふり…
『どうぞ』と自然に譲り、出口付近に移動することにしています。
譲りあい・譲られあい、うまくいかないこともありますね。
ねね
同じ経験あります(涙)
すっきりしないですよねー。分かります。
悶々として、次回も座っては居られなくて
同じことを繰り返すんです。
でも、いいんです!
座ったままの自分は嫌なので
自分を嫌いにならない為に
また一緒に立ち上がりましょう^^
市井みさと
ああ〜、あります〜。
セイギノミカタになりたいわけじゃないけど。
正論を通そうとしてなんか違うのになっちゃう毎日です。
あたしも、友人たちも。類友なのかしら(^^ゞ
いつもなんかこう、理不尽というか不条理というか矛盾というか…。
得も言われぬ感情を抱いて過ごしてます。
たまやん
ははは!ドンマイ!
そういう時もありますね。そういうヤバイ時は絶対その人の顔は見ない方が良いかも。あとの自分の心を立て直すの苦労しますよ。
もと。
ん〜〜わからないですね。
自分が席を譲ったにもかかわらずそのおばあさんは孫に座らせたのならもうそれでいいじゃないですか。
なぜOLが座ろうとするのを制してまで座ってもらいたいのでしょうか?
そこまでされるのであれば、孫に注意するべきだったんじゃないでしょうかね。
うらっち
ここ香港では老人や妊婦に対しては席の譲り合い精神が結構根付いてるような気がします。ただこの間見た光景は妊婦と思われる女性に老婆が席を譲ろうとしてたのですが、女性は赤面しながら遠慮してた。その女性ただの小太りのようで老婆に妊娠してませんと説明してたけど、老婆もああっそう!ゴメン、ゴメン!と温かい笑みを浮かべながら笑ってたし、言われた女性も笑ってた。はたから見ても微笑ましい光景だった。なんか東京って他人との関係がギスギスしてて悲しいっすね。
risa
おじいさんおばあさんにとって孫は目に入れても痛くないくらい可愛い存在、だから自分の子供以上に孫には甘いですからね、両親を見ていてつくづく思います。
たまに電車に乗って驚くのは、われこそ先に座ろうとする人の多さや、寝てたり、寝たふりしたりで見て見ぬふりして席を譲らない人の多さ。
みんな心に余裕がないんですね、自分のことで精一杯。
観葉植物を枯らしてしまうくらい時間と気持ちに余裕が無かったんでしょう、それなのに会社で気を使い、さらに帰宅時にまで気を使いと、大変お疲れさまでしたね、なおきんさん。
2012年02月04日 そんなバナナのひとりごと 

たいてい年に2回は必ず風邪をひく。
なのに、ここ一年まったくの風邪しらず。
たぶんタバコだ。それからバナナ。
タバコを辞めて3年目になる。
タバコを辞めたタイミングでバナナを食べるようになった。いや、飲むようになった。とくに意味はない。「健康のため」というわけでもない。
たっぷりの豆乳と一緒にミキサーに放り、気分しだいでアボガドやリンゴなども放りこむ。酒粕をいれることも。それを毎日、朝と夜。500mlずつ。意外と飽きない。それどころか、飲まないと落ち着かなくなった。
バナナと豆乳ばかりを買う、へんなおっさんがいる。
とスーパーの店員にウワサされてもおかしくないくらい、週末に1週間ぶんのバナナ3房と豆乳4リットルを買う。それもたいてい同じ時間帯である。そのうち「いつものやつね」で通じちゃうかもしんない。
昨年は700本も食べた計算になるけれど、べつにバナナがそんなに好きなわけじゃない。単に豆乳を飲みやすくするためと、すばやくエネルギーになりやすいので朝食がわりにちょうどいい、というのが理由だ。とはいえブランドはやっぱりデルモンテに限る。ドールもいいけど創業者がどうしても好きになれない。
そんなにバナナを食べるのはぼくの他にはチンパンジーくらいのもんだろうけど、バナナの歴史は意外に古い。紀元前5千年〜1万年くらいにはすでに食用されていた。「だからサルはバナナが好きなのか」とひとり合点。
■ 世帯あたり生鮮果物消費額【2000 - 2010】
ここ10年、家庭における生鮮果物消費額(青ライン)は下がり傾向にあるが、バナナの消費はむしろ増えている(赤ライン)。2009年はおそらく「バナナダイエット」の影響かと。 出所:総務省統計局 家計調査年表
原産はマレー半島の「ムサ・アクミナータ」とフィリピンの「ムサ・バビルシアーナ」といわれる。ここから全世界に広まっていき、紀元前2000年ころに東アフリカやマダガスカルへ上陸し、3000年かかって西アフリカへ広まり、そこからフランス人たちがカリブへ苗を持ちこんだといわれる。日本へは、台湾経由で1903年になってようやく伝わり、昭和になってようやく庶民の口にはいるようになった。いったいどんだけ遠回りしたんだよ、とか思う。
▲ なぜ網タイツなのかは本人も知らない
ちなみに、ぼくが食べてるものは何でも欲しがるちびきちも、バナナだけは見向きもしない。サル似なのに、なんでかな?
市井みさと
きゃあ、バナナのキグルミで散歩しているイラストがカワイイです(´∇`人)
あたしもバナナ食べるほうですが、なおきんさんにはかないません(^^ゞ
メーカーは特に気にしたことがないですが、デルモンテのバナナは確かに美味しいですね。
最近はまってるのが、黄な粉をたっぷりかけたお餅とバナナを食べることです。
お正月を過ぎてもう1か月になるのに、いまだに我が家には切り餅が常備されています(笑)
わんわんわん
バナナブラザーズ、かわいいです♪
バナナ、ずーっと食べてないです。
ヨーグルトに入っている切れ端を食べてる
くらいかな。サプリメントなんかより、
ずっとこういう果物の方がいいんでしょうね。
整腸剤を最近飲み始めたのですが、バナナも
よさそう。
noko
きゃ〜♪ バナナマン&バナナ犬 カワイイ。
我が家のイヌもバナナは好きじゃないみたい。
他の果物はほとんど何でも食べますが
あの食感が口に合わないのかも。
risa
潜在意識に網タイツとピンヒールを履きたい願望があるのでしょうか(笑)
素晴らしい絵なので職場のパソコンの壁紙にしました。
おかげさまで益々笑顔で接客できそうです。
嫌な客が来ても笑顔を作れます。
あけみ
バナナの着ぐるみに網タイツ、そして注釈にウケました。私も会社PCの壁紙にさせてもらお〜っと。楽しく仕事ができそうです。
最近バナナをよく食べます。なおきんさんの影響かも。私はイチゴ(またはみかん)とヨーグルトと一緒にミキサーでガーして週末飲んでいます。毎日飲みたいけど旬とはいえイチゴ高いので。。。あとは会社に小腹がすいた時用にバナナ持って行ってま〜す。
2012年02月02日 雑誌はどうなる? 

あの小学館の学習雑誌が今年の3月で休刊になる。
最盛期は1973年、一冊当たり82万部も発行されていたのが、直近では2万部程度まで落ち込んだ。さすがに隔世の感がある。ぼくも『小学一年生』から6年間、愛読していたこともあり、なかなかせつないものですね。もう発売日が待ち遠しくて、月末近くなると本屋の前をうろうろしていたもんです。
雑誌の休刊は2011年前半だけでも100誌を超える。
もう雑誌は用済みなのかもしれない。と言い切るのはカンタンだけど、なかなか複雑な思いである。ネットが普及し、ここまで無料情報が手に入るようになればわざわざ雑誌を買ってまで・・ということなんだろうけど、知りたい情報をさっと調べてそれでおしまい。というのは「ヤリ逃げ」に近い気もしてくる。恋愛のプロセスがそうであるように、獲得までの回り道こそ、人生にあらゆる恩恵をもたらすんじゃないかと思う!
と、力むほどのもんじゃないけど。
休刊は漫画雑誌にも及ぶ。
社会現象まで起こした少年ジャンプも全盛期の半数を売るのがやっとで、ビジネスジャンプなどは休刊された。とはいえマンガ人口は減っていない。ぼくは何十年も前からほとんどマンガを読まないのでそのへんの事情は疎いのだけど、読みたいマンガは単行本で読まれるのだろう。となると、たとえば知られていない新人漫画家の作品が世に露出されにくくなる。雑誌でなら偶然読者の目に止まり、そこで人気が出て売れっ子になるのだろう。そのチャンスが減るというのは、なんともかわいそうだ。
有名作家や人気作家の著書は黙っていても売れる(というのはいささか言い過ぎかもしれないけど)。まだ有名でも人気でもない作家は、黙っていたら売れない。どころか、世に知られもしない。
かつては自費出版の詩集を売るひともいた。
寒空のもと、シートが敷かれそこに詩集が売られる。売れないまま、買ってくれる人を待つ。作品を書き、出版社に持込み、少部数ゆえ割高な単価をなけなしのお金で支払い印刷してもらい、寒風吹きすさむ中詩集を売る。でもこれからは、そんなことをしなくてもよくなるかもしんない。
先日アップルが無料で電子ブック制作ソフトの配布を開始した。「制作ソフト」といってもワープロ並みの手軽さでiPadで読める電子ブックを作ることができる。テキストや写真はもちろん、音声や動画も組み込める。少しだけ使ってみたが、びっくりするくらいカンタンである。さっそくiTunes Connect のアカウントも取得した。これで電子ブックを自分で作り、アップストアで配布することができる。無料で配布してもいいし、値段をつけて売ってもいい。
アップストアにぼくの本が並ぶかも。
売れ過ぎたらどうしよう?などと、しなくていい心配をするのはまあお約束だけど、例えば前述の新人漫画家さんが自分の作品を、出版社を通じず出版する敷居が下がったというわけだ。マンガよりも写真というひとならば、自分の撮った写真を一冊にまとめればいい。作曲に自信があるなら電子ブックに曲を埋め込んでもいい。動画も然りだ。表現作品者にとっては機会到来である。
そう考えれば、電子化の影響で泣くのは作家や漫画家さんや、ましてやぼくたちではなく、明らかに出版社や取次業者である。でもそこに務める編集者にチャンスがないわけじゃない。電子出版をしたい作家やアーティストたちをネットで呼びかけ、広く編集作業(校正・校閲・デザイン)を請負うという仕事だってあるかもしれない。
今の時代を味方にして才能を開花させるか、敵にしてとことん嘆くかは、結局のところ自分次第なのである。どんな時代であれ、前向きに生きる材料なんて、死ぬほどあるからだ。
セルフパブリッシングソフトは、今回紹介したApple iBook Auther よりAmazonのほうが先行しています。日本では著作権保護がどうたらこうたらで、実は制度的にはもう一悶着ありそうですが、個人が誰でもその才気を活かして「著作物」をダイレクトに売る環境に拍車がかかることは間違いありません。高齢化社会はいかに生活を持続可能にするかがポイントになりますが、例えば老後、年金だけに頼らず、こうして「自分の作品」を世に知ってもらい、納得してもらえたら売れることも出来る環境整備が必至だとぼくは思います。世界のどこにいても自分の作品を世界に売れるというのは、人生を豊かに自由にしてくれるものと信じているからです。
へのへのもへじ
路上の詩集ありますよ。
あれは路上で並べることが目的になるような活動であって、販売が目的なわけじゃないから・・・
risa
なおきんさんとちびきちさん二人そろって鼻水たらして寒そうです(笑)
風邪ひかないように気をつけてくださいね〜。
じ
こんばんは。
『小学一年生』とか僕も読んでましたよ(*´ω`)ナツカシイ・・
毎月ほんと楽しみで付録とかワクワクしてましたね。
僕の周りは一学年上の号を買うのが習わしらしく同学年を購入していた僕は少し小馬鹿にされてました(笑)
雑誌とかの情報とか画像、音楽にしても昔と比べたら低コストで沢山の選択肢からより吟味して選べるようになりましたね。
フリーのコンテンツより優れたものを提供できなければコストを払う価値を市場に提案できなくなり廃れてしまうのは現代社会が抱えた大きな問題ですね。
一昔前に比べて物凄いスピードでシフトしてゆく社会。
今年は一層その感覚を体感できる年になりそうです。
新しい世界で自分の感覚が通用するのかどうか今から楽しみです。
失礼しました。
どらみっちょ
電子ブックって紙の本の代替品くらいに考えていましたが、画像音声なんでも入れられるんですね。面白い!教えていただきありがとうございます!
文も写真も動画も趣味の音楽や俳句や絵画ぜ〜んぶ入れて見やすくまとめて、「自叙伝作っちゃったのよ〜」なんておばあちゃんがiPad差し出したりしたらおしゃれ!
今日「寒いからこたつに入ってもっぱら思い出話」と74の方がおっしゃっていたのでそんな事を考えました。
そんな場の傍らに登場してもいいくらい、iPadは簡単に操作できるしコンパクトだし見やすいです。
iPadで見せると盛り上がり方が違うんですよね。これは実感。
なおきんさんのおっしゃる通り、高齢の方でも自分で作品を発表して売ることができれば素晴らしいと思います。
私の周りでも50すぎて才能を開花させている方々がいらっしゃいます。才能は色あせないみたいです。豊かな高齢化社会を目指して!ですね。
naokin_tokyo
へのへのもへじさん、一番ゲットおめでとさまです!
「路上の詩集」について。なるほど、そういうことだったんですね。路上に並べると、どういう目的が達成されるのかいろいろ思い描いてみました。
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risaさん、
ちびきちの鼻の頭はむしろ湿っていたほうがいいけど、ぼくの鼻水すがたはいただけませんね。それからいつも思うのだけど、近頃の子供は質感のある鼻水をたらしませんね。
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じさん、
読んでましたか小学一年生。組み立て付録も楽しみでしたね。毎号毎号、良く考えられていたと思います。ひとつ上の学年の「小学◯年生」ってひどく大人びていたと感じられましたが、そんな子供たちもいたのですね。それだけに「1年間」で獲得できる成長の大きさが大人とはぜんぜん違うということでしょう。
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どらみっちょさん、
電子書籍は本来、紙の代替品ではないのでしょうね。むしろWEBの精読版というか、じっくりその世界にひたれるためのメディアというか。作りようによっては、記憶の残り方や情報深度についても段違いに大きくなるはずです。いろんな意味で、これからの高齢化社会ってそれなりによさそうな所ってありますよね。
2012年01月30日 モバイラーはツール好き 

iPhoneのスピーカーは
あんなに小さいのに、どうして
音がはっきり聞こえるんだろう
と感心する。
▲ iPhoneの底部分. 左がスピーカー、右がマイク
とはいえやはり
音楽を聞くには、もの足りない。
移動中などはヘッドフォンを使うが
たとえば
旅先のホテルの部屋などで聞くための
小さなスピーカーを探していた。
そんなある日、Real Design誌で
紹介されていたポータブルスピーカー
ミニブームボックスを発見。
これだ!と思い、即購入。
翌日にはアマゾンから届きました。
ちょうどマウスを高くしたような
たまご型の手のひらサイズ。
色はホワイトをチョイス。
iPhoneでもiPadでもつかえ、
接続は無線だからとりまわしもいい。
肝心の音は「これでまさか」な高音質、重低音。
スピーカーを置いたテーブルから
振動がビシビシ伝わってくる感じ。
途中、iPhoneに電話がかかってきても
本体上部のパネルを軽く触れれば、
自動的に通話音声に切り替り
そのままスピーカーフォンで話せます。
▲ 操作はすべてタッチパネルで。もちろんiPhone側からも
持ち運べるサイズでこの性能はすごい。
これまで使っていたのはなんだったのかと。
iPhoneはパソコンでもある。
でもタッチパネルの入力は正直つらい。
10行も文字を打てば、ヘトヘトである。
だからつい、キーボードが恋しくなる。
それがキーボードも持ち歩く理由だが
これが意外と重い。
iPadと外部キーボード、合わせて1kg。
これじゃノートPCと変わらない。
それでこれ。
ポメラ。
このモデルで、4代目。
ようやく欲しかった形になった。
折りたたみじゃないキーボードがいい。
まるで昭和時代のワープロ専用機のよう。
文章を書くだけなら、あれで十分だった。
モノクロの画面で、目が疲れにくいのもいい。
どこでも買える単三乾電池2本で、30時間持つ。
文書の保存は本体でもいいし、SDカードも。
ブルートゥースでiPhoneに直接保存も可能で
外部キーボードとしても使える。
ぼくはもっぱらQRコードをiPhoneにかざし
そのままメールか、Evernoteに保存する。
▲ iPhone用の無料アプリで取り込む
電車内やカフェでMacノートを開くと
いかにもという感じで気が引けるものだが
これなら外装が地味で、目立たなくてすむ。
さすがは日本のメーカー、
そこをちゃんと考慮している。
これなら旅先での入力がはかどりそうだ。
書くのが苦手な人に限って、ツールにこだわる。
まさにそれは、ぼくのことであるが。
▲ デジタルガジェットで散乱するテーブル. パメラはディスプレイ部分が低いのがいい. これならエコノミー機内でも使える.
市井みさと
あ、いいなぁポメラ。あたしもほしいんです。
ノートと鉛筆も好きですけどね(゜-^*)/
どらみっちょ
会社の人がプレゼンでiPadを使っていたのを見て感動して、自分でも買ってしまいました。アルバムなど人に見せるのが目的ですが、すごくいいです、初Apple。
このスピーカーだと聞かせるにも良さそうですね〜。
しかもかわいい。
ほしいです。財布&他の欲と相談します。
tananobu
最新のポメラいいですね
私 初代ポメラを持ってましたが
息子の彼女から
「お義父さんのポメラ 使ってなかったら私にください」と言われ 家中探したが「ポメラが無い(汗)」
どうも昨年「断舎離」などと舞い上がって持ち物を片付けたとき 勢いで捨ててしまったらしいのです(汗)どうしよう(汗)
naokin_tokyo
市井みさとさん、一番ゲットおめでとさまです!
書くことだけに専念したければパソコンはむしろ邪魔だったりしますよね。つい気がちったり。「1台でなんでもできる」のは便利ですが、落とし穴もあります。ところで、さいきんの鉛筆はすごく質がいいですね。芯と紙がこすれる音が好きです。
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どらみっちょさん、
ついにiPadオーナーですね。「ただの大きなアイフォン」みたいな言い方もされましたが、使い道は無限大。でも「写真ビューワーとしてだけ」でも十分元がとれるクオリティですね。「他の欲」とよく相談してみてください。
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tananobuさん、
断捨離しすぎ!(笑)まあそれだけ小さくて目立たなかったということでしょうか。ところで息子さんはそろそろご結婚、ということでしょうか。「お義父さん」だなんて、ちょっと雰囲気がしみじみよかったので。ところでぼく、密かにtananobuさんのイラストファンなんです。なんかこう食欲が湧くというか・・





最近自分の字がごっつくなったなーと思っていたら、会社で「あいつはおっさんや」と言われていることが判明。確かに字には人が出るみたいですね・・・。
最近人前でペンを走らせることがめっきり減りましたが、
時々書かざるを得ない時、なにか自分の裸を見られているような恥ずかしい気持ちがわきあがります。不思議です。